第139話 聖女の微笑み




上杉うえすぎはまだ【聖術】を使うな」


「え?」


「お前はまず【治癒識別】だ。治療の方は俺と委員長でやる。ヤバそうなのがいたら、任せる」


「わかりました」


 異論を許さないような気合を込めた田村たむらの声に、上杉さんは素直に従った。指示を受けた藍城あいしろ委員長はすでに【聖術】を使い始めている。


 おそらくは魔力との相談なんだろう。技能としての【聖術】ならば上杉さんの方が田村より上だ。ただし『治療』という意味になると、なるほど田村なのか。ヒーラー同士でこういう関係を作っていたとは知らなかった。

 ほとんど万能だと思っていた上杉さんだけど、田村が指示を出すという形は悪くないと思う。なんでもかんでも誰かができてしまうよりも、役割を分散できている方が安定するようだろう。責任とか負担とかをひとりで被るのはキツいからな。

 はたしてそれが高一に必要な感覚かどうかは謎だけど、どうやら藍城あいしろ委員長の悪影響を受けているのかもしれない。



「治療中なのはわかるけど、手が空いたらトドメもね」


 両脇に足を切り落とした上に枝を削いだ竹を抱えたはるさんが、治療班にご無体なことを言う。セリフだけを聞くと主語になるのが患者だか魔獣だか。


 今の時点で俺たちは壁を背中にして、盾役が半円を描く形で防御陣形を敷いている。ハウーズたち六人の治療と同時並行で魔獣を倒しているところだ。

 そんな輪の中央にいるのが回復役の三人と俺、それに白石しらいしさんと奉谷ほうたにさんになる。全員が五階位で、しかも本来の優先レベリング対象者だな。


「ちょっとでもリカバリーしないとな」


「うひひっ、仕方ないもんね!」


 聞こえてもいいくらいの気持ちで素直な本音を零せば、頭の後ろで手を組んだ奉谷さんがイタズラっぽく笑ってくれた。



 ミームス隊とガラリエさん、佩丘はきおか野来のき古韮ふるにら馬那まなたち十二人の騎士たちが作る防御陣形は強力だ。ちなみに俺の知らないところで【重騎士】の佩丘と【熱導師】の笹見ささみさんは六階位になっていた。

 これで二十二人中、十二人。クラスの半数が六階位を達成したことになる。


 当初の予定では最低でも全員が五階位で、そこからは優先度の高いクラスメイトを少しでも六階位という計画だったのに、気付けばそれ以上の成果になっていた。六階位メンバーが予定と違うというのは考えないでおこう。


 だけどまだ終わっていない。せっかくだから最後のあがきだ。



「緊急事態につき、君たちの迷宮計画は中断したはずだったのだけどね」


「田村、患者さんはどうだい?」


 ヒルロッドさんが少しだけ笑いを込めて発言すれば、委員長もそれに乗ってみせる。

 以心伝心だな。いや、さすがにコレは俺にもわかる。


「ん、もう少し安静にして様子を見て、意識を取り戻してから移動だな」


「だそうですよ。ヒルロッドさん」


 ぶっきらぼうに田村が返事をしたのだが、わざわざ委員長を介する必要があるのだかないのだか。


 ここに至ってヒルロッドさんは、いろいろと呑み込んでくれるようだ。



「指揮官ヤヅはどう考えているのかな? もちろん報告書に残すことになる会話だよ、念のため」


 もはやほとんど笑い声のヒルロッドさんがダメ押しをしてくる。

 ならば答えようじゃないか。


「こういうのを要救助者っていうんでしたっけ? 彼らを抱えたままで群れを突っ切るのは危険でしょうね」


「そうか。そうだな。なら、ここにいる魔獣は徹底的に殲滅する必要があるね。全員の安全のためにも」


「ですね」


「ミームス隊だけでは手が足りなさそうだ。すまないが勇者たちに協力を仰ぐことにしよう」


 ヒルロッドさんは茶番的確認をしてから、足を叩き斬ったカエルを一体、こちらに滑らせてきた。

 以前と違ってこれくらいのコトには対応できる俺たちだけど、マヒ毒はいただけないぞ。重責から解放された部分があるにしても、ヒルロッドさんにしてはイタズラが過ぎる。変に吹っ切れたモードなのが面白いからいいのだけど。


「ヤヅたちがよく言っているだろう? 効率良くだよ。こうしていられる時間も少ないかもしれない」


「わかってますけど、適度にお願いします」


 時間が少ない、か。


 もはや俺たちはレベリング前提で会話をしている。

 この場合、時間という言葉の意味はいろいろだ。魔獣がいなくなるまで、ハウーズたちの治療が終わって動かせるようになるまで、そしてなにより救助隊の誰かが現われるまでの時間だな。ヒルロッドさんはどれかが理由でコトが終わりになる前にやれるだけやろうと言ってくれている。



「こっちはまだ手が離せない。いいから八津やづ、お前は適当に行っとけや」


「もう少し見張りをしてから前に行く」


「へっ、結局俺らが最後かよ」


 俺も前に行って稼いでこいと田村が促すが、こういう時でも減らず口は変わらないな。


 一年一組の仲間同士なら魔力の色が一緒だから【聖術】の効きがいい。俺たちがここまで戦えている理由のひとつでもある。怪我からの立て直しが速いから。

 それに対してハウーズたちは絶賛気絶中だ。相手の同意なしでの【聖術】行使は、これでかなり時間がかかってしまう。


 仕方ない。ここは術師、とくに白石さんと奉谷さんのレベリングを優先することにしよう。



 戦況はもはや、俺が指示を出すような状況にはない。

 この場に到達した時のように針の隙間を縫うような、とにかく移動距離を稼ぐ戦い方ではなく、ただひたすら守って叩くだけだ。こうなると前衛の踏ん張りが重要になってくる。言い換えればお任せ、だな。


「やった。六階位だよ!」


「俺もっす」


 そうこうしているうちに術師たちもチラホラと階位を上げていく。今のは奉谷さんと藤永ふじながか。いまさっき白石さんも上がったことだし、ここまできたらみんなのやりたいようにやらせてあげよう。



 ◇◇◇



「治療は終わりだ。全員無事に生きてるぞ!」


「おぉう!」


 なによりの報告が田村から飛び出したのは、術師がレベリングに入って三十分くらいしてからだった。

 みんなが喜びの声を上げる。


 ここからはハウーズたちを連れて地上に戻るのが最後のミッションになる。


「あとは俺と上杉で【造血】しとく。委員長も行け」


「うん。わかった」


 そのまま田村は委員長に前線に出るよう促した。


 意識は戻らないままだけど、ハウーズたちの怪我は治ったようだ。ここから上杉さんと田村は流れた血の補充に入る。【造血】を持たない委員長はお役御免といったところだろう。

【聖騎士】の委員長はバリバリの騎士系神授職だ。後方でおこぼれをもらうようなやり方ではなく、前線で実戦経験を積みながら階位を上げるべきだな。そのへん田村もわかっているじゃないか。


 残った五階位のメンバーの経験値を大雑把に考えると、レベルアップまでが一番遠いのは俺と委員長だ。どうしてこうなった。



「八津も前に出ていいんだぞ?」


「いや、もしもがあるからもう少し見張りだ」


「そうかよ」


 こっちを見もしないまま横になるチンピラ訓練騎士に手を乗せた田村がぶっきらぼうに言ってくるが、まだ早い。


 円陣の一番奥にあたるこの場所は、ハウーズたちを守る最後の砦だ。

 戦闘自体はもうすでに安定しているが、だからといってウサギが滑り込んできたり、カエルがジャンプしてこないとは限らない。全部が見えている俺が、上杉さんと田村の護衛といった感じだな。

 そろそろ六階位組と入れ替わってもらってもいいのだけど。


「さっさと治療を終わらせて、三人でレベリングしよう」


「ふふっ、そうですね」


 ここまでくれば見届けておきたいという気にもなる。

 俺の不合理な提案に田村はむっつりとした顔を、上杉さんは微笑みで返してくれた。


 そういえば二層転落事故で俺が気絶したあと、目覚めた時最初に顔を見たのは田村だったか。

 もしかしたら俺の治療をしている間も、こうして面白くなさそうな顔をしていたのかもしれない。目が合った時には笑っていたのだけど、あの笑顔は今でも忘れることができないでいるよ。



「うっ、ううっ」


「ありゃ、起きやがったよ」


 そんなやり取りをしているうちに、ハウーズがうめき声を上げて腕を動かした。意外と早く意識を取り戻してくれたようだ。

 本当なら朗報なのだけど、田村はなぜかめんどくさそうな顔になる。ハウーズの相手をしたくないのだろう。正直言えば、俺も相手はしたくない。


「……ここ、は?」


 俺と田村が逡巡している間にハウーズの瞼が開いてしまっていた。声も出せているようだし、体に問題はなさそうだ。だが、めんどうだな。



「大丈夫ですよ。あなたもみなさんも無事ですから」


「き、君は……」


 そこで対応をしてくれたのは俺たちの聖女こと上杉さんだった。俺たちに相談するまでもなく、ごく当たり前にハウーズとの会話をしてくれている。こういう場面でならクラスでも最強の存在だろう。

 このチンピラ貴族め、贅沢すぎる目覚めだぞ。


「上杉といいます。ハウーズさん、どこか不調はありませんか?」


「あ、ああ。大丈夫……、痛くな、い?」


「ええ。【聖術】を掛けました。【造血】も使いましたので、もしかしたら体が重たいかもしれません」


【聖術】も【造血】も対象者の魔力に作用して傷を治し、血を増やす。当然患者も魔力を消費するし、なにより『肉の材料』も必要だ。委員長的に表現すると細胞はどうやって増殖するか、だな。

 魔力は無から物質を作りだすことはできない。とすれば消費されるのは患者の持つ栄養だ。これまた田村風にいうなら造血栄養素、だったろうか。要は鉄分だ、鉄分。


 つまりハウーズをはじめとする横になっている連中は、栄養失調に近い状態になっているということだ。



「もう少しで地上に戻れますからね。安心してください」


「そうか。……助かったのか」


 上杉さんの発する技能に寄らない謎ヒール効果を受けたハウーズは、再び目をつむり、そっと涙を流した。


 べつに膝枕をしているわけでもないけれど、座る上杉さんと横になって目を閉じるハウーズの構図がどこかの宗教画のように見えてしまうのは、これまた聖女パワーの成せるところかもしれない。


「先生の言ったとおりだな」


「田村?」


 俺と一緒にそんな光景を見ていた田村がボツリとこぼした。


「ハウーズだっけ? コイツ、俺らとあんまし年、変わんねえ」


「ああ……」


 言われて俺も気が付いた。


 地上で会った時は長い金髪をオシャレに流して格好をつけていた気に食わないヤツだったけど、薄汚れて、治療のために額を出したまま目をつむるその顔は、俺たちとたいした変わらない。

 たしかにハウーズの方が俺たちの誰よりもイケメンといわれる顔かもしれないし、そこには金髪外人補正も入っているだろう。


 だけどコイツは、俺たちと同年代だ。

 目をつむり、必死に歯を食いしばりながら涙を流している目の前の男は、先生の言うとおり子供にしか見えなかった。



「八津くん。そろそろ」


「ああ、残りが少なくなってきてる。いこうか」


 そんなハウーズを見届けた上杉さんが俺に話を振ってきた。


 大丈夫。ちゃんと俺には見えている。魔獣はもう二十体を割り込んだ。遠くに見える入り口からもおかわりは来ていない。魔獣が減ったお陰で視界が通っているから間違いようがないな。

 それこそ俺たちの分が残っているかの方が心配だ。



「ヒルロッドさん!」


「どうした、ヤヅ」


 このあとのことも考えて、ヒルロッドさんに呼びかけた。


「ハウーズさんたちを守ってください。それと彼らに説明と確認も」


「了解だよ。ラウックス、ここを任せていいかな」


「はっ!」


 面倒そうな経緯説明や事情聴取はヒルロッドさんに任せるに限る。


 察してくれたヒルロッドさんはミームス隊をラウックスさんに預けて、俺たちの方に駆け寄ってきた。

 入れ替わるように俺と上杉さん、田村は前線に向かう。経験値たる魔獣は残り少ない。



「よくやってくれた」


「いえ」


 すれ違いざまに笑ってくれたヒルロッドさんは、いつの間にかいつもの疲れた顔に戻っていた。

 このあとのゴタゴタを想像して、胃を痛くしているのかもしれないな。



 ◇◇◇



「これで最後かな」


 最後の一体になっていたカエルに短剣を刺した委員長が、辺りを見渡して言う。


「ああ、終わった」


 状況を一番よく見ているのはもちろん俺だ。動いている魔獣はもういない。

 死んだマネなどという器用なコトをする魔獣がいるわけもなく、この部屋での戦闘は間違いなく終了した。


「へっ、俺だけかよ」


「なんで委員長が上がらないのかなあ」


 最後の最後で六階位に上がった田村が委員長にツッコミを入れる。続けて俺も。

 結局委員長は五階位のままだ。勇者ポジなのになぜこうなっているのだろう。成長チートとか持っていないのか? 勇者のたしなみだろうに。



 一連の戦闘で最終的に六階位になったのは十六人。そのうち先生やミア、中宮さん、はるさんあたりは七階位が近いかもしれない。六階位になってからも、かなりの敵を倒していたからな。

 そう、騎士団設立の基準になるレベルだ。もちろんクラスの全員が七階位を達成してからの話ではあるが、あんなに遠いと思ってたひとつの目標が現実レベルになって見えてきた。


 ちなみに五階位なのは委員長をはじめとして、上杉さん、夏樹なつきひきさん、深山みやまさん、そして俺の六人だ。予定と違いすぎる。どうしてこうなった。



「帰り道で戦えるかしら」


 微妙に落ち込む俺を見て、綿原さんが泣きの一回を提案してきた。


「どうかなあ。アイツらがいるから、最短で戻らないと」


「それに助けもそろそろ来るかもしれないわね」


 そういうことだ。そうなってしまえばちょっとひと狩り、というわけにもいかないだろう。間違いなく地上では大騒ぎになっているはずだから。



「でも良かったじゃない。みんなが無事で、アレを助けることもできたんだし」


 ハウーズたちをアレ呼ばわりか。気持ちはよくわかる。


「だな。そうだよな」


「ふふっ、そうよ。わたしたちはやってのけたの」


 いつものとおりもっちゃりした笑顔な綿原さんを見て、俺は心から安心することができた。

 今は階位よりなにより、みんなで成功させたことを喜ぶ場面かな。


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