第159話 どれだけ楽しくても




「こんな感じかな」


「経路は八津やづくんが納得できてれば、それが一番だから」


 二人で地図とにらめっこをしながら俺が呟けば、綿原わたはらさんはそれをあっさり流してみせた。


「責任が重いなあ」


「わたしも一緒に被るわよ。ほら」


 色分けをして、そこに何本か経路の線を入れた地図の端に、綿原さんが自分の名前とサメのイラストをさらさらと描き込んだ。すっかり手書きサインになってしまったな。


 これにより迷宮委員二人の承認が降りたことになる。なるのか?


「軽くないか?」


「信頼しているのよ。最強のマッパーでしょ、八津くんは」


 マッパーか。俺自身前線に立って大活躍してみたいという考えをしない方だし、みんなの助けになるような仕事は嫌いではない。もしかするとこういうところが後衛職になった原因かもしれないな。本気で運動系に打ちこんだこともないし。

 前に綿原さんとの雑談に出てきたことがあるけど、父さんにもらったマッパーが主人公の小説は面白かったし、冒険者っぽくていいとは思う。役に立つところがあるだけ、最初の頃から考えれば万々歳なくらいだ。


「じゃあルートはこれで決まりね。わたしは屋台の方、確認してくる」


「おう」


 席から立ちあがった綿原さんは、すぐ隣のテーブルで出店の相談をしている上杉うえすぎさんと古韮ふるにらの方に移動した。

 俺は俺で、念のために地図の最終確認かな。


 反対側のテーブルでは野来のき白石しらいしさんが三層の情報を再確認中だ。大人しい二人がなにやらボソボソと喋っているが、ところどころで『鹿』だの『にわとり』だの『ゴボウ』とかいう単語が混じっている。シカとニワトリはわかるが、ゴボウかあ。いや、三層の魔獣だということは知っているのだけど。


 談話室にいる残りの四人は部屋の片隅で、こちらも静かに会話をしている。内容までは聞こえないが、もしかしたら滝沢たきざわ先生はメイドさんたちを警戒しているのかもしれない。

 九分九厘大丈夫だと思っていても、それでも念のためにということか。後衛で七階位のアーケラさんとベスティさんには対応できても、十階位のガラリエさんが相手だと、先生がいなかったら全員が瞬殺されるだろうからな。



 とはいいつつアーケラさんとベスティさんも舐めてかかるわけにはいかない。べつに戦うつもりはないが、俺たちとあのお二人のあいだには一芸特化という意味で階位以上の差が存在している。

 技能の熟練度。俺たちも常日頃から鍛えまくってはいるが、所詮は数十日レベルだ。ふんだんな魔力量と【睡眠】を使った夜更かしで、こちらの世界の人たちからしてみれば驚異的速度で熟練を上げているのだが、それでも年単位の修行とは比較にならない。


【熱術】と【冷術】の違いはあれど、アーケラさんとベスティさんのスキルビルドはほぼ一緒だと思われる。今の段階では立場上、全部を明かすわけにはいかないのだとか。もはや開けっぴろげにしているとはいえ、俺たちのは知っているくせに。


『七階位よ? 隠し技能なんて持つ余裕ないって』


 というのがベスティさんの言葉だが、たぶん本当だろう。ただし『隠し技能』がなくても『隠し技』はあっても不思議ではない。

 ベスティさんは軍上がりで、今は第三王女の配下っぽい。アーケラさんは貴族の出らしいが、そこから先がわからない。城中侍女なんていうのは貴族の次女三女が当たり前にいるから、アーケラさんに特段目立つ要素はないんだよな。

 共通点は『勇者の担当者』としてこの離宮にやってきたということだ。まさかランダムに選ばれたわけでもあるまい。十階位で【翔騎士】のガラリエさんは当然として、アーケラさんとベスティさんもやれるはずだと、俺たちはみている。



 技能の熟練度効果はカテゴリ次第で様々だ。たとえば魔術に関するものであれば、威力、効果範囲、消費魔力量、持続時間などが挙げられる。この辺りは【魔術強化】などのサブ技能で底上げも可能で、熟練の効果がわかりやすいジャンルといえるだろう。

 その中でもとくに重要で、俺たちが気に掛けているのが『発動するまでの時間』と『最大出力になるまでの時間』だ。


 技能は頭の中で『想う』ことで発動する。全部が全部、無詠唱ということになるな。

 まさか無詠唱だとっ!? が使えない世界だ。じつに世知辛い。


 つまり考えてからどれだけ速く効果を出現させて、最大の状態に持っていけるかが術師の力量になってくる。早口は関係ない。


 たとえばベスティさんはほぼ瞬間的に小さな氷のツブを作り出すことができる。アーケラさんなら熱湯の水滴だ。彼女たちが【水術】でそれを素早く動かすことができるとしたら、殺傷性は低くても立派な攻撃魔術といえるだろう。もちろん相手の先手を潰すことも。

 そこまでを見せてもらったことはないが、俺たちは彼女たち二人にはそれができると踏んでいる。そう思っておいたほうが無難だからだ。このあたりは先生の薫陶というやつだな。


 速い攻撃は強い攻撃に勝ることがある。先生のジャブなんかが典型だな。

 魔術の発動時間を短縮するような補助技能は見当たらない。階位上昇と【反応向上】もしくは【思考強化】あたりが間接的だが本命になるだろう。


 とにかくなにより熟練度。

 だからこそ俺たちは必死になって技能を使い続けている。



「ねえ美野里みのり、鍋はやっぱり五つほしいの?」


「すみません、お客さんがどれくらいの人数になるか。今回ばかりは『バックラー鍋』というわけにも」


「一度に捌ける量も考えないとだし、途中で売り切れはマズいわよね」


「目的を考えると、ちょっと」


 考え事をしながら地図を見直している俺の近くでは、綿原さんと上杉うえすぎさんが出店談義をしていた。


 二人の言いたいことはわかる。せっかくの炊き出し、もとい出店だ。言い方は屋台でも模擬店でもなんでもいいけど、少なくとも俺たちが店を開く場所を通る全員には食事を行き渡らせたい。

 普通の店なら売り切れゴメンで済んだとしても、今回は無料の炊き出しだ。品切れとなれば、ありつけなかった人が不満を持つかもしれない。


 素材は俺たちが狩ればいいだけのことだし、アヴェステラさんからは持ち帰れなくても好きにしていいと許可はいただいた。今回は最初から最後まで運び屋の同行も無しだからな。

 なので材料費はタダに等しい。余れば廃棄、というか迷宮に放置するだけのことだ。あとは調味料の類だが、これについてはアヴェステラさんに泣いてもらおう。


 そのあたりの最終交渉は綿原さんと上杉さんのタッグがやってくれるはずだ。今日の夕方に頼んで、明日の朝に納品とかになるだろう。


 ちなみに米料理なんてのを出す気はないぞ。アレは俺たちのものだ。



「騎士組に背負ってもらうしかないかしら。古韮くん、野来くん、やれそう? 申し訳ないですけどガラリエさんも」


「お願いします」


 綿原さんが当事者たちに声を掛けて、上杉さんも軽く頭を下げる。


「いいぜ。イザとなったら荷物は降ろせばいいんだし」


「うん。六階位になったし余力はあると思う。あとで試してみるよ」


 上杉さん直々のお願いだ。古韮と野来が断るはずがない。


「わたしはジェサル卿専属の護衛をする予定ですから、余程がない限りは大丈夫でしょう」


 ガラリエさんも快諾の様子だ。彼女は十階位なので、たとえ三層でもレベルアップはもうしない。

 そういうことなので、ガラリエさんはシシルノさんの護衛兼レベリング担当、さらにはもしもの時の予備戦力として行動してもらうことになっている。



「メニューはどうするの?」


「串焼きが無難ですね。みなさんカップはお持ちでしょうから、追加で煮込みを一品考えています」


「鉄串がたくさん要るわね。ミアの鉄矢って使えないかしら」


「さあ、聞いてみないことには」


 横から聞こえてくる綿原さんと上杉さんの会話がなんとなく面白いというか、愉快な気持ちにさせてくれる。古韮も似たようなものなのか、黙って二人の様子を伺っているようだ。


 なるほどこれは確かに文化祭前夜だな。


 同じ空間で別の作業をしながら、お互いの声が聞こえてくる。なんのことを話しているのかわかるようで、わからないところもあるのが楽しい。俺はひとりで無言だけどそれはそれで悪くないし、まるでストーブを背中に本を読んでいるときの気分みたいだ。



「八津君」


 俺が独りでニマニマしながら作業をしていたことに気付いたのだろう、先生が俺の横にやってきて声を掛けてくれた。キモかったかもしれない。


 だけど先生の言いたいことは──。


「……わかってますよ、先生」


「そうですか。楽しむことは悪いことではありません。そんな自分を責める必要はありませんからね」


「はい」


 こちらの世界が楽しいと感じてしまうのは危険だと、一年一組は毎朝確認しあっている。

 異世界が楽しいのではなく、みんなとイベントに立ち向かっているから楽しいのだと、そこを勘違いしてはいけないと、お互いに言い聞かせているのが現状だ。


 それだけではない。

 さっきまで考えていた技能の熟練度のように、この世界にはゲームのようなシステムが存在していて、それのお陰でわかりやすく自分を育てることができてしまう。ジョブがあってレベルがあってスキルがある。健全な高校生がそれにハマるなという方にムリがあると思うのだ。



 ときどき思うことがある。

 もしも召喚されたのが俺だけで、たとえば魔獣を倒して階位を上げるという当初の難関を乗り越えられたとしたら。アウローニヤが俺を勇者として扱い、衣食住を保障してくれて、レベリングまで手伝ってくれたとしたら、俺はどうなっていたのだろう。


 じつをいえばそこのところがよくわからないのだ。


 小説やアニメの主人公にでもなったつもりで、周りに気を使う善人のふりをして付け上がっていたかもしれないし、ただただ孤独に落ち込んでいたかもしれない。


 たしかなことがある。今の俺が楽しいと思えているのは、目の前の先生や近くで作業をしている綿原さんたちクラスメイトが一緒だからだ。それだけは間違いない。

 技能や階位はムリでも、全員で帰還すればこの関係だけは持ち帰ることができる。単位の関係でもう一度一年生からやり直しになるかもしれないが、それはそれで悪くないじゃないか。このメンバーで一年一組をもう一度やれるのだから。


 だから俺たちは全員で帰還する。ひとりも欠けることなく、絶対に。



「先生、俺いま、楽しいです」


「そうですか」


「ここで楽しくがんばって、戻ったらまたみんなで楽しくやりたいと、思ってます」


「そうですね。わたしもです」


 よくできましたとばかりに先生は優しく微笑んでくれている。俺は正解できたようだ。


「先生、戻ったらお酒飲めますね」


「本当に。その時が楽しみです。『うえすぎ』にしましょうか、それとも自宅で独りがいいかもしれません」


 遠い目をする先生は、たぶんガチなんだろうな。俺たちを守るために禁酒をしてくれているのが申し訳ないが、同時に先生なりに必死だというのがわかって嬉しくもなる。

 二層転落から戻ってきた日の先生の顔は、生涯忘れることはないと思う。


 こんな大人になってみたい。心からそう思うのだ。


 先生だけじゃない。今までずっと当然だからと流していたから気付いていなかったけれど、父さんや母さん、伯父さんに伯母さん、見習わなきゃならない大人の人たちがたくさんいる。もういない父さんに見せられないのが残念だけど、俺は立派な大人になりたい。



 仕事に就くとかそういうのではなく、心構えの問題だ。などと自分に予防線も張っておこう。

 ウチのクラスは将来を決めているヤツが多すぎる。プレッシャーになるじゃないか。


 それと綿原さん、俺と先生が話しているのをチラ見するのは止めてくれ。



 ◇◇◇



「こんなもんかな」


 しばらく時間が経って、地図の見直しも終わった。

 念のために迂回ルートをふたつほど追加しておいたし、あとは明日になったら最新の情報を仕入れて完成ということにしておこう。


 ここ『水鳥の離宮』は王城からアラウド湖の東側に突き出す形で建てられている。そのぶんだけ夕方が早い感じで、窓からの光は日中ほどではなくなっていた。

 夕方にはちょっと早いけれど、真昼というわけでもない時間帯だ。もう少しすれば訓練場からみんなも戻ってくるだろう。



「んー」


 なんとなく伸びをしながら窓を見た。


 そういえば最近、遠くの景色なんて見ていなかったような気がするな。

 離宮はもちろん部屋の中だし、王城もそうだ。訓練場は空が見えるけれど四方は壁で、迷宮の中はどんなに広くても体育館程度の部屋しかない。


 山士幌にいた頃は毎日の通学でしょっちゅう空と山を見ていたのに。なんなら自宅だって高台にあったから、普通に街並みや畑が遠くに見えていた。

 どうやら俺はすっかりこちらに毒されていたようだ。これはいけない。


 さっきの先生との会話ではないが、こういう小さな気付きがあった時こそ元の世界で当たり前だったことを思い出して、気持ちを切り替えるのも悪くないだろう。



 窓の傍に立ち、遠くの景色を眺めてみた。


 たしかに綺麗な風景だと思う。視界のほとんどはアラウド湖の水面が占めていて、キラキラと輝いている。遥か彼方に対岸があって、そこから先は森と山だけの光景だ。城下町とは反対側の立地なので、人工物らしい建物がほとんど見当たらないのが、それはそれで悪くない。

 それでもやっぱり山士幌の景色の方が上かな。


 などとノスタルジーなことを考えていた時だ。


 俺の頭の中に『小さな白い星』が点灯した。このタイミングで新技能だと?


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