第78話 彼らの在り方:ヒルロッド・ミームス第六近衛騎士団副長
「面倒ごとかい?」
「さあどうだろうね」
「教導騎士団は大変だ。俺みたいのはこうしてつっ立っているのが楽でいい」
「人それぞれさ」
気安い態度で指令書を確認しているのは、第四近衛騎士団『蒼雷』の騎士だ。
こうして王城の区画警備の担当は時間がくれば定時に上がることができる。交代時間ももうすぐだろう。それが実に羨ましい。
俺とて城下に妻子を持つ身だ。これが貴族の身ならば、帰りが遅くなると使いを出すことだろう。
もちろん俺はそんな立場でもないし、使いの者に駄賃をくれてやる余裕もない。
昨日は勇者たちが絡んだ遭難騒動の後始末で帰宅ができず、今日はこれからの展開次第で遅くなるだろう。
家に帰った時の妻と娘の顔を見るのが今から怖い。
貴族子弟ならまだしも、平民上がりの騎士爵など法の上では貴族扱いだが、王城では最下級だ。酷い時など貴族と見なされないことも多い。
そんな俺が王城の奥、最奥ではないにしても行政府の重要区画を歩くはめになったのは、当然昨日今日に起きた勇者たちによる騒ぎのお陰だ。
俺の肩書では二度の検問を受けなければ入ることもできない廊下を、ため息を吐きながら進む。今からもう気が重い。
◇◇◇
「ちっ。なぜ私が……、ああ、次はあなたですかミームス殿」
呼び出された会議室の控室で待機していると、そこに荒々しく登場したのは訓練騎士のハウーズだった。
今しがた出てきた会議室の扉を睨みつける様子からも、憤慨が伝わってくる。大方、今回の件での叱責だけでなく、今後は手出し無用とでも言われたのだろう。そうしてくれるとこちらも助かる。
普段から甘やかされているから、ちょっとしたことで憤る。
情けないことに王城の若手貴族にはこういうのが多いのが現状であるし、それがある程度まかり通ってしまっている国の体制を憂いてしまう。
だからといって俺に何かができるわけもないが。
「お入りください、ミームス卿」
ハウーズが控室から出ていったのを見計らってから、扉の脇にいた事務官が俺に入室を促した。
入りたくはないが、しかたない。
「第六近衛騎士団副長ヒルロッド・ミームス、入ります」
扉をくぐった先の部屋は、俺が王城に入るようになって初めての場所だった。
近衛騎士となった式典の謁見の間、迷宮に入るため何度となく通る『召喚の間』。あちらも豪華だが、ここはまた別の豪勢さを感じる部屋だった。
会議室という名の巨大な応接室は装飾と調度品に溢れて想像以上に広く、重要区画とはいえ行政府の管轄かと疑わしくなってしまう。貴族の社交場や王室の私室と言われても疑いを持たなかったかもしれない。
「うむ。ミームスよ、君の席はそこだ」
「はっ!」
第六近衛騎士団ケスリャー騎士団長に勧められた席は、部屋の中央にある巨大な長机の一番下座だった。まあ俺にはふさわしい場所なのだが、問題はそこから上に座る面々だ。
ケスリャー騎士団長が俺の横なのはいい。そこからがおかしいのだ。
宰相閣下と近衛騎士総長がいる。そしてなにより、第一王子殿下と第三王女殿下が並んで座っているのを見てしまうと、予想はしていたが胃が痛くなる。
両殿下の脇に立ったまま侍るラルドール事務官、アヴェステラ・フォウ・ラルドール子爵はしれっとしたいつもの表情だ。こういうのに慣れているのだろうが、その度胸が羨ましい。それとシシルノ・ジェサル研究員はどこにもいない。なんと羨ましいことか、あの研究バカめ。
それにしても、ハウーズのやつはこんな面々の前で叱責されていたのか。いかに次期男爵とはいえ、貴族特有の面目が丸潰れだろうに。
「さてまずは私からかな」
落ち着かない気持ちのまま俺が着席したのを見計らって、最初に発言をしたのは宰相閣下だった。
「ミームス卿、先ほどは訓練騎士ハウーズ・ミン・バスマンが失礼をしてすまなかったね」
なんということか、宰相の口から出たのは謝罪としか受け止めようのない言葉だ。
あちらは宰相にして歴史ある侯爵家の当主、こちらは平民上がりの騎士爵。常識では考えられないことだ。俺が生きている間でこれ以上居心地の悪い気分になることはないだろう。
「アレはどうにも自制が効かぬタチでしてな。孫として可愛いとは思っているが少し緩めすぎていたようで、以後気を付けるように言い含めておきましたぞ」
「と、とんでもございません」
たしかにハウーズは癇癪持ちのろくでもなしだが……、将来の展望は大丈夫なのか?
固まる俺にコホンと横から咳ばらいを鳴らしてきたのはケスリャー騎士団長だ。わかっているよ。
「訓練騎士ハウーズと勇者たちの対人訓練を認めたのは私です。正式な騎士訓練として扱われるべき内容であったと考えております」
これでいいのだろう。うんうんと大きく頷くケスリャーが鬱陶しい。これで最悪の場合、俺にも一部の責任が飛んでくることになる。
だがこれ以上ハウーズをあげつらってしまえばヤツのことだ、変に逆恨みをして勇者たちに矛先が向くのはマズい。
それにしても騎士団長はこんなことであの宰相に貸しでも作れたつもりか。そもそもアンタがハウーズを連れてきたのだろうが。
「そう言ってもらえると私としても助かるよ。総長、そういうことで」
「ああ、もちろんだとも」
宰相と総長の間で話は通っていたのだろう。近衛騎士団としては問題無しというオチだ。
総長はあいかわらずか。こういうところで政治的な貸し借りをするより、自分の器をひけらかすのを好む人だ。良し悪しもあるだろうが、その態度が尊大であると受け止められて敵を生むという話も聞いている。実に王城は面倒な場所だ。
それにしても宰相はハウーズ、ひいてはバスマン男爵家を貶めるマネを両殿下の前でしてのけたのか。ということは勇者を重く見る殿下たちの顔を立てつつも、宰相には宰相の目論見があるのだろう。ただの善悪で動くような人物ではないはず。
ひとついえるのは孫とはいえ、宰相にこういう扱いをされたハウーズの将来はあまり明るくないということだ。
こういうのがまかり通るから貴族の世界を生きていくのは面倒くさい。
「お兄様、よろしいでしょうか」
「うむ」
王女殿下が王子殿下に議事進行の確認を取った。この場は王女が進めるということだな。
「報告は受けていますが、昨日の事故について、やはり現場の人間から直接お話を伺いたいのです。ミームス卿に来ていただいたのは、そういうことになりますね」
俺のような者にも王女殿下は丁寧な口調を使ってくださる上に、何事にも興味を持たれる傾向がある。これはもう、城内では公然の評判だ。
泰然と構えてあまり細かいことに口を出さない王子殿下との対比を感じるが、これがアウローニヤ次代の姿、王子殿下が王となり王女殿下はその補佐をする、そんな光景を想像させる。
「なんなりと」
「ではまず──」
◇◇◇
王女殿下の質疑は穏当で、事実の再確認でしかなかった。
俺にとってそれはもう稀有であり素晴らしいことだ。普段から団長にする報告といえば、彼の望みに合せるようにお気に入りを上げ、そうでない者を下げるようなマネをしなければならない。これがとにかく鬱屈を伴う。
事実を事実のまま淡々と述べることのできる気楽さときたら、これはもう一度味わってしまうと抜け出せなくなるのではと不安になるくらいだ。
「報告との齟齬は無いようですね」
「おそれいります」
「ではミームス卿、あなたから見て勇者たちの優れていると思う点を教えてください」
王女殿下は質問を続ける。
王女殿下はここまで勇者に入れ込んでいたのか。それとも勇者に関わることで、なにかしらの功績を狙っているのか。横で悠然と構えている王子殿下は余裕の表情を動かさない。
いや、俺が考えることではないな。
「言葉を知らぬ身の上にてご容赦を」
「構いませんよ。ミームス卿の言葉でどうぞ」
まずは前置きだ。こう言っておかないと、どこから変な嫌味を貰うかわかったものではない。
「ではお言葉にあまえて。彼らは多くの美点を持つと考えています」
「美点、ですか」
「はい。誠実であり理性的です。彼らは人どころか生き物すら殺めない生活を送っていたようです。それでも『勇者との約定』を理解し、力を身につけようとしています」
そこらの農夫が徴兵されたのとはワケが違う。彼らは流されたわけでも義務でもなく、理性的な判断の上で損得勘定をし、迷宮に入っている。動機の段階でそこいらの平民にできることではない。
「さらにはより効率的に強くなるため、常に手段を模索し、努力も怠っていません。それを為すための心の強さこそ、評価されるべきかと」
「なるほど、勇者と呼ばれるにふさわしい、と」
「そこまでは断言いたしかねますが、教導する側の者として好ましいと思っています。立派な騎士に育つことは期待できるかと」
とにかく勇者を持ち上げつつ、当たり障りのない言葉を連ねていく。
本当はこんな短い言葉で終わらせることはできない。異常なまでに理知的で知識欲も旺盛、驚くべき発想を持ち、並みの訓練生では考えられないほど熱心であると、言葉を尽くして表現することもできるが……、この場にいる人たちはそんなものを求めていないはずだ。
そのあたりはラルドール事務官から伝えられているだろうし、そもそもこの場に俺が呼ばれているのは、現場の言質を取ったという事実を残したいからだろう。
「事故の翌日だというのに、彼らは今日も訓練をしていたのですね。打ち合わせでは再び迷宮に入ることを宣言したとか」
「はい。あれは見事なものでした。意識の高さを感じた次第です」
王女殿下にはさっそく伝わっていたわけか。やはり、ラルドール事務官だろうな。
彼女は行政府から王室付き事務官への出向組で、宰相派のはずなのだが。
いやいや、面倒なことを考えるな。ラルドール事務官がどう考えていようと俺には関係のないことだし、宰相と王女の両方に報告を入れるのは自然だ。むしろ王女殿下がこの件に熱心であるからこそ、ラルドール事務官との接触が多いのだろう。
ここで大層な言質を取られないことこそが、彼らに対して俺ができる最大の援護だ。
すまないな、勇者たち。俺はこの程度なんだよ。
◇◇◇
その後も質疑は続いたが、会話の主導は王女殿下がほとんどで、宰相がたまに口を挟む程度だった。ケスリャー団長は本当に置物だな。実にうまい世渡りだ。嫌な意味で実に参考になる。
「ご苦労様でした。わたくしからはこれで。ほかになにかある方はいらっしゃいますか」
「では儂からよろしいですかな」
「ええ、どうぞ」
ここで総長か。なにを言いだすのか。
「ミームスから見て、タキザワとナカミヤ、どう思う?」
これには驚いた。あの二人は騎士系神授職ではないのに、それでも総長が名前を記憶してまで気にかけているというのか。たしかに俺から見ても、あの二人は何かを持っていると感じられる。
これは……、誤魔化せないな。それでも言葉は少なめでいこうか。
「見所のある人物だと感じています。階位を上げれば相当の武人になるかと」
「ほう。卿の言うことだ、期待をしておこう」
近衛騎士総長、ベリィラント伯爵は我が国屈指の武人だ。
家柄と武だけで政治に欠けるという貴族的な嘲笑も聞いたことはあるが、俺には大して関係ない。ただ、総長の武は本物だということは知っているだけだ。
目を付けられたかもしれないぞ、タキザワ先生、ナカミヤ。
◇◇◇
王城から城下への橋を歩きながら、想いに耽る。
『ミームス卿、これからも勇者様方をよろしくお願いしますね。ねえ、お兄様』
『ああ、貴卿には過ぎた任かもしれないが、励むといい』
王女殿下と王子殿下が退室する間際のお言葉だ。
結局なぜ俺が勇者たちの担当になってしまったのかは、いまだによくわからない。
確信できるのは、俺を選んだ張本人は王女殿下であるだろうということか。貴族担当ではなく平民上がりを真っ当に育てることが責務の俺を、あえて。
つまりは勇者を本当に強くしてみせろというご意思だ。
これ以上は俺が考えることではない。役割を果たす、それだけを心がけよう。
だが──。
どうしてもあの場で言えなかったことがあった。言ってしまうことを躊躇した。
勇者たちは確かに素晴らしい逸材だ。
隊長になって五年、平民の出である俺は近衛騎士団の隊長という立場で位打ちだ。このままあと十年もすれば相談役という
魔力に優れているという勇者の利点だけではない。知識を求め、ジェサル卿と対等にやり合えるほどの思考力を持っている。生き物を殺めることを厭いながらも、迷宮に入る勇気を持ち、それを成し遂げるための努力も怠らない。教える側からすれば理想的としか言いようがないのだ。
その全てを支えている根源、それこそがあの場で俺が言わなかったことだ。
集団としての力、とでも言えばいいのだろうか。勇者たちの信頼関係は、まるで長年戦場を共にしてきた者たちが見せるそれだ。もしくは村や下町の子供たちが集まってイタズラをしているような。
お互いの能力と性格を知っているからこそ、できることをできる者がやってのける。
それができる集団は強い。彼らは個人ではなく、二十二人が一体となって強くなるはずだ。
今のアウローニヤは様々な問題を抱えている。帝国の動向、貴族の腐敗、民草の疲弊、挙げればきりがないくらいだ。
王室、近衛、行政府、軍部、教会、それぞれが彼らをどのように思い、どう扱おうとしているのか。そんな状況におかれた彼らにとって、最大の武器はあの信頼関係だろう。
だからあえてそれを言わなかった。そうすることが彼らのためになるかどうかはわからないが、俺が軽々しく介入してはいけない気がしたから。
彼らは自分たちをひとつとして扱ってほしいと願った。滑落事件で四人の行方不明者を見捨てようとせず、わが身の危険を顧みず二層に挑んだ。
誠実で開けっぴろげでバカな話をしながら、どのような扱いを受けるかもわからない異国で、それでも前に進もうとする若者たち。
軍の仲間たちから離れ、近衛でのうのうと隊長をやっている俺には、それが眩しい。
俺には彼らを鍛えることしかできないし、近衛の所属として職分を越えるつもりもない。
そんなしがない近衛副長だ。
「勇者たちか。どれだけ才能があったとしても、ただの若者なのにな」
一日ぶりに帰り着いた自宅の窓からは明かりが漏れている。まだ起きて待っていてくれたのかな。
ああいかん、遅くなってしまった言い訳を考えておくのを忘れていた。
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