第328話 そして奇跡は起きた
「いきなりは酷ですね。
痛みで気を失うような大怪我を負っている
「【鎮静歌唱】だよね」
「はい」
「……うん、わかった」
これから上杉さんが起こすだろう奇跡を前に、白石さんの覚悟もとっくにキマっていたようだ。【魔力譲渡】要員であると同時に、べつの形でも役に立てるとなれば彼女からしてイヤもないのだろう。
白石さんが息を吸い、胸に手を当て口を開く。
『──心にもう刻まれたから。君だよ、馬那くん。馬那くんが伝えてくれた。暗闇の中で光る星を』
某アニメの替え歌を超スローテンポで含み聞かせるような内容だった。これまで白石さんが歌ってきた数々の中の歌ので一番の静かさでありながら、激情が込められているのが伝わってくる。失いたくない、戻ってきて欲しいという切実な願いが込められているのが肌で感じられるのだ。
あのアニメについて語ったことのある白石さんの非公式婚約者、
自分の想い人が他の男のために心を込めて歌う歌を、心から応援してしまう野来は大したものだと思う。もしも
本当に感服させられた。お似合いだよ、二人は。こういう信頼関係をいつか俺もだ。
「こりゃまた……」
「ここまで効果があるのなんて、初めてじゃないか」
「なんか、温かい……」
クラスメイトたちが口々に白石さんの歌に没入しているのが伝わってくる。
そうだな。これなら馬那だって大丈夫だ。
「
「わかってる。目ぇ覚ませ、馬那ぁ!」
すっかり聖女な上杉さんの助手的立場になってしまった【聖盾師】の田村が、気を失っている馬那に【覚醒】を行使した。
「ぐ、ぐあ!? ぐっ、あああぁぁぁ!」
田村の【覚醒】の応えて目を覚ました馬那が、襲い掛かる痛みに叫び声を上げる。見ていられない光景だが、騎士メンバーの
馬那の右手を握りしめる
「馬那くん、【痛覚軽減】を最大限に使ってください。白石さんの歌を聴いて心を落ち着かせて、【平静】と【治癒促進】を……」
「うあぁぁぁぁ!」
上杉さんがあえて馬那の目を覚まさせたのか、理由は明白だ。
【聖術】の効果は相手の心からの同意がある場合に最大限の効果が発揮される。気を失った相手でも、時間をかければ【聖術】を使うことは可能だ。だが今回のケースでは、ゆっくり時間を使うなどという状況ではない。
ましてや五百年ぶりに執り行われる【聖導術】だ。全ての可能性をつぎ込むという上杉さんの判断は正しい。
「ふーっ、ふーっ」
「落ち着きましたか。さすがは馬那くんです。もう少しだけ、もうちょっとだけ我慢してくださいね」
柔らかい声で馬那の目を見つめながら、上杉さんはアイツの肩口に手を添える。いまだに血が流れ、上杉さんの手を赤く染めていくが、彼女はそれをものともしない。
「わたしは今から【聖導術】を使います。わかりますね? 受け入れてください、馬那くん」
「あ、ああ。そうなのか、そうなんだな、上杉」
「ええ。身を任せて」
「頼む」
無理やり目覚めさせられたにも関わらず、馬那は上杉さんの言わんとしていることを理解したようだ。
すごい精神力に畏怖すら覚える。とてつもない痛みだろうに。それこそ【痛覚軽減】など、軽々と突き破ってしまうような。
なのに馬那は安心したかのように不敵に笑い、上杉さんに身を委ねると言ってのけた。二人ともすごい覚悟だ。
「馬那くん、【痛覚軽減】と【平静】、【治癒促進】を意識して途切れさせないでください。治ることだけを考えて。治るんですよ、こんな怪我なんて簡単に」
「ああ……、頼んだぞ、上杉」
「任せて下さい」
同色の魔力を持つ俺たち一年一組の身内同士ならば【聖術】の効果は増強される。上杉さんはさらに万全を期す形で馬那の覚醒と同意を待ってから、ついに【聖導術】を行使した。
この世界の技能にはエフェクトが存在しない。
伝説ともいわれる【聖導術】であってもそれは同じことだった。肩に押し付けられるように添えられた腕が、ゆっくりと癒着していく。
赤く染まる骨が、血管が、筋肉がジワジワと理不尽に繋がっていく光景は、アニメとかならまだしもリアルでは怖気すら誘う恐ろしい光景だ。それども、治り続けているのは確かだという実感で、希望が恐怖を上回る。
「【魔力譲渡】お願いします。わたしと馬那くんの両方に」
「うんっ」
「っす」
奉谷さんが上杉さんの背中に手を当て、藤永が馬那の腹に手を乗せて【魔力譲渡】を使う。
普段は開けっぴろげに明るい奉谷さんも、チャラい藤永も、今ばかりは真剣な顔だ。
「田村くん。どうですか?」
「【造血】は続けてる。すまん深山、俺にも魔力くれ」
「うん」
輸血という手段が取れない以上、田村の使う【造血】も生命線のひとつになる。
深山さんが田村の肩に手を乗せ、魔力を流した。
イザという時のために【聖術】が使える
なにも治療に携わっている連中だけではない。患者である馬那も含めて一年一組二十二人全員が、ただ一心に願い続けているのだ。
がんばれ馬那、上杉さん、田村、みんな。早く良くなって、こんなくだらない、人間同士の戦いなんて終わらせて、もっと真っ当に迷宮を攻略しよう。
それには頼もしい騎士、【岩騎士】の馬那が必要なんだ。
「すごいな。ここまで綺麗に魔力が流れるのか」
「シシルノには見えているのですね」
「ええ、あの場にいる彼らは、まるでひとりの人間であるかのように魔力を扱っています。もちろん姫殿下の魔力も役に立っているようですよ」
背後からシシルノさんと王女様の会話が聞こえてくる。なにげに王女アゲをするシシルノさんだけど、白々しいおべっかを好むような人ではない。王女様の魔力に効果があるのも、本当のことなんだろうな。
「むぅ……」
「おお、おお」
敵対者たちも見たことのない術の発動に、息を漏らす者や、感嘆の声を上げる人もいる。
とくに【聖術師】たちの驚愕が顕著だな。
さっきまで戦闘が行われていた広間には、不思議な一体感が渦巻いている。
味方はもちろん、総長たちも聖女の奇跡が成就される光景を見たいと思っているのだろう。これはもしかすると、アウローニヤの歴史に残されるような場面なのだから。
「接合は、終わりました。皮膚も、元通り。わたしの感触では、成功したと、思います」
体力よりも精神を削られたのだろう、上杉さんは息も荒く、途切れ途切れにだが、それでも【聖導術】の完了を宣言した。彼女の頬を一筋の涙がつたっているのは、重圧をこなした反動かもしれない。
時間にして一分か二分だろうか。馬那の腕は見た目だけなら元に戻った。戻ったのだ、本当に。
すなわちこれこそが聖女の奇跡。この世界では不可能とされてきた欠損部位の修復に成功した瞬間だった。
◇◇◇
「【治癒識別】で確認した。異常はないと思う。完治だよ、馬那。よくやったな」
「田村……」
医者モードになった田村が横になったままの馬那に笑いかける。
「【聖導術】に【造血】だ。魔力もそうだけど、栄養が足りてねぇだろ。コレでも齧っとけ」
田村が馬那に差し出したのは、迷宮二層の竹から得られる葉っぱに包まれた肉団子だった。
ここは握り飯や消化にいい食事じゃないのかというツッコミはあり得るが、むしろこの状況では肉なのだ。べつに馬那は胃腸をヤラれていたわけではない。手術開けとも捉えられるが、通常の治療とは意味が違うからな。
しかもこの一口サイズで食べられる肉団子だが、しっかりと四層の牛の素材が使われていて、レバーもふんだんに練り込まれていたりする。
こんなこともあるかもしれないという理由で、料理番の上杉さんと
「ん」
差し出された包みを見た馬那は、あえてくっ付いたばかりの『左手』を使ってそれをツマむ。
それを見た皆が息を呑むが、馬那の指はごく自然に肉団子を捉え、そのまま口に放り込んだ。
「馬那君、違和感はありますか?」
「……大丈夫そうです」
「良かった。本当に良かった」
心配そうに馬那に声を掛けた先生は、返事を聞いてついに決壊したようだ。
横になる馬那に上から抱き着き、声を上げて泣き、涙を流す。最近の先生は泣き虫だよな。
十歳年上とはいえ若いお姉さんに抱き着かれたのだ、馬那は恥ずかしそうにしながらも頬を赤く染め、男子連中からの羨ましげな視線に耐えている。
「
「ああ、良かった。本当に良かった」
白いサメを復活させた
馬那が無事に腕を取り戻したからこそ、こんな風にバカなコトを考える余裕ができたんだ。うん、本当に良かった。
だけどコトは終わっていない。むしろふりだしに戻ったと言えるくらいだ。
「せ、聖女様。聖女様なのですね、あなたはっ!」
『緑山』一行が安堵の空気になっていたそんな時、それに水をさしたのはおっさんの声だった。
誰かと思って視線を向けた先にいたのは、一連の奇跡を目にしていた【聖術師】のパード。いつの間に目を覚ましていたのだろう。アレへの攻撃を担当したメガネ忍者の
しかも上杉さんの聖女宣言から奇跡執行までのあいだ、敵方でダメージを食らっていた四人はほったらかしだ。お前らはそれでいいのか?
「なるほど、勇者というのは理解できた。ならばそこの聖女と【聖騎士】、それと【熱導師】は確実に確保しろ。他は痛めつけても構わんし、損耗も認める」
追撃となる言葉を発したのは、一連の流れを見ていた近衛騎士総長だった。
それはそうか。俺たちは一時戦意を喪失していたが、降参を宣言したわけでもない。
向こうだって勇者のご威光を受けてひれ伏すはずもないだろう。一部、感涙しているのもいるにはいるが。
ましてや傲岸不遜を絵に描いて屏風から取り出したような存在が総長という人物だ。こちらの意向など汲むはずもない。
「総長……、ベリィラントさん、でしたね」
「なんだ? 聖女だと証明をしてみせて、儂がへりくだるとでも思ったか?」
総長の言葉に従い騎士たちが動き出そうとしたその時、気勢を削ぐようなタイミングで上杉さんが口を開いた。
総長が鼻で笑うように言葉を返すが、上杉さんはまったく動じない。それどころか総長に向かって歩き始めたくらいだ。
「あの訓練場の一件以来、わたしはベリィラントさんに反感を抱いていました」
「ほう? それは残念なことだな」
「ましてやさっき、馬那くんを斬りましたね? わたしが本当に物語に登場する聖女なら、あんなことをしでかしたベリィラントさんにも許しを与えていなければいけないのに、とてもできそうにありません。わたしは聖女などではないのでしょうね」
「許す、だと……」
総長の正面に堂々と立った上杉さんが口にした言葉は、なかなかに不穏で、相手を煽る内容が含まれていた。
事実、許す主体が上杉さんの側にあるという発言に、総長の眉がはね上がる。沸点が低いだろうとは思っていたが、まあ、そうなんだろうな。
そんな上杉さんと総長のやり取りを見て、馬那や先生も立ち上がる。ほかのクラスメイトたちも、ゆっくりと体勢を立て直していく。
馬那は……、ちょっとふらついているな。血が足りていないんだろう。前線に出てもらうにはキツいかもしれない。
だけどな、表現は悪いけれど馬那は重要な役目を果たし終えてくれたんだ。安心して体力回復をできるようにしてやるから、もう少し待っていてくれ。
彼我の位置関係は馬那の治療が広間の中央付近で行われたため、北側に総長を含むベリィラント隊、南側に宰相たちパラスタ隊がいるという感じになっている。
中央には『緑山』一行だ。南北を敵に挟まれた格好なのだが、悪いことばかりじゃない。だけど護衛対象の王女様までこんな場所に来てしまっているのはどうなんだろう。
敵方の四名が未だに治療されていなのは、聖女降臨を見てしまった影響が一番大きいのがパードたち【聖術師】だというのだから相手も哀れだな。
なるほど、上杉さんはそれを理解していて自ら総長との対決という舞台を作ったのか。自分が注目の的だと理解して。
やっぱり上杉さんは狙って動いていた。ならば頼んだ。俺なんかにはできない行動だから。
聖女としての力を見せつけ、さらにはそれを利用して時間を引っ張るなんていうところまで織り込んでしまうとは、見事な策士ムーブじゃないか。
「図らずもあなたが消耗してもいい勇者だと言った馬那くんの怪我が、勝機をもたらしてくれるのです。それすらわからないのですか? 近衛騎士総長様」
「なに?」
ガッツリとネタバレをかます上杉さんだが、総長は意味を捉えかねているようだ。いいぞ上杉さん。
直後パンという小気味のいい音が広間に響き渡った。
上杉さんが自身の手で総長にビンタを繰り出し、なんとそれが相手の頬に当たったのだ。
「気は済んだかな? 聖女よ」
「ええ、そうですね」
余裕綽々の総長は、もちろんわざと上杉さんのビンタを食らったのだろう。
しかも当人が聖女でないと表明したのに、この言い草だ。そんなに肩書が重要だというのか。
総長ならば上杉さんの攻撃など、見てから余裕で躱すことができたはず。大物ぶりやがって。
それでも俺の心には、なにかこうスカっとしたものがある。そう、総長の顔に直撃をいれたのは上杉さんが最初ってことになるのだ。これはなかなかの痛快事じゃないだろうか。
「では、貴様からだな」
俺が心の中で上杉さんに喝采を送っているあいだにも、総長がゆっくりと手を伸ばし始めていた。
もちろん対象は上杉さん。立派な事案だろう、それは。
「なにしてくれちゃってるのかな~?」
つぎの瞬間、ピシャリと音を立てたムチが空を切った。やったのはチャラい【裂鞭士】の
本当は総長の腕に当てる気マンマンだったはずの疋さんのムチは、しっかりと回避されている。
ワザとらしくゆっくりと上杉さんに手を出すところも、横合いからの攻撃に素早く反応して手を引くところも、両方ともが実に総長らしいな。めんどうなおっさんだ。
「ほら上杉さん、そこまでだよ」
「あら」
腕を引いた総長の代わりとばかりに上杉さんの手を取りうしろに引いたのは、突如姿を現した【忍術士】の草間だった。
みんなの目が上杉さんの【聖導術】に集中したあたりから【気配遮断】を使っていたのだろう。みんなが動揺していた中で、見事なまでのボディガードっぷりだよ。毎度のことながら美味しいところを持っていくのが上手い。
「時間稼ぎお疲れ様。来たよ」
草間の言葉に被せるように、広間の北側の扉あたりからいくつもの騒音が聞こえてきた。
予定とはだいぶ違ってはいるものの、待ちに待った援軍の到来だ。
「わたしも一度言ってみたかったんですよ。八津くん、『ユー・コピー』?」
「『アイ・コピー』だよ上杉さん。ありがとう」
その言葉を使うべきシチュエーションかは怪しいけれど、上杉さんがお望みならばそれでいい。
さあ、第二ラウンドだ。
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