第94話 美味しいね




「どうだ野来のき、間違いなさそうか?」


「ウチは小麦農家だよ、期待されてもさ。だけどうん、米だよコレ。だよねあおいちゃん」


「うん。間違いないと思う」


 さすがの藍城あいしろ委員長も声を震わせていた。

 いつにない真剣なムードの中で、野来と白石しらいしさんが念入りに確認作業を行っている。俺からしてみればどうみても米なのだが、なぜか検証モードだ。もういいんじゃないだろうか。


 ちなみになぜその二人なのかといえば、家が農家だというだけの理由だ。ウチのクラスで農家なのはあと一人、馬那まながそうなのだけど、アイツは鼻息を荒くしているだけだ。

 だからといって小麦農家のせがれに米判定をやらせるか、普通。


「これは米、ですね」


「ああ、米だ」


「米デス。飯盒炊爨をやるからわかりマス」


 微妙にジャンル違いの専門家に頼るより心強い三人、上杉うえすぎさん、佩丘はきおか、ミアが太鼓判を押した。なぜミアはアウトドア一辺倒なんだろう。


 普段は冷静な委員長がこういったたぐいの割り当てを取り違えるのは珍しい。動揺っぷりが伝わってくるというものだ。



 こういうノリの騒ぎは大抵談話室でする一年一組だが、今回ばかりは厨房に直結している食堂が舞台だ。

 中央にある長テーブルのど真ん中に置かれた大皿を、みんなが食い入るように見つめている。俺も俺で意味もなく【観察】をフル回転中だ。

 成長して【鑑定】になってくれたりしないだろうか。


「これ、栽培されたのだよ。野生種なんかじゃない」


「な、わかるのか、野来?」


「絶対とは言わないけどね。この大きさで粒も揃ってるし、キチンと育てられた作物じゃないと、こうはならない」


 なんだか野来が頼もしい。こういうところは初めて見るかもしれないな。そして委員長、どこかで聞いたようなフレーズな上にキャラが崩れているぞ。

 ところでその米の由来とか野生がどうとかに意味はあるのか? 謎のシリアスムードに酔っているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。



「昨日、北の公国から届いた品です。みなさんが以前『米』を求めていると聞き、両殿下が配慮を」


「心から感謝します」


「ありがとうございます!」


 アヴェステラさんの言はちょっと恩着せがましいが、そんなことはどうでもいい。委員長を筆頭にして、俺たちはいっせいに頭を下げた。

 いつになく必死な俺たちを見て、王国側の四人がドン引きしている。構うものか。



 ◇◇◇



 この国に知識を求めた時に、当然地理もその範疇にあった。とはいえこの時代でこの世界だ。正確な測量も無いようで、わかったのは大まかな国の位置関係と主要都市くらいなものだった。

 定番ネタだと地図は軍事情報になるから、おいそれと詳細なモノは見せられないというのもあるかもしれない。

 ともあれ大きな紙に描いてあった地図は、江戸時代とか大航海時代チックなロマン溢れる絵柄で、実にファンタジーRPGしていた。


 アウローニヤは北と東に山脈、南にアラウド湖から流れる大河、西が大森林地帯に囲まれた立地で成り立っている。

 中世風世界のお陰なのか、国境は山とか河などが境になっているようだ。


 北にあるのが米を送り出してくれたウニエラ公国。これだけでもう好感度が爆上がりだな。

 さらにその北には、魔王国があるらしい。


 この世界、本当に魔王はいるし魔族もいる。この場合の『魔』は、フィルド語でいうところの魔力や魔術で使われる『大いなる』とか『超なる』という単語ではなく、本当に悪い意味での『魔』だな。俺たちの使っている日本語が解析された時、この国の人たちはどう思うだろう。怒られそうな気もする。


 あとは東側に小さな侯国、南側にデカい帝国というのがあるらしいけれど、この国との関係はよくわからない。

 帝国などと聞くと、どうしても悪いイメージを抱いてしまうのは物語に毒され過ぎだろうか。


 という地理の話より、米の方だ。



「で、どうするよ」


 ギラリと目を輝かせた海藤かいとうが低い声色で皆に問いかけた。どこまで飢えている。

 普通ならこういう場合は委員長が仕切るはずなのだけど、どうやらポンコツ状態になっているようだ。かくいう俺もだけど。


「ここは、わたしに任せてもらえますか」


 かくして神託を下したのは我らが女神、もといクラスのお母さん、その名も上杉美野里うえすぎみのりさんだった。

 彼女の宣言に否を唱える者など、この場にはいない。



 ◇◇◇



「でもすごいよ」


「ん、なにが?」


 隣に座っていた野来がしみじみといった感じで言った。野来を挟んで反対側に座る白石しらいしさんも頷いている。なにがそんなにすごいのだろうか。


 上杉さんが佩丘ほか数名を伴って調理場へ向かった後、俺たちは待ちぼうけを食らいながら雑談をしていた。今に限っては、本日の反省会とかそういうムードではない。テーマは食、それ一色だ。



八津やづくんだってわかってるでしょ。あの米はちゃんと脱穀されていた」


「それと、精米も」


「ああ、そういえば、そうだな」


 今ばかりは実に頼もしい野来、そこに白石さんまでもが加わって、聞く側になった俺はたじたじだ。

 たしかにあの『米』はもみ殻が混じっていなかったし、いちおう白かった。つまり玄米ですらないわけか。



「それに孝則たかのりくん。アレって」


「そうだねあおいちゃん。元からああなのかな。異世界だからなんでもアリだとは思うけど」


「品種改良したのかな。あ、迷宮産ってことも」


 いかん、完全についていけていない。

 ところでこいつらはなぜ米談義で二人の世界を創り出しているのだろう。もうちょっとそれらしい話題はないのか。



 そこからも二人の議論は続いたわけだが、どうやらあの米はこの世界的には『完成しすぎて』いるらしい。

 事実アウローニヤで栽培されている麦類は品種改良が甘く、ついでに栽培技術もレベルが低いとか。いつの間にそんなことまで調べたのやらだ。


 俺たちは今のところ、この世界の社会に影響を及ぼすような『知識チート』を使う気がない。

 目の前で困っている人がいたら手助けくらいはするだろうけれど、たとえば飢餓を救うとか、金融の仕組みを作り変えたり、はたまた政治に手出しなどしても責任が取れないからだ。

 孤児院無双をする気はない。当面は。


 異世界の常識? 知ったことではないな、と好き勝手をするには、そこまで開き直れていないというのが実情かな。もちろん俺たちに直接的な危機が訪れればなんだってやるだろうけれど。


「それでどう思う、八津くん」


「あ、悪い野来。聞いてなかった」



 ◇◇◇



「お待たせしました」


 その刻はやってきた。


 お盆の代わりなのか、再び大皿を持った上杉さんを先頭に、そこに佩丘、笹見ささみさん、草間くさま綿原わたはらさんが続く。

 うしろにはアヴェステラとメイドさんたちが、すごく微妙な表情をしながらついてきた。調理法は憶えられたのだろうか。

 今日のところは調理うんぬんより、米の炊き方だけ理解してもらえればそれで十分なのだけど。



「はいこれ、八津くんのぶん」


 モチョっと笑う綿原さんが、俺の前に料理を配膳してくれた。


 今日の夕食はいつもより品数が少ない三品。


 ひとつ、肉と野菜がたくさんのスパイシースープ。これはいつもの定番だ。迷宮産の香辛料が豊富なこの国ならではの一品。

 どうやら鮭は入っていないようだ。西洋風のピリ辛スープに鮭というのも、ちょっと想像できないし、無難にスルーしたのだろう。


 続いては魔獣から採れた生野菜のサラダ。こちらはオリーブオイルに胡椒をまぶしたドレッシングモドキがかけられていて、これまたいつもどおりの品になる。素材表記が矛盾しているような気もするが、それはいまさらだ。

 そのサラダだが、今日はいつもと違った。なんとオレンジ色の物体が乗せられている。

 サーモンの切り身だ。もちろん生。なるほどこれはカルパッチョとかいうオシャレな料理ということだな。素晴らしい。やるじゃないか。



 だがこんなコトを考えることができたのは、全てが終わったあとだった。実に陳腐な表現だと思う。

 それでもそうだったのだから仕方ない。


「こ、れは……」


 呟いたのは誰だろう。もしかしたら俺自身だったかもしれない。


 左にスープ、右にサラダ。ならば中央はメインディッシュとなるだろう。いつもなら肉料理やパンが置かれる場所。

 目の前にある皿の上には白い物体が鎮座していた。球状、厚みのある円盤、そして三角をした白いモノが合せてみっつ。



「海苔がないのが残念です」


「いやいやいやいや! そんなことない。そんなことないよ! 最高だよ!」


 微妙にはにかむ上杉さんに対し、古韮ふるにらが盛大にツッコんだ。


「なら良かった」


 そう言う上杉さんだが、確実にいつもより笑みが深い。彼女もたぶんアがっているんだ。


 目の前に置かれていたのは、おにぎりだった。



「さあ、いただきましょう」


「俺も握ってやったぞ。どれかは教えてやらねえ」


 してやったりと綿原さんや佩丘が笑う。ああ、佩丘はそんな風にも笑うのか。


「みんな……、今日は、いつも以上に元気な声でいこう」


 委員長の声は震えていた。そこにあるのは精一杯の感謝と感動だ。

 ああ、万感の思いを乗せてやろうじゃないか。


「いただきます!!」


 山士幌高校一年一組プラス先生による揃った大声が食堂に響き渡った。



 ◇◇◇



 間近で見ると真っ白ということはなく、そのおにぎりは少しだけ黄色みがかっていた。

 だが手に持った時の触感、伝わるほのかな温かさは紛れもなく炊かれた米だ。ほんの少しだけ手を震わせながら、まずは一番きれいな形をしている三角おにぎりを口元に寄せる。


 鼻に伝わる匂いからは特有の甘さを感じない。色合いといい、このあたりはやはり日本の米とは違うのかもしれないな。

 贅沢は言うまい。おずおずと口を開け、小さく一口目を頬張った。



「……不味い」


 こちらもまた、誰の声だったろう。


 うん、不味い。不味いは言い過ぎかもしれないけれど、美味しくはない。

 米独特の甘味が薄いだけで、ここまで違ってくるものか。そう自覚してしまうと、こんどはパサつきも気になりだした。


 だけど。


「美味しいな」


 そう、美味しいんだ。このおにぎりは美味しい。



 米が違う。さっき野来が言っていた品種の違いみたいなものかもしれない。

 もしかしたら水が合わないとか、炊き上げるための道具が違っているからかもしれない。


 だから美味しくない。


 それでもこれは間違いなく米だ。微妙に色合いや風味、粘つきが違っていてもこれは米で、ちゃんと炊かれている。

 調理をしてくれたのは上杉さんたちクラスメイトで、みんなのぶんを一個一個、丁寧に握ってくれたんだろう。


「あはっ、なるほど。鮭にぎりなんだ」


 奉谷ほうたにさんがが無邪気に笑った。


 そうだ、おにぎりはいい塩梅に塩味が利いていて、しかも具まで入っていた。鮭の身をほぐしたヤツだ。

 なるほど焼き鮭でも出てくるかと思っていたが、見当たらなかったのはそういうことか。


 たぶん炊いた段階で米の違いには気付いていたんだろう。だからこそ体裁を大切にした。

 上杉さんたちが丁寧に握ってくれたこれは、まぎれもなくおにぎりだ。


 だから美味しい。



 綺麗な三角のは上杉さんが作ったヤツだろう。丸いのは誰かな、佩丘だったりするかもしれない。

 一番大雑把なボールみたいなのは、もしかしたら綿原さん?


「ぐすっ」


「ひっぐ」


 俺はあえて【観察】を使っていない。けれど声は聞こえてきてしまう。

 ひたすら無言でおにぎりを食べる皆。そこに混じる、みんなの潤んだ声。


「くっそ」


 自分の頬に涙が流れるのを、俺は止めることができないでいた。


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