第262話 告白
「みなさんはわかっているんですか?」
一年一組のみんなが第三王女のクーデター計画にどう加担するかを話していたそこに、震えた声が響いた。
「成功するかもわからない、怪我をしてしまうかも、もしかしたら命だって……」
それは俺たちもわかっている。ただ、状況が逃げることを許してくれないだけで。
「みなさんが片方に加担することで、間接的に人の命が……、奪われるかもしれないんですよ?」
うん、欠片も覚悟は出来上がっていないけれど、そのとおりだと思う。考えないようにしていただけで。
「魔獣とならばいくらでも戦いましょう。人間が相手であっても火の粉は振り払います。だけど……、だけどこれはっ!」
俯きがちに顔を伏せたまま
「事前に話し合いはしました。ケースのひとつとしてあり得るとは思いましたし、納得しようともしました……」
一度口を開いてしまえば、先生の独白は止まらない。
むしろここまで黙って見守ってくれていたのを不思議に思っていたくらいだ。先生の想いは俺たち全員にも共有できているし、その前提をもって個人個人で重さも違っているのはわかる。
「みなさんが今、無理をして強がっているのはわかっています。それはとても立派な姿勢だとも思います」
先生は立ち上がることもせずに、俯いたままで言葉を綴る。
あえて軽口を使って
先生だってそうだろうに、それでも叫び声になってしまうのは、それだけ想いが深いということなんだろうな。クラスの中で一番強い心を持っている先生だからこそこうなってしまうような選択を、俺たちは決めようとしている。
「みなさんが考え、何度も話し合い、決めたことです。わたしにも異論はありません。……対案がないんです。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
今の俺たちの力では、王城から逃げ出すことすら不可能だ。
離宮の窓から飛び降りる? 階位の力があるからといって、全員が泳げるわけでもない。浮きになるようなモノを使ってなんとか岸に辿り着けたとしても、すぐに追手がかかるだろう。逃げ出した段階で、第三王女ですら俺たちを庇護し続けてくれる保証はない。むしろあのお姫様ならば、ここぞとばかりに俺たちの弱みにつけこむのがありありと想像できる。
そもそもそこからどこに行くというのか。黒目黒髪の集団が王都をゾロゾロ歩くのはムリだ。仮にマントかなにかで姿を隠してみたところで、行く当てのない集団に何ができるというのか。
帝国は論外にしても、友好国である北のウニエラでも東のペルメッダでも、アウローニヤに通報されればおしまいだ。俺たち二十二人を保護しただけでさらなる友好が買えるのだ、こんなに割のいい話もないだろう。
西の聖法国すら、勇者を奉るという意味で相性が悪すぎる。どんな扱いになるか、持ち上げられて魔族との戦争に駆り出されるか、偽物と罵られるか、とにかくロクでもないことになる可能性が高い。
そう、帝国の侵攻が始まるまでの期間ならアウローニヤに居座るのが、一番マシな選択になってしまうのが一年一組の現状だ。
次点として迷宮に籠るという手もあるが、それは期間と結果の目途が立っている場合にしか使えない。
期限付きで、たとえばひと月迷宮に居座ったとして、捜索隊という名の追手が来るのは間違いないし、地上に戻った時点で覇権を握っているのはどの勢力だろう。迷宮の入り口、召喚の間に戻ってみれば、そこにいたのは宰相と近衛騎士総長だった、なんていうオチもあり得るのだ。
俺たちはどこかの陣営に属さなければいけないし、絡めとられたとはいえ、それが第三王女の懐であるのが、それでも一番マシだと考えている。
大反対して王女様のクーデターを止めればいいのかもしれない。だけどそれは分の悪い賭けになる。帝国の手が王都に入り込み、第一王子が引きこもった段階でコトはいっせいに動き出しているからだ。
王女様が手控えれば、そのぶん宰相たちが何かをやらかす。宰相じゃなくても、今回のレギサーみたいな連中が溢れかえっているのはわかっているのだ。ゆっくりと状況を静観などというのは、あきらかに愚策だろう。
状況は作りかけのドミノが倒されたかのごとくだ。
いつからこうなったと考えても意味はないだろう。それでも考えれば、ハシュテルが手を出してきた時か。いや、ヤツがハウーズ遭難でバカをしていなければ、じゃあ魔獣の群れがいなければ、迷宮の魔力が増えていなければ、そもそも俺たちが召喚なんてされなければ。
そういうことだ。なんてことはない、最初からこうなるべくして物事は転がって、気が付けばどうにもならないところにいる。巻き戻そうにも残念ながら【タイムリープ】なんていう技能は存在していない。
だからコレは、緊急避難に近いという理屈で、やりたくないけれどやらなければいけないこと。
先生だってわかっているのだ。わかっていても、それでも辛くて苦しいことはある。
先生は俺たちが半ばあきらめ、乾いた笑いで目を背けている現実を前に、代わりとばかりに嘆いてくれている。一年一組を想って胸を痛めながら。
隙になるのだからと、第三王女が居る前では見せられなかった、俺たちの弱さを肩代わりして。
先生にそんな打算のような思惑は無くても、結果として。
「先生、大丈夫。ボクたちは大丈夫だから」
「
輪の中から立ち上がり、トコトコと先生の下に歩み寄った奉谷さんは、座ったままの先生に抱き着いて、そう言った。
女の人としては長身の先生の上半身に、チビっ子な奉谷さんが両手を巻き付ければ、頭の位置はそう変わらない。お互いにお互いを見つめ合う体勢になる。
奉谷さんは口を大きく開けて笑っていて、そして、大粒の涙をボロボロとこぼしていた。
「クラスで一番弱っちいけど、ボクだっていろいろできるようになったんです。ちゃんと頑張るから、心配させないようにするから」
「奉谷さん……、あなたは」
「ウチのクラスのみんななら大丈夫。絶対、必ず、大丈夫」
奉谷さんは先生に【鼓舞】を使ったわけではない。ただ、言葉と態度だけで、先生と俺たちを励ましているだけだ。そこにはちっとも根拠なんてないにもかかわらず、それでも彼女は泣きながら笑っている。
この場で大丈夫という言葉を吐くのに、どれくらいの勇気が必要な行動なのだろう。俺にはとてもできる気がしない。
周囲からもすすり泣く声が聞こえてくる。
感じからしてたぶん弟系の
「
「ああ」
俺の顔を覗き込んでいる
ちくしょうめ。俺の想像していたカッコいい異世界召喚はどこにいったんだよ。
◇◇◇
「ありがとうございます。奉谷さんには元気をもらってばかりですね」
「えへへ」
数分かどれくらいかはわからないが、気が付けば先生は落ち着きを取り戻していた。
立ち上がり、見下ろす形になった奉谷さんの肩に手を置き、いつもの微笑みに戻った先生の目の端はまだ赤い。それでも、うん、先生が笑っているなら俺たちはもう大丈夫だ。
理由などどうでもいいし、立ち上がったのが誰でも構わない。なんならそれが先生じゃなくてもいいくらいだ。一年一組は誰かひとりでも前に進むことができたなら、全員がそれに付き合うことができる、そんな連中の集まりだから。
今回はたまたま奉谷さんで、先生がそれに応えただけのコトだ。
「言っても仕方のないことでしたね。取り乱してしまって、申し訳ないと思っています」
「ううん。先生はいっつも頑張ってボクたちを応援してくれてるから」
落ち着いた先生とほんわかな奉谷さんのやり取りは、談話室のみんなを落ち着かせるには十分だった。
そうして先生は改めて俺たちに向き直り深く息を吐く。まるで戦いの直前のように。
「……実はわたし、みなさんに黙っていたことがあるんです」
そこからなにかを吹っ切ったように、先生は爽やかに語り始めた。隠し事?
「先生、まさか──」
「そちらではありません」
「……そうですか」
なぜか慌てたように口を挟んできた
先生、そして小料理屋『うえすぎ』、そこでなにが起きたのか、謎は深まる一方だ。アルコールというキーワードが思い浮かぶが、それはまあ先生の名誉のために考えなかったことにしておこう。
さて、先生がここで暴露する隠し事とはどれほどのものなのか。クラスメイトたちも固唾をのんでいる。
らしくもなく先生は、ここでもう一度溜めた。
さっきまでの取り乱しについては、むしろ一年一組への想いがあったからと、こちらとしても骨身に染みているわけで、この場で先生をイジるなんてヤツはいるわけもないのだが。
一体、どんな秘密が先生から出てくるというのだろう。ついには息を大きく吸った先生は、とんでもない単語を口にした。
「『侯爵令嬢に転生したら王子様に婚約破棄されたけど、チョイ悪公爵に溺愛されて毎日が素敵なスローライフ ~わたしのチートスキルで領地開拓~』」
「……」
えっと……、先生は今、なんと言った?
全員が固まっているのだが。あ、いや、二人ほど反応した人間がいるようだ。
「最近ではそれなりに、かなり、いえ、一番のお気に入りで、続刊が出るのを待っていたのに、アウローニヤに呼ばれてしまいました。二巻ではいよいよ本格的にチートを使った極上のお酒造りが始まるようだったのですが、残念です。とても」
ここまで来ても未だ意味不明だ。だがしかし。
「わ、わたしもそれ、読みました」
白石さんが踏み込む。
「あーアレねぇ、アタシはちょっとお腹いっぱいってとこかなぁ。甘ったるくて──」
「そこがいいんです」
「あ、そうね。そうそう、そこがいいんだってアタシも思う、かな」
疋さんがチャラくなにか感想らしきコトを言ってみたようだが、先生は一刀両断だ。ビクっとした疋さんは、慌てて話を合せにいく。
あー、うん。見えてきた。チラリとお仲間の古韮を見れば、アイツも俺を見ていて、お互いに頷く。やっぱりそうか。
「わたしはラノベが好きです。とくに転生令嬢溺愛モノですね」
先生の暴露は続く。
皆がなぜ今ここでなのかを理解できないままだが、それでも先生は欠片の気恥ずかしさも見せず、むしろ誇らしげに自分の趣味を語り続けた。
それを見ている俺はなにかこう、ちょっと嬉しくなっているのだ。だってそうだろう、先生が『こっち側』だと知れたのだから。
たぶん瞳を輝かせて先生を見つめている俺の視界を遮るように、白いサメを横切らせている綿原さんに心の中から語り掛ける。
日本に戻ったら、俺なりに段階を踏んでお勧めのアニメやマンガ、小説を教えるからさ、代わりに君からは抑えておくべきサメ映画を紹介してもらえると嬉しいかな。最初は初心者でもついていけるようなマイルドなヤツから。できればあまりグロくないのを。
日本。そうか、日本か。
「平日は仕事を終えたらコンビニ経由で自室に戻り、お弁当を食べ、ビールを飲みながら読書をするのがわたしの趣味です。綿原さんの家にはお世話になっています」
最早自虐系に感じるような先生による私生活暴露だが、聞いているみんなはそれを気にした風ではない。
だけど先生、サコマの常連だったのか。
「週末、金曜日か土曜日は『うえすぎ』でちょっとだけ高い日本酒を飲むのが毎週の楽しみですね」
『うえすぎ』に通っていたとは聞いていたが、毎週の楽しみだとまで言い切る。そこには開き直りにも思える自負があった。
そうなんだ、先生は過去形を使っていない。
「それでも朝は得意な方ですから、早朝のジョギングは欠かしていません。最低限のコンディションは維持しておかないと、すぐに衰えてしまいますから」
ストイックなのか自堕落なのかわからない生活パターンを聞かされているのに、なぜ中宮さんは瞳を輝かせているのだろう。さすがに贔屓が過ぎないだろうか。
「みなさんもご存じの通り、書類仕事は得意な方ではありません。まだまだ新米ですからね、ほかの教師の方々からは教わることばかりです」
訥々と語り続ける先生は、なにも気が触れたワケではない。
ごく自然に、当たり前な自分の生活を、かなり詳し目な自己紹介風に並べているだけだ。
「みなさん、わたしの授業はわかりやすいでしょうか」
「はい!」
「うーん、まだ二時間だけだったしなあ」
「夏樹も夜の勉強会に参加すればいいだろ」
「発音はワタシの方が上手デス」
微笑みながら語りを締めようとしている先生に対し、みんなが好き勝手に返事をする。ミアはネイティブレベルなんだから、そこは配慮してあげないと。
「わたしのように毎日が普通で、たまに刺激的なイベントが混じる、そんな日々をみなさんもそれぞれ送っていたはずです。取り戻したいと、思いませんか?」
先生の瞳には、もう一点の曇りも存在していなかった。ひたすら真っすぐに、俺たちを見据えている。
「みなさん。こんな情けない姿を見せたわたしが言うのも気恥ずかしいですが、全員、誰一人欠けることなく、山士幌に帰りましょう」
「はい!」
夜の離宮に先生一人と生徒二十一人の声が響いた。
俺も日本で、山士幌でやりたいことがたくさんある。最近ではそれが増えた。
普通に学校に通って、そこそこの成績を取って、夏休みには
せっかくクラスの連中とここまで仲良くなれたのだ、古韮や
夏樹とゲーム談義もしたいし、草間ともイラスト勝負なんていのもアリだ。
女子と交流するのはちょっと気恥ずかしいけれど、まだ行ったことがない、噂の『うえすぎ』で食事はしてみたいかな。その小料理屋は奥から聖女が飛び出してくるらしいし、家族と一緒でも、仲間たちとでも楽しそうだ。
学校帰りに自転車を走らせて、サコマで買い物をして、心尋にアイスを土産にしてやろう。
ほかにお客がいなければ、そこで店番をしているはずのメガネが似合う彼女と少し、会話もできるかもしれない。
まだまだいくらでも出てくるぞ。やりたいことがたくさんじゃないか。
転校してから間もないのに、こうしてクラス全員と友達になれたんだ。そのぶんやりたいことが増える一方じゃないか。
「日本に、帰りましょう。この世界に立ち向かって」
こっちの世界ではなく、山士幌で。
「ありがとうございます。この世界の現実に、事あるごとに心を乱しているわたしを救ってくれているのは、間違いなくみなさんです」
「先生……、そんなこと」
「いいんですよ
軽く頭を下げた先生を見て、振り絞るように中宮さんが発した言葉は軽く流された。
「みなさんが一緒だったからこそ、わたしはやってこれました。ひとりだったらどうなっていたか」
ああ、先生も俺と一緒だったのか。同じことを考えているのは、もしかしたらここにいる全員なのかもしれない。
「先生、俺も同じこと思ってました」
「わ、わたしもです」
古韮と白石さんは異世界モノを知っている側だから、逆にキツかったのかもしれない。俺もそうだし。
「もうさあ、難しい話は明日の朝にして、ここからはダベりでいいんじゃないかな」
最後にアネゴな笹見さんが大きく笑ってそう提案すれば、反対するヤツはひとりもいなかった。
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