第340話 魔力が欲しいから
『報告書については焦らずとも結構です。今日明日の段階で必要があるという点についてだけは、随時口頭で伝えていただければ』
そう言い残してアヴェステラさんは、ヒルロッドさんと共に離宮を去って行った。
二人はたぶんムリをして時間を作ってまで、俺たちの顔を見に来てくれたのだと思う。そういう関係性を嬉しく思うのはクラスメイト全員の顔を見ればわかる。
報告書の提出について曖昧にしてくれたことも、今回のクーデターで俺たちが人間を相手に戦ったという事実を再認識させないための気配りであることは明白だ。女王様ご本人が迷宮に同行したのもあるし、記録以上の意味で本当に必要はないのかもしれないな。シシルノさんやガラリエさん、ベスティさんなども資料は上げるだろうし。
さて、俺たちとしてはそういう気遣いに、どう答えたものだろう。
◇◇◇
「いつも以上に念入りによ。違和感があったら隠さないで正直にね」
朝の談話室に副委員長にして武術家の
クーデター翌朝、俺たちはいつも通りに朝のルーチンをこなしていた。
朝風呂に入る前に、入念なストレッチを繰り返す。ちなみにアウローニヤ組はこの場にいない。寝坊というよりは、日本人だけの時間を作ってくれているだけで、三十分もしないうちに姿を現すだろう。
シシルノさんやベスティさんなどはアウローニヤにそういう文化が無いのにかかわらず、すっかり朝風呂常連になりつつあるし。
「
「悪くない。体にも違和感は……、ないな」
「良かった。見た感じでも悪くないわね」
「すまん」
「謝らないでよ」
どうやら中宮さん的に、昨日腕をくっつけ直した馬那の調子は悪くないらしい。
見ただけでわかってしまうあたりが中宮さんの眼力だ。近くでは
「
「俺はまあ【聖術】だけで完治してるし、足首も、うん、大丈夫だと思う」
話題が俺に飛んできたが、体の方に不調は感じない。
精神の方も一晩寝たら、フラッシュバック的な体の震えは収まった。
意図して無理に思い出しても、ぶり返しは無い。
もしかしたら、あの時の強引な会話が効果的だったのかもしれないな。ああいう空気を作ってくれたガラリエさんやベスティさんには感謝してもし足りない。
「ならいいわ。ミア、動きを確認しておいてあげて」
「ラジャーデス」
そして何故か意味不明の方向で、俺のチェック担当にミアが指名されたわけだが。
「中宮さん」
「なに?」
「なんでミアなのかなって」
「ミアだからよ」
そうか、ミアだからなのか。
チラっと近くで前屈をしている
ちなみに紅白サメはこっちを見ているが、距離的に大丈夫ってことなんだろうか。なぜ俺はサメの距離感で綿原さんの感情を推察しているのやら。
「んー、
「あ、ああ」
俺の傍に寄ってきたミアが、立ち上がるように指示をしてきたので、素直に従うことにする。
「しゃがんでくだサイ」
「ん」
誘導に従い、膝を曲げて上体を前傾させた俺を見るミアの目は、ワリと真剣だ。
この展開ってネタじゃなかったのか。
「そのまま軽くジャンプデス」
「おう」
言われたとおりに膝を曲げた状態から、そのまま垂直方向にジャンプする。
九階位の後衛ではあるが、それでも二メートル近くは跳べているだろう。改めて自分が超人化していることが実感できてしまうな。
上空からミアを見下ろしつつ、向こうもこちらを見ているものだが、バッチリと目が合った。なぜかそこでミアが満面の笑みになる。
自分としてはカッコよく、シュタっといった感じで着地してゆっくりと直立姿勢に戻れば、笑顔のミアが目の前にいた。ちょっと近いかな。
「バッチリデス。いつもの広志デスね」
「わかるのかよ」
「あったり前デス!」
謎過ぎる点検は終わったが、俺とミアの周囲を回遊するサメの距離もさっきよりは少し近いかな。
とはいえだ、こんなコトをしているのはなにも俺とミアだけではない。
武術系、スポーツ系なメンバー、具体的には先生、中宮さん、
ところでやっぱりなのだが、なんで俺の担当はミアだったのだろう。
「調子は良さそうね、八津くん」
「お、おう」
ミアがほかのメンバーを診るために移動するのと入れ替わるように、両肩に二匹の紅白サメを引き連れた綿原さんが参上した。なんか打ち合わせでもしていたみたいな交代劇だな。
「綿原さんこそ体調は良さそうだけど、サメの方はどう?」
「今のところは大丈夫そう。できれば事前に検証しておきたかったわね」
「ドタバタだったからなぁ」
綿原さんの紅白サメなのだが、珪砂の方はいいとして、魔獣の血の鮮度が問題となっている。
なにせ魔力の通りがいい魔獣の血を試したのが昨日で、しかもクーデターの最中だったのだ。
拉致された時に綿原さんが取った【血術】の性能を試す余裕は二日程あったのだが、その段階では人間の血を使っていたので、魔獣にまでは手が及んでいなかった。あとになってから取り寄せればよかった、なんていう話が出てきたくらいだ。
そんな魔獣の血を使った【血鮫】は、迷宮の床に溜まった血の海を利用することで見事総長を打倒することに貢献したのだが、補給の効かない地上での運用を考えると、どうしても保存が問題になる。
ちなみに綿原さんは床にばら撒いた砂から【砂鮫】を飛翔させることにも成功していて、むしろ『跳血鮫』は『跳砂鮫』の応用に近い。
コトがサメになると、綿原さんの努力と独創性は留まるところを知らないのだ。
「ほら、迷宮の中ならモノは腐らないでしょ?」
「地上に持ち出さない限りは、だけどな」
「そ。なんとか迷宮の中で密封とかできないかなって」
繰り返しになるが、迷宮の中にはバクテリアや細菌、そしてたぶんウイルスの類が存在しないというのは、俺たちの中での定説だ。
ついでに俺たちの体表に付いた細菌なんかも瞬時に全部ではないにしても、滅菌されている可能性が高い。腸内細菌とかについては対象外、というかこの分野については検証が難しすぎる。
そんな現象だが、アウローニヤ的には迷宮ではモノが腐らない、病に罹らないという形で認識されている。
もちろんこの国でも綿原さんの言うように、迷宮素材の地上での保存については研究されていて、一番手っ取り早いのは【冷術】を使って氷漬けにするのが確実だということになっている。
離宮の食糧庫には【氷術師】の
「血を凍らせたら、溶かすのも大変そうだもんなあ」
「それに、たぶんだけどいろいろと劣化しそうな気がするのよね」
「いろいろ?」
「成分とか魔力の通りとか」
大真面目に血の運用を語る俺と綿原さんだが、これは血生臭い会話といってもいいのだろうか。
ネタは置いておいて、輸血パックみたいなモノがあればいいのだけど、そうもいかないだろうし。
「地上では砂メインで考えるのが無難なんだろうな」
「そうね。それでもいちおう魔獣の血がどれくらいの時間使えるか、実験は続けるけど」
綿原さんの情熱は尽きない。
「やあ、おはよう」
「おはようございまーす!」
そんな朝の雑談は、シシルノさんたちが登場することで一時中断となった。
俺たちの予定だが、今日一日は完全オフだ。
それどころか今回の騒動がある程度落ち着かない限り、俺たちが離宮から出ることはない。つまりは女王様からの指示待ちということになる。
この期に及んであの女王様が俺たちを閉じ込めるようなことはないと思うが、四層での戦いに目途が立ち、十階位を目前としている身としては、もどかしさがあるんだよな。迷宮に入りたい。
◇◇◇
「じゃあ誰か、報告はあるかな?」
朝食を終えた俺たちは、シシルノさんたちも交えた朝のミーティング中だ。
残念ながらアヴェステラさんとヒルロッドさんは不在だが、それ以外の四人は途中で出入りすることはあっても、基本的には離宮に詰めることになっている。
アーケラさんは第一王子が気になるだろうし、ベスティさんとガラリエさんは女王様の身の回りが心配なはずなのに、こちらに重点を置いてくれているのが嬉しい。
シシルノさんは自由の翼を羽ばたかせて、今日も離宮に籠るのだろう。
「あの、わたしから」
「あぁ、俺から」
打ち合わせの冒頭で発言したのは、聖女な
治療方面で大活躍だったヒーラーコンビが揃って何かあるらしい。
「田村くんからどうぞ」
「なんとなく上杉と同じような気がするんだよなぁ」
出番を譲られた田村が、頭を掻いてボヤきながら俺たちを見渡した。
「技能が生えてた。【魔力受領】だ。上杉はどうなんだ?」
「わたしもですね」
二人の言葉に場が騒然とは……、ならなかった。代わりに流れるのは、さもありなんといった空気だろうか。
【魔力受領】は術師系の神授職でたまに見かける技能で、レア度はそこそこに高いが、レジェンドというわけでもない。効果としては文字通り、他者から魔力を譲り受けることができる技能だ。
ただし相手の同意が必要で、かつ効率は良くないとされているし、術師ならばほかに取るべき魔術を強化するための技能が多いので、【魔力回復】と同様に取得している人は少ないとされている。
ロリっ娘な
とはいえ候補に出せたのは、ウチのクラスでは田村と上杉さんが初ということになるのだが。
「昨日さんざん【聖術】を使いまくったからなぁ。上杉なら【聖導術】もな」
田村の言うように、出現条件には過度な魔術の使用が絡んでくるのだろう。
だったら俺の【観察】や、ほかのメンバーはどうなんだという話にもなるのだけれど。ううむ、なぜ俺には出ないのか。【魔力回復】が出るのも遅かったしなあ、俺は。
なのでというわけでもないが、ほかにも条件はありそうだし、俺にはなんとなく想像ができるのだ。
「シシルノさんはどう思います?」
そこで如才なく委員長がシシルノさんに話を振る。参加したそうな顔をしているものな、シシルノさん。
「わたしには出ていない技能だね。ベスティ、アーケラ、君たちはどうだい?」
「出てないよ」
「わたくしもです」
自分には出現していないというシシルノさんはベスティさんとアーケラさんにも確認をした。ガラリエさんに聞かないのは意地悪というわけではなく、出ていない確信があるからだろう。
「君たちは複数人数が【魔力回復】を出している。そして今度は【魔力受領】だが、そちらは初だ。さて、違いはなんだと思うかな?」
どうやらシシルノ教授による問答形式の授業が始まったようだ。
そして視線の先には、身を小さくしているメガネ女子がいる。シシルノさんのお気に入り、クラスの書記たる
ロックオンされちゃってるな。でもまあ、彼女なら大丈夫か。なにせ俺と一緒で『こっち側』の人間なのだし。
「……渇望したから。魔力が必要で、迷宮から補充するだけじゃ足りないって思ったから、ってわたしは思います」
「さすがだよ、シライシくん。加えるなら、誰でもいいから奪い取りたいというのもありそうだが、あえてそれを言わないあたりもだね」
「ちょっとそれは」
白石さんの解答はどうやらシシルノさんのお眼鏡に適ったらしい。
まあ基本だよな。魔力が欲しいという切なる願いって。この手のお話ならば定番中の定番だ。
要は上杉さんと田村の二人は、それくらい魔力を切望していたということになる。まてよ?
「あのシシルノさん」
「なんだい? ヤヅくん」
「【聖術】使い特有ってワケじゃないですよね?【魔力受領】が出てるの」
「わたしに聞くより、シライシくんの方が詳しいんじゃないかな?」
せっかくシシルノさんに話しかけたのに、俺の質問は白石さんにパスされてしまった。
資料をまとめた白石さんならば、傾向にも詳しいってことだろう。たしかにそのとおりなのだけど。
「【聖術師】に多いとは思うけど、ほかの術師もそこそこ、みたい」
で、白石さんから返ってきたのは想像どおりの答えだった。そうだよな、べつに【聖術】使い専用ってわけでもなかったはずだという俺の記憶は間違っていなかった。
そこで疑問が残る。【聖術】使いが魔力を使い切るシチュエーションは想像できるが、術師が、となるとどうなんだろう。ラノベとかで出てくる、魔力を使い切れば最大MPが増えるみたいな恩恵のあるパターンとかか?
いや、この世界にそんなルールは存在していないはずだ。ムキになって魔力を枯渇させる理由が見当たらない。
「地上で。しかも……」
「そうだ。わたしもそれに同感だよ、ワタハラくん」
なにかを思いついた綿原さんに、シシルノさんが邪悪な笑顔で同意の言葉を吐き出す。その笑みはいつものカッコ良くて悪い笑みではなく、どこか自虐を含んでいるように見える。
そして綿原さんはどこか顔色がよろしくない。あ、まさか。
「【魔力受領】を候補にしている術師たちは平均年齢が高い。シライシくん、違うかな?」
「……はい」
思わせぶりに問われた白石さんも、少し顔を俯き加減にしている。やっぱりそうなのか。
「これこそ君たちが丁寧に統計を取ってくれたお陰なんだろうね。答えはたぶん、戦争だよ」
シシルノさんのセリフが静かになった談話室にこだました。
たしかに俺たちは技能についてのデータベースを作成している。これまでのアウローニヤには無かったやり口で。
それをシシルノさんが大喜びで手伝い、読み込んでくれているのは今でも続いているし、だからこそ彼女は俺たちと共有した情報を解析することもできるのだ。
一年一組には『クラスチート』があるせいで意味が薄くなった側面もあるが、それでもどんな技能があるのか、出現条件はどうなのかを知っておくことは重要だ。
神授職、性別、年齢、リアルでの職種、できれば出現時の状況などなど、データにできそうな項目はなるだけ集めて整理してきた。主に白石さんと
「三十年前にあった『ペルメールの乱』、二十年程前まで続いていた『ハウハとの領地争い』。アウローニヤにおける直近の戦争だよ。近年ならば、帝国との小競り合いも付け加えてもいいかもしれないね」
静かにシシルノさんはアウローニヤの歴史を語る。
どちらも俺たちが必死に文献を読み漁って断片を知り、帝国に絡めてシシルノさんやアヴェステラさんが教えてくれたこの国の史実だ。
「なるほどあり得る話だよ。地上で魔力を枯渇させるような状況。戦争ならば、適合する」
もはやシシルノさんのセリフに、誰もが言葉を被せることができない。それでも言わんとしていることは、皆が気付いているのだろう。
アウローニヤにおいて、迷宮での戦闘に術師が参加することは少ない。アラウド迷宮ならば皆無といってもいいくらいだ。もちろん俺たちは例外に当たる。
そんな術師たちが駆り出され、魔力を奪い取りたいとすら思うような状況なんて、考えてみれば答えは簡単だ。それが日本の高校生にとって、非現実的なケースであっても。
「シシルノさん。わたしたちが戦争の無い国から来たことは」
「忘れるわけがないとも、タキザワ先生。すまないね、君たちが言うところの『まっど』なのが、わたしなんだよ」
「いえ、気遣いには感謝していますし、常識の違いは簡単に埋められるものではありません」
「そう言ってもらえると助かるよ」
さすがにといった感じで珍しく先生が口を挟み、それに対するシシルノさんは幾分気まずそうに言い訳をしてくれた。
マッドサイエンティストとはいっても、ちゃんと俺たちのことを考えてくれているのは重々分かっているから、それほど気にしなくてもいいのにな。単に俺たちにとって戦争っていう単語自体がアレルギーなだけなのだし。
「わたしたちが戦争に駆り出されるわけでもないし、気にすることじゃないでしょう。それにこれ、出現条件がわかりやすくていいくらいじゃない」
「だよねぇ。アタシにも簡単に出せそう」
重くなりかけた空気を中宮さんが切って捨てれば、それにチャラ子な
昨日まさに戦争の一歩手前の戦闘行為をしていたことは皆が分かっているけれど、そこはあえて無視。
ここで中宮さんが言っているのは、あくまで地上での大軍同士がぶつかる、俺たちがイメージする戦争だな。
ところで疋さん、【裂鞭士】は前衛職だからちょっと難しいんじゃないかな。いや、ウチのクラスメイトたちは前衛後衛関係なくポコポコ技能を生やすから、【魔力伝導】持ちの疋さんならあり得なくもないのか。
「あ」
そんな時に大きな声を出したのは、クラスのバッファー、元気印の奉谷さんだった。
そしてみんなが察する。
「ボクも出たよ。【魔力受領】」
「あははははっ。君たちの『くらすちーと』には恐れ入るよ」
あっけらかんと報告する奉谷さんを見て、シシルノさんは今度こそ明るく大笑いをした。微妙な表情をしていたクラスメイトたちも。ついでに旧メイド三人衆もだ。
誰かが技能を生やして出現条件がある程度絞り込まれれば、それが連鎖していく。
同色の魔力だからこその現象なのか、一年一組の『クラスチート』の恩恵は、地味だけど凄まじい。
クーデターの翌日は、思わぬ話題でゆっくりと進んでいった。
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