第172話 トラブル無しなどあり得ない




「あれ?」


 鹿との戦闘を終えて階段への帰り道の途中、【忍術士】の草間くさまが声を上げた。


「ん、なるほど」


 続けてシシルノさんも。この二人が一緒になって何かに気付くとなると、魔力関連か。

 部屋を移動するたびに【魔力察知】を使っている草間は記録係の白石しらいしさんに毎回報告を欠かさない。レベリングがメインの三層ではあるが、調査をサボってイメージを落とす必要などどこにもないからな。


 そんな草間の【魔力察知】にこの部屋は、引っかかったようだ。


「クサマくん、良く気付いたね」


「へへへ」


 シシルノさんに褒められて照れている草間だが、笑っていられる状況なのか?



「少しだよ。少しだけではあるけれど、この部屋の魔力が高いんだ」


 両手を広げて部屋を見渡すシシルノさんの目は、別に輝いていない。【魔力視】を使っているのだろうけど、残念ながらこの世界の技能にそういう類のエフェクトはないのだ。【水術】に着色して散らせば、あるいは。


「それって危ない場所だってことですか? ここ」


 馬鹿なことを考えている場合ではない。俺より先に綿原わたはらさんが質問を投げてくれた。


「以前の『しゃけ』だったかな、あれ程のモノではないよ」


「そうですか」


 余裕綽々の様子でシシルノさんが断言すれば、綿原さんもホッとしたように気を緩める。


「ただし仮説のひとつ、魔力は魔獣を呼ぶという意味では、どうなんだろうね」


 続けられた言葉で場に緊張が戻った。緩めたり締めたりで精神が大変だぞ。シシルノさんの話の持って行き方はどうにも心臓に悪い。



「全体的な魔力の増加で魔獣が増えている。ここまではよかった。十分既知の現象といえただろうね」


 人差し指を上に立てたシシルノさんは教授モードに入ったようだ。ここにきて復習の時間か。


「そこで魔力の増加は部屋ごとに偏りがあることが発覚した」


 それのお陰で一層に新しい扉が出来てみたり、魔獣が一気に発生したり、そして──。


「部屋ごとの魔力の差が魔獣の移動に関連するという仮説もあるにはあった。それをほぼ実証してみせたのが君たちだ」


 そう言ってからチラリと俺に視線を向けるが、こっちを見ないでほしい。あれは俺だけじゃなくて、田村たむらと綿原さん、それから白石さんと奉谷ほうたにさんの合作だ。

 もちろん一晩である程度の形にできたのは【観察】のお陰ではあるが、実証の決め手になったのはハウーズ遭難騒動だからな。



「すまない。導入が少し長くなったね」


 苦笑を浮かべるシシルノさんだが、もっと細かく話したかったんだろうな。迷宮だからと自制できるなんてらしくないし、地上に戻ったらどうなることやら。


「君たちとも議論を交わした事柄ではあるし、ここからは再確認としよう。魔獣の移動に関わる要素は三つだ。迷宮の構造と人、これまではこの二つが大きいとされていた」


 そこにひとつ追加されているのが現状だ。


「そして部屋ごとにある魔力の差。最後のコレが昨今の問題だね。魔獣の群れを作り出してしまったわけだから」


「あの……、シシルノさん」


 迷宮委員としての責任感からか、綿原さんが再度ツッコむ。立派な態度だ。

 いくら再確認でシシルノさんが講義好きだからといって、この場であまり長く話し込むのも。


「大丈夫だよ。このあたりの区画に『群れ』は確認されていないだろう?」


「だからといって魔獣がいないわけじゃないですし」


「そうだね。ワタハラくんの言うとおりだ。ところであちらの部屋なんだが──」


 綿原さんから視線をずらしたシシルノさんの見ている先は、俺たちが来た扉でもこれから進む扉でもなく、この部屋にあるもうひとつの扉だった。


 もちろん鮭氾濫の時のように新しく出現したわけではない。俺たちのもらっている地図にもしっかり描かれている扉だし、あちらでは群れの予兆が確認されていないので、調査が後回しになっている方角だ。だからこそ俺たちはレベリングを兼ねてこのあたりを調査名目で移動しているのだから。って、まさか?



「どうやらあちらの部屋も魔力が多いようなんだ」


「……草間、わかるか?」


 ありがたいお言葉をシシルノさんから頂戴してしまった俺は、思わず草間に問いかける。


「ここからだとわかんない。【魔力視】ってすごいね」


「なに、視界が通るところだけさ」


 草間の返事を拾ったシシルノさんが【魔力視】のスペック解説を加えてくれた。


「あちらの先にある区画を調べておきたいところだが……、さすがに今の我々では、ね」


「それっぽい場所があったって、報告だけにしておきましょう」


 これまたシシルノさんらしくない自重に綿原さんは意外そうにしながらも、真っ当な意見を出す。間違いなくそれが無難だ。


「一層の時とはワケが違うよ。ミームス卿もいない上に、君たちはまだ三層に慣れていないのだから」


 俺たちへの気遣いを大事にしてくれるのは嬉しいところだ。これだからシシルノさんはズルい。



「わたしの見解としてはだ、あの程度の魔力では群れを作り出すところまではいかないと思う。もちろんその先を見てみないことには言いきれないがね」


 仮にあちら側の奥に群れが出来上がっても、せいぜいその一部がこの部屋を通りかかる程度、ということになるのか。ここから二層への階段がある部屋まではそう遠くないが、それでも直接影響がでる距離でもない。

 事情を報告だけはして、あとの判断は軍に任せるのが真っ当なやり方だろうな。ここで勇者スタンドプレーをしても仕方がない。ミリタリ系アニメで命令違反は話の華だが、俺たちは命懸けで人類の敵に立ち向かっているわけでもない。


「草間、隣の部屋は?」


「……いないね」


 怪しげな空気を醸し出す部屋には、今のところ魔獣はいないようだ。こうして距離があっても存在だけは捉えてくれる【気配察知】は本当に助かるな。


八津やづ


「ああ、行こう。階段までの最短経路だ」


 焦れたように藍城あいしろ委員長が声を掛けてきたので、すぐに返す。いつまでもこんなところにいられるか、という状況だ。とっとと逃げるに限る。



「陣形はいつものままで。草間は部屋ごとの【魔力察知】を念入りに」


「まかせて」


 いちおう三層用の警戒陣形で移動はするが、ゆっくりすぎるのも問題だ。ギチギチではなく通常レベルで十分だろう。草間のペースに合わせるくらいでちょうどいいか。


「シシルノさんもお願いできますか」


「当然だよ。そのためのわたしだからね」


 シシルノさんからしてみても、言われずともいったところだろう。彼女は七階位になってから【体力向上】を取ったせいか、それとも単にハイなだけなのか、妙に元気いっぱいだった。



 ◇◇◇



「どうしてこう、毎回こうなっちゃうのかしら」


「なんでだろうな」


 さっきの部屋から移動をはじめてまだ三十分も経っていない。部屋数なら五個目か。

 ソノ光景を見てしまった綿原さんの感想と、ため息交じりで同意する俺の図だ。


『誰かが戦ってる。二部屋向こう』


 最初に気付いたのは、当然クラス最高の斥候たる草間だった。

 これが予定経路でなければスルーしてもよかったのだけど、モロに通り道にカブっていたので手助けといった体で見物に来たわけだが──。



「羊の群れかあ。通行の妨げって意味ならわかりやすいよな、うん」


古韮ふるにら、オーストラリアで見ましたみたいな言い方はよしてくれ」


「行ったことないって」


 いちおう盾を構えて俺の前に居てくれる古韮の軽口に対して俺なりに答えたわけだが、目の前で起きている状況はほぼそのとおりだ。


 部屋には【四脚二頭羊】、通称羊が三十体ほど溢れていた。

 それに対抗しているのは七人の騎士。肩章から見るに第四近衛騎士団『蒼雷』の人たちだ。それどころかその中のひとり、背の高い金髪の女の人は。


「ねえ……、あれって、騎士団長さんよね」


 綿原さんの視線も俺と一緒のところを見ていたようだ。

 三十くらいの金髪碧眼で長身の女性、『蒼雷』騎士団長。名前は……、忘れた。知り合ったというか顔を知ったのはつい一昨日の調査会議の場が最初で最後だったし、名前など組織図の片隅で見かけたことがあるだけだ。

 女の人でも騎士団長がいるんだ、くらいの印象だったな。ちなみにというか当たり前だが女性騎士団の第三近衛『紅天』の団長さんも女の人だ。


 さて、どうしたものか。



「あー、君たちは勇者一行だな。すまない、頼みがあるのだが」


 話しかけてきたのはあちらからだった。

 手を出すなにしろ、助けてくれでも、指針を提示してもらえるのならこちらとしても助かる。どっか行けだけは受け付けられないが。


「怪我人がいるんだ。【聖術】をお願いできないだろうか」


 なるほど、そうきたか。たしかに装備を見れば七人ともが明らかに騎士だ。

 近衛騎士団に剣と大盾を持った【聖術師】などいるわけがない。


「委員長?」


「……いいんじゃないかな」


 政治が絡むとアレなので、いちおう委員長には確認しておく。

 とはいえ、どう考えても助ける場面だ。人情としても、勇者の評判としても。


 やるとなれば俺の指揮か。重たい責任だがやるしかない。



「委員長と佩丘はきおか馬那まな……、それと先生とミアで前進。それ以外は防御重視で待機」


「やっぱり僕だよね」


 俺に指名された委員長が肩をすくめるが、当たり前だろ。あんな羊の群れの中に上杉うえすぎさんや田村たむらを放り込めるか。


「【聖騎士】の出番だぞ。俺も守ってやる」


「頼むよ、馬那」


 情けない顔をする委員長を馬那が励ましている。

 馬那と佩丘は正義感が強いタイプだからな。こういう場面で前に出たがるだろう。アタッカーを先生とミアにしたのは臨機応変を期待して。



 部屋の入口付近にいる俺たちと向こうでは少しだけ距離がある。とはいえ三十メートルもないわけで、羊のヘイトがいつこちらに向くのかわかったものではない。こちらのガードは外せないから最小人数で治療に向かってもらうしかないだろう。こういう時は【聖騎士】という硬いヒーラーが強みだな。


「治しきれなくていい。騎士さんが走れる程度まで治療したら、向こうからこっちに来てもらえばいいから」


「わかってるさ」


 委員長はそれだけ言って前に向かう。やると決めればちゃっちゃとやってくれるのが委員長だ。その点に不安はない。


 見た感じ、動きが悪いのは七人中の五人か。それで三十体の羊を相手とか、よくやる。

 そもそもこのあたりの区画は比較的安全なはずなのに、どうしてこうなっているのやらだ。



「前かうしろから見てるだけなら羊なのよね」


 ゆっくりと前進していく委員長チームを見送りながら、綿原さんがボソリと呟く。


【四脚二頭羊】は名の通り二つの頭を持っている。ならば『双頭』でいいじゃないかと思ってしまいそうだがそうではない。前後に頭が配置されていて、いわゆるオルトロス・ケルベロス的なビジュアルになっていないのだ。同じく足も前後に二本ずつだが、両方ともが前脚形状になっている。前に動画で見たことのある、絶対に転ばないロボットみたいな足の付き方だ。


 キッチリと羊っぽい巻き角を持っているのだが、前後の額から一本ずつで、目も一個ずつというのも酷い。口は両方の顔に存在しているので、見た目ではどちらが前でどちらが尻なのか判別不可能だ。そもそも前後の概念があるのか、アレに。

 じっと【観察】しているからわかるが、横の動きが少ないので避けるのは難しくなさそうだけど、前後の動きの切り替えが異常に速い。突進してから、その体勢のままバックで突撃とかをやらかしている。コンビニに突っ込んだ車みたいだなと、滅茶苦茶不謹慎な連想をしてしまった。



「古韮、野来のき海藤かいとう。盾を頼む。アタッカーは中宮さんの判断で」


「おうよ」


「わかったわ」


 待機組のこちらはこちらで防御を固めておかないとな。

 盾と攻撃のベースを指示していく。


「綿原さん、笹見ささみさんはサブ盾」


「まかせておいて」


「『氷床』が効きそうな魔獣だし、こっちに向かってきたら藤永ふじなが深山みやまさんはそれで頼む」


「やるっす」


 突進タイプには『氷床』が良さげに感じる。【身体強化】持ちの藤永も盾役にしたいが、今回は【水術】の方に専念してもらおう。


「ガラリエさんたちはシシルノさんの護衛ってことで」


「はい。うしろはお任せください」


 十階位のガラリエさんと七階位の術師二人ならシシルノさんを守り切れるだろう。昨日と今日でコンビネーションに不安がないのも確認済みだ。



 そこからも全員に声をかけて行動を確認していく。

 みんな自分の役割をわかっているだろうが、こういうときの声掛けは基本だからな。


「みんな、がんばれ」


 俺の横に陣取る奉谷さんが、ゆっくり前進してく委員長たちに声援を送る。

 騎士たちからも俺たちの動きはわかっているのだろう、怪我の重たそうな人を自発的にこちらに差し向けているのが見えた。


 怪我人が多数にも関わらず、たくさんの羊を捌き続けている騎士たちはすごい動きをしている。あれは十階位どころじゃないな。本気のヒルロッドさんクラスに見える。十二か十三はありそうだ。でなければあんな状況で無事でいられるはずがない。



「届いた」


「来る、二体!」


 奉谷さんと俺の声がかぶった。

 委員長たちが怪我人のひとりまで到達したのと、羊の群れから二体がこちらに向かい始めたのがほぼ同時。


「おこぼれなのがちょうどいい。階位を上げるぞ。野来か古韮、それともひきさんかな」


「おう!」


 やっぱりこうなるかという思いが強くて動揺は薄い。

 だから俺は軽口を叩いて、みんなも元気に応えてくれた。


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