第63話 前のめりに進もう
「十キロ以上はありそうだな」
「それも、道中で何もなければ、ね」
食事を終えて水場で後片付けをしてから、俺たち四人は部屋の真ん中で頭を寄せ合っていた。
円陣で士気を高めているわけではなく、地図とにらめっこだ。
現在位置はほぼ確定された。最寄りの一層への階段も。
ならば行こうかとなると、話はそう簡単ではない。
「すいぶん遠回りデス」
ミアが妖精のような綺麗な顔で眉をちょっとだけしかめる。
ここは迷宮の中なわけで、真っすぐ目的地に到達できるケースなど、ほぼありえない。今回はもちろんそうだ。いくつもの部屋を通り抜けて、あっちへこっちへグルグルしないと階段までたどり着けそうにはない。
たぶん最短経路でも十キロ以上。
「救助も来ているでしょうし、待つのも手ですか」
「それもアリだとは思う」
遭難した時は動かず救助隊を待つ。
「捜索の起点が階段とわかりきっているなら、近づいておきたいわね」
「……階段っていくつかあるぞ」
「どれくらい人数を割いてくれるかわからないし、捜索半径は小さい方がいいんじゃないかしら」
なるほど
迷宮の構造上、階段を中心に同心円とまでは言わないにしても、丸い形で捜索されるはずだ。端から直線状にローラー作戦とはいかないだろう。
とすれば、探す面積は階段からの距離の二乗。階段からの直線距離が累乗で効いてくる、のか?
部屋は四角だけど、探すのは広い視点で見れば円形? んんん?
文系とはいえ、即答できないのはどうなんだ。た、たぶん間違えていないと思う。
「道中に魔獣がいなければよね。あ、ここで待っていても出てくるのは証明済みなんだ」
人差し指を顎に当てている綿原さんがちょっとかわいい。
動こうと動くまいと、ここでこうして迷っているうちにワンダリングモンスターが現われたらどうする。いや、すでにもう二回も戦ってしまった。
ここにいる四人はギリギリまで技能を取ってしまい、お陰で『内魔力』はカツカツの状態になっている。とくに上杉さんなんかは一階位だった初期状態より減っている有様だ。
「どちらにしても、階位を上げておかないとマズいということか」
「なら、こちらから敵を選ぶしかないわね」
「そうだな。まずは上杉さんを。次に俺を四階位にすれば、それなりに安定すると思う」
実に情けない提案だけど、冷静になればこれが正解のはずだ。
ヒーラーの最大MPが低いとか、悪夢だよ。それと、俺が柔らかいのもいただけない。
ならばこちらから動いて、勝負ができそうな魔獣とエンカウントした時だけ戦い、数が多ければ逃げ出す。
頼むから『しかし回り込まれた』とかはナシにしてもらいたい。
「ワタシは立ち向かいたいデス!」
うん、実にミアらしいシンプルで前のめりな考え方だ。
だけどその気概が俺たちに勇気をくれる。みんなの表情が明るくなったぞ。
「わたしはみなさんに頼りっぱなしですけど、前に向かうという考え方は素敵ですね」
「わたしもミアに賛成」
ああ。もちろん俺も賛成だ。カッコいい方向性がいい感じだな。
「じゃあレベリングはするとして、『丸太』は一体、『カエル』なら二体までかな。ほかは戦ってみないことには」
二層からは魔獣のバラエティも豊かになってくる。
『ブタ』『ウサギ』『トマト』『キャベツ』『竹』……。後半になるほど意味不明だな。
ちなみにこの世界は迷宮にトマトが出るぞ。異世界トマト問題もこれで解決だ!
地上では普通に芋が植えられているし、この国で米は見当たらないけれど、ほかの地方だとそっちもあるらしい。すごいぞ、この世界。
「なんで嬉しそうにしているのかしら」
「……自分の中でひとつ問題が解決したから、かな」
「そう。それは良かったわね」
「いやゴメン。……事前にある程度、魔獣の判別はしておかないとな」
綿原さんの視線がちょっと生温かいので話題を戻そう。脳内会議は聞こえていないはずだ。
「一番強そうなのは、というか倒しにくそうなのは『竹』……、なのかな」
それとも速度がある『ウサギ』か。
「
そうだな。
「しなって攻撃してくるらしいですよ。先端が尖っていなくて良かったです」
竹槍アタックは存在していないようだ。聖女から迷宮博士にジョブチェンジした上杉さんが保証してくれた。それでもしなった竹が当たるのは痛そうだな。
「じゃあレベリングは……、このあたりでどうだろう。こういうルートでグルっとさ」
五つくらいの部屋を指でくるりとなぞってみせた。
「なるほど、行き止まりになりそうな部屋を避けるわけね」
「そうそう。間に細い部屋もあるから、大物はつっかかりそうだし」
俺が提示したのは複数の部屋をグルグル周回できそうな区画だ。逃げた先がドン詰まりだった、みたいなのだけは避けたい。
綿原さんに続いて、ミアと上杉さんも賛成してくれたことで行動指針は決まった。
「それじゃ、行こう」
「その前にお手洗いを、いいですか」
「あ、はい」
少しだけ頬を赤くした上杉さんが軽く手を挙げていた。
◇◇◇
迷宮トイレ事情はオミットされそうな要素だが、この世界の場合、対策がしっかりとられている。
というか迷宮がワザとそうしているとしか思えない。
さっきの食事でもそうだったが、迷宮内では多くの部屋に水路が通っていて、そこに流れる水は飲めるのだ。
水問題が解決する上に【水術】の汎用性が高まる仕様だな。
「水浴びまでできるものね。
綿原さんが言うように、小さなプールじみた場所まであったりする。【熱導師】たる笹見さんがもう少し修行をすれば、ダンジョン風呂が可能になるかもしれないな。入っている最中で魔獣に襲われても知らないが。
そしてトイレだ。
こちらについては風呂よりすごい。けっこうな箇所に小部屋があって、そこに椅子らしき構造物が設置されている。表現としては壁の装飾と言った方が正確か。下にはなぜか穴が空いていて、水が流れている。横の壁には細い滝のように水が流れ落ちていて、そこで手を洗うこともできるし、消音効果までもたらしている。コンビニトイレだな。
ご丁寧に薄い壁がクランク状態で並んでいるので、わざと覗き込まない限り、外からは見えない構造になっている。
つまりもはやトイレとしか使い道のない小部屋だ。もうトイレでいいんじゃないかな。
「狭いし、立てこもってもいつか餓死しそうで、セーフティゾーンには使いにくいけどね」
「トイレに籠るとかホラー映画だと、もうアレね」
「だね」
どうやら綿原さんの思考はそっち側らしい。ドアに斧が叩きつけられるか、それとも下から包丁が出てくるか。
というわけでトイレの中に使用者がひとり、出入口あたりにひとり、部屋に二人という体制でトイレタイムは敢行された。俺の時だけトイレにひとりで部屋に三人だ。寂しいとか言ってはいけない。
「お待たせ。忘れ物、ないよね」
二層に落ちてからだいたい四時間くらい。俺たちが迷宮に入ってから合計四刻、八時間以上になる。地上ではもう陽が落ちているだろう。
ほぼ間違いなく救助隊は出ているだろうし、捜索は二層の階段あたりから始まっているはずだ。
王国側が渋ったところでクラスの連中が『勇者のわがまま』を持ち出すのは確実だし、あのアヴェステラさんたちが黙っているとも思えない。もしかしたら第三王女も。
つまり余程の政治的理由か重大事故でも起きていない限り、いつか助けは現れるということだ。
だったら俺たちは、自分たちでできることをする。やれることをやればいい。
「ええ、行きましょう」
「燃えてきたデス」
「ふふっ、無理せずにがんばりましょうね」
頼もしいパーティメンバーも一緒だ。
◇◇◇
「あったまってきまシタ。あっちはワタシひとりでサバきマス」
「ええっ!?」
「ナイフを使いマス。ひとりがベスト!」
ミアがとんでもないことを言いだすが、できる自信があるのだろう。
現在の敵は二体のカエルだ。動きも覚えたし、なによりジャンプ攻撃がメインなので、わかっていれば避けやすいというのが大きい。
「気を付けてくださいね」
「もちろんデス。
「ええ、叩き折っておくわ!」
上杉さんの声援と綿原さんの頼もしいお言葉を背に、太もものホルダーにあったナイフを引き抜いたミアが走り出す。
「それにしても、綿原さんも、ととっ」
「なに?」
「ミアにしても、うおっと」
カエルスタンピングを避けながらの会話は、実にやりにくい。
「だぁぁいっ!」
途切れがちの喋りになる俺を救ってくれたのは、もちろんパワーの綿原さんだ。
バックラーでというより、むしろ左肩のタックルでカエルのバランスを崩してみせた。
「やっぱり【身体強化】の効果、上がってるよね?」
「そうかもしれないわね。さっきよりいい感じ」
「ミアもなんだろうけど」
「ひとりでなんとかしちゃってるわね、あっち」
俺たちの持っているナイフは刃渡り十五センチくらいで、トドメ用の短剣よりはずっと短い。あくまでサバイバル用に携帯しているだけだから。
ミアはそんなナイフを、絶対に自分が怪我をしない最小範囲で、自由自在に使っているように見える。
「イヤァァ!」
掛け声が響くたびにカエルの足に傷が増えていく。三本の足の内、ひとつはもう使い物になっていないだろう。
もう一本をダメにすれば、ほぼ無力化に成功だな。こっちはそれまで耐えればいい。
もしかしたらその前に綿原さんがヤってしまいそうな気もするけれど。
俺が戦闘中なのに両方の戦闘を確認できているのは【視野拡大】の効果だ。意味があるのかないのか。いやいや、見るだけでも戦いの勉強になるし、安全性が上がっていると考えよう。
◇◇◇
「……しび、しび」
「しっかりするデス、凪。傷は浅いですヨ」
瀕死の綿原さんの顔を半笑いのミアがタオルで拭いてあげていた。
ラスト間際に毒をもらっただけで、綿原さんに直接ダメージは入っていない。経験者だけに見ていてつらいな。死なないとわかっていてもかなり面白……、悲惨だ。
「お待たせしました」
そこに登場したのは、まさに目の前で四階位になった上杉さん。ビチビチしていたカエルのトドメを優先した結果、綿原さんの治療が後回しになった。三十秒程度のラグだけど。
彼女は体のあちこちが赤紫に染まっていて、なかなかの迫力を醸し出している。いつもと同じ微笑みなのに、色合いでイメージって変わるものだな。
「はい。もう治りましたよ」
「ありが、とう。上杉さん」
「いえいえ」
よろよろと幽鬼のように綿原さんが起き上がり、キっと音を立ててミアを睨んだ。【効果音】なんていう技能は無い。
「ミア。笑ったわね」
「ワタシは全部避けまシタ」
「こんどはあなたが食らう番よ!」
「ふっ、ワタシに攻撃は当たりまセン!」
仲良いよなあ。
二層に落ちてカエルが三体、丸太が一体。トドメを全部上杉さんに譲ったことで、彼女はなんとか四階位になることができた。これでパーティの安定感が増すはず。
「次は八津くんの番ですね」
「ああ。悪いけどラストアタックは譲ってもらうよ」
あれだけ嫌って怖がっていたトドメを、生き残るためとはいえ進んでやることになるとはな。
なぜか握りこぶしを突き出してきた上杉さんに、俺も拳を軽くぶつけた。
お互い赤紫なのが非日常で、なんだか微妙な気分だな。
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