第92話 痛みを乗り越えよう




「はいはい。みんな落ち着いて」


 ぱんぱんと手を鳴らしながら中宮なかみや副委員長が締めにかかった。


「結局は今日と一緒でいいのよね。八津やづくんと鳴子めいこちゃんのまま。いいわね?」


「はーい!」


 元気な声が談話室に響いてこの話題はおしまいだ。


 俺としては微妙に肩透かしにあった気もするけれど、役割を与えられたことが嬉しいという気持ちが強い。今日のようなレイドバトルがまたあるかは置いておいて、訪れるものだとして準備だけは欠かさないようにしておこう。

 正式に副官となった奉谷ほうたにさんとは、分担とかを話し合っておかないとな。やると決まればいろいろ練習もしておきたい。


「まだ遠慮があったのかな」


 安心してしまった途端、呟いていた自分に可笑しくなる。


 今日の戦いで気になったこと、それをどうするか、奉谷さんに【聖術】が出たことも併せて言うだけ言ってみるか。

 ついさっきまで、話の流れの中で誰かが話題にしてくれれば、そういう状況になってから話に加わればいいなんていう傍観者みたいなコトを俺は考えていた。誰も言わなければ最後のほうで遠慮がちに発言していたかな。


 そういうのはまた今度でいい。今日はもうちょっとだけ踏み込もう。



「俺からもいいか」


 たぶん俺以外でも気にしているヤツがいるとは思うけれど、たまには自分が口火になってもいい。


「これからのレベリングの順番なんだけど、みんなはどう思う?」


「それはあるな。一層でヤレることがなくなったし」


 俺の問いかけに、まずは古韮ふるにらが反応してくれた。

 騎士職の古韮だけど、後衛の俺に合せて全体を考えてくれるタイプなのが助かる。委員長もそうなのだけど、ゲーム感覚となるとズれるからな。


「うん。全員が四階位になった以上、二層に行かないと話にならない」


 再確認の意思を込めて、俺は言葉を続ける。


 四階位から五階位へのレベルアップは一層の魔獣では成し遂げられない。

 ひたすら籠って倒し続けたとしても、どれだけ倒せばいいのか、どれくらい時間がかかるのか、資料として存在していないのだ。たぶん前例がない。



 なので俺たちは四階位を達成した段階で、一層では軽い慣らしと実戦経験、技能の熟練度上げをしてから二層に降りるというパターンを考えていた。

 今でもこの方針で間違っていないと思う。


「あえてゲーム感覚で言うなら前衛、とくにアタッカーのレベルが上がりやすいのは、もうみんなも実感していると思う」


「普通にやってたらそうなるシステムだし、それでもいいんだろうけど」


 古韮が頷いて俺の発言を肯定してくれる。

 この世界では経験値のほとんどがラストアタック、つまりトドメを刺した人間に入る以上、アタッカーのレベルが一番上がりやすいのは自明だ。

 そしてそれは決して悪いことではない。そう、把握して活用できていれば悪いことではないのだけど。


「アタッカーが階位を上げれば、魔獣を弱らせやすくなる。あとは騎士や後衛にトドメを回せばそれでいい。まあ最初のレベリングこそ後衛優先でやってきたけど、たぶん効率ならこれが一番速いはずだ。だよな、夏樹なつき


「僕に聞くかぁ。まあ、そうだと思うよ。ゲームならね」


 ゲーマーの夏樹に振ったのは念のための確認と、アイツの性格も踏まえてだ。



「そう、ゲームならな」


「……八津くんは意地悪だなあ。わかった言うよ。魔獣は怖いし、痛いのはツラい。僕はね」


 だよな。何時間も実際の戦闘をしているみんなの動きを見ていて、自然と伝わってきたことだ。

 腰が引けているヤツもいたし、ムキになるのもいた。無理をして感情を隠そうとしていた人も。


 システムがあっても俺たちは心を持つ人間で、性格がバラバラだ。パラメータで一律換算なんて、とてもじゃないけどできるはずがない。


 そんなクラスの中で、素直で自分の弱さを見せることができる一番手は夏樹じゃないかと踏んで、話を振ったんだ。悪いとは思っている。


「ごめん夏樹、言い出しにくかったかな」


「いいよ。強がってたつもりだけど、見えちゃってたかぁ」



 多かれ少なかれ、クラスの誰もに硬い部分があった。

 単なる大小だけじゃなくて、慣れるうちに硬さが取れたヤツもいたし、逆に動きが悪くなるのもいた。

 ああ、先生とミアだけは例外。あの二人は最初から最後まで変わらなかったし、そもそも一発も被弾していなかったからな。あの中宮さんですら普段とは違ったというのに、規格外すぎる。


「……なるだけ【痛覚軽減】、取っておいたほうがいいというのが俺の意見。持っている俺が言うのもアレだけど」


 心の問題は【平静】と奉谷さんや白石しらいしさんのバフでなんとか最小限にできている。問題なのは体の方だ。

 みんなの動きが明確に悪くなったのは、当たり前だけど痛みを感じた時だ。それ以外の部分は経験でなんとかしてもらうしかない。

 性格は変えようがないけれど、この世界なら痛みを和らげることができる方法があるのだから。


 つまりこれはダメージを食らうのを当たり前だと受け入れた話だ。我ながら酷い前提条件だと思う。

 ゲームならHPが削れてそれだけだが、リアルなら状況は変わってくる。それをスキルでカバーしようというのだから笑えない。



「痛みで動きが止まるのは当然のことです」


 口を挟んできたのは先生だ。場が静まり、みんなが聞きに回る。

 もうそれくらい先生は本当に大事なところで大切な話をする人だと、みんなは知っているから。


「同時に痛みを感じないのは恐ろしいことでもあります」


 いつだか先生は言っていた。痛さというのは体のセーフティであり、チェック機能でもあると。

 殴り合いに慣れた先生は、痛みの強弱、部位、種類で自分の戦闘能力を計ったという。完全に戦闘民族だな。フルコンタクト系の空手家は伊達じゃない。



「【痛覚軽減】が有効なのは理解していたつもりですが、言いだせなかったのも本当です」


 そこまで言って、先生はキュッと口元を引き結んだ。


「【平静】や【睡眠】に頼っておいて、いまさらですね。わたしも今日、みなさんの戦いを見ていて感じたのは、八津君と同じことです」


 俺のように【観察】を持っていなくても、先生はいつでもみんなを見てくれている。

 先生が浮かべた苦笑じみた表情の中には、少しだけ悲しさが混じっているような気がした。


「わたしからはそれだけです。判断はみなさんに任せましょう」



「で? 八津には案があんだろ?」


 ぶっきらぼうに声を上げたのは佩丘はきおかだ。完全に俺が提案するムードだな。


「レベリングの最優先は奉谷さん、白石さん、それと上杉うえすぎさん、かな」


「……理由は?」


 顎を軽く動かして佩丘が先を促す。


「単純に後衛で『内魔力』がギリギリなのが、その三人だからだよ」


 数値化できているわけではないけれど、前衛・後衛が各階位で得られる内魔力量と技能ごとの取得コストはおおよそが割れている。もちろん個人の感覚レベルの話なので、あくまで目安なのだけど。


 現状で技能取得にコストを一番使ってしまっているのは、実は上杉さんだ。次点で綿原さんと俺が続き、そしてミア。なんのことはない、二層に落ちたメンバーだ。

 とくに上杉さんの場合、追加で【解毒】を取ってしまったのが大きい。かといって今後は二層に向かう俺たちだ。身内に【解毒】持ちがいないのは怖すぎる。熟練を考えれば、むしろ早めに取っておいて良かったまであるのだ。



 内魔力がキツいという意味で二層転落組に続くのは先生、中宮さん、そして白石さんと奉谷さん。

 ここまで挙げた中で前衛の三人は『外魔力』がある上に、全員がバリバリの武闘派だ。放っておいても【痛覚軽減】は後回しにするだろう。


「俺は【痛覚軽減】を持っているし、綿原さんは【身体強化】がある」


「あら、わたしは後回しなのね」


「綿原さんはなんかこう、普通に強いし?」


「ひどいわ」


 綿原さんのツッコミが入るが声が半分笑っている。周りもそれに釣られているし。

 だけどゴメン、後回しなのは本当だ。


「ほかのみんなは自己判断かな。ちょっとムリをすれば、今でも取れるくらいの内魔力はあるはずだし。藤永ふじながは【安眠】にする?」


「意地悪は無しっすよ」


 ここでまた笑いが起きる。

 良かった。空気は悪くない。



「八津くん、ありがとう。わたしを気遣ってくれているんですね」


「……上杉さん」


 相変わらずの優しい微笑みを浮かべて、上杉さんが俺を見ていた。顎が軽く引かれて、それの意味するところが伝わってくる。

 ああ、バレていたのか。


「二層で痛い思いをしましたからね。どうしても怖いんです」


 やっぱりそうだったんだ。

 ところどころで上杉さんの動きがおかしかったことに、俺は気付いていた。敵の攻撃を避ける距離感が以前と違っていたような。



「わたしの階位を優先してくれるなら、嬉しいです。お願いします」


 その時だけ、上杉さんは笑っていなかった。いつも欠かさない、むしろキツい状況の時ほど笑っていた彼女は今、そうしていない。


 心の強さには種類があるということを、俺はこのクラスで学んだ。

 上杉さんの強さはいつでも不動の笑顔だと、そう思っていたのだけど、ちょっと違ったのかもしれない。


 必要な時に自分の弱さを見せることができるのも、それもまた強さだった。



「うん。美野里みのりちゃん、一緒にがんばろう!」


「わ、わたしも、がんばるね」


「奉谷さん、白石さん、ありがとう」


 三人が揃って頷きあう。うん、いい光景だな。

 どころで【痛覚軽減】ありきという俺の提案が、勝手に承認されたムードになっているけれど、それはいいのか?


「やっぱ上杉、女神かよ」


 なんか古韮は感動しているし。



「そっちの三人はそれでいいんじゃないか。俺は取らないぞ。【解毒】が先だ」


「いや田村、それは僕が」


「委員長は前衛だろう。【解毒】を取っても動きにくい」


 田村と委員長がやり合い始めたけれど、これは田村の勝ちだ。理屈を言わせたら強いヤツだからな。そういうところが佩丘とそりが合わない理由だと、最近になってわかり始めた。


「アタシはどうしよっかなぁ。雪乃ゆきのと藤永は取るんでしょ?」


「え、うん。そうしようかな」


「俺も、取るすよ。ひきっちもすよね?」


「だねー。ホントは先に【身体強化】ほしいんだけどなぁ」


 いつの間にかてんでバラバラな会話モードが始まっていた。いつものことだが委員長が呆れているぞ。先生は薄笑いだけど。



「八津くん、わたしも取るわ。【痛覚軽減】」


「え? 綿原さんも?」


「仲間外れみたいでイヤだもの」


 いや、だから、綿原さんのレベリングは後回しだと。


「あらなぎちゃん、次は【身体操作】じゃなかったかしら」


「わたしは後衛の【鮫術師】なんだけど」


 中宮さんまでエントリーだ。どうにもこの二人は張り合う感じがあるんだよな。


「なあ八津、あたしは【痛覚軽減】と【身体強化】で迷ってるんだけどさ」


笹見ささみさん、なんで俺?」


「だって【観察者】じゃない」


「関係ないんじゃないかなあ!?」



 なにか有耶無耶のまま俺の意見を汲み取った形でクラスの方針が決まってしまった感じだが、異論が出てくるようなことにはならなかった。むしろ方向性が決まって、みんながやる気になっているような。

 そこがまた一年一組らしいなと思う。


 アウローニヤに呼ばれて二十七日。三回目になる迷宮行があった一日は、雑談の中で深夜を迎えていた。


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