第327話 聖女を名乗る




「あ……」


 唖然としたその声は、誰が出したものだったのだろう。もしかしたら俺だったのかもしれない。


 ドサリと音を立てて馬那まなが前に倒れ込んだのが見える。大きなガタイの左肩から大量の血を流しながら。


「ぐっ、あぁぁぁあああっ!」


 普段は寡黙で大声などを滅多に出すことのない馬那が、涙を流しながら叫び声を上げている。

 常日頃から使ってきた【痛覚軽減】が意味を成さないくらいの痛みか、それとも自分の置かれた状況に対する悲しみなのか。



「あっ、あああああぁっ!」


 馬那とはまた別の悲痛な叫びを発し、滝沢たきざわ先生がアイツの下に駆け寄った。


 気付けば剣戟の音は止み、誰もが倒れ伏す馬那を見つめている。

 鼻から息を吐いた近衛騎士総長までもが、黙って状況を見守っているくらいだ。この惨劇を生み出した張本人が、静かな眼差しで馬那を見下ろしている。いや、見下みくだしているのか。


 瞬間頭に血が上るのを自覚するが、俺の足は振るえていて一歩も動くことができないでいる。俺は、なにをしているんだ。


「馬那君! 馬那君っ! しっかりしてくださいっ!」


 自らが血に汚れるのを気にも留めず先生は地べたに座り込み、馬那の傷口を手で押さえながら叫び続けている。こんなにも錯乱した先生など、初めてだ。


 いつの間にか意識を失ってしまったらしき馬那からの返事はない。

 せめてもの救いはアイツの胸が薄く上下し、小さく動く口元が呼吸をしていることがわかるくらいだ。馬那は死んでいない。死んでいないのは確かだ。


 けれど、片腕が、無い。



「あぁあ。なんで……、どうして……」


 掠れた声を出した綿原わたはらさんが俺のすぐ前で崩れ落ち、メガネの向こう側にある目から涙が零れ落ちている。どんな時でも傍に居るはずのサメは、彼女の周りに白い砂となって降り積もっているだけだ。


「馬那、お前ぇ、何してやがるんだよ!」


佩丘はきおか……」


 横たわる馬那とその横に座る先生を囲むように立ち尽くすヤンキーな佩丘が叫び、沈痛な表情をした藍城あいしろ委員長が苦しそうに諫めているのも見える。


 座り込んでしまう者、立ったまま唖然としている者。

 俺の近くならば、左側の奉谷ほうたにさんは立ったままではらはらと涙を流し、右に居る白石しらいしさんはしゃがみ込んで顔を俯かせてしまっている。


 カランと音がしたのは、立ち尽くしたミアが弓を落としたせいだ。いかに図太い彼女でも、この状況で正気を保てという方にムリがあるだろう。

【冷徹】を使っている深山みやまさんは表情こそ崩れ切ってはいないが、赤褐色い目の端からは涙が伝い、その脇にいる藤永ふじながが肩を震わせながら地面に視線を落としている。


 俺たちはもう、完全に戦闘を放棄していた。



「マナ、様……」


 王女様は沈痛な面持ちで視線を揺らし、そこに侍るガラリエさんは盾を構えたまま総長を睨みつけている。それはベスティさんとシシルノさんも一緒で、二人ともが今までに一度も見せたことのない、暗い怒りのこもった表情になっていた。


 ヴァフター隊やヘピーニム隊こそ警戒を解いてはいないが、それでも戦闘を継続するまでにはいかない。


 そんな警戒を一身に受け止める総長は、何食わぬ顔をしたまま辺りを睥睨している。

 ここで畳みかけて勇者を殲滅しようという意思は感じられない。手を下すまでもない、負け犬を見る目だ。

 少なくともそこにあるのは哀れみではない。戦闘を放棄した戦士たちに対する侮蔑だろうか。


 決着はついたとばかりに総長はただ無言で、辺りを威嚇する気迫をばら撒いていた。


 総長の心の内など、どうでもいい。

 敵側が必要としているのは第三王女の身柄と、できれば『使える勇者』の確保でしかない。なにも俺たちを殺し尽くす必要はないし、それはヴァフター隊やヘピーニム隊にも及ぶ。


 実質的に戦闘は終了し、勝者は総長だった。それだけの結果だ。

 ああ、こんなにビビって身動きもできないクセに、俺は【観察】して【思考強化】を使っている。だからどうしたというんだ。こんな力があったところで、仲間が大怪我をして、俺はなにもできないでいるじゃないか。


 せめて動け。

 何もできなくても仕方がない。それでも歩け。馬那の近くに行ってやらないと。


 俺の体はフラフラと頼りなく動き出した。



「治療……、しないと、だな」


 幽鬼のような顔をした田村たむらが馬那に歩み寄り、【聖術】を行使しようとする。


 そうだよな、せめて傷口を塞いで止血をしないと。じゃないと本当に馬那が死んでしまう。

 皮肉屋だけど理性がシッカリしている田村の行為は正しい。正しいのだけれど、それじゃあ──。


「治療って、田村君、まさか」


 馬那にとり縋っていた先生が田村の言葉を聞き、イヤイヤをするように首を振り続ける。


「そのままじゃあまずいんだよ、先生。出血を、止めないと」


「ですけど、ですけど、それはっ」


 このままでは馬那が失血死してしまうと田村は先生に語り掛けた。


 そんなことは、この場にいる全員が理解できていることだ。傷を塞がないと、このままで馬那が……。

 同時に先生が躊躇してしまう理由もわかる。わかるんだ。



 ◇◇◇



 この世界の【聖術】は万能の治癒能力を持つ奇跡などではない。


『こいつぁ迷宮に対応してるから、こうなんだろうなぁ。馬鹿馬鹿しい』


【聖術】という特別な技能については、たぶん田村が一番調べ抜いて詳細を把握しているだろう。そんなアイツが持った感想がこんな表現だった。


 外科治療と言えば大袈裟だが、要は怪我を治すという意味では【聖術】は地球の技術を超えている。

 怪我人本人の魔力を使用することになるが、簡単に言えば自分の持つ治癒力を圧倒的に高めるのが【聖術】の正体に近い、らしい。


 怪我が癒えるまでの速度が段違いであるし、本来ならば人体の機能上治らないはずの損傷、たとえば頸椎の挫傷なんていうのまで元通りにしてしまうのだ。

 田村曰く、潰れた神経は元通りにはならないし、割れた骨は複合しなければいけないはずなのに、それすら元通りに治せてしまうのが【聖術】の異常さらしい。


 だがそんな【聖術】にも弱点がある。


 まず、一部の病気を治すことができないということだ。一般的な風邪とかであれば、免疫力を高める方向で治癒を促進することができるので、この国でもそういう【聖術】の使われ方はされている。

 しかし糖尿病のような内臓疾患などは治療できない。慢性的な治癒力でどうこうできない病気はムリなのだ。そのあたり、外傷で神経が切れた場合と矛盾すると思うのだが、そのあたりが田村をして『迷宮対応』と表現させるに至った理由だ。

 逆にガンの腫瘍みたいに『手術で取り除けば』治せる病気は、たぶん対応できるのではないかというのが田村の見解になる。試したことはないが、この可能性はシシルノさんに伝えてあるので、いつかアウローニヤの人がやってくれるだろう。


 もうひとつは毒だ。

 この国では広く毒が使われている。嫌な話だが、それが現実らしい。俺も眠り薬を使われた身だし、悔しいが認めざるを得ないな。

 特徴的なのは、迷宮産の素材を使った毒は【聖術】で治療できるということだ。これは長年アウローニヤでも研究されてきて、ほぼ間違いとされている。

 俺たちの知る地上の毒、たとえばヒ素みたいなモノは【聖術】では対応できない。イザとなれば【聖術】で治療できる迷宮毒と、そうではない地上毒を状況に応じて使い分けるのが、アウローニヤにおける毒殺の嗜みというわけだ。

 これもまた田村の言う『迷宮に対応』したという表現が当てはまる。


 つまり【聖術】とは迷宮で起きる可能性がある身体の不調を癒す効果を持つ技能、と表現できるのだ。



 だけどそこには限界がある。


 ラノベとかでよくあるパターンだよ。テンプレもいいところだ。

 そう、【聖術】では部位の欠損に対応できない。


 千切れた腕や足、耳や指、潰れた目、などなど。戦争と迷宮での闘争を繰り返してきたアウローニヤで、それが研究されていないわけがなかった。

 導かれた結論としては軽微な損傷ならば治せるが、大掛かりな接合もしくは部位が消失していた場合の復元はムリというものだ。指先や耳など比較的小さい部位で、かつ切断面が綺麗であれば短時間ならば【聖術】で接合できたという事例はある。

 それでも指などについては動かしにくくなるなどという後遺症が残されるらしい。


 ましてや、腕や足ともなれば。

 今、先生が錯乱している理由がそれだ。


 馬那の腕は取り戻せない。田村の言うように切断面を治療し、これ以上の出血を防ぐのが今精一杯、できることなのだ。

 日本とまったく関係のない異世界に呼ばれ、高校生が戦いに巻き込まれ、将来は自衛官になるという明確な夢を持った男が片腕を喪ってしまう。


 どこに了承できる余地があるのか。

 もっと上手くやれていればなどと言っても始まらないし、倫理が違うのだから他者を殺してでも自身の安全を確保するのが当たり前、なんていう異世界転生理論を持ち出しても仕方がない。


 俺の頭の中では現実を直視するのを避けるかのように、理屈と激情が渦巻いている。

 なんで俺たちの異世界召喚は、こんなにもくだらないところばかりがリアルなのだろう。


「先生、落ち着いてください」


 少しだけ震えているが、それでも静かな声が響いた。



 ◇◇◇



上杉うえすぎ、さん?」


 涙を流したままで顔を上げた先生が、声を掛けてきた上杉さんを見ているが、目の焦点が合っていない。


「大丈夫ですよ、先生」


「何が、ですか?」


 優しく微笑む上杉さんの言葉に先生はうわ言のようにしか返事をできないでいる。


 だけどだ。上杉さんはこんな場面で気休めを言うような人じゃない。

 何かがあるんだ。まさか──。


「ウエスギくん、君、魔力が一気に」


 少し離れた場所で王女様と一緒にこちらの様子を伺っていたシシルノさんが、らしくもなく唖然とした表情を見せている。


 魔力? ああ、シシルノさんは【魔力視】を使って、そして驚いた。

 やっぱり上杉さん、君は。


「ええ。必要な時になって初めて取得できるなんて、そういえば古韮ふるにらくんたちが言っていましたね」


「あ、ああ」


 上杉さんの冗談が混じったようなセリフに対しても、この状況ではさすがの古韮もツッコミを入れることができないようだ。


 この期に及んでご都合主義展開などと言い出すヤツはいない。



「【聖導術】を取得しました」


 端的に結論を言い切った上杉さんは、地面に落ちていた馬那の左腕を拾い、短剣を使って器用に大盾の固定具を切っていく。


 ガランと大きな音を立てて、盾が地面に落下した。上杉さんは大切な宝物を扱うように、血にまみれながらも馬那の腕を抱きしめて歩を進める。横たわる馬那とそれに縋りつく先生の下へと。


「【聖導術】だと?」


「まさか。ありえん!」


 上杉さんの取ったあまりに自然な行動に気を削がれていたのか、動けずにいた総長と、遠くの壁に這いつくばっていた宰相が、ほとんど同時に口を開いた。

 総長は疑わしさを込めて、宰相は信じられないといった風情で。


「嘘ではありません。見たいとは思いませんか?」


 真っすぐな上杉さんの視線に射止められた総長が顔を歪めた。



 ここ、アウローニヤにおいて【聖導術】は神話の領域だ。


 いかに上杉さんが候補に出し、今は取得できる状態ではないと口にしていても、信じるも信じないも各自の判断でしかない。もはや聖女信仰みたいなものだな。

 しかし上杉さんは今、明確に【聖導術】を取得し、これから使ってみせると言い放ったのだ。誰がそれを咎めることができるだろうか。


 五百年前に現れたとされる初代勇者たちの伝説は、数多のバリエーションに溢れている。

 その中で、絶対にハズさない共通点がいくつか認められるのも事実だ。


 ひとつはアラウド湖に勇者が現れ、アウローニヤという名の国を興したこと。当たり前だが、これは前提条件であり、昔話で言うところの『昔々あるところに』みたいなものでしかない。

 そもそもアウローニヤという名前自体が、初代勇者のリーダーとされる人物、『アーサァ』だか『アウサー』に由来するという説もある。ついでに言えば勇者が終焉を迎えた聖地と自称する西の聖法国『アゥサ』なんかは名前の由来として自任しているくらいだ。


 続けての共通点は勇者が黒目黒髪を持ち、複数人数で現れたという内容で、五人とも三十人ともいわれているが、ある程度の人数で構成された集団であったのは間違いないだろうとされている。

 その中でも一貫しているのは【聖騎士】【聖導師】、さらには強力な【導師】や【剣士】、【騎士】たちの存在だ。

【聖騎士】自体はここ二百年のアウローニヤで実在は確認されていないが、神授職としては【聖術】を使える【騎士】でしかない。勇者たちのリーダーとしてどの物語でも君臨こそすれ、特殊な騎士というカテゴリーでは、それこそガラリエさんの【翔騎士】みたいなものなのだ。


 だが【聖導師】となると意味が変わってくる。

 物語に曰く『聖女ミーリャ』もしくは『ホリィ』とかいう女性は【聖導術】の使い手として、常に勇者たちのリーダーと共にあったとされている。

 勇者とセットで語られていてその中でも特別な存在、それこそが【聖導師】であり、奇跡に届く【聖術】すなわち【聖導術】の持ち主として、全ての物語にもれなく登場しているのだ。


 その存在を抜きには勇者伝説を語ることもできないというくらい、【聖導術】使い、すなわち『聖女』という肩書は巨大な意味を持つ。



「冗談ではすまされんぞ」


「構いません」


 総長が重たく再確認をしても、上杉さんの返答には一片の躊躇も含まれていなかった。


 事実上、上杉さんは聖女を名乗ったに等しい。

 近衛騎士総長と宰相、そしてアウローニヤの第三王女が居るこの場で、彼女は自称してのけたのだ。


「本当に治せるの? 美野里みのりちゃん」


「わかりません。ですが、やるしかないですから」


 力なく木刀を床に引きずりながら歩み寄る中宮なかみやさんに、上杉さんは優しく微笑んでみせる。


「先生、すみませんが」


「……頼みます、上杉さん。馬那君をよろしくお願いします」


「全力を尽くします」


 馬那の下に辿り着いた上杉さんは先生に場を譲るように言い、決意を秘めた表情で床に膝を突く。

 胸に抱いていた腕を馬那の肩に添え、そして──。



「王女殿下、【魔力定着】をお願いできますか。藤永くん、深山さん、奉谷さん、白石さんは【魔力譲渡】を順番に」


「……聖女様の願いのままに」


 声を掛けられた王女様を筆頭に、魔力タンクの役を担うメンバーが上杉さんの近くに歩み寄った。


「【聖導術】の取得で魔力をかなり削られました。行使中に回復が必要だと思います」


「うんっ、任せて!」


「やるっすよ」


「全部使ってもいいから」


「うん」


 上杉さんは【聖導術】の取得にどれだけの魔力コストを使ったのか、そしてこれからどれくらいの魔力が必要とされるのか。やってみなければわからないと言っている。


 王女様に【魔力定着】をお願いしたのも、魔力タンクたちに協力を頼んだのも、全ては万全を期すためだ。


「ウエスギ様、聖女様、【魔力定着】を行いました。こちらです」


 王女様が上位者に対するように恭しく【魔力定着】の完了を報告すれば、上杉さんは軽く頷きそこに座り直す。横たわる馬那の左側がその場所だ。


「ありがとうございます。シシルノさん、見ていてくださいね」


 そして上杉さんはさっきまでの殺気を置き忘れたように興味津々なシシルノさんに薄く微笑でみせた。この期に及んで呆れた二人だ。


「ああ、わたしの目に賭けて、見届けさせてもらうとするよ。君は成功させるんだ、ウエスギくん」


「はい」


 腕を組み胸を張るシシルノさんは今まさに【魔力視】を全開にしているのだろう。同時に励ましの言葉も忘れない。



「頼んだぞ」


「がんばれ」


「気合いだ、上杉」


「上杉さん」


「美野里……、お願い」


 さっきまでの戦いがどこかに消えてしまったかのように、クラスメイトたちが上杉さんを囲むように立ち、声を掛けて励ましていく。


「上杉さん」


「上杉、さん」


 俺と先生の声が被ったのを聞いた上杉さんが、笑みを深くした。


「田村くん、随時【造血】と【治癒識別】をお願いします。わたしは【聖導術】に集中しますので」


「ああっ、任せとけ」


 上杉さんの声に、いつもの皮肉気な口調を変えた田村は、素直に答えてみせる。医者モードに入った時より、さらに真剣な表情だ。



「では始めます。田村くん、まずは【覚醒】を」


「はぁっ!?」


 痛みと出血で気絶している馬那を、上杉さんは起こせと言う。


 どうやら聖女様の行使する【聖導術】は、なかなか凄惨な術であるらしい。

 あまりの言葉にクラスメイトたちが、別の意味で息を呑んだ。


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