第171話 ヘビがくる




「アタシじゃダメじゃん!」


「相手が速すぎるんだよっ。いいから手数だ!」


 ひきさんの自虐な声が響く。状況はグタグタだった。



 大丸太ディスカッションをやって気勢を上げたのは良かったのだが、つぎに出会ってしまった魔獣は歩くヘビだった。


 アウローニヤ呼称で【多脚多眼蛇】。一メートルくらいの長さのヘビなのだが、腹側に太くて短い触手のようなうねる足がたくさん生えていて、背中にはいくつもの目が一列にならんでいる。数がわかりにくいので『多』という単語が使われているわけだ。

 速くて動きが複雑で、主な攻撃方法は体当たりだったりする。口がついていないから噛みつき攻撃はないというのが実にヘビらしくない。

 ただし背中にたくさんある目玉に触れると毒を食らうことになる。ヘビの涙には毒があるわけだ。噛みつき以外でヘビが毒を使うとか、反則じゃないだろうか。しかも足を使った小ジャンプ攻撃で。


「ぐおぇ、うぉあ……」


「今行く。座るなよ」


 まさに今さっき、毒をもらってしまった古韮ふるにらのうめき声が前の方から聞こえてくる。【解毒】をかけに【聖盾師】の田村たむらが駆け寄るのが見えた。


 素肌が出ている部分、俺たちの場合は顔だけなのだが、そこにヘビの背中がかするとアウトだ。

 毒の種類は『嘔吐毒』。猛烈な吐き気に襲われるというそれだけの毒だが、痛覚とは別の感覚のお陰で俺たちに耐性はない。まったく動けなくなってしまうカエルの麻痺ほど酷くはないが、ヘビの場合は動きが速くて変則的なせいで食らいやすいのが厄介だ。



 この部屋でエンカウントした『多脚蛇』は五体だった。

 こちらの騎士は五人。サブ盾の海藤かいとうも勘定に入れれば十分に守り切れると判断できる。


 よって俺の出したオーダーは正面衝突だ。騎士が抑えて、できればトドメも一任する。さらに余裕があればレベリング対象の笹見ささみさんに割り振りたかった。

 ヘビは三層では柔らかい部類の魔獣なので、後衛の攻撃が通るかどうか試したかったのもある。


 それが大失敗しているのが現状だ。


 柔らかいのはいい。

 だが三層の魔獣は甘くなかった。とにかく速くて動きがトリッキーで捉えにくい。二層のウサギと似たタイプではあるが、アレより遥かに速いのが厄介すぎる。



 三体までは前衛が抑え込んだが、毒を食らった古韮と野来のきの脇から流れた二体が後衛に襲い掛かってきた。


「どうすんのさ、八津やづ!」


 後衛を守るために中央に構える疋さんだけど、振るったムチは見事に空振り。

 慌てた感じで左右から綿原わたはらさんと笹見さん、藤永ふじながが駆け寄ってくるのが見えているが、これは間に合わない。夏樹なつきの石も、この速さのヘビは捉えきれないだろう。

 ヘビがなにを考えているかわかるわけもないが、どうやら狙いはうしろに控える三人、すなわち俺と奉谷ほうたにさん、白石しらいしさんだ。ヘイト概念が狂っている迷宮の魔獣は、気ままに狙いをつけてくるからたちが悪い。


「あぁぁいっ!」


 俺が戦いの方向性を見いだせないで焦っている最中、炸裂するような奇声が響くと同時に、片方のヘビが動きを止めた。倒したのか?


「先生っ!」


「もう一体です!」


 奉谷さんが嬉しそうに歓声を上げる中、ローキック一発でヘビを沈めた先生はすでに次の行動に移っている。それを追うように鬼の形相で中宮なかみやさんとミアもこちらに迫る最後のヘビを追いかけて。間に合うかどうかはギリギリか。



「ほいっ」


 そんな気軽い声は右後ろの方から聞こえてきた。これは、ベスティさん?

 イザとなれば毒を貰う覚悟で一歩を前に踏み出した俺の目の前でヘビが足を滑らせて、進路をズラしながら壁に激突する。


「ふっ」


 そこに立っていたのは金髪の騎士、ガラリエさんだ。彼女は手にした剣をヘビの胴体に突き刺し、首元をブーツで踏んづけて固定してしまった。毒を避けつつ、お手本のように完璧な無力化だ。


「ほらシライシくん。おいでよ」


「わ、わたしですか」


 そんな光景を近くで眺めていたシシルノさんが白石さんを呼ぶ。ああ、トドメを刺させる気か。


「氷は溶かしてあります。ご安心を」


 いつもの微笑みをたたえたアーケラさんが俺の足元を指さしていた。

 俺の目の前にあった氷は、水に戻るどころかすでに消えている。ヘビが迫るあの瞬間にベスティさんが水を撒いてから凍らせて、コトが終わったらすぐにアーケラさんが溶かしてどけた。ベスティさんがやったのが【水術】と【冷術】のコンビネーションで、アーケラさんのは【熱術】と【水術】だ。


 二人は城中侍女としての特殊な訓練を受けていますというパターンだろうけど、それでも後衛の七階位だ。たぶん一年一組の術師の方が動けるだろうし、たとえば綿原さんや笹見さんとかなら殴り勝つことだってできるだろう。

 だけど魔術なら話は別だ。攻撃的な魔術ではなかったが相手の行動を阻害するだけなら十分効果的で、なにより素早い。こちらの【氷術師】の深山さんが唖然としている間に、ベスティさんは冷静にやるべきことをやってのけた。


 これが熟練の術師か。



「えいっ」


 ガラリエさんに取り押さえられたヘビにオドオドと近づいた白石さんが短剣を振り下ろし、見事にトドメを刺してみせた。急所は頭部。ガラリエさんが首の付け根を踵で抑えていたので楽勝だ。なるほど、理想的なヘビの倒し方はこういう感じか。


「うん。六階位の術師でもヘビならやれたね」


「は、はい。ありがとうございます。あのっ、ガラリエさんも、助かりました」


「お役に立てたなら」


 腕を組んで頷いているシシルノさんが白石さんを賞賛する。

 検証に付き合ってくれたのは嬉しいが、シシルノさんは見ていただけだったのでは。なぜか王国組のリーダーみたいな立ち振る舞いになっているのが解せない。



「しゃあ。やったぞ」


 前衛の方から海藤の声が響いた。どうやら騎士が抑えた三体も倒しきれたようだ。佩丘はきおか馬那まな、海藤がラストアタックかな。後衛に流れてきた二体は片方が先生の一撃で、もう一体は白石さんが倒した。

 シシルノさんに言われてしまったのは悔しいが、動きさえ止めてしまえば身体強化系を持たない術師でもヘビを倒しきれるのが証明されたことになる。これはかなりの朗報だ。やり方次第で三層でも後衛レベリングか可能なのだから。



「おぉぉあ」


「ほれ【解毒】が通ったろ? もう大丈夫だ」


「あ、ああ。助かった」


 治療をする時だけ優しくなる田村に軽く背中を叩かれ、古韮は鼻水と涙でベロベロになった顔を拭いている。これって女子がくらったらマズいタイプの攻撃じゃなかろうか。

 古韮の有様を見る女子連中が心持ち引け腰になっているのがわかる。平気そうにしているのは先生とミアくらいのものだ。中宮さんですらちょっとビビりが入っているような。


 マヒ毒とはまた別の意味で厄介な。これだから迷宮は意地が悪い。



 ◇◇◇



「どう思った?」


 パチパチと薪が燃える音を背景に、俺はみんなに問いかける。


 キャンプファイヤーではない。獲れたばかりの肉を焼いているだけだ。

 三層のヘビの『足』はタンみたいな歯ごたえで、結構美味い。足なのに骨は通っていないのが不思議でならないが、形は触手みたいなものだし納得できなくもないか。

 迷宮の魔獣がさまざまな用途に使われているように、ヘビもまた素材の塊だ。ヘビ革はもちろん、足は焼肉の定番だし、もちろん胴体の肉も食べられる。死んで毒が無効化された目玉は、すり潰すと顔料として使えるらしい。今回は最低限だけを背嚢に入れておくが、本来なら喜んで丸ごと持ち帰るべきブツだ。


「速かったわ。資料では三層で一番だったかしら」


 反応が追い付かなかったと悔しそうな綿原さんが、ため息交じりにそうこぼした。

 思い思いに座っているみんなも同意のようで、お互いにボソボソと声を掛け合っている。とくに苦い顔をしているのは前衛の面々だな。動ける側の者として速さに翻弄されたのが悔しいのはわかる。

 今回の戦闘でヘビの動きに回り込めたのは先生とガラリエさんだけだったからな。


「慣れるしかないよね……。慣れるかなあ」


 石をぶつけることすらできなかった夏樹が肩を落とす。


「いやいや、こっちが本来だよな。大丸太の時が落ち着きすぎだったんだよ」


 そんな空気を吹き飛ばすように発言したのは古韮だ。毒を食らって醜態を見せたのに、だからこそ強がっているのが丸わかりだぞ。お前が言うのかを率先してやってみせる、そういうところが偉い。



「古韮に言われてもなあ」


「なんだよ、海藤だって慌ててただけじゃないか」


「そうなんだよなあ」


 そんな古韮に海藤も乗っかって、苦笑いを交わした。


「二層に落ちた時のほうがずっとキツかったデス。この程度なら全然デスね!」


 明らかな強がりを言うミアだけど、セリフと違っていつになく目が鋭い。横に座っていた深山さんがビクっと震えるくらいにだ。


「ごめんなサイ、広志こうし


「な、なにがだ、ミア」


「今回は間に合いませんデシた。つぎはやってのけマス」


 狂猛なエルフアイのままで俺を見据えたミアは、自分に言い聞かせるように宣言してみせる。そうか、俺に襲い掛かってきたヘビを止められなかったのを、そんなことを悔やんでいるのか。


「……そうか。うん、期待してる」


 ならば返す言葉はこれしかない。気にするな、などと言うつもりはなかった。

 ミアなら次はやってのける、そう思うからな。


 そんなミアに当てられたのか、古韮と海藤の自虐ネタも合せて、少しずつクラスの雰囲気が柔らかくなっていく。同時に目の輝きはギラギラと。

 空気は悪くないけど、いつの間に一年一組は戦闘蛮族になってしまったのやら。



「そろそろ頃合いですよ。食べましょう」


 そんなタイミングを狙ったかのように上杉うえすぎさんの柔らかい声が響いた。


「ヘビタン焼きです。味付けは塩だけ。こっちの世界にレモンはあるのでしょうか……」


 日本ならばオヤツくらいの時間だろう。なのに食べるのはなんというか、酒呑みの先生を泣かせるようなシロモノだ。そもそもヘビの足をヘビタンと呼ぶのはどうなんだろう。


「うん。タン塩だ、これ」


「やっぱシンプルな方がいいよ。こういうのって」


「凝ってるだけが料理じゃないってな」


 思い思いの言葉を並べながらみんなが肉を食べている。ついさっきまで死闘を繰り広げていた相手の部位なのに、俺たちも染まったものだ。



「悪くないね」


「ええ、簡素な味付けで、むしろ肉本来の──」


 シシルノさんの簡単な感想にアーケラさんが食レポを追加している。

 王城の料理といえばスパイス多用で、こういうのが出てこないからな。



 ◇◇◇



「初見であっても基本は同じです──」


「足狙い。一撃で倒せるなんて考えないで──」


 戦闘中の空間に先生や中宮さんの訓示が飛ぶ。


 三層四度目の戦闘は鹿が相手だった。それが三体。【三脚単眼鹿】と呼ばれるソイツは、前脚が二本で後ろ脚が一本、目は頭頂部に一個だけという迷宮ならではの謎生物だ。胴体のフォルムだけはたしかに鹿っぽいし、キチンと角も生えている。ただしデカイ口の上、額の中央から二股に分かれて。

 突進と角攻撃が攻撃パターンで、見た目通りという魔獣だ。三本足のせいか速さはそこそこ。前衛組なら避けることはそれほど難しくない。


 ちなみに三度目の戦闘は再びヘビが四体で、そこで笹見さんが七階位を達成した。

 さっそく【身体操作】を取得して物理力を上げた彼女は完全に綿原さんと同じ路線だな。三層で戦っていると、やはり物理最強論がこの世界のことわりなんじゃないかと思ってしまう。後衛不遇だろ、システムめ。



「うっらあ!」


「よいしょぉ!」


 佩丘と野来が元気に掛け声を発しながら、二体の鹿を抑えにかかる。残りの一体はすでに中宮さんとミアがタコ殴りにして倒しきっていた。


「とうっ!」


「えいっ」


「ホレホレぇ」


 盾組が総出で抑え込んだ二体の鹿の足や角を、メイスを持ったはるさんと草間くさまが殴る。ついでにムチでビシバシと胴体を叩いて魔力を削っているのは疋さんだ。攻撃的なデバフだな。


 後衛組は直接攻撃に参加せず、自分たちの魔術がどれくらい通用するかを模索中。夏樹の石はスピードこそまだまだだが、随分コントロールが良くなったと思う。ヘビには当てられなかったけれど、それはこれから熟練を積めばいい。



「よっし、委員長。やっちまえ!」


 三本中二本の足が折れた鹿を確認して古韮がコールする。出番だぞ、藍城あいしろ委員長。


「いくよっ! やあっ!」


 戦闘になるとちょっと声が上ずる委員長が、鹿の喉から首に抜ける角度で短剣を突き出した。

 思った以上にサックリと刺さった短剣はしっかり根本まで突きこまれていて、そのまま鹿は動きを止める。パワーのある騎士が狙ってやれば一撃で十分だな。


「よしっ」


 小さくガッツポーズ的に拳を握る委員長は、さっきの戦闘でヘビを二体倒した時も似たような感じだった。クセなんだよな。


「あ、七階位だよ」


 直後、驚いたような顔に切り替えて、委員長は階位の上昇を宣言した。うん、やっぱり三層の魔獣なら六から七階位へのレベルアップは軽い。いくら二層で溜めていたとはいえ、三層ではまだ三体目のキルなのにこれだ。



「ナイス委員長。じゃあもう一体は疋さん。いける?」


「おうさ!」


 俺が最後の一体を倒す係に指名したのは疋さんだ。騎士組はもっと殺伐とした乱戦でもイケる。後衛組は手間取ると鹿の角がちょっと怖い。本当なら【身体強化】を持ってる藤永あたりにやらせたいのだが、三層初日でそこまで冒険することもないだろう。

 アタッカーで六階位なのは疋さんだけだし、なによりここのところの彼女は明らかに動きが良くなってきている。後衛が苦しい三層の魔獣に疋さんのデバフは有効な武器になるはずだ。


「やったよ! へへっ、アタシだって、やりゃあできるんだからね」


 返り血で赤紫に染まりながらも、疋さんはニヤっと笑った。

 七階位にはまだ少しかかるだろうが、次回の迷宮では最優先のひとりだな。


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