第138話 彼女の放つ矢が
「
うしろから涼やかな声が聞こえた次の瞬間、俺の両肩に荷重がかかった。なにが起きている?
その重みはまるで、心を折りかけた俺に喝を入れているかのように感じて──。
「なにしてるの、ミア!?」
こちらに振り返った
この状況で魔獣に背中を見せるのは、大変よろしくないのだが。
さすがにここまでくれば、なにが起きているのか俺にもわかる。
すっと上に視線を向ければ、頭上で金髪ポニーテールが靡いているのだ。迷宮には風がないはずなのだけど。
ミアが俺の肩に足を乗せ、そこで仁王立ちをしている。
おんぶとかではない。サーカスとか組体操で見るように、立っている俺のさらにその上に屹立しているのだ。彼女はなにをしたいのか。
さらに上を見れば……、そういえば俺たちは全員バリバリの革鎧装備だった。よってラッキーなんちゃらは存在しない。だがそれでも。
「ちょっと
キツいお叱りの言葉が綿原さんから飛んでくるわけだ。
「んふふぅ、ワタシと
「なんでわたしまで入ってるのっ!」
あまりに無体なミアのセリフに、さすがの
三人とも気付いてくれ。まわりの連中がチラチラとこっちを見ていて戦闘に支障が出そうになっている。君たちには前を向いて戦っていてほしいのだけど。
「この程度で集中を乱すようではまだまだデスよ、凛、凪」
「ミア……、いい加減にしないと怒るわよ?」
綿原さんの声にドスが入った。
状況は緊迫の極みで一秒が惜しいのが今の俺たちだ。ここでバカをやっている場合ではない。
だがいくらミアが自由な生物でもこれはやりすぎだ。そして彼女はそこまでアホの娘ではない。そこには理由があるはずだ。あるよな?
「わかってマス。集中の前には小粋なジョークを挟むのがコツデス。視界は通っていマスよ広志。やれマス!」
ミアが俺の肩に飛び乗ってからここまで三十秒くらい。恐ろしいまでの行動力と切り替えっぷりだ。中宮さんをして天才と言わしめる一角、それが
ちょっとだけ顔を上に向かせて【視野拡大】でそんな様子を窺っている俺がバカみたいだな。
すっかりミアの緩急に引きずられてしまっている
「
「ダメだ。魔獣が邪魔で途切れ途切れにしか見えてない。だから任せる。好きにやれ、ミアっ」
「おうともデス」
悔しいけれど高さが足りない。視点が低いからだ。どれだけ【観察】が優れていても『見えないモノは見えない』。それでいて今にも倒れてしまいそうなハウーズの様子が『たまに』見えてしまうのが、実にもどかしい。
なにかができるからソコに立っているんだろ? ミア。俺のモヤモヤごとやってしまってくれ。
「……まとまりマシた。やりマス!」
なにがまとまったのか、俺にはよくわからない。それでもミアのすることだ、理由や理屈が通っていなくても結果が伴うと、そう信じる。
「イィィィ……」
キリキリと弓を引き絞る音が聞こえる。それと一緒にミアが得意としている掛け声の前兆も。
「ヤッ!」
鋭い叫びが轟いた次の瞬間、まさにハウーズにぶつかろうとしていた丸太がズレたのがギリギリ見えた。
胴体中央部に鉄色の矢が突き立っている。この距離で当てた? しかもあそこは急所付近だ。
「ハズしまシタ」
「外れたのかよ!?」
「十センチはズれてマス。倒せてまセン」
ミアの声には焦りも落胆も混じっていなかった。ただただ氷のような冷静さだけがそこにある。こういう時のミアは怖い。
失敗する可能性を完全に考慮した態度だ。ミアは自身の能力を過信も卑下もしていない。ひたすら冷徹に獲物を見つめている。
もしかしたらこちらのミアこそが、彼女の本質ではないかと疑ってしまいそうな光景だ。彼女の妖精じみた容貌と相まって、ミアがどこか遠いステージにいるように思えてしまう。
そんな想像をしてしまうのはダメなことなんだろうな。ミアはミアで、頼もしくて面白いヤツ。そうに決まっている。
ここからハウーズまでは三十メートル弱といったところだ。
この距離が弓の間合いとして遠いのか近いのか、俺にはよくわからない。それでもミアの矢はトドメこそ刺しそこなったが、ハウーズに迫っていた丸太を止めた。そう、十分な一手目だ。
「イヤァッ!」
そんな雑念に俺が振り回されていた時間、といっても三秒も無かっただろう合間でミアは次の矢を放った。
掛け声こそ勇ましいが、矢をつがえ、放つまでの一連の動作によどみはまったく感じられない。
ふたたび丸太の真ん中あたりに矢が突き立つ。
「当てマシた」
ここでいう当てたとは、ミア的には倒したか、それともこれで十分という意味か。
たぶんだけど今のミアは、ある意味俺と似たような考え方で行動している気がする。俺がいつも心がけるようにしている目標を念頭に置いた動き方だ。この場合なら目的はハウーズを助けることであって、魔獣を倒す事ではない。
俺には【観察】があるが攻撃力が足りていない。それなのに力を十分に持っているミアが冷徹に次の獲物を狙っている姿を見ると、どうしても嫉妬が沸き起こりそうになる。
勝手に想像して、勝手にやっかんで、そんな俺も大概だな。
「広志、あと二体で形を作れると思いマス。あとは任せていいデスか?」
こちらを見もしないでただひたすら弓を構えるミアの目は、吸い込まれるように美しかった。
俺はなにバカなコトを考えていた。クラスの連中に及ばない要素など、それこそいくらでもあるだろうに、いちいちそれを羨んでどうする。
委員長の判断、上杉さんの優しさ、奉谷さんの心の強さ、佩丘の心意気、綿原さんの可愛さ。最後だけは違うかもしれないが、みんながみんな、違う強さを持っているからこうしていられるというのに。
「ああ……、ああ、任せとけ」
だから俺は胸を張る。
「【一点集中】が限界デス。ワタシは注意力散漫だってママによく言われるんデス。だから広志、あとは頼みマスよ?」
「ミアらしい」
それ以上は言葉にしないけれど、ちょっとだけ安心した。ミアはちゃんと足りない部分を持っている。
「んふふっ、期待してマスよ、広志。……イヤァッ!」
彼女が最後に放った矢は群れの途中で飛び跳ねるカエルに刺さり、動きを止めてみせた。
誤射? いや、ミアはそんな素振りを見せていない。ならどうしてあそこなんだ。
「地べたからだと見えにくいデスね」
「ああ。今のアレは狙ったのか?」
矢を撃ち終えたミアが俺の横に降り立って首を傾げていた。
だけど未だにミアの意図するところが見えてこない。物理的にも見えにくいし。
「もちろんデス。形を作るって言ったじゃないデスか」
「だけどこれじゃ、ごめん」
「謝るコトないデス。だけど広志なら見ればわかります」
「えっと、だから、視界が通ってないっていうか」
こういう風に自分の中で勝手に完結させてしまうのも、それもまたミアか。状況を翻訳してほしい。
「なら見てきてくだサイ」
「は、え?」
無茶なことを言ってのけたミアは、背後から俺の両脇に手を突っ込んでグイっと持ち上げた。そしてそこからさらに上に放り上げる。これはいわゆる高い高いだ。しかも背後からタイプ。
俺より背が小さくて細身のミアのどこにこんな力が、って魔力に決まっているか。
前衛職の【疾弓士】で、六階位で、そこに加えて【身体強化】と【上半身強化】。それにかかれば俺の体重などそこらの石ころ同然なのだろう。
日本でもコレをやれるとしたらミアはホンモノのエルフだ。たくさん小説を読んでいる俺は知っているぞ。力持ちタイプのエルフは結構いるからな。
「なにしてるのっ!?」
「ちょっと、ミアっ!」
戦闘に忙しくて俺とミアのことを見て見ぬふりをしてくれていた中宮さんと綿原さんもこれには驚いたのだろう、裏返ったような声を出してこっちを見ていた。
高さはどれくらいだろう。たぶん三メートルくらいかな。こんな角度から彼女たちの驚き顔を見ることになろうとはな。
そうか。見ることか。
「助かる、ミア!」
「どういたしましてデス」
真っすぐそのままではなく、少しだけ横回転を与えられた俺の体はくるりと回り、その部屋すべてを見渡した。
全部だ。この瞬間で全部を見ることが俺にはできる。
こんなアホなやり方で強引に物事を解決しようなどとは、さすがはミアだ、やってくれる。ならば俺も乗っかって、応えてやらなければウソだよな。
「よいしょっ」
落ちてきた俺を受け止めてくれたのは綿原さんだった。
残念ながらカッコよく逆お姫様だっこでイベント発生とはいかない。放り上げられたのと一緒の形で、俺の脇の下に綿原さんの両手があって、そのままぶらりとぶら下がる格好だ。なんかこう、すごくみっともないな、コレは。
「わたしにだってこれくらいできるのよ」
「そ、そうか」
謎の対抗心を燃やす綿原さんだが、彼女はすでに六階位で【身体強化】も持っている。これくらいのことはできて不思議はない。だけど、いや、しかし。
ミアの時は背中からだったのに、今回は正面なのだ。俺の位置からだと綿原さんのメガネが下の方にあって、その先の瞳が珍しくレンズと額の間越しでダイレクトに見えている。
目が合った。
「は、早く降りてっ」
「あ、ああ、ごめん」
ちょっとだけ自慢げだった綿原さんだったのに、今はもう顔を真っ赤にして振り払うように俺を床に降ろした。それでも乱暴とまではいかない程度だったのは、彼女なりの優しさだろうか。
だがこう、気まずい。せっかく空で見てきたことを忘れそうなくらいに、居心地が、ちょっと。
「ちょっとそこ!」
「はい!?」
「ひっ!」
そんな微妙な空気を突き破ってくれたのは中宮さんだった。
俺と綿原さんの声はハモらなかったけれど、同時にうわずる。これもまた気まずい。
「ラブコメってないで、さっさと動きなさい!」
学級副委員長とはいえ中宮さんも高一女子だ。そういう単語は知っているよな。
まさか俺がそんな言葉をいただく日が来ようとは。
「凛、遊びはそこまでデス」
「ミア……、あなたホントにねえ」
殺伐とした戦闘空間にまた別の妙な空気が流れたところで、ミアが切り込んだ。半笑いでキリリとしているのが微妙に引っかかるのだけど。
「広志、見えまシタね?」
「ああ。見た。全部だ」
やっと話が真面目になってくれた。ミアのせいで始まってミアが締めるのか。どうにも釈然としないのだけど、この大活躍は認めざるを得ないな。
なにせゴールまでの道筋が見えてきたのだから。
「中宮さん、ミア、ここはもういい。二時に切り込んで竹をぶん殴れ!」
「……わかったわよ」
「承知デス!」
ミアが最後に撃ち抜いたカエルの先にいる竹が、あちらにとっての防衛線になっている。そこさえ抜ければ道が見えるはずだ。
それこそが空中でやっと確認できた事実だった。ミアめ、よく見ている。
本当なら竹も倒したかったのだろうけど、弓と竹は異常に相性が悪いからな。妥協の結果なのだろう。それでもミアは確実に敵の一手を減らしてくれた。
「先生と
指示をまくし立てて、みんなに行動を促す。ウチのワイルドネイチャーエルフが稼いでくれた時間だ。ここで決めなくてどうする。
この位置からだと先陣は──。
「ワタシは一年一組の特攻隊長!」
ああそうか、まだその設定生きてたのか。
用済みとばかりに弓と矢筒を投げ捨てて、ミアはメイスを手にしていた。
「ミア・カッシュナーがブッコミマス!」
「わたしもいるの、忘れないでよ!」
ミアと中宮さん。金色のローポニーと漆黒のハイポニーな髪をたなびかせて、彼女たちは魔獣の群れに突っ込んだ。
それを追うように先生や春さん、
騎士と術師たちは陣形を保ったまま全力前進だ。負傷までも前提にしたようなやり方だけど大丈夫。もう形はできている。
◇◇◇
「生きてる。ハウーズは生きてるぞ!」
最初にソコに辿り着いた海藤が部屋中に届くような叫び声をあげた。
「こっちもよ」
「うん。この人も気を失ってるだけ」
そこに追いついた中宮さんや春さんが、それぞれ倒れている連中を確認していく。
そんな中でもミアと先生は、ハウーズたちに背を向けて魔獣との対峙を怠らない。
無理やり魔獣の群れを突き破ってここまで来たんだ。もちろん敵を倒しきったわけでもないし、ヒルロッドさんたちとは分断されている。この場にいるのはクラスメイトとメイドさんたちだけだ。
「委員長と上杉さん、田村以外で輪を作れ! ヒルロッドさん、こっちに来そうな魔獣の足止めを!」
「ああ! よくやった。よくやってくれたぞ、勇者たち!」
少し離れた群れの中からヒルロッドさんの声が聞こえた。あの人はこんなに感極まったような声が出せたのか。そんな賞賛の言葉が体中を駆け抜けて、なんともいえない喜びが沸き上がった。
「もう少しだ。あとは守ってるだけで俺たちの勝ちだぞ。最後まで気を抜くな!」
「おう!」
自分で言っておいてなんだけど、安堵が押し寄せてくるのをせき止めるのに苦労する。まだまだ終わってはいないのに。
ここからハウーズたちを治療して地上に戻る。そこまでやれば堂々と胸を張れるはずだ。
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