第96話 アップダウン




「今日は午前に訓練、午後からは武器工房。そこそこ元気でやろう」


「はーい!」


 藍城あいしろ委員長が今日の日程を発表する。それに応える返事は、なかなかいい感じに力が抜けていた。


 一年一組米騒動から五日、俺たちはなんとか不安定から立ち直りつつあった。

 山士幌を想ってドスンと落ち込んでみたり、米と鮭でスーパーハイになったぜ、みたいな極端な振れ幅がやっと収まってきたというべきか。

 委員長の付け加えた『そこそこ』という部分がそれを物語っていた。



『へ、【平静】だ。とにかくまずは落ち着こう。白石しらいしさん、【鎮静歌唱】を』


 焦った委員長だが、キッチリとおにぎりを食べ終わってから指示を出したあたりが、なんともアレだった。食べている時の感動を薄れさせたくなかったのだろうか。気持ちは非常によくわかる。

 以前どこかで読んだか聞いたことがある。しばらく海外に滞在してから日本に戻ってきて、味噌汁をすすったときに涙が出てしまったという話。あれは大袈裟でないのかもしれない。



 見知らぬ料理を食べてダクダクと涙を流す俺たちを見たアヴェステラさんたちは、普通にドン引きしていた。

 少々のことでは表情を崩さないアヴェステラさんとメイド三人衆が、今回ばかりは動揺を隠せず、あからさまに困惑していたのだ。

 あとで聞けば、俺たち勇者の機嫌を損ねたりやる気を削いでしまったのかと、そう考えていたようだ。言われてみればそういう想像をするのは理解できるけれど、あの時は感謝の気持ちが一番だったので、そこは許してもらいたい。


 結果、見かねた先生がクラスを代表して感謝と謝罪を述べるに至ったわけだ。

 こういうシチュエーションで先生が前に出るのは非常に珍しいが、それくらいこっちもあっちもおかしなことになっていたのだろう。

 当の先生も鼻をすすっていたのはナイショだ。全員にバレているだろうけど。



 本当の問題が顕在化したのは談話室に移動して、日本人だけになってからだった。

 ここまででも十分問題だったが、ここからは尾を引いたのだ。


 ガッツリ郷愁を覚えてしまった仲間が結構いた。


 そうなってしまったのは多かれ少なかれ全員だったわけだが、かなりローに陥ってしまったのが数名。

 具体的には草間くさま藤永ふじなが笹見ささみさん、白石さんあたり。意外なところでは田村たむらなんかもだ。

 逆にこういうのに弱そうな深山みやまさんや野来のきなどは、相方が落ち込んだせいか、それぞれ藤永と白石さんを励ましていた。


 相方、相方、ねえ。


 綿原わたはらさんなんかは表面上はケロリとしていて、むしろちょっと落ち込み気味だった中宮なかみやさんをミアと一緒になってイジっていた。

 いじめというわけでなく、アレが彼女らなりのカラ元気の出し方だろうと想像できたので、俺は遠巻きにするだけだ。



『【平静】を使いこなそう』


 見かねた俺が古韮ふるにらや委員長たちと協議して、出した結論はソレだった。

 なぜ俺が発表者だったのかは不明だけど。


 そういった経緯で、俺たちは積極的に【平静】を活用することにした。

 これまでは熟練度上げのために何気ない時や、戦闘でビビったりしたときに使っていた【平静】を、気分が沈んだ時に『小刻み』に使うようにしたのだ。

 この時、使い続けないというのがミソで、落ち着いたかなと思ったら、即カット。そこからは自力で復活を目指すといった感じで、なかなかスパルタなやり方だったかもしれない。

 使い続けて【平静】に依存するのが怖かったのだ。



『たしかに精神は鍛えられた気がするけど、お薬みたいで、イヤね』


 というのが綿原さんの感想だが、仕方あるまい。

 クスリじゃなくて技能なだけで、やっていることはモロにそうだったわけだし。


 もちろんそんな不健全ばかりを先生が見過ごすはずもない。

 俺たちは語り合う時間を大切にすることにした。



『木の枝から隣に飛び移ろうとするのは危険デス』


 ミアのワイルドさは留まるところを知らないようだ。


 ほかにも草間がプラモマニアだったり、笹見さんの趣味が温泉巡りだったりと、いろいろな話を聞かせてもらった。

 クラスの連中にとっては今更ネタだったのだろうけど、俺からしてみれば仲間のコトを知ることができて、これはこれでいい時間だったと思う。



『今日はリゾットを作ってみましょう』


 語り合うだけでなく、行動も起こした。

 まずは上杉さんと佩丘はきおかプロデュースの料理教室を実施。ここでもいろいろあって、実は先生の女子力がアレなのが発覚したりと、それはそれで楽しい時間を過ごすことができた。



 そんな五日間を使って、俺たちは安定感を取り戻し、これまで以上にクラスの仲も深まったと思う。

 みんながやたら【平静】の使い方に熟達するというオマケまでついてきた。



 ◇◇◇



 ダイジェストで振り返ると、我ながら荒療治だったと実感する。

 俺も含めてみんなよくぞ乗り越えたといったところだ。それでもやはり故郷への想いは募るばかりで、だからこそ訓練にも力が入る。現実逃避ともいうが。



「【身体操作】を持ってないのに、八津やづって、上手い、よねっ」


【嵐剣士】のはるさんが振るうメイスが、ガンガン音を立てて俺のバックラーに弾かれる。


「そりゃまあ、ガードに集中してるから」


「【観察】ってすごいよね。ハルもほしい、かな」


「ない物ねだりだろ。俺は切実に【身体強化】がほしいん、だけどっ。ぐがっ!?」


 下から掬い上げてきたメイスを逸らしきれなくて、弾かれた俺の左腕が天を向く。完全にカチ上げられた。

 足を動かせ。まだ間に合う。


 先生や中宮さんに教えてもらったとおり、うしろじゃなくて前に出る。相手の攻撃から逃げるのではなく、抑制する動きというやつだ。

 魔獣相手には推奨されたことではないけれど、今やっているのは『対人訓練』。それを忘れるな。


 階位は一緒でも、目の前にいる春さんは【身体強化】と【身体操作】、ついでに【一点集中】を持っているアスリートガールだ。身体能力だけならクラスでも上位に入る。


 だからといって気圧されるな。


「ふぅっ」


 一瞬だけ【平静】を使って、思考の精度を上昇させる。【集中力向上】と【一点集中】はとっくに使用中だ。視界の端からやってくるメイスの動きを見切れ、俺。



「ハルの勝ちー!」


「……参りました」


 春さんのメイスがトンと俺の右肩に乗せられたところで試合終了だった。

 彼女が本気なら鎖骨どころか……、そこからは考えたくないな。


「あそこで軌道を変えるとか」


「へへーっ、腕じゃなくって、足でズらしたんだよ」


 俺は春さんの肘側、つまり可動域の反対に動いたはずなのに、それでもメイスが追いかけてきた。腕や肩でやったわけじゃない。

 彼女はあの瞬間、右脚を半歩だけうしろにズらして、腰を開いた。だから軌道が変わる。理屈はわかるけど。 


「見えたけど、よくあんなことできるよな」


りんの真似っこだよ。全然だけどね」


 なるほどたしかにさっきの動きは『北方中宮流』だ。

 俺も練習はしているけれど、瞬間でやれと言われてできるかどうか。センスなのか【身体操作】のたまものなのか。どちらにしても羨ましいし妬ましい、なんてな。


 いまさら嘆いても始まらない。



「八津もすごいじゃない。騎士以外だったら、うーん、なぎの次くらい?」


「どうかな。俺の場合、魔術無しだから」


 綿原さんのようにサメを併用しながら盾を使いこなすなんてマネはできない。

 そのうち術師系の連中には抜かされる気がするんだよな。とくに春さんの弟、夏樹なつきには。アイツは【石術】使いだから、最近は体の周りを石ころが飛び回るなんていう技を練習しているし。



 今日は午前中の座学をキャンセルして、早い時間から訓練場にいる。


 迷宮の一層が広がった事件から六日が経った。探索は終わったらしくて、なんと二十個くらいの部屋が見つかったそうだ。それなら鮭の大群が出てきたのも頷ける。

 新区画からは相変わらず鮭魔獣【三脚三眼魚】が湧くらしく、王国にとっては貴重な食材が増えるという喜ばしい事態になった。もちろん俺たちも食べている。というか、深山さんに冷凍してもらったのがまだまだ余っているくらいだ。


 一層が落ち着いたならば、当然俺たちの二層行きへの日程も調整されることだろう。

 米騒動から始まったテンションの上げ下げもあるけれど、それでも訓練は続けている。生きるために帰るために、やらなければならないことだから。



「どらぁあ!」


 近くでは綿原さんが左腕一本だけで丸太を受け流している。

 なんでバックラーひとつであんなことができるのか。俺も二層の丸太魔獣で実践はしたけれど、彼女の盾の扱いはあきらかに洗練されてきた。



「ぐっ、がっ、ぎあっ」


 そのまた隣では古韮が上杉さんを守りながら、先生の攻撃を受け続ける練習だ。

【霧騎士】の古韮は前衛騎士系の神授職だけあって外魔力が強い。当然の盾役だから、ああいう訓練は大事だろう。それでもなんというか、素手の先生がガンガンとけたたましい音で盾を殴りつけている姿を見ると、古韮には同情したくもなるな。

 まあヤツにしてみれば上杉さんを守る役は本望だろう。がんばってくれ。



「いろいろあるけどさ」


「ん?」


 俺と一緒になってみんなの訓練を眺めていた春さんが、ポツリとこぼした。


「ハルはね、走るのが好きなんだ」


 そりゃそうだろう。でなきゃ陸上部なんて。


「小さいころに夏樹と一緒に麦畑を走ったことがあるんだよね」


「ははっ、アニメみたいだ」


「そそ。あとですっごい怒られた。しかもそこ、あおいの家でね」


「白石さんの」


 それはマズいだろ。俺も牛の背中に乗ろうとして、えらく怒られたこともあるけれど。



「なんかこう緑色の雲の中を突っ走るみたいでね。すっごく楽しかった」


「それでかあ」


「うん。中学の時も走ったよ、麦畑」


「えっ?」


「うへへっ、畑の脇にある道をだよ。真ん中はさすがにね」


 クラスで一番短い髪をした女の子は、イタズラっぽくニカリと笑った。

 けっこう男前なんだよな。言ったら悪いけど夏樹は女顔だから、この双子は本当によく似ている。



「戻ったらまた走ろう。八津もやる? 碧の家まで競走とか」


「俺はインドアだよ。チャリでいいなら付き合うけど」


「なぁんだ」


 でもいいかもしれないな。青い麦畑を見ながら走ったら、それは気持ちが良さそうだ。

 帰ったらやりたいことリストに追加しておこう。こっちにも麦畑はあるだろうけど、それはそれ。山士幌の小麦畑はどこまでも続いてるように観えるから、海の上を走るような気分になれるだろう。



「さ、もう一本」


「おう。お手柔らかにな」


「それは約束できないかな」


「勘弁してくれ」


 異世界に来てからいろいろあるけれど、俺たちは帰ってからのコトだって考えられる。

 そんなことを思いながら体を動かせば、それはそれでスッキリするものだ。


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