第176話 風の騎士




「では俺とタキザワ先生、ガラリエとナカミヤ、それでいいんだね」


 椅子や机を片付けた談話室の真ん中に立つのは四人。

 食事の最後が真面目な話題になって、俺たちは談話室に移動した。


「お願いします」


 普段使いの騎士服に片手剣をぶら下げたヒルロッドさんに対峙しているのは、完璧に素手でしかも裸足なのにフィンガーグローブだけは装着している滝沢たきざわ先生だ。

 ヒルロッドさんの使っている剣はもちろん木製の模擬剣。


「わたしは盾を持っていいのですか?」


「ええ、よろしくお願いします」


 少し離れた場所でこれまた向き合っているのは騎士服に着替えて片手剣に大盾を持ったガラリエさんと、愛用の木刀だけを持つ中宮なかみやさん。普段は念のために装備しているバックラーと腰の短剣はオミットだ。こちらもまた素足で、完全な本気モードということだろう。



 当初こそセキュリティの意味があったのか、俺たちに刃物を持たせたくなかったのか、武器類が取り払われていた『水鳥の離宮』だが、初回の迷宮に入るころにはキチンとした武器庫が開放されていた。

 今では談話室の片隅にもイザという時のために武器ロッカーみたいな棚まで用意されている。


 とはいえ刃物といえるのは刺突用の短剣とサバイバルキットとしてのナイフくらいなもので、強いていえば料理場の包丁類が追加されるくらいか。包丁術とかカッコいいかもしれない。上杉うえすぎさんに習得してもらえないだろうか。刃物系聖女って新しいんじゃ。


「ねえ八津やづくん」


「ん?」


 四人を取り囲む輪の中で、隣に座っている綿原さんが声を掛けてくる。

 いつの間にか土足厳禁が談話室のルールになっているので、ヒルロッドさんとガラリエさんも騎士用のブーツだけを履いていないのがちょっと微妙な格好に見えるな。


「八津くんって時々……、頻繁に自分の世界に入るわよね」


「ごめん、そういうとこ、あるかも」


 たしかにいろいろと考え込むことは多い方かもしれないが、わざわざ頻度の表現を言い直さなくてもいいんじゃないだろうか。


「まあ、いいんだけど。……それでね、いいのかしらって」


「いいって……、ああ、今回の件か」


「そ」


 結局ヒルロッドさんの決意表明みたいな話の持って行き方と、それに乗じてきたガラリエさんに押し切られた形ではある。だけどまあ。



「先生が受けちゃったからなあ」


りんは直情だし、わかるのよね。それでもあの子、出し惜しみするわよ」


「それは先生もだろ」


 先生は冷静にメリットデメリットを考えて、この話を受けたのだと思う。引っかかる言葉もあったし。『振り回される』がどうとかこうとか。とにかく先生なりの理由はしっかりしているはずだ。

 綿原さんが言うように中宮さんは武術絡みになると熱くなるところがあるけれど、だからこそ出し惜しみをしてくるという見解は理解できる。それがどれくらいなのか、どこかで弾けてしまうのかは、付き合いの浅い俺にはちょっとわからないけれど。


「あのメンツなら怪我はしないだろ。それより綿原さんが聞きたいのって、さっきの『宣言』が信用できるかどうか?」


 綿原さんが話題にしたいのはヒルロッドさんとメイド三人衆が、本当に役目に反してまで上に黙っていられるか、だろう。



「なんとなく、でいいかしら」


「みんなそうだよ」


 こういう時の女性の勘、というか綿原さんの察知能力は信用できそうな気がする……。

 いや、嘘を吐いた。俺は彼女と同じ感覚でいたいと期待しているから、こういう聞き方をしただけか。話題を振ってきたのは綿原さんからだし、もしかしたら向こうも俺がなにを考えているのかを知りたいのかもしれない。


「わたしは信用していいかなって思ってる」


「……俺もなんだ。なんでかな」


「濃い付き合いになっちゃったからかもしれないわね」


 一日の半分以上で同じ時間を過ごして、迷宮で生死を共にすれば、なんとなく人となりも見えてくる。絆されるなんていう表現もあるけれど、もしかしたらそうかもしれない。


「先生が乗ったっていうのは大きいかな」


 俺にとっての巨大な理由はこれだ。先生が自発的に切り込んだ以上、どうしたって俺はそれを批判する気になれない。


「それはあるわね。それとこんな話をしてからでズルいかもだけど、わたしとしてはどっちでもいいかなって」


「どっちでもって」


「あの人たち、みんな真っすぐだったじゃない。いい大人が」


「ベスティさんあたりはひねくれてたけど、それはそれで、らしかったな」


 探りを入れてきたのはヒルロッドさんからで、乗ったのは先生だ。わざわざあんな宣誓じみたことを言わなくても、とは思う。なるほど真っすぐだったな。

 たとえそれが茶番だったとしても、すぐになにがどうこうする話でもない。そんなことより今は──。



「最初はガラリエさんと中宮さんでいいでしょう。わたしもですが、みなさん、しっかり学んでください」


 自然と場を仕切る先生が宣言した。

 ヒルロッドさんたちを信用するかどうかは置いておいて、やると決まったからには勉強させてもらうぞ。これぞ学生の本分ってやつだ。



 ◇◇◇



「しっ!」


 薄く開いた口から息を吐きだした中宮さんがガラリエさんの右側、つまり盾と反対側から横殴りに木刀を振り込む。


 ガラリエさんが目を見開いたのがわかった。それは驚くだろうな。俺にはその気持ちがよくわかる。

 ガツンと硬質な音を立ててガラリエさんが右手に持つ木剣が中宮さんの木刀を受け止めていた。ウチの前衛組には見えていたか? 今、ガラリエさんには余裕がなかったことを。


 十階位の【翔騎士】ガラリエさんはまさにアウローニヤの常識に則った技能を持っているはずだ。【身体強化】【反応向上】【頑強】【剛剣】【鋭刃】【硬盾】あたりは確定だろう。

 そんなガラリエさんに攻撃を届かせたのは七階位の【豪剣士】中宮さんだ。持っている技能の数こそガラリエさんを上回るかもしれないが、純粋な戦闘用に限ればむしろ少ない。それなのに三つの階位差までを飛び越えてガラリエさんを動揺させることができるのが中宮さんの『技』だ。



 中二病的に表現するなら『無拍子』もしくは『変拍子』ってヤツかもしれない。

 中宮さんの動作は、理屈に叶うものの中にいちいち理不尽を混ぜ込んでくる。さりげなくそっと、足首の角度や肩の入れ方をズラしてくるのだ。


 普段の訓練に付き合っている俺は慣れたが、届くはずの剣が届かず、当たらないはずの攻撃が当たってしまう。なまじそれなりに剣術を嗜むガラリエさんだからこそ、動揺は大きいはずだ。


「これがわたしの剣……、いえ木刀です。ガラリエさん、もう一度言います。よろしくお願いします」


 打ちこんだ木刀をヘビのような挙動で引き戻した中宮さんは、相手を睨みつけるようにしながら言葉を叩きつけた。



「……わかりました。十階位の【翔騎士】をお見せしましょう」


 そう言ってのけたガラリエさんは構えをとる。左肩を前に出し、盾を最大に見せつけて、右に持つ剣は何時でも突きを繰り出せるように発射準備を終えていた。これが近衛騎士本来の構えということか。


「すみません。わたしはこの国の騎士……、武術を甘く見ていたのかもしれません」


 俺から見れば美しいとかカッコいいとしか表現できないガラリエさんの構えを見て、中宮さんは素直に謝罪の言葉を述べる。

 どうやら中宮さんをしてそう評価するくらいに、ガラリエさんの力量はしっかりしているのだろう。同時にそれを冷徹に判断してしまう中宮さんの目と精神もすごい。謝っている側がまるで上位者のごとくだ。


「お気になさらず。さあ、どこからでも──」


「しゅえあっ!」


 ガラリエさんの言葉が終わり切ったかどうかのタイミングで、中宮さんが再び打ちこんだ。

 相手の意図を計るという意味もあるのかもしれない、中宮さんの木刀は右斜め上からガラリエさんの盾に吸い込まれるように迫った。



「ふっ」


 聞こえたのはガラリエさんが軽く息を吐いた音だったのかもしれない。


 直後、そんなことはどうでもよくなる『現象』が発生した。

 中宮さんの木刀が空中で勝手に軌道を変え、ガラリエさんの体は構えのままでうしろにズレたのだ。


 結果として中宮さんの攻撃はガラリエさんの盾にも到達できずに空振ることになる。

 何が起きた? 中宮さんが挙動の途中でフェイントを入れてくるのは日常茶飯事だから、そこに驚くことなどない。だが、今のはそうだったか?


「くっ」


 中宮さんの舌打ちに近い声が聞こえるが、それに答えるようなタイミングで俺の髪が揺れた。


「風?」


「部屋の中だぞ?」


 感覚の鋭い、とくに前衛系の連中にも届いたのだろう。各自が驚きの言葉を上げる。

 俺だけでなく、輪の反対側にいるはるさんや海藤かいとうまで反応したということは。



「なるほど【翔騎士】。やっぱり見ると読むとでは大違い」


「そうですナカミヤさん。【風術】を使う騎士、これが【翔騎士】です」


 魔術はなにも後衛だけのものではない。

【聖騎士】の委員長は騎士であると同時に【聖術】使いだ。ウチの前衛は潜在的になんらかの魔術を候補に持っている連中がいる。その先にいるのがガラリエさん。


 そう、ガラリエさんは風を使う騎士。彼女は中宮さんと自分の間に反発する方向で風を発生させたのだろう。

 結果として中宮さんの攻撃はブレ、ガラリエさんは体を動かしもしないでうしろに跳んだ。


 神授職を調べた時に文章としては知っていた。だけど実物はやはり違う。中宮さんのフェイント技術も大概だけど、ガラリエさんの動き方は、もはや理不尽の領域だ。


「エアスラスターかっ」


「機動騎士だよ!」


 ロボット好きな草間くさま夏樹なつきがそれぞれ勝手な単語を持ち出しているけれど、じつによく気持ちはわかる。いいなアレ。俺もやってみたい。



「ノキさん」


「はえ? 僕ですか?」


 突然ガラリエさんに名指しされた野来のきが泡を食っている。なぜに野来が……、ってそうか。


「ノキさんは【風騎士】ですね。これがあなたの戦い方になるかもしれません。よく見ていてください」


 お仕事中は真面目無表情系のガラリエさんが、この時だけは少しだけ微笑んだのがズルい。

 野来、お前、頬を赤くするのはマズいだろ。横に白石しらいしさんがいるんだぞ!


「はっ、はいっ!」


 白石さんの視線に気づいた野来は、授業中の居眠りを怒られたみたいになって大声で返事をする。ざまあみろ。【風騎士】なんていうカッコいいジョブなのが悪いのだ。



 どうやら話題が野来に逸れたのを感じたのか、中宮さんは間合いを取って構えを解かないままで静観するようだ。


「わたしは【風術】と【魔術強化】を持っています」


「はい!」


 もはや授業で指を指された状態の野来は、ガラリエさんの言葉にいちいち元気に返事をする。

 だけどガラリエさん、そこまでバラしていいことなのか?


「そして残念ながら【魔術拡大】【多術化】【遠隔化】は持っていないんです。いくつかは候補にあるのですけどね」


 モロバレだ。ネタばらしにも程がある。


 それが果たして自虐なのか、それともこれで十分だという自信なのかはわからない。ただひとつハッキリしているのは、ガラリエさんは俺たちだけでなくベスティさんやアーケラさん、ヒルロッドさんにも全部をひけらかしたということだ。

 勇者担当がお互いの情報をどこまで知っているのかはわからない。それでもこうも堂々とした態度をされてしまうと、さっきの宣言、上に先生たちの戦い方を伝えないという言葉が本当に思えてしまう。



「騎士と術師の両立は容易いものではありません。アイシロさんも苦労することになるでしょう」


「あ、はい」


 話を振られた【聖騎士】の藍城あいしろ委員長が間抜けな返事をする。

 たしかにタンクとしての騎士とヒーラーの兼任は大変だ。事実そのせいで委員長の騎士系技能の取得はほかの連中に比べて一歩遅れているからな。

 そうなると【霧騎士】の古韮ふるにらも、ということになるが。


「わたしにできるのは防御的に風を起こすか、移動の補助に使う程度です。アーケラさんやベスティさんのように、自在に魔術を操れるほどではありません」


 自分の特徴や弱点をベラベラとバラしているガラリエさんからは凄みばかりが押し寄せる。前衛職が魔術を使うということは、そういう中途半端さを容認せざるを得ないということだ。


「内魔力が豊富な勇者のみなさんならば、これからも多数の技能を取得できることでしょう」


 自分の弱みなど知ったことかとガラリエさんの言葉は続く。


「ノキさん、あなたはわたし程度の『跳ねる』騎士では終わりません。『飛んで』ください。自在に風を使いこなして戦うのが、わたしの夢見た『風の騎士』です」


 こちらの世界ならではの中二なセリフで、ガラリエさんは野来を叱咤する。


「やります!」


 そんな言葉に背中を押された野来は、キマった表情でそれに答えた。


 もしかしたら今晩の模擬戦にガラリエさんが名乗りを上げたのは、これを見せて、伝えたかったからかもしれないな。野来だけでなく、前衛連中全員に。



「腑抜けたセリフですよ、ガラリエさん」


「……ナカミヤさん」


 リレーでバトンを受け渡した光景を見届けたような空気の中、木刀を構えたままの中宮さんが鋭い目つきでガラリエさんに言い放った。腑抜けときたか。


「十階位なのでしょう? 階位を上げればいいじゃないですか」


 十階位は迷宮三層の限界階位だ。それ以上を目指すならば四層への挑戦が必要になる。

 三層に入ったばかりの俺たちが七階位から八階位に上げるための壁に突き当たるように、ガラリエさんもまた扉をこじ開ける必要があるのだ。


 階層を跨げば魔獣の強さは段違いなことを俺たちは実感している。三層でコレなのだ。四層などはまだまだ想像もできない。

 だからこそアウローニヤの戦士たちは七階位と十階位、十三階位という境界レベルを持つ人たちが多い。役職や所属、立場、目標などで差が出てくるのだろう。


 貴族の多い第三近衛騎士団『紅天』の騎士としてならば十階位は普通かつ上出来の部類になるはずだ。そんなガラリエさんを中宮さんが叱責した。



「ガラリエさんたちは、わたしたちの騎士団に入るのですよね? だったら探索が進んでいる四層くらいは通過点です。副団長予定のわたしが、そう断言します。ついてくるんですよね?」


 迷宮騎士団副団長が内定している中宮さんが初命令を下した。


「……そうですか。そうですね」


「はい。そうなんです」


 今度こそ笑顔を隠さないガラリエさんに、中宮さんも笑ってみせた。


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