第302話 必勝を祈願して




「ご招待いただき感謝するわ」


 薄紅色をした騎士服を着たその女性は、少々甲高い声で優雅に挨拶をしてみせた。


 いまや『緑山』の本部となった『水鳥の離宮』に訪れる部外者は少ない。

 勇者担当者を除けば、第三王女、第一王子、宰相、近衛騎士総長だけだったはず、かな。つまり、アウローニヤでも屈指の権力者しか入ったことがないというありさまだ。いろいろとお世話になっている『蒼雷』のキャルシヤさんやミームス隊のラウックスさんたちすら入ったことがない。


 そう考えるとなにかこう、申し訳なくなってくるな。いつか招待する機会があればいいのだけど。


「団長の滝沢たきざわです。よろしくお願いいたします」


藍城あいしろです。副団長ということになっています」


 俺、クーデターが成功したら、離宮でパーティを開くんだ。などというバカを考えているあいだにも、こちらからの挨拶が進んでいく。ちなみに毎度の出席番号順で、役職は関係ない。



八津やづです。いちおう隊長、です」


綿原わたはらです。よろしくお願いします」


 出席番号的に最後になる俺と綿原さんが挨拶したところで、客人の紅い目が光った。


「君が『指揮官』なのね。コウシ・ヤヅ」


「え、たぶんその、はい」


 鋭い目で俺を睨むお姉さんは、なんというかキツ目の美人さんだ。


 銀色の髪を腰のあたりまで伸ばし、その瞳はルビーのように紅い。赤目といえばウチのクラスにはアルビノ系ぽややん少女の深山みやまさんがいるが、彼女の瞳はどちらかというと赤褐色に近い。『めった刺しの赤目』なんて言われている彼女だが、お話というのは得てして誇張されるものだ。


 ともあれ、滝沢先生と同世代位に見える目の前の女性は、第三近衛騎士団『紅天』の現団長、ミルーマ・リィ・ヘルベット子爵だったりする。まるで『紅天』という俗称が後付けだったんじゃないかと思うくらいイメージ通りの人だな。

 背丈は俺と同じくらいだが、ゴツイという印象はない。そのあたりも先生に似ている。


 それでもこの人は十三階位の【堅騎士】。爵位と立場を合せれば表向きの『王女派』筆頭格だ。裏はアヴェステラさん。



「あなたがねえ。それと、わたしのことはミルーマでいいわ」


「あ、はい。よろしくお願いします、ミルーマさん」


 強気の表情からの砕けた口調でミルーマさんが言うものだから、反射的に二度目の挨拶をしてしまった。

 そんな俺のすぐ傍を紅白色のサメが泳ぐ。こっちも一部が紅いなあ。


「よろしいでしょうか」


 俺がミルーマさんに気圧されているところに割り込んできたのは綿原さんではなく、穏やかな笑みを浮かべたアーケラさんだった。


「出席番号二十二番。アーケラ・ディレフと申します」


「……ふぅん、あなたが」


「よろしくお願いいたします」


 元、というか今でもいちおう『第一王子派』のアーケラさんと、それに対峙する『第三王女派』のミルーマさんの図だ。クラスメイトたちが息を呑む。


 そもそも自己紹介の場で、俺たちは出席番号を言ったわけではないのだけど。なんでこうなるのか。


 アーケラさんが割り込んでくれたのって、もしかしたら俺に目を付けたミルーマさんの気を逸らすためだったのかもしれない。だとしたら感謝するばかりだ。



「出席番号二十三番、ベスティ・エクラーだねえ、ミルーマ様」


 アーケラさんの行動に乗っかるように、おどけたノリでベスティさんも名乗りを上げる。


 ベスティさんは長年に渡りバリバリの王女派で、ミルーマさんを知らないわけがない。もはや自己紹介でもなんでもない感じになってきたぞ。むしろ『緑山』自慢みたいな感じだ。


「わたしもですか」


 元上司に睨むような視線を向けられた『紅天』出身のガラリエさんがため息を吐く。順番的にはそうなるんだよな。


「出席番号二十四番、ガラリエ・フェンタです。お久しぶりですね、ミルーマ団長」


「こちらの居心地はどうかしら」


「刺激的な毎日です。居心地を考える暇がないくらいに」


 ガラリエさんが愚痴とも何ともつかないようなコトを言うが、表情は悪くない。普段どおりの真面目顔だが、口の端がちょっと持ち上がっている、彼女らしい微笑み方だ。



「そう、ならいいの」


「さて、何度かお会いしたことはあるが、こうして近い距離では初めましてですねぇ。出席番号二十五番のシシルノ・ジェサルと申します」


 鋭い視線を崩さないままガラリエさんに返答したミルーマさんに、今度はニヤニヤと笑うシシルノさんが胸を張って挨拶をする。

 シシルノさんの敬語なんて、王女様以外に使ってるところを見た記憶がほとんどないぞ。


「ジェサル卿の論文、いくつか読ませてもらったことがあるわ」


「神授職の通りでお堅いですなあ。シシルノで構いませんよ」


「そちらこそ、発表の場のようなふてぶてしさが消えているようね。普段通りになさいな」


 ミルーマさんが二十代半ばで、シシルノさんがたしか三十一歳。だからといって子爵と騎士爵の差は大きい。それでも敬語を使うシシルノさんは、ぶっちゃけ気味が悪いので、いつもどおりに戻ってきてくれると嬉しいのだけど。


「ならば、そうさせてもらうとしよう。今後ともよろしく頼むよ、ミルーマ」


「……あなたはそういう人だったわね」


 不敵という単語しか思い浮かばないような笑みでシシルノさんが言葉をつなぐが、いきなり呼び捨てとか、すごい度胸だ。さすがは俺たちのシシルノさんだな。

 呆れたようになるミルーマさんは、それでもスルーしてくれるらしい。中々器の大きな人だ。



「……出席番号二十六番のアヴェステラ・フォウ・ラルドールです」


 そんな光景を見て、眉間を指で揉むようにしながらアヴェステラさんが続く。


 二人は王女派の表と裏の代表同士だ、知らない仲ということはない。要は茶番だな。


「あーっと、俺はまだ番号をもらっていないのですが、ヒルロッド・ミームスです」


「ヒルロッドさんは二十七番で確定です。『明日の朝』、正式に言うつもりだったのに」


 この場では最年長なのにしっかり敬語になったヒルロッドさんが挨拶をしたが、そこにツッコんだのは副委員長にして副団長の中宮なかみやさんだった。


 初期からの付き合いと談話室での訓練で、中宮さんはすっかりヒルロッドさんにリスペクト感を出すようになったな。


「それは……、ありがとう、ナカミヤ」


 疲れた顔をしたヒルロッドさんだったが、その時だけは優しい笑みになる。無言で受け止めた中宮さんも嬉しそうにしているのがいい感じだ。



 ヒルロッドさんと中宮さんのやり取りを黙って見ているミルーマさんだが、口を挟みはしなかった。

 なるほどタイプ的には中宮さんをかなりキツくしたら、ミルーマさんみたいなイメージになるのかもしれないな。


 俺がそんな妄想をしているうちに、謎に長くなった自己紹介大会が終わった。



 ◇◇◇



 昨日の夜、王女様からは言われなかったのだけど、なぜか今日の朝になってアヴェステラさんから伝えられたのが、こちらにおわす『紅天』団長、ミルーマさんの来訪だった。


『王女殿下を預ける以上、直々に会っておきたいそうです』


 というのがアヴェステラさんの談である。


 はたしてミルーマさんは夕食の場に同席するという形で、離宮の正門から堂々と登場した。

 門番は『蒼雷』でも信頼できる騎士ではあるが、入退の記録は残る。それでもクーデターを明日に控え、なにをいまさらといったところなんだろう。


 さて、王女派筆頭でクーデターでは王女名代のひとりでもあるというミルーマさんは、どういう思惑でこの場にやってきたのやら。



「改めて、本日のお招きに感謝するわ」


 招いたワケではなくあちらから襲来したのだが、建前の文言なのはわかっているし、そういうのは王女様で慣れてしまったのが俺たちだ。


 食堂にあるテーブルのお誕生席、つい昨日王女様が座っていた場所にミルーマさんは着席している。

 テーブルの上座短辺、並ぶのはアヴェステラさんとシシルノさん、ヒルロッドさんといういつものメンバーだ。末席短辺にはアーケラさんとベスティさん、ガラリエさんが座り、長辺側には男女に分かれた一年一組というのが普段から俺たちの食事風景になる。


「お待たせいたしました」


 食事の準備ができるまでは雑談でもと思う間もなく、料理長の上杉うえすぎさんがワゴンを押して厨房から現れた。ミルーマさんが時間ピッタリに現れてくれたので、このあたりのロスはとても短い。

 うしろから続くのは、副料理長の佩丘はきおか、今日の当番だった古韮ふるにらや、酒季さかき姉弟などだ。俺たち的には給食当番ということになる。


「近衛の作法とは違うでしょうが」


「構わないわ。わたしも普段は騎士たちと一緒に食堂だから」


「そうでしたか」


 柔らかく語る上杉さんと、シャキっとした声のミルーマさんのやり取りのあいだにも、配膳がなされていく。


 はてさて今日の夕食は……、なるほど、そうきたか。

 目の前の皿を見た俺は、まさに笑っているのだろう。俺だけじゃなく、クライメイトたち全員が喜びを隠せていない。皮肉屋の田村たむらや寡黙な馬那まなすらハッキリとした笑顔だ。

 配膳をしているヤンキー佩丘も、してやったりのニヒルな笑みになっている。それもそうだろう。



「なるほどね。決起の前日らしくて最高じゃない」


「卵を使うって話だったから、どう来るかと思えばだよ。俺はオムレツを予想してた」


「わたしはオムライス。でも朝食っぽいから、どうなのかなって」


 向かいに座る綿原さんもモチャっと笑い、俺もそれに笑い返す。


「だよな。出されてみればやっぱりこれしかないよ。さすがは上杉さん」


「……ちょっとヤケるわね」


 小声になった綿原さんだが、何を言っているのかは聞こえている。まあ、聞かなかったことにするわけだが、今頃テーブルの下ではサメがあらぶっていたりするのだろう。



「初めて見るけど、コレはなんだい?」


 上座に座るシシルノさんが楽しそうに上杉さんに問いかけた。


「トンカツです」


「ほう。君たちの出す揚げ物料理は珍しくないが、これはちょっと奇妙に見えるね。食べてみるのが楽しみだ」


 そう、上杉さんがここで繰り出してきたのは、トンカツだった。


 皿の上には厚さ二センチで幅も二センチくらいに切り分けられたトンカツが六切れ。そして脇には山盛りの千切りキャベツだ。別の皿にはホカホカのごはんもあるし、これはもう最強じゃないか。


「パンとごはんは各自でご自由に、ソースは二種類で片方はトンカツソースもどきで、もう片方はアウローニヤ風です」


 初登場のミルーマさんもいる席だ。そのあたりにも気を使って上杉さんが出してきたのが、パンとライスの選択式。ソースも選べて、日本で見かけるトンカツソースを再現したものとアウローニヤ式のピリ辛の二種類というところか。これは両方試してみなければ。


「味噌汁は用意できなかったので、代わりにしたのは鮭の骨を炙ったものを出汁にしたお吸い物です」


 説明を続ける上杉さんの言葉に歓声が上がる。


 味噌と醤油が見当たらないアウローニヤで、ギリギリまで和風を持ち込む上杉さんの心意気が素晴らしい。

 左手に置かれた陶器のお椀からは、ほぼ透明なお吸い物が湯気を立てていた。トンカツの衣に使った余りだろう溶き卵が渦を巻くように浮かんでいるのが、無駄遣いを減らす料理班の気概を感じさせる。



「みなさんの言葉から、こちらは特別な料理のように聞こえますが、意味があるのですか?」


 俺たちの盛り上がりにアヴェステラさんが疑問を投げかけてきた。


「縁起物とでも言いましょうか。必勝を誓うための料理ですね」


「ほう。それは『ふらぐ』というものかな?」


「それはちょっと違いますが、困りましたね」


 上杉さんの説明にシシルノさんが食いつくが、縁起とフラグ、はたしてニュアンスの違いはどのあたりになるのだろう。


 俺を含むオタグループをチラ見する上杉さんの微笑みが心持ち大きいのは、気のせいだと思っておこう。

 今はそれよりもだ。



「そろそろいいんじゃないかな」


 今度はカツ丼が食べたいとか、醤油はないのかとか、変なテンションになっている俺たちを委員長がたしなめた。さすがにこれ以上引っ張るのは、料理にもミルーマさんにも失礼か。


「ミルーマさん、騒がしくしてすみませんでした」


「いいのよ。わたしもこれくらいの方が楽しいから」


 委員長が軽く謝罪するが、ミルーマさんは出会ってから初めて普通の笑顔になってくれていた。少しは打ち解けてくれているのだろうか。


「じゃあみんな」


「いただきます!」


 クーデターを明日に控えた夕食は、勝利を約束させる料理でもって始まったのだ。



「これは、うん。美味しいわね」


「ありがとうございます」


 高めの声で料理を褒めるミルーマさんに対し、穏やかに上杉さんが礼を述べている。


 美しい光景だがミルーマさんは中々に大食い、もとい健啖家だった。

 初めて食べるというご飯も普通に楽しみ、和風のお吸い物には唐辛子っぽいアウローニヤ調味料を加えて、喜んで食べている。

 トンカツに至っては、キャベツごとお替りを要求し、日本風トンカツソースもどきとアウローニヤ風ソースの両方を食べ比べてみせたほどだ。


 これが俺たちにおもねるための演技なのか、それとも素なのかはわからないが、それでもやっぱり俺たちの料理を美味しそうに食べてもらえるのは悪感情にはなり得ない。

 前列に座る委員長や先生とも言葉を交わすミルーマさんは、どう見てもこちらに対して好意的に思えた。



 ◇◇◇



「これを食べられただけでも、来たかいがあったわね……」


 食事もほぼ終わりといったところで、絶賛と言ってもいいお言葉を述べるミルーマさんだったが、セリフを言い終わったあたりで身に纏う空気は一変していた。正確には離宮にやってきた時と同じ気配に戻ったというべきか。


 要は緊迫感だ。

 俺たちもこの国に来てそれなりになるし、普通の高校生だったはずなのに魔獣どころか対人戦の経験すら得てしまった。こういう雰囲気には敏感にもなる。


「姫様と共に迷宮に入るという君たちがどんななのか、それを見ておきたかった。わたしがここに来た理由はそれだけよ」


 そんなことを言いながら俺たちを見つめるミルーマさんの目つきは厳しい。

 なにせ相手は王女様のことを姫様と呼ぶような、そんな人だ。王女様をどれだけ大事にしているのか、ダイレクトに想いが伝わってくる。


 学期末に通知表を受け取る時よりずっとキツいぞ、これは。どんな採点をされるのやらだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る