第160話 広がる視界




「【視覚強化】って、おい」


「どうしたの? 八津やづくん」


 いきなり生えてきた技能候補に慌てた俺の気配を察知してか、綿原わたはらさんが怪訝そうな顔をこちらに向けていた。


「いやなんか、新しい技能が生えた」


「ええ?」


「マジかよ」


 この手の話題が大好きな野来のき古韮ふるにらが目を輝かせる。

 逆に先生などは、それをこの場で言ってしまっていいのかと、もにょった表情だ。メイドさんたちが一緒だからな。もちろんそんな彼女たちもそれぞれの表情でこちらに視線を送っていた。


 だけどこの技能、秘密にするようなモノではない。


「えっと、【視覚強化】」


「【視覚強化】……」


 俺の呟きを白石しらいしさんが噛み締めるように復唱する。


 技能関係の知識という分野では、この場のトップはおさげメガネ文学学級書記少女の白石さんだろう。肩書長いな。

 次点で野来のきか、古韮ふるにら、俺ってところだ。


 とはいっても、ここにいる全員が【視覚強化】という技能の存在を知っている。レア技能というわけでもないからだ。



 意外ではあるが『視覚』についての技能は【視野拡大】と【視覚強化】、あとは【遠視】と【暗視】くらいしか、まともに確認されたモノがない。【動体視力向上】といった感じの技能は見当たらないのだ。包括的に【視覚強化】が対応していて、もしかしたら【反応向上】も影響しているのではないかと俺たちは予想している。そもそも階位上昇で得られる外魔力が視力関係にも効果をもたらしているのは確実だ。


 伝説レベルになると『彼の者の瞳は天高くからすべてを見渡した』とか『森はおろか山々を越えた先を見通す目』とかそういうのが出てくるが、さすがにこれは眉唾もいいところだろう。技能風に表現すれば【視点移動】とか【透視】とかだろうか。【透視】はヤバいな。取ったヤツは社会的に死ぬ。

 俺の【観察】も当然視覚系の技能になるが、伝説にも出てこない。というか地味すぎて物語にならなかった可能性もあるな。


 要は【観察】という技能はレアどころかアンノウンだったのだ。

 俺だけでなくクラスの皆も【観察】は【視覚強化】の上位互換ではないかと考えたのも無理はない。事実として【観察】は強力な視覚系の技能だったのだから。



 資料に残されていた【視覚強化】の記載も曖昧だったのがよろしくなかった。

 いつものごとく王国にある技能の資料は物語調で、その中でも視力系は曖昧な記載が多い。【視覚強化】はモノがよく見えるようになる、【遠視】は遠くが見えやすくなる、【暗視】は暗いところでもモノが見える、程度の内容だったのだ。身体測定のようなことがされているわけもなく、威力や発動個数のようにわかりやすい指標がある魔術系でもない。要は数値化されていないタイプの技能だったのだ。視力検査くらいやればいいに。

 さらにいえば、現役で視力系の技能を持っている人が少ないというのもある。俺たちに比べて内魔力の余裕がないこちらの人からしてみれば、そんなものを取るなら身体系を取れ、術師なら術を鍛えろ、ということだ。持っているのは今回の調査で話題になった【探索士】や【捜術師】の一部だけで、単なる目のいい便利な人扱いしかされていない。


 俺たちの中に候補が出ているメンバーはいなかったが、それなりに知られていてあまり取っている人がいない技能、それが【視覚強化】ということになる。アウローニヤ的に【睡眠】や【平静】ほど酷くはないが、それでも優先度が高い技能ではない。

 一年一組ではそれなりの連中が【視野拡大】を取っているが、これはかなりイレギュラーといえるだろう。そういえば【視野拡大】はけっこうなメンバーが候補に出ているけれど、そっちはそっちでどうしてなのか。



「……もしかして、遠くを見たから?」


 それぞれが思考を巡らせていただろう中、どうやら野来は【視覚強化】の発生条件を模索していたようだ。そういうところが頼もしいヤツだと思う。


「俺もそう思った。もしかしたら階位とか【観察】を使いまくったっていう条件があるかもだけど──」


「単純な強化技能だし、階位は考えにくいかなあ。【観察】が条件なら資料に残るわけもないし、いろんな形で『モノを見る』のが条件のような」


「だよな」


 俺が適当に思いついた発生条件を言えば、野来はそれに対してポンポンと修正を入れてきた。

 誰が合っているとかではなく、こうして適当に思いついたことを言い合って、お互いに反証すれば答えに近づけるというものだ。しかも野来の言う条件なら、たぶん足りていないのは『遠くを見る』ことだけになる。


 こちらに来て以来、遠くの景色を眺めるなんてほとんどやってこなかったからな。

 訓練や魔獣との戦闘で、動体視力やら広くモノを見たり、逆に一か所に集中みたいなことは嫌になるほどやってきた。ならば残されたのは、ということだ。



「みんなでやるしかないわね」


「うん。いつでもできることだから」


 俺と並ぶように窓の傍にやってきた綿原さんと白石さんが、目を細めるようにして湖の景色を眺めている。


「綺麗よね。こうして遠くを見るのなんて、二日目の朝以来じゃないかしら」


 モチャリと笑う綿原さんの肩には【砂鮫】が乗っかっていた。マスコットキャラ状態だな。

 ついでに近くでパチパチと音がしているのは、白石さんの【音術】の仕業だろう。こんな時でも彼女たちは研鑽を怠らない。



「すぐには生えないか。野来、上杉、どうだ?」


 古韮も遠くを見ながら野来や上杉さんに話しかける。どうやら古韮はなにも出なかったようだ。


「ダメだねえ」


「わたしもです。八津やづくんくらい目を鍛えておかないと、難しいのかもしれません」


 上杉さんの言うことにも一理ある。普段から目を使いまくってきたからこそ生えた可能性だな。【身体強化】みたいに体を虐めていたら出てきた、みたいなケースかもしれない。身体系技能が出てこない【観察者】な俺だけど、普段の努力が実を結ぶ時もあるということだ。


 正直に言うと世界に認められたようで、ちょっと、いやかなり嬉しかったりもする。たとえ【視覚強化】が微妙な性能だったとしても、俺が自力で成長させたとすれば、それは立派なことだろう。



「あの……、八津君」


「先生?」


 俺のすぐうしろに立っていた先生が、とても微妙な声色で俺に話しかけてきた。どうしたんだろう。


「わたしなんですが、【視覚強化】が出ました。それと【遠視】もなぜか」


「あー、そうですよね」


 俺だけの技能、などというダサい夢は一瞬で終了してしまったが、むしろこれでいいのだと思う。本心からだぞ。

 だから先生、そんな申し訳なさそうな顔は止めてほしい。


「俺は平気ですから、気にしないでください」


「八津君……」


 先生が積み上げてきたモノは、俺なんかの数段上だ。もし【視覚強化】が出現する条件がいろいろな動きを見ることだったとすれば、とりわけ戦闘などで遭遇する近距離での素早い動きだったとしたら、先生に生えない方がどうかしている。


 これはアレだな。みんなが戻ってきたら即実験だ。

 たぶんだけど木刀少女の中宮なかみやさんと野球少年の海藤かいとうは確定だ。そしてワイルドなエセエルフのミアも。微妙なのが陸上のはるさんと、バレーバスケの笹見ささみさんといったところか。



 技能の生え方にはいろいろなパターンがある。

 神授職特有のメイン技能は最初からあるし、階位が上がって生えるケースもあった。【平静】や【高揚】は上杉さんと奉谷ほうたにさんが励ましてくれただけで出たし、体を動かしていたら【身体強化】が現れたなんてのも。【睡眠】と【平静】の複合で【安眠】が出たなんてこともあったな。


 全体的なイメージとしてはもともと内側にあった可能性、山士幌にいた頃の経験とかが、こっちの世界に来てからの行動をトリガーにしてポンと表に出てくるケースが多い気がする。今回などはまさにそんな感じだ。



「なんか、わたしも出ないと悔しいわね、これ」


 綿原さんは求めすぎじゃないだろうか。術師なのに【身体強化】と【身体操作】持ちなんだから、それ以上を目指さなくても。


「【遠視】もダメみたいだし、なにが違うのかしら」


「あ」


「どうしたの、あおい


 ブツブツとやっていた綿原さんの横で、小さな声を上げたのは白石さんだった。


「えっとわたし、【遠視】、出ちゃった」


「……どういうことかしら」


 悪気はないのだろうけど、詰め寄るのは止めてあげたほうがいいぞ、綿原さん。白石さんがビビっている。



「あ、もしかしたらだけどさ。碧ちゃんって星を見るの、好きだよね」


孝則たかのりくん」


 思いついたとばかりに野来がそんなことを暴露した。少しだけ頬を染める白石さんが野来を見つめている。なんだこれは。

 星、星か。文学メガネ少女は天体観測まで趣味にしていたわけだ。実に似合う気がする。そういえば以前にこの世界の太陽とか月の話をしていたことがあったな。


「これってミアとか、両方出るんじゃないかしら」


「うん。ただなんていうかミアの場合、魔術系が出るかどうか、そっちが気になる」


「たしかにそうかもしれないわね」


 綿原さんと二人でミアに対する共通見解が出てしまった。


 そもそもミアは動けるタイプのエルフだ。いや、エセエルフなのだが。

 俺の持つエルフイメージなら弓が得意で……、魔術も使える。あり得るな。「ワタシなんかやっちゃいまシタか?」スタイルのアイツならやりかねない。



「八津君、物は試しということで」


「先生? コレって」


 そんな想いに耽っていると、先生が自分のかけていたメガネを外して俺に手渡してきた。

 かけてみろということか。だけど先生のって伊達メガネだったはずでは。


「先生? 八津くん?」


 なぜか面白くなさそうな綿原さんが自分のメガネを外そうとしている。

 対抗しなくてもいいし、綿原さんのは度入りだから俺には合わないと思うのだけど。



 ◇◇◇



「【視覚強化】が先生と八津で、【遠視】はこれまた先生と白石だけか。こんなもんかね」


 それから少しばかりドタバタしたあと、古韮が結果を発表してくれた。ちなみに【暗視】は全滅。そもそも『迷宮は明るい』ので、出たとしても誰も取らないだろう。


 結局全員でメガネを交換してみたけれど、結果は意味なしだった。どうやら今回の技能にメガネは関係なかったらしい。白石さんのメガネは度がちょっとキツくて、くらっときたのはナイショだな。


 ちなみにメイドさんたちは情報だけを聞いて、自分たちでなにかアクションを起こすことはなかった。

 俺たちと違って長いことアウローニヤで生きてきたわけで、なにをいまさらという状況だからな。



「そこで八津だ。六階位になったら【反応向上】だったよな?」


「まあ、そうだけど」


 なぜか話を仕切り始めた古韮に頷く。


 六階位になって念願の【反応向上】を取るのが、俺としての決定事項だ。ほかの候補としては【思考強化】で指揮の判断を速くするというのも、あるにはある。


【思考強化】と聞けば頭が良くなったり記憶力がアップするとかそういうのを想像していたのだが、どうやらそうではないらしい。そこまで激しい効果があるわけではなく、瞬間的な思考加速的な技能のようで、考えようによっては走馬灯的ななにかだな。こういう表現をするとネガティブっぽいが、あれば便利であることに違いはない。



「【視覚強化】はどうするんだ?」


「ん?【観察】があるし、パスかな」


 古韮にはなにか思うところがあるのか、ちょっと悪だくみをしているような表情で俺に確認をしてきた。どうしてそこで【視覚強化】が候補になる……。まさか、あり得るのか。


「いやさあ、シナジーとかありそうな気がしないか?」


「ああうん。俺も今、そう思った」


 すぐに思いつかなかったのは【観察】が【視覚強化】の上位互換だという思い込みだ。だけどこの世界の技能には、似たタイプでも上乗せが効くケースがある。【身体強化】に【身体補強】を被せられるように。


 もしかしたら【視覚強化】も【観察】を強化できる可能性があるのではないか。とはいえ、そもそも【観察】の強化が意味不明ではあるが。

 さんざん熟練を上げてきたので、俺の【観察】はどんどんと魔力消費が減っている。発動までの時間も瞬時といったレベルになってきているし、【視野拡大】や【集中力向上】との連携も上手くいっていると思う。ここにさらにナニカを上乗せしたら……、ちょっと想像ができないな。

 これ以上見えるっていうのが、よくわからない。だが、もうひとつの可能性が。



「それにほら、派生があるかもだし」


「似たようなコト考えるよな、俺も古韮も」


「そりゃもう常識だろ」


 古韮の言う常識がどの程度一般的かはさておき、俺が想像を巡らせてしまったのは、むしろ派生技能の方だ。


 俺たちはあきらかな派生技能を知っている。【睡眠】と【平静】、両方の熟練度が上がれば【安眠】が出現するという現象だ。まだ誰も取っていないが、さぞ安らかに眠れるのだろう。藤永ふじながが欲しがっていたな、そういえば。


 それと同じことが【観察】でも起きるとしたら。



「【超観察】とか?」


「いやいや、八津のネタはちょっと古い。ここは【観察・改】だろう」


「そっちこそだろ」


 ああ、くだらない会話だ。

 だけど高揚してしまう話題でもある。【観察】が成長や派生する可能性と、その時名前がどうなるかなんていう、俺みたいなタイプの人間にはたまらなくシビれる内容だぞ。


「楽しそうね」


「ああ、アガってる」


 そんな俺と古韮を見て、綿原さんまで嬉しそうに笑ってくれていた。


「六階位で取るのかしら」


「……不確定な話だし、【反応向上】が先だよなあ」


 現実を突きつけられた俺は一瞬で素に戻る。余計なことを言ってしまったという風に綿原さんはバツが悪そうだが、ここで性能不明の【視覚強化】は冒険すぎるからな。

 だけどまあ、こんなことで落ち込むようでは異世界ではやっていけない。


「七階位でやってみればいいさ。それまでにだって、まだまだ候補が増えるかもだぞ」


 だから俺は空気を吹き飛ばすように笑いながら言ってのけた。


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