第148話 善と悪では決まらないこと




「大きな声は出せないが、それでもいいなら。まあ私の独り言だと思ってくれれば助かる」


「あ、いえ、こっちこそすみません」


 迷宮から戻って二日目の午後、俺は訓練場でミームス隊のラウックスさんと話をしていた。


 今日になってもアヴェステラさん、ヒルロッドさんは姿を見せていない。これで二日連続になるが、こんなことは初めてだ。シシルノさんが来ていないのは昨日のやり取りがあったからだとは思うのだけど。

 お陰で昨日今日と訓練場で俺たちを見てくれているのはラウックスさんだ。


「昨日は疲れたよ。総長との会話など入団式以来だった。ましてや両殿下にお会いすることなるとは」


「……お疲れ様です」


「ヤヅたちのせいじゃない。むしろ『灰羽』の名誉を守ってくれたのは君たちだ」


 第六近衛騎士団、通称『灰羽』は教導騎士団、つまり訓練部隊だ。

 規模こそ六騎士団の中で一番小さいが、先生の集まりみたいなもので、個人の強さという意味では飛び抜けているらしい。


『遠足の途中で生徒が行方不明になったようなものです。教師としては悪夢でしょう』


 しみじみとそう言った滝沢たきざわ先生の表情は、なんというか哀れみやら同情やら、いろいろな色が混じっていたと思う。



「ヒルロッドさんやミームス隊の人たちは大丈夫なんですか?」


「なんとも言えないな。私は一介の騎士だから、上の裁定に従うしかない」


 こういうのは本当なら藍城あいしろ委員長にお願いしたいのだが、彼は訓練に励んでいるところだ。


 騎士としての盾役と【聖術】使いの二役をやらなくてはならない委員長は、もともと運動が得意な方でもなく、かなり苦労をしている。それをいったらウチのクラスで苦労していないヤツはひとりもいないが、そこはそれだ。なんだかんだで責任感が強い委員長は、みんなのお手本になろうとしているのかもしれない。

 体を動かすという分野では先生、中宮なかみやさん、はるさん、海藤かいとうあたりがみんなを引っ張っているイメージになる。

 委員長は教えてもらう側の代表として、率先してついていく姿勢を忘れない。大したものだと思う。みんなに役割をポンポンと放り投げつつ自分もがんばっている委員長を知っているからこそ、俺と綿原わたはらさんも迷宮委員に名乗りを上げた部分がある。少しでも荷物を背負ってあげないとな。



 では今の俺がしていることはなにかといえば、そんな委員長に成り代わって情報収集という名の雑談中だ。サボっているわけではない。今も【観察】は全力全開で回している。


 これで丸二日、アヴェステラさんとヒルロッドさんを見かけていないわけで、二人のコトも心配でもあるし、もちろん俺たち自身のコトも不安になるというものだ。シシルノさんは胸を張ってくれていたが、言葉は嬉しくても実態が伴っていなかったら意味がない。

 余計なコトをしでかしたと判断されて、具体的にはハシュテル副長あたりに逆恨みされていたら目も当てられないのだ。


 だからこそダメ元でラウックスさんに話を聞いてみた。



「取り調べ自体は大したことはなかった。私は私のしたことを、君たちと共に成し遂げたことをそのまま伝えただけだ。嘘を吐くこともなく、誇張することもなく」


 ラウックスさんの口から出たセリフにはほんの少しだけの誇りが込められていた。それが俺の胸に刺さる。この人はそう思ってくれているのか。


「大丈夫なんですか?」


「それ以外にやり様がないんだ。私も平民上がりだから」


 ヒルロッドさんをはじめとするミームス隊の人たちは、全員が平民上がりの騎士爵だ。

 もちろん偶然などではない。同じく軍から近衛に引っ張られた平民訓練生たちを鍛えるために、ミームス隊は存在している。貴族子弟訓練生の相手をするためにハシュテル隊があるように。


 そしてラウックスさんは脳筋というか、貴族的な意味で上に対抗できるような存在ではないというのもわかっていた。だからといってラウックスさんはラウックスさんで、失望するようなことはまったくない。

 この国の貴族制度がそもそも、よほどの何かが無い限り、平民上がりにどうにかできるようになっていないからだ。



 取り調べ自体はどうやら穏便だったらしくて、拷問紛いの尋問という感じではなかったらしい。

 その場にいたのは第六近衛騎士団長、近衛騎士総長、宰相、そして王子様と王女様。秘書官もいたようだけど、それはまあいいか。

 個別に呼び出されただけまだマシだろうというのがラウックスさんの考えだ。当事者のハシュテル副長まで一緒だったら怒鳴り散らされて、報告すらまともにできなかったかもしれない、だとか。


「もう十分です。あんまり言っちゃいけないコトもあるかもですし」


「そうか。そうだな」


 最後はむしろ俺の方からラウックスさんの口を閉じてもらうことにした。

 あんまり深い情報を聞いてしまったらお互いのためにならないかもしれないし、たぶんラウックスさんは大したことを知らないだろう。


 とりあえず取り調べのメンバーがわかれば、それで十分だった。ラウックスさんは意識していないかもしれないけれど、王女様が同席していたというコトが知れただけで、かなりの価値がある。



「こう言ってはなんだが、君は余裕があるね」


「これでもいちおう勇者ですから」


「その若さで、大したものだ」


 たぶんラウックスさんは勘違いをしている。


 いつも細かいことをグチグチと考えている俺がこうして普通を装っていられるのは、委員長の言葉があったからだ。べつに勇者として器が大きいとか、そういうことだけは絶対にない。


『僕たちを悪者にはしないと思う』


 そんな委員長の言葉を聞いた時はどこにそんな保証があるんだと思ったが、なるほどラウックスさんの証言で納得できた。



『どっちが正しいとかそういうのじゃなくて、上がどうしたいかだよ』


 コトはいちおう近衛騎士団、しかも『灰羽』のテリトリーで起きている。この場合の『上』が第六近衛騎士団長や近衛騎士総長だったら、俺たちだけでなくミームス隊もヤバかったかもしれない。

 だけど王女様が出張ってくれば話は変わるというのが委員長の見解だ。


 最終的な裁定で一年一組は無事だろう。あったとしてもちょっとした行動制限がかかるくらいか。

 ミームス隊についてはなんともいえないが、勇者の口添えを王女様が聞き入れてさえくれれば、だとか。委員長のいう大人の世界は難しい。


 ラウックスさんの話のとおりなら、委員長の予想は大当たりだったようだ。



 俺たちに泥が付くということは、王女様や王子様が泥をかぶることを意味するはずだ。この国のルールならそうなる。ならば両殿下はそれだけは避けるはず。ハウーズたち宰相の孫を助けたという事実も大きいとか。


 やっぱり俺にはよくわからない。


「お話、ありがとうございました。それと……、これからもよろしくお願いします」


「……ああ。こちらこそ」


 ラウックスさんはヒルロッドさんよりずっと若い。とはいえ二十代の半ばくらいだろう。俺から見ればお兄さんとおじさんの中間くらいの人だ。

 俺より拳ひとつくらい背の高い、この国特有の濃紺色の髪の毛のお兄さんがハッキリと笑ってくれて、少しだけ心が晴れた。



 ◇◇◇



「ええっと、ヒルロッドさん、大丈夫ですか?」


「ははっ、まあ、なんとかね」


 副委員長の中宮なかみやさんがヒルロッドさんにいたわりの言葉をかけた。委員長などは絶句していて言葉が出なかったのだろう、中宮さんが成り代わってという感じだった。


 離宮に戻った俺たちを待ち構えていたのは二日ぶりになるヒルロッドさんとアヴェステラさんだった。ちなみにシシルノさんも良い笑顔で横にいる。

 アヴェステラさんは普段より化粧が厚い気がするし、ヒルロッドさんに至ってはハッキリとやつれている。女の人の化粧具合など知りたくもないが、【観察】は余計な仕事までしてくれるのだ。



「入浴と食事の前に申し訳ありません。みなさんの担当として少しでも早くお話をしたかったものですから」


「気にしないでください」


 アヴェステラさんが頭を下げれば、なんとか持ち直した委員長が代表してそれに倣った。こういう時はじつに日本人をしているなと思う。


 いつもなら風呂に直行の時間なのだが、相手は他ならぬアヴェステラさんとヒルロッドさんだ、そんなのは後回しで結構。そういうわけで俺たちは全員で談話室にいる。

 一年一組だけになったら机や椅子を壁に寄せるところだが、今日はアウローニヤの人たちもいるということで昼間の座学と一緒の配置のままだ。


 とりあえず全員が席について、お話の始まりだ。

 メイドさんたちは壁際に立っている。仮設騎士団の仲間というより、王国と勇者としての話し合いということなんだろう。



「この二日で関係者への事情聴取は終わりました。現在は精査の途中になります」


「あの、僕たちはいいんですか?」


 アヴェステラさんの現状報告に疑問を挟んだのはもちろん委員長だ。

 こういう時は余程のことがない限り委員長が俺たちの代表になる。ほかの誰かが思わずツッコミを入れてしまうことも多々あるけれど、それに対してもアヴェステラさんたちは丁寧に返してくれるので、それほど緊張した雰囲気にはならない。


「昨日いただいた報告書で十分であると、両殿下は判断されました」


「殿下って、そこまで踏み込んでいるんですか?」


 両殿下の判断と聞いて、委員長は驚いたようだった。

 俺も心の中で唸ってしまう。てっきり俺たちが不利にならない程度で様子を伺うように、上座でふんぞり返っているものだとばかり思っていたぞ。



「今回の件については三つの要素、指示系統ですね、それが絡んでいるものですから」


 そこから説明をしなければという感じでアヴェステラさんがチラリと委員長に視線を送る。まるで試すようにだ。


「……ハシュテル副長やミームス隊の行動は近衛騎士、俺たちは両殿下。あとは……、ハウーズさんは宰相さんの孫だから、でいいですか?」


「そのとおりです。強いていえば救助隊に王都軍が絡んでいますが、それは置いておきましょう」


 宰相にまでさん付けをする委員長に苦笑しながらも、アヴェステラさんはよくできましたといった風に委員長の解答に正解をくれた。


「人員も含めて今後の迷宮調査と並行する事案にもなりますので、事故については早々に終わらせてしまいたいというのが王国の本音です。これは近衛騎士団も行政府でも変わりません」


 あえて『事故』ということになっているようだけど、それはまあいい。


 王国の側からしてみれば『灰羽』の副長やら宰相の孫の処遇よりも、全体の経済の方が大事だというのは理解できる。迷宮の異常をクラスの誰かが『停電』に例えていたが、そこらの交通事故と街全体の問題ならどちらが重要なんだという話かもしれない。



「そこで最上位者たる両殿下が裁量することとなりました」


 アヴェステラさんの言うことはわかるのだけど、いつも疑問に思っていることもある。

 こういうことで王子様と王女様が出てくるのはいい。ところで王様はいったいどこでなにをしているのか。


 法律や組織を調べていた先生や委員長たちの話でこの国のヤバさはある程度わかっているつもりだが、それにしても俺たちが王様を見たのって召喚された時だけだぞ。

『勇者との約定』にしても騎士団創設の話でも、俺たちが迷宮で事故ったときも姿を見せなかったわけだし、最初に見たアレは影武者でじつはもう……、なんていう恐ろしい想像まで出てきてしまう。


 実際はハンコを押すのに忙しいだけかもしれないが。


『ところで王様はどうしているんですか?』


 という一言を序盤で言いそびれてしまったので、俺たちは未だにモヤモヤしながら王子殿下と王女殿下の動向に振り回されているというのが現状だ。



「これは両殿下からの内示になりますが、勇者に非は無し、です。近衛騎士総長、宰相閣下も同意の上で、最終的な結論になるでしょう」


 両殿下という表現で、アヴェステラさんお得意の第三王女の密使パターンは無くなった。

 だが宰相と総長も俺たちの味方をしている?


「よろしいですか」


「どうぞ、ウエスギさん」


 そこで手を挙げて発言したのは上杉うえすぎさんだった。

 こういう話題で彼女が口を出すのは珍しい。俺なんかよりずっと理解していそうで、それでいて会話を見守るタイプなのだ。


「宰相さんについてはハウーズさんのこともありますし、理解はできます。近衛騎士総長はどうしてなんですか?」


 宰相だけをさん付けするあたりで、なるほどと思った。

 上杉さんは近衛騎士総長に一言あるのだろう。あのおっさんがやらかしてくれた時、怒ってたからな。


「もっとハッキリ言いますね」


「上杉さん……」


 アヴェステラさんがなにかを言う前に、上杉さんが追撃をカマす。委員長がたしなめようとしているが、不可視のナニかがそれを阻んだ。これは技能なんかじゃない。

 まったくいつもどおりの上杉さんなのに、なぜか圧が放たれている。怖いって。



「近衛騎士総長が勇者をどう思おうと、どう裁定しようと気にはしません。わたしがお伺いしたいのは──」


 なんだ、上杉さんはなにを聞きたい?


「あとになって心変わりしないという確証です。もちろん意趣返しも含めて」


 ああやっぱり根に持っていたのか。


 表情をあまり変えない上杉さんの心の内までは、とてもではないが俺にはわからない。

 ただなんとなく想像できるのは、彼女が総長を嫌う理由だ。それこそが、心変わり、八つ当たり。


 もちろん訓練と称して先生とミア、中宮さんを痛めつけたことに腹を立てているのだろう。それは俺だって一緒だ。

 上杉さんの場合はそこに、大人がみっともない理由で、というのが入っているような気がする。それが今、証明されたのかもしれない。



「……この件について、近衛騎士総長は、あの方が手のひらを反すことはないと、わたくしはそう考えています」


 アヴェステラさんがそう言う以上は、なにかしらの確信があるということだ。


「あえて言う必要もないと先日は濁しましたが、あの方の人となりはみなさんが想像するものと少し違っていると思います」


「どういうことでしょう」


 あくまでアヴェステラさん対上杉さんという構図で会話が続く。空気が重たい。


「あの方が手出しをしないと言えば、余程のことがない限りそれは事実です。そういう人柄なのです」


 その点をものすごく疑っているわけだけどな、一年一組は。


「そういう意味でわたくしは、今後みなさんと総長が関わることはほぼ無くなるか、事務的なものに終わるだろうと考えていました」


 だけど今回の事件で関わることになってしまった。なのに俺たちの味方をして、それを覆さないとアヴェステラさんは信じている。どうしてだろう。



「近衛騎士総長はハシュテル副長、ウラリー・パイラ・ハシュテル男爵のような者を好かないからです」


 俺たちよりハシュテル副長の方が嫌いだから……。


 好き嫌いの問題かよ。


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