第175話 武術を理解する人たち
「君たちが最初に聞きたいだろうことは、なぜ今なのか、かもしれないね」
なんといえばいいのだろう、がんばって真面目さというか、誠実さを表に出そうとしているようにも。
ヒルロッドさんが座っているのは長テーブルの男子側の端。女子の列に座る先生と中宮さんとはちょうど向かい合わせだ。いちおう男女の上座側ということになるが、いまさら上下を気にするような間柄でもない。慣例になっている席順なだけだった。ちなみに俺は下座側で、正面には
ヒルロッドさんの言葉を聞いても先生と中宮さんは黙ったままで、話の続きを待っている。
周りにいるクラスメイトたちもこれから何が始まるのかと固唾をのんで見守るしかない。
「俺はね、迷宮に同行できないことを苦痛に感じてしまったんだ。たぶん次回もそうだろう」
「えー」
ヒルロッドさんの発言に対し、なんともいえないような声をこぼしたのは
「あの? ヒルロッドさんって奥さんと娘さんがいらっしゃいましたよね?」
続けていつもより心持ち深い笑みで
なんでここでヒルロッドさんの家庭事情が?
「そうだが……、そういう意味じゃないぞっ!」
何気なく返事をしたヒルロッドさんが、ふと気づいたように大声を出した。
さっきまで纏っていた真面目ムードはどこかに吹き飛んで、欠片も残されていない。
まあ、ここまできたら俺にも疋さんや上杉さんの言葉の意味がわかる。わかるけど、ヒルロッドさんに限ってそれはないだろ。
「さすがに先生狙いだよね?
「あたしにはちょっと……」
声を落とした
このあたりで男子連中にも話が見えてきたようだ。
いやいやお前ら、ヒルロッドさん本人が否定しているのだから素直に聞き入れてあげればいいのに。
「ヒルロッドさん。少しだけ言葉を付け加えてもらえますか」
「そうだな。すまない、タキザワ先生」
ちょっとだけ音程が低くなった先生の声に、ヒルロッドさんが申し訳なさそうに返す。もはや威厳やカッコよさは完全に消え去り、ついでに慌てっぷりもどこかにいって、いつものおつかれ顔のヒルロッドさんだ。むしろホッとするくらいのいつも通り。
「心配していたのはもちろん君たち全員だ。分け隔てなどするわけがないだろう。二十二人、全員の帰還を心待ちにしていたんだよ」
「あらヒルロッドさん、わたしたちは?」
「混ぜっ返すのはよしてくれ」
俺たちに同行していたベスティさんからのツッコミが入ったが、やさぐれモードに入ったヒルロッドさんはここからが本領だ。さっくりと受け流してみせた。
「どうやら俺は、思っている以上に君たちに入れ込んでいたらしい」
一呼吸を入れて、気を取り直してからそう言って俺たちを見渡すヒルロッドさんの目は優しい。その言葉をストレートに信じてしまいたくなるくらいにだ。
「勇者としての君たちではない。誠実で実直で有望な若者たちだからと、ハッキリ言っておこう。もう少しで君たちは俺の手を離れる。もしかしたらもう一緒に迷宮に入ることもないかもしれない。そう思うとどうしてもね」
「ヒルロッドさん……」
対峙している中宮さんが感極まったような声を出してしまうくらい、ヒルロッドさんの口調は穏やかで真摯だった。
次回の迷宮がいつになるかは決まっていない。だが迷宮の異常がすぐにでも終息しない限り、俺たちは調査隊という名目で潜ることになるだろう。当然それにヒルロッドさんは同行できず、そして俺たちはたぶん全員の七階位を達成してしまう。そうなれば。
「お心には感謝します。続きを」
さっきの重たい声から通常モードに戻った先生が話の続きを促した。まだぜんぜん話が進んでいないからな。
「タキザワ先生とナカミヤは、何かしらの剣術……、武術を修めているだろう?」
ついに出てしまった決定的な言葉だが、これが話のメインなのはわかっていた。
「どうしてそう思いました?」
返事をする先生も平然としたものだ。
先生の空手と中宮さんの木刀術のことは、べつに秘匿していたわけではない。聞かれたら、はいそうですよ、だからどうしました? くらいで返していただろう。もちろん詳細は教えないし、伝授などはもってのほかだ。だからこそ俺たちは夜中の談話室だけで練習していたのだし。
「君たちのことをずっと見てきたからね。仕事でもあるし、個人としても興味があった」
これまた誤解を招きそうなヒルロッドさんの物言いだが、今回はさすがに誰もツッコまなかった。天丼を仕掛けるような空気ではない。
◇◇◇
この国にはこの国なりの武術が存在している。
とくに近衛騎士たちは、剣と盾、ついでに槍を使った剣術みたいなものの習得が義務付けられているようだ。日本風に言えば流派のトップ、道場主があの近衛騎士総長だというのが非常に気に食わないのだが。
ほかにも軍としての訓練や魔獣との闘い方、護身術なんていうのも存在はしている。
ただしそういう武術めいた資料に必ず書かれているのが、有力者の名前と神授職、階位、技能だ。あとはどんな武器を使うかくらいで、具体的な技術に関する記述が非常に少ない。あえて書かれていないのか、もしかしたら秘密なのかもしれないが、それなら関係者の神授職をはじめとした個人情報がこうも堂々と羅列されているのもおかしな話だ。
技術よりも階位。それがこの世界の基本だ。技を磨くなら技能の熟練を上げた方が『効率的』。それこそ近衛騎士総長が身をもって証明してくれた。
型や技に類するモノはあるらしいが、それも基本的なレベルにすぎない。それこそ訓練場でさんざん見せてもらっている。奥義とかはあるのだろうか。
結論から言えば、この世界は『レベルを上げて殴る』がリアルで実行されているのだ。
もちろん実戦経験などで磨かれる技術もあるだろうが、階位差があれば覆されるし、階位ごと、技能の有無に合せた効率的な修行方法などはない。
『体系化されていないのでしょうね』
というのが先生の感想だ。
だからといって先生や中宮さんが武術を持っているのを隠し通せるはずもない、というのが二人の見解だった。
戦いを知っている人なら、動き、つまり所作でわかってしまうのだとか。だからこそ会った初日に総長やヒルロッドさんは二人に目を付けていたらしい。美人さんなのは事実だが、そういう方向ではなくだ。
とくに先生と中宮さんが階位以上に戦えるのは、先日の調査会議で完全にバレている。
今日に至るまでヒルロッドさんは、あえてその事実をボカしたままにしてくれていただけだ。気遣いの人だよな、本当に。
「君たちの故郷には魔獣がいないそうだね。魔力すら存在していないという」
ヒルロッドさんの言葉が続く。
「人と魔獣が争わない世界。ならば人と人との闘いがあるのだろう。しかもすべての人間が『一階位』同士で争うような」
なるほど、こちらの世界の人が地球の情報を断片的に知れば、こういう答えも出てくるのか。
俺たちは鉄砲などのことも教えていないし、
もしかしたらこちらの人たちからしてみれば、地球の戦争なんて魔力を持たない子供の喧嘩みたいなものを想像してしまうのかもしれないな。それはそれで俺たちにとっては好都合の部分もあるのだけど、モヤっとしてしまうところはある。
「そこで功を上げるならば、それはもう武術を磨くしかない。タキザワ先生とナカミヤはそういう家の生まれなのではないかと、俺は想像したんだよ」
そしてだいぶん間違った見解を下してしまうヒルロッドさんだった。
もはや誰も突っ込まない、いや突っ込めない。なんとなく否定したら申し訳ないなあという空気が蔓延しているぞ。先生が山奥で修行しているシーンが頭に浮かんでしまったじゃないか。
中宮さんについては半分くらい正解なのだけど、戦争のためにやっているわけでもないしな。
「最初から二人だけ、どこかこなれた動きをしていたからね。どうしても勘ぐってしまったんだよ」
そういえば最初に訓練場を見学した時にヒルロッドさんが煽って、中宮さんがキレかけていたのも布石のひとつだったか。随分前の出来事に感じてしまうのは、こっちに慣れすぎたせいかもしれない。
「そうしたら、君たち全員の歩き方が少しずつ変わっていく。階位や技能とは関係なくだね。むしろぎこちなく見えたものだよ」
「どこかの時点で気付かれるとは思っていましたから」
ヒルロッドさんの解説に、先生はさらりと言ってのけた。
先生や中宮さんだけなら隠し通すこともできたのかもしれない。こちら風でいうなら軍家の家系とかそういう理由で。
だけど練習中の俺たちならばどうだろう。夜の談話室での訓練の成果が、普段の訓練や迷宮の戦闘で……、そりゃ出るな。出ないわけがない。
「なるほどと思ったよ。タキザワ先生とナカミヤは、非常時と判断して
ここでまたヒルロッドさんが微妙な正解を出した。まあたしかに『北方中宮流』は立派な武道だけど、門戸は開かれている。フルオープンだったはず。
だけどなにか話の転がり方がズレている気もしてきた。
いや、ヒルロッドさんとしては、まだ導入とか経緯の説明段階なのか。丁寧なネタばらしなので、主題がなんだったのかがボヤけて困る。
「たとえばそうだな、ワタハラとヒキ、カイトウ、それとサカキ……、の姉の方だぞ。どうやら君たちは飲み込みがいいようだ。才能があるんだろうね」
ここで俺の名が挙がらないのは当然として、ミアが出てこないあたりがすごい。
アイツだけは本当に独自路線なんだろうな。アウローニヤの強者の目をも欺く才能か。
「あの、あたしは……」
そこで小さな声を上げたのは……、
「いやっ、すまん! なにもササミたちが劣っているとは言っていないんだ」
ヒルロッドさんが大慌てするが、そうもなるだろう。
なにしろ笹見さんはバレー・バスケ部としてブイブイいわせてきた体育会系だ。ほかの運動部の連中の名前が挙がって、自分だけが出てこなかったら……。
俺や、失礼だけど
なまじ名前が出てきた綿原さんは、ちょっと困り顔になっている。
「
「
言葉を続けられないでいるヒルロッドさんに代わるようにして笹見さんに声をかけたのは中宮さんだった。
「わたしもね、羨ましく思ってるから」
「だけど凛、あんたはがんばって」
「そうよ。それでいいじゃない」
「……だねえ。ごめんな、凛」
「今のわたしたちがするべきなのは、帰るための努力なのよ。悩むのなんて戻ってから」
しんみりと、そして訥々と語る中宮さんと笹見さんだが、これこそ話の方向がズレているだろう。
どこかいい話風になっているし、なぜか何人かが頷いている。白石さん、涙を拭うところか?
「凛も玲子も元気を出してくだサイ。戻ってからもみんなで楽しく大騒ぎするんデス」
「ミアちゃん……、あなたねえ」
「あんたが一番の問題児なんだよ。ミア」
わかって割り込んだのか、それとも野生の感性なのか、才能の塊という意味ではトップなミアのあんまりなお言葉にみんなが苦笑いになる。
逆にこういう時には同じ天才型の綿原さんは中に入ろうとはしないんだよな。【観察】しているから、そういうのがわかってしまう。
でもまあ、そっちが普通か。自分が微妙な形で持ち上げられている時に前に出るなんて、普通はできないものだ。
なんとなく、本当になんとなくだけど、こういう場面に出くわすと綿原さんと笹見さんが後衛で、中宮さんとミアが前衛神授職になっている理由が理解できるような、そうでもないような。
「す、すまなかったね。本題ではなかったんだよ」
「いいえ、あたしこそごめんなさい」
空気が軽くなったのを見取ってから、ようやくヒルロッドさんが口を開いた。
笹見さんもいつものアネゴ調に戻って、素直に頭を下げる。
「ササミのそういうところが、強さに繋がることもあるさ。道は人それぞれだからね」
ヒルロッドさんはそう言うが、混ぜっ返しになりかねないから話を進めた方がいいと思う。
◇◇◇
「さて、本題に入ろう」
コホンと咳ばらいをしたヒルロッドさんは、ようやく本命的なことを言いだすようだ。
「念のために言っておくよ。これは上からの指示じゃない。俺の個人的な意思だ」
チラリとメイドさんたちの方を伺ってから、これから言うことはヒルロッドさんの独断だと表明した。
「君たちは対人戦も視野に入れているんじゃないかな? というより、タキザワ先生とナカミヤの本質はそこにあって、皆にそれを伝授したいのでは?」
「なぜそう思うのですか?」
ヒルロッドさんの問いかけに、先生は問いで返す。
「残念な話だが、君たちを疎ましく思う人間はいくらでもいる。ハウーズしかり、先日の総長もだ」
「人の集団があれば、起きうることでしょう。ましてやわたしたちは──」
「そう。勇者だからね」
そうか、勇者か。俺たちが。
「それだけじゃない。訓練場での雑音は聞こえていたのだろう?」
そして俺たちは異邦人で異世界人で、どうやら蛮族でもあるらしい。勇者として崇めつつ、異国人として蔑む。この国の人たちも器用なことをするものだ。
言いにくいことをヒルロッドさんは言ってくれている。見て見ないふりを通してきた俺たちの立場がどういうものであるのかを、あえて包まないようにして。
「もはや俺が迷宮で君たちに協力する機会はないかもしれない。だがまだ、今はまだ君たちの担当教官だし、その時が来れば外部顧問だ」
言いたくないことを言い終えたヒルロッドさんは一転、ワザとらしいくらいの笑顔を作った。不器用な人だと思う。
「俺が地上で対人訓練に付き合おう。なんならラウックスあたりも巻き込んでもいいさ」
「そういうのは本人に確認してからが筋でしょう」
「アレでラウックスも君たちを気に掛けているんだよ」
やっと出てきた結論にいきなりラウックスさんを巻き込むのはどうなんだろう。いくら部下だからといって、……むしろ部下だからこそ気を使うべきだと先生は苦言を呈するわけだ。
「俺は無理でも君たちの誰かなら、いつか総長すら返り討ちにしてくれるような気がするんだよ」
近衛騎士総長だけでなく、一年一組にはたくさん理不尽が降りかかってくるのだから、それを全部蹴散らしてしまえとヒルロッドさんの目は語っている。
ここの判断は俺や綿原さんにはムリだ。そもそも迷宮委員の管轄だとは思えない。委員長でもキツいだろう。
もはや
「その話、わたしも乗りましょう」
そこに割り込んできたのはガラリエさんだった。どうしてそうなるのかな。
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