第95話 輝きを:王室付筆頭事務官アヴェステラ・フォウ・ラルドール子爵




「お見苦しいところを」


「い、いえ」


 目の端にまだ赤みを残したまま、タキザワが軽く頭を下げた。まさか彼らがここまで心を乱すとは、わたくしの想像の埒外だ。

 返事に戸惑いを混ぜてしまったのは失態だった。初めて見る彼らの表情がわたくしを大いに揺さぶったのは間違いない。


 目の前にいる勇者たちの見せるソレは、もしかしたら望郷という、わたくしの知らない感情なのかもしれない。アウローニヤという国で高貴なる者の一員として生まれ、これまでの人生のほとんどすべてを汚らしい王都で過ごしてきたわたくしには、持つことがなかった想い。

 つまりわたくしに理解する術はない。



「あの、コレってどれくらいの量、あるんですか? あっ、全部はムリなのかな」


 そんな勇者の中でも一番小さな女の子、無邪気という言葉がピタリとはまるホウタニが必死の表情で問いかけてきた。

 そこにあるのは期待と渇望、少しの不安だろうか。


「そうですね、次回の交易までの期間を考えれば、二日に一度はお出しできると思いますよ」


「やったあ!」


「ふふっ、つぎの取引では量を増やしておきましょう」


「ありがとうございます!」


 思わず笑みがこぼれてしまう。常に繕うことを考えてばかりのわたくしには、彼女の仲間を想う献身が眩しく見える。

 今のやり取りも、故郷を思い出して気落ちしている者を慮ってのものだろうから。



 勇者たちはいつもこれだ。彼らは誰かが傷つけばほかの者が励まし、調子に乗れば諫める。結果として二十二人が行きつくのは、いつも前向きな精神だ。

 隙あらば他者の足首を掴み引きずる王城の者たちに、これを説明したところで意味は通じないだろう。わたくしとて最初は理解できなかったのだから。


 彼らに持った最初の印象は無地だ。

 貴族共の持つ濁った色も、平民の枯れた色も、軍人の澱んだ色も無い。

 本当にこんな人間たちがいるのか、これが勇者というものかと感嘆したことを思いだす。



 ◇◇◇



 勇者たちが米を得てから三日、この間彼らの中でも少なくない者が気落ちする態度を見せていた。

 それでもアイシロやナカミヤ、タキザワらが筆頭になり、お互いを励まし合って訓練を続けている。彼らを送還するすべをアウローニヤが持たないのは事実だ。それでもいたたまれない気持ちになってしまうのは、わたくしが彼らに絆されかけている証かもしれない。



「一層新区画の探索も終わったのであろう。もう勇者を入れてもいいのではないか?」


 王子殿下が嬉しそうな表情を浮かべた。


 この方は表裏が無いというよりは表ばかりだ。現王陛下も感情に任せる気質が強いが、それ以上に。

 故にわかりやすく、誘導されやすい。同席している宰相閣下からしてみれば、さぞや『頼もしい』次代の王となられるだろう。


 だからこそ、王女殿下に付け込む隙を与えてしまうのだ。


「ラペリートよ、どうかな」


「新区画に問題は見られませんな。本日付けで『灰羽』には通達しております。近日中には」


「ふむ。迅速であるな。良いことだ」


「ありがたきお言葉」


 王子殿下が問えば騎士総長はすかさず返す。

 いかな政治に疎い騎士総長であっても王子殿下は扱いやすいようで、望まれる先くらいは見えている。そつのない対応は、それとも第六騎士団長の入れ知恵かもしれない。



 勇者たちがこの地に降り立ってからほぼひと月。関係者間では詳細な報告が回されていたが、王子王女両殿下ご臨席での会合は初となる。

 出席者は両殿下をはじめ、宰相閣下、近衛騎士総長、軍務卿、その他数名の行政府高官と、そして王室付筆頭事務官にして『勇者担当』を拝命したわたくしだ。シシィ……、ジェサル卿とミームス卿はこの場にいない。所詮は騎士爵の二人を易々と最高会議に呼ぶわけもなく、報告はわたくしだけで十分ということだ。


「──ジアルト=ソーンに動きが見られます。勇者の存在が露見した可能性が高いかと」


「帝国に伝わったというのかっ!?」


 外務卿の報告に王子殿下は席から腰を少し浮かせ、大声を出す。


 ここひと月に起きた勇者に関する報告の中には、外務筋からの情報も含まれていた。


 ジアルト=ソーン。通称帝国。我が国アウローニヤの南方に広大な国土を持つ、異民族国家連邦だ。強力な盟主国ジアルーンを中心とし、多数の直轄領、構成国、属国、保護領を加えた国力は、我が国の十倍を軽く超える。

 目下のところアウローニヤにおける最大の敵性国家であり、そして終焉をもたらすであろう存在。


 第三王女殿下に野望の火を点けた根源でもある。



「そうか……」


「殿下、遅かれ早かれでございます」


「そうは言うが宰相」


「現時点でも通商は継続されております。やむなきことでしょう」


 王子殿下と宰相閣下のやり取りを、周りは冷めた目で見ている。強いていえば疎い騎士総長が眉をしかめたくらいか。


 バレていないわけがないのだ。帝国の諜報が『次に併合すべき』我が国に手を伸ばしていないはずがない、などという甘すぎる見解だけではない。

 目の前に率先して情報を流している張本人がいるではないか、それも複数。


 宰相閣下たるバルトロア侯などはその筆頭格だ。

 どう転んでも保身が成り立つ下地作りというのが彼のここ十年最大の業績。ある意味恐ろしい御仁といえよう。そのための駒のひとつこそ、わたくしでもある。



 生家たるラルドール男爵家と夫の家を政争で同時に失ったわたくしに、ラルドールを継がせたのが宰相閣下だ。もっともそもそもの原因が宰相派閥の内紛であり、閣下が不手際を打ったのが大元ではあったのだが。

 毒殺で一族を失ったわたくしは、当主としての家の名と、自らの命だけを所有して今も生きている。筆頭秘書官になると同時に子爵を賜ったが、それも一代限りのことだ。わたくしが職を辞した後は薄っすらと血の繋がりを持つとされる人物が、男爵家に戻ったラルドールを継ぐだろう。

 その時のわたくしに残されるのは、我が身と少しばかりの資産のみ。いや、それすら帝国に吸収されている可能性が高い。


 情けなく、そして意味合いの薄い生に縋る我が身が浅ましい。それでも捨てられなかった命を守るため、王女殿下にも縋ってみせている。わたくしも宰相閣下と同類ということだ。


 彼らが現れるまで、わたくしはそう自問して生きてきた。



「──もともと抑止として考えている存在です。露見したところで」


「それもそうか」


 一見王子殿下が主導する形で、勇者たちの処遇が議論されていく。


 こういう場での王子殿下はしっかりと聞いてみせる態度をとる。本質的には鷹揚なのだ。

 それこそが次代の王として皆に望まれている姿でもある。すなわち『軽い王冠』。

 アウローニヤは王国であり、最高の権限が王の元にあるのは間違いない。だがその実態は貴族共の専横だ。先王の代から顕在化したこの状況は現王の世でも続けられ、この国が存続していれば次王に引き継がれるだろう。

 その時に望まれる王の素養を、目の前の王子殿下は完璧に持ち合わせていた。


 好き勝手をする王城貴族、利権にありつこうとする軍部、王と見まがうばかりに振る舞う地方領主たち。


 そこにくさびを打ち込まんとする存在が、この場におわす。


「そこでひとつあるのだ。勇者たちで騎士団を立ち上げるというのはどうだろう」


「それは……、良い案にございますな」


「であろう」


 唐突とも思える王子殿下のげんに、口元を軽く歪ませながらも宰相閣下は追従するしかない。


 そもそも勇者たちの取り扱いは王陛下の認めた『勇者との約定』を論拠にする。王子殿下がこの場で発案した以上、明確な否定は難しいだろう。王子殿下は陛下に似てか、こういう思い付きを口に出すことがままあるのだ。

 普段から王子殿下を利用する形で融通を効かせてもらっている者どもだ。ある程度理にかなった案を無下にすることはできない。ここから先はどれだけ骨抜きを狙うかという段階になるだろう。


「素晴らしい案ですわ、お兄様。多彩な神授職を持つ勇者様方ですもの、さぞや見栄えもするでしょう」


「そうだ。抑止という意味ではこれ以上ないと考えているぞ。それにだ、勇者は魔獣と戦うのを良しとするらしいではないか」


「なるほど、迷宮を主戦場とする騎士団ですね。わたくしも賛同いたします」


 事前にそこはかとなく播かれていた種は『王子殿下の口上』によって形になった。


 たとえ真相が王女殿下の吹き込みであろうとも、これにて発案者は王子殿下だ。

 リーサリット王女殿下はそういうやり口を好んで使う。名とそれに付随する毒を他者に、実と出費を自らにと。様々な形での利益配分に配慮しながら、必要とする部分だけは手の内に納めてしまうのだ。


 わたくし自身も王女殿下に取り込まれたひとつの果実なのだろう。

 宰相派に属しつつ、王女殿下にもおもねる。王女殿下もそれを理解した上でわたくしを使いこなそうとしているのだ。そこが恐ろしくも頼もしい。



「昨今は魔力の変動に伴い、魔獣も増加傾向にございます。迷宮に入る人員が増えるのは喜ばしいことですな」


「食料部としても歓迎です」


 軍部や行政府の高官たちがさっそく王子殿下を持ち上げ始めた。心の中では中抜きの算段でもしているのだろう。

 聖務部などは顔色が悪い。ウエスギやタムラを狙っていたようだが、こうなると手が出しにくいだろう。



 これで彼らを一団として保護する下地はできた。同時に両殿下直轄という大枠も。

 わたくしが伝言した空手形を切ってから十日ほどだ。それほど遅いということもないだろう。後に前後関係を問われても、そこはどうとでもなる。そもそも聡明な勇者たちだ、これくらいの事情は黙っていても読み取るだろう。


「そうそう、騎士団で思い出したが、たしかバスマン家の息子だったかな」


「……はい、我が不肖の孫にございます」


「アレも悪意があったわけではなかろう。折を見て引き上げてやれ」


「感謝いたします」


 王子殿下の面白く、滑稽なところが出た。自分の意を通した上で、他者に寛容さを見せることで立場を作ろうとするクセだ。大抵は小さな思い付きであるし、平時であれば、もしかしたら愛される王になれる器なのかもしれない。

 だが現実に帝国は存在し、それに怯える者たちがいる。王子殿下当人に責はなく、生まれた時期の不幸ではあるが、それは万人に当てはまることだろう。



「ではお兄様、勇者様方にはアヴェステラから打診させましょう」


「うむ。ラルドール、よろしく頼むぞ」


 満面の笑みでわたくしを見る王子殿下から透けるのは、意が通ったという自負だった。

 このお方は勇者たちを、その身を飾る宝飾としてしか見ていないのだろう。あるいは勇者らにとっても、王子殿下に付いた方が幸せなのかもしれない。王子殿下は自らのおもちゃを大切にされるお方だ。


 もし勇者たちが王女殿下に降れば、彼らを待つのは激動だろう。

 王女殿下の手腕によっては、もしもとてあり得る。同時に彼らが飛躍できる可能性も。


 安寧たる破滅と、流血を伴う勇躍。彼らはどちらを喜ぶのだろうか。


「勇者様方もお喜びになるでしょう」


 去来する葛藤を見せず、王子殿下が喜ぶであろう言葉を放つのがわたくしだ。

 そうすることを求められているのだから。



 ◇◇◇



 王城内にある私室への廊下を歩きながら、思案にふける。

 窓から差し込む夕日の加減を見れば、今頃勇者たちは夕食の時間だろうか。今日もまた米料理を食して、笑い、涙しているかもしれない。


「勇者、ですか」


 騎士団創設が既定路線となった以上、王女殿下はそれを手中に納めるように行動していくだろう。わたくしはそのための尖兵になることが確定している。


 王女殿下は、リーサリット・フェル・レムトというお方は、手にした駒を必要以上に無下にはしない。

 だが、あの方の持つ野望の炎がどこまで影響を及ぼすのか。彼らはそれにどう関わっていくことになるのか、今は定かではない。



「子供にしては大きすぎますね。歳の離れた兄弟、姉妹」


 子も兄弟も持ったことのないわたくしは、ただ生きているというだけのアヴェステラ・フォウ・ラルドールという人物は、ほんの少しだけ欲を持ってしまったのかもしれない。


 異界からやってきた真白い宝玉たち。

 どうやらわたくしは、健気で実直に、お互いを想い合いながら危難に立ち向かおうとする姿を見せつけられて、なにも思わないような人間ではなかったようだ。もしかしたら彼らがわたくしを、そう書き換えたのかもしれない。


 あの若者たちの持つ未知で、不可思議で、眩しい輝きを消し去るようなマネはしたくないと、わたくしはそう願っているのだ。


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