第373話 君の見たものを:【石術師】酒季夏樹




「うああぁぁっ!」


八津やづくんっ!? 八津くん!」


 叫び声を上げた八津くんがその場に崩れ落ちるようにしゃがみ込み、慌てて綿原わたはらさんが駆け寄り名前を呼ぶ。


 普段の二人からは想像もできないような変わり様に僕はどうしたらいいのかわからず、ただ立ち尽くすだけだ。

 さっき少しのあいだだけ八津くんが指差していた場所、そこに何かがあるのかもしれないけれど、技能を持たない僕にはただ普通に床があるようにしか見えない。


「あいつっ、総長って言ってなかったか?」


「まさか……、マジかよ」


 すぐ横から大柄な佩丘はきおかくんと野球好きな海藤かいとうくんの会話が聞こえてくる。


 総長って……、近衛騎士総長のこと!?

 みんなで必死になって、落とし穴に突き落として、やっつけたって思ってた、あの総長が?



「八津くんっ! 落ち着いて、お願いだから。大丈夫だから」


 泣き声になりながら、綿原さんは八津くんを落ち着かせようと声を掛け続けている。


 だけどうずくまって顔を伏せてしまった八津くんは動かない。


白石しらいしっ、【鎮静歌唱】だ。奉谷ほうたには【鼓舞】!」


 ちょっとだけ太っちょな田村たむらくんが声を張り上げて指示を出した。


「八津おまえ。【平静】使ってんだろうなあ!?」


 続けて田村くんは念を押すけれど、八津くんはやっぱり動かない。

 気を失っているとかではなくって、なんていうんだっけ、そう、自失呆然だ。


『キラリ、光る、星の雨──』


「八津くんっ、元気になって!」


 白石さんが歌い始めて、奉谷さんが八津くんの肩に手を乗せる。


【鎮静歌唱】と【鼓舞】の両方いっぺんは、僕たちが迷宮に入り始めた頃に何度か試したことがあるやり方だ。自分で【平静】を使うのも合せたら、心を落ち着かせながら勇気を奮い立たせたような気分になれる。


 ビクリと体を震わせた八津くんが、ゆっくりと顔を上げていくけれども顔色が酷い。

 普段を見慣れているせいで、真っ白なんじゃないかっていうくらいに血の気が引いているのが誰にでもわかってしまう。


「八津くん……」


 自慢のサメも出さずに、綿原さんは八津くんに軽く抱き着いたまま、ハラハラと泣きっぱなしだ。


 大人のみんなを見渡してみても、誰も動くことができないでいる。

 どうしようもないから、なのかな。何かできることがあったら滝沢たきざわ先生が真っ先に動いているはずだから。


 掛ける声すら見つからないで困っている大人たち。

 普段だったら魔力の質問をしてしまいそうなシシルノさんですら、痛ましい顔をして八津くんを見つめているだけだ。


 八津くんは総長の死体……、じゃなくって、たぶん迷宮に吸われていく影が見えてしまっている。今もそこに。

 僕たちには見えなくて、八津くんだけが。


 想像をしてみて、ゾッとする。

 八津くんの立場を自分に入れ替えてみたらどうだろう。誰にも見えていないモノが自分にだけ見えて、しかもそれが死んだ人の形……。形だけじゃない。そこには本当に人がいたはずなんだ。総長が。


 クーデターの前に先生が言っていた、僕たちが人を傷つけて殺してしまったり、間接的でも誰かの命を奪うことに繋がる可能性。

 僕たちは近衛騎士総長を五層に突き落とした。そうしなかったら一年一組は負けていて、今頃どんな扱いをされているかわからなかったから。


 僕たちが、総長を。

 しかも最後の一撃は僕だったっていうのに。



「八津くん、念のために【治癒識別】と【解毒】を掛けます。受け入れてもらえますね?」


「……ああ、ああ。頼む」


 僕がそんなコトを考えていたら、クラスのお母さん役の上杉うえすぎさんが八津くんの傍にしゃがんで、優しく微笑みかけていた。曖昧な返事をする八津くんの声は掠れきっていて、聞き取るのが難しいくらいだ。


 八津くんの状態が迷宮の影響を受けてっていうなら、【解毒】で治すことだって……。けれどみんな、そんなの気休めだってわかっているんだろうな。

 それでも上杉さんがそうするのを見て、みんなが自分たちにできることを考え始めたようだ。声をかけるなり、行動するなり、こういう場面で使える技能がないかを考えてみたり。


「ま、【魔力譲渡】とか、ダメっすかね」


「いや、それなら【奮戦歌唱】の方がまだ」


「【鎮静歌唱】の最中っすよ」


「そうだった」


 なよっとした藤永ふじながくんが無理やりこじつけたようなコトを大柄な馬那まなくんと話しているけれど、それはちょっと強引だと思う。ここは精神系技能じゃないと意味がない。

 そうなると、白石さんか奉谷さんになるんだけど、それはもうやってるところだし……。


 女王様の【神授認識】ならもしかして。ムリ、だよな。

 僕の持っている技能に、ほかの人の心になにかできるものなんてない。いくら石を飛ばせて、魔獣を倒せるようになって、いい気になっていたって。


 僕にできることって、なんなのかな。



「……」


 少しして八津くんの肩から手を離した上杉さんが黙って首を振った。


 技能がどんな効果を及ぼしたかは、使っている側もわかるんだ。上杉さんは【治癒識別】を使った時点でもう、八津くんは怪我をしていないし、迷宮由来の状態異常にもなっていないってわかってしまったんだろう。


「あ……、薄く、なってる?」


 また意味のわからないコトを言い出した八津くんの声は、あきらかに震えていた。


 白い顔をしたままで床を見つめながら、目を見開いている。

 薄くって、まさか。


「やめろ八津! もう見るな!」


「ちょっと、ちょっと待てよっ!」


 仲良しな古韮ふるにらくんが叫ぶけれど、八津くんは聞こえていないみたいに声を荒げるばかりだ。


「消えてくなよ。ダメだよ。何にも残らないなんて。そんなの……」


「吸われてる、のかよっ」


 自分の声が届かないと悟った古韮くんが、悔しそうに両手を握りしめている。


 そっか。魔力が薄くなって、床と一緒になって、それが迷宮に吸われてしまうってことなんだ。

 そんな光景を僕たちは見ることができなくて、八津くんだけが。


「やめろよ、迷宮っ!」


「もうダメよっ、八津くん! 見ちゃダメ!」


 叫ぶ八津くんの目を覆うように、綿原さんが体ごと抱き着いた。

 両手を八津くんの頭に回して、覆いかぶさって。


 八津くんだけじゃなく綿原さんまで半狂乱になってしまって、胸が締め付けられるように痛い。どうしてこんなことに。



「ボクが【平穏】、取るよ」


「まって、奉谷さん」


 目に涙を溜めた奉谷さんが【平穏】を取ると言い出すけれど、藍城あいしろ委員長がいつもより低くなった声でそれを押し留める。


「落ち着け、落ち着け……、落ち着け、藍城真あいしろまこと。……八津の苦しみは時間をかけてみんなで励ませばいい。奉谷さんは今、魔力を温存しておいたほうが、いいと思う」


「だって委員長……」


 委員長が言っているコトは正論だ。だから奉谷さんも理屈で言い返せないでいる。

 それに委員長だって泣きそうで辛そうな顔をしているんだから。


【奮術師】の奉谷さんが候補に持っている【平穏】は【鼓舞】の対になる技能で、気持ちを落ち着かせる効果があるとされている。

 なぜ奉谷さんがこれまで【平穏】を取得していなかったかといえば、全員が【平静】を取ったのと、【騒術師】の白石さんが使う【鎮静歌唱】があったからだ。


 十階位の奉谷さんは、一番魔力が心配されていた上杉さんが十一階位になったところで、栗毛の深山みやまさんと並んで魔力不足が深刻な仲間だってことになる。

 委員長はそれを理解しているから奉谷さんを止めたし、誰もそれに反対しないのはそういう状況がわかっているからだ。



「女王陛下」


「なんでしょう、アイシロ様」


「申し訳ありませんが、今回の迷宮はここで中断にして、すぐにでも地上に戻りたいと考えます」


 八津くんと綿原さんの方をそっと見てから女王様に向き直った委員長は、迷宮を終わりにしようと言い出した。


 あんな状態の八津くんを抱えたままで迷宮に居続けるのは、問題外だ。

 委員長の言うように時間が解決してくれるのだとしても、迷宮の中でそれを待つのは間違っているというのは、僕もそう思う。


「もちろん構いません。シシルノはどうですか?」


「わたしは常に勇者の味方ですよ。彼らの心身を害するような行動など、あり得ませんな。撤退に賛同いたしましょう」


 撤退自体は当たり前だと思っていたのだろうけど、女王様は念のためにシシルノさんに確認をする。


 今の僕たちがここに居る理由、全部がシシルノさんのためだとは思わないけれど、魔獣が現れるかどうかの実験中だったもんな。

 結果を確認しないで立ち去ると言われたのに、シシルノさんは当たり前みたいな顔をして賛成してくれた。やっぱり僕たちが知っているシシルノさんはこういう人だ。良かった。


「そうですか。では、急ぎ地上へと戻りましょう。ここからの指揮は……」


「ダメ。八津くんは今、ムリよ。ムリ……、です」


 この先の指示を出すのは誰なのかと女王様が辺りを見渡し、目が合った綿原さんが八津くんはムリだと取り乱しながら伝える。



「あり、がとう、綿原、さん」


「八津くんっ!?」


 途切れがちな声を聞いてびっくりした綿原さんが、抱えていた八津くんの頭を開放した。


「俺は、ムリです。ごめんな、さい」


「いいのです。ヤヅ様は立派に戦っているのですから」


 自分の口から指揮なんてできないと言った八津くんを見る女王様は、深く頷く。そこには怒りや嘲りは欠片も感じない。

 女王様の言うように八津くんは今、戦っているんだ。


「パターンは、二十のC。ミームス隊は、とにかく女王様たちを、護衛。一年一組は、騎士を、藤永。中衛と、術師をひき、さん。最後衛と、ヒール管理、全体は、奉谷さん」


 今にも倒れそうな顔色をした八津くんが綿原さんの肩を借りて立ち上がりながら、たどたどしく指示を出していく。


 緊急パターン二十のCは八津くんが動けなくなった状況でどうするかの符丁だ。


 みんなで話し合って、クラスメイトの数だけ、先生のゼロから綿原さんの二十一まで番号を振ってあって、それぞれどうするかをある程度だけど決めてある。

 迷宮の中で八津くんという指揮官が身動きを取れなくなる二十番が一番厄介で、本人はその中からパターンCの分割指揮を提案してきた。


 同じ迷宮委員で副官的に綿原さんが関わることになっているパターンAとBじゃないってことは……。

 綿原さんも不安定だって八津くんはわかっているんだね。


 そんな有様なのに綿原さんをわかっていて、みんなを見ていて、自分がダメになっているのに正直になれる八津くんは、とても立派だよ。



「了解だよ、八津くん。ボクは大丈夫! やれるよ!」


 全体の面倒を見るのが役割りになる奉谷さんは、目の端に涙を浮かべながらも元気に言い切った。


鳴子めいこと八津がそう言うなら、アタシがダメなわけないじゃん」


「お、俺も、やるっす!」


 続けて指名された疋さんは気軽に、藤永くんは必死の形相でやるって言い出す。


 やっぱりみんな、頼もしい仲間たちだ。


「じゃあボクからだね。ミームス隊はガラリエさんと一緒に女王様たちを一生懸命守って!」


 きゅっと両こぶしを握り締めた奉谷さんが、ムリしてるのがわかるけど、それでも元気な声で指示を出し始めた。


「一年一組のことは気にしなくていいから、とにかく絶対守って、くださいっ!」


「わかった。対象は陛下とシシルノ、アヴェステラ、ベスティ、アーケラ、それでいいんだね」


「はいっ!」


 ヒルロッドさんが覚悟を決めた表情で奉谷さんの依頼を受け取る。

 ミームス隊のやることは、この中で一番動きが遅い五人の護衛だ。しかも女王様とアヴェステラさんは超重要人物。これからのアウローニヤのことを考えたら、絶対に守り通さなきゃならない。


なぎちゃんはイザとなったら八津くんを抱えてでも走って。絶対に放しちゃダメだからねっ」


「わかった。絶対に放さないわ」


「うんっ」


 ふらふらの八津くんに寄り添うのは綿原さんに任せるみたいだ。


 本当だったら前衛職の海藤くんあたりがいいのかもしれないけれど、それでもなんだろうな。

 その証拠に綿原さんのサメが一気に三匹も復活したんだから、奉谷さんの判断は間違ってない。



「二人の護衛は、えっと」


「ワタシがやりマス!」


「俺もだなあ」


 そんな八津くんと綿原さんには護衛が必要なんだけど、人選に迷った奉谷さんの答えを待つまでもなく、ミアと海藤くんが名乗り出た。とくにミアの気合がすごい。

 やっぱりミアって……、それはこの場で考えることじゃないか。


「じゃ、二人に任せるね。それと先生は──」


「先陣、ですね」


 ここまで暗く俯いていたけれど、奉谷さんに呼ばれた先生は顔を上げて、地の底から響くような声で先頭に出ることを宣言した。


 僕たちはこんな感じになった先生を見たことがある。

 八津くんたちが二層に落ちた時、先生は階位とかそういうのを無視して、ただひたすら先頭を突き進んだんだ。その時と同じ顔つきになっている。


 クラスの中では『鬼』、アウローニヤでは『人の形をした魔獣』って呼ばれてるアレに。


「先生ひとりじゃなくって、りんちゃんと草間くさまくんも一緒に前だからね」


「やるわっ!」


「僕は索敵って意味だよね?」


 先生の横に立てると聞いた中宮なかみやさんが、ミアと同じくらいに気合を入れて、前に出ろと言われた忍者な草間くんはちょっと引け腰だ。だけどイヤだとは言わない。



「それじゃあ最後に、玲子れいこちゃん、アレよろしくっ!」


「アレかい? アレねえ」


 話を振られたクラスの姉貴分、笹見ささみさんがちょっと首を傾げる。

 たぶん『アレ』の意味が伝わらなかったんだろうな。僕はわかったよ?


「ああ、アレね。一年一組、逃げる時の心得! 倒すことより──」


「駆け抜けること!」


「素材や経験値なんて──」


「放っておけ!」


 こういうコールを担当している笹見さんが大きな声で標語を叫び、クラスメイトたちはそれ以上の大声で返す。もちろん僕も一緒にだ。


「じゃあ出発!」


 奉谷さんの元気な声に励まされるように、僕たちは走り出した。



 ◇◇◇



「八津くん、落ち着いた?」


「ありがとう、綿原さん。それとみんなも、迷惑かけてゴメン」


 絨毯に座った綿原さんが掛けた声に、八津くんが返事をする。みんなにも。

 急いでお風呂に入ったお陰もあってか、さっきまでよりは顔色も良くなっていると思う。お風呂の中でも黙ったままだった八津くんだけど、なんとか話をできるくらいには持ち直してくれたみたいなのが嬉しい。


 無事に迷宮を脱出して離宮に戻った僕たちは、食事は後回しにして、まずは談話室で落ち着くことにした。

 今は温かいお茶みたいな飲み物が入ったカップを、それぞれが手にしている。アーケラさんがブレンドした、落ち着けるお茶らしい。


 女王様やアヴェステラさん、ヒルロッドさんとは途中でお別れして、シシルノさんとアーケラさん、ベスティさん、ガラリエさんは気を使ってくれたのか、自分の部屋に籠っている。食事になったら呼んであげないと。


 予定より早く戻ったせいで夕食にはまだちょっと早い時間だ。



 帰り道になった三層の途中でミルーマさんたちと鉢合わせになった時は、とてもビックリされた。

 予定と違うとこちらを問い詰めそうになったミルーマさんだったけど、女王様が一言でたしなめて、たぶん今頃は説明を受けているんだろう。


 そんな退却の道中だけど、すごかった。

 なにがすごいって、先生と中宮さん、ヒルロッドさんとガラリエさん、ついでにミアの弓が大暴れで、牛とか馬を一撃で薙ぎ払いながら、あとは騎士の盾でゴリ押し。大きな怪我以外の治療は三層に戻ってからっていう感じで押し切ったんだ。

 やっぱり八津くんの指揮じゃないと、荒っぽくなるなって実感させられたよ。


 結果として誰の階位も上がらなかったけれど、魔獣を倒したかどうかの確認もしていなかったから、もしかしたら先生たち十一階位組に経験値が流れていた可能性はあるかな。


 そもそもの発端になった『魔力部屋』には本当に二体の三つ又丸太が現れていて、シシルノさんの仮説は証明されたようなものだけど、それについては一言も出なかった。明日以降、八津くんが元気になってくれていたら話題にできるかもしれない。

 ついでに八津くんの【魔力観察】も、当面はあの場に居た人たちだけの秘密ってことになった。僕にはよくわからないけれど、政治が問題になりかねないとか、委員長がかなり真面目顔になって女王様と話した結果だ。



「わたしも、取り乱しちゃってごめんなさい」


「いや、帰り道で大活躍だったろ、綿原」


「でも……」


 八津くんに続いて綿原さんも神妙な顔つきでみんなに謝っているけれど、古韮くんの言うとおりで帰り道の彼女はすごかった。


 とにかく八津くんや、その近くの奉谷さんと白石さん、上杉さんを絶対に守るんだっていう意志がもう。ミアと海藤くんが護衛しているのと連携しながら最後の盾みたいに身を挺するようにして、ひたすら走り続けてたのを覚えている。

 絶対に八津くんの肩から右手を離さないで、左手のヒーターシールドと三匹のサメの全てを防御に回すような戦い方は、同じように石を操る僕でも絶対にマネできないと思ったくらいだ。やっぱり盾の扱い方が全然違う。


 そんな綿原さんだけど、三層に戻ってきた時には左腕が折れていた。四層の途中、生まれたばかりの三つ又丸太を避けるためにやっちゃったらしいけど、それをみんなに黙っていたのはなあ。

 黒く染まったようになった怖い上杉さんに治療されながらお小言をもらっていたっけ。そのあと、気付いてあげられなくてごめんなさいって謝り返したのは、いかにも上杉さんだった。



 帰りの道中を思い返している僕だけど、談話室は静かなままだ。


 僕にも八津くんのためになにかできることってないのかな。

 ただみんなの指示に従って、ここまで戻ってきて、落ち込んでいる八津くんにまともな声も掛けてあげられていない僕だ。どんなことを言ったら励まして、慰めてあげることになるのか、わからないんだよ。


 僕は死んだ人なんて見たことが無い。幼い頃にひいお爺ちゃんのお葬式に出たことがあったはずだけど、記憶はおぼろげだ。

 けれど八津くんは、お父さんを病気で亡くしてから一年も経っていないはず。


 人が死ぬこと、いなくなることの意味を、知っている。

 そんな八津くんが、自分にしか見えない死を確認してしまっただなんて。それを僕たちは一緒になって見てあげることもできていない。


『ハルはミアと親友だからっ、一緒に迷子になってあげるの!』


 ふと、春姉はるねえの言葉が頭に浮かんだ。


 あれは小学の三年生くらいの頃だったかな。ミアが遭難騒ぎを起こしたことがある。学校の帰り道でひとりで居なくなったんだ。

 ミアの両親から連絡が入って、僕と春姉は山じゃないかって教えてあげた。そのあとすぐに家を飛び出そうとしてお母さんに取り押さえられた春姉がそんなことを言ってたのを、僕はなぜかよく覚えている。


 親友だから、一緒に迷子──。



「八津くん」


夏樹なつき?」


 なんとも言えない微妙な空気の中、僕は八津くんの名前を呼んだ。返事をする八津くんの顔色は元通りじゃないし、口元も歪んだまま。


 みんなも僕に注目しているし、ここで一発、ドカンと言ってやる。


「八津くんが見たもの。描いてほしいんだ!」


「描くって。まさか夏樹、アレをか」


「そうだよ。描いて。僕はそれを見る。八津くんが見たモノを僕は知りたいんだ」


 呆気に取られている八津くんだけど、そんなことを気にしている場合じゃない。


 僕は立ち上がって壁際のテーブルに置いてあった紙束と、適当に何本かの絵の具や筆を手に取った。

 迷宮に入る前に『しおり』を作っていたお陰で、こういう備品はいくらでも残っている。それを八津くんの目の前に突きつけて……。


「これは『柔らかグループ』のリーダー命令だよ、八津くん。見たものを、『近衛騎士総長の最期』を絵に描いて! 僕が一緒に見るから。見てあげるから!」


 八津くんは僕のことを『柔らかグループ』のリーダーで親友だなんて言って笑う。楽しそうに、嬉しそうに笑うんだ。

 あんなのは悪ふざけで、八津くんはクラスのみんなを同じくらい大切にしているのはわかってる。特別な人がいることだって。


 僕は八津くんの親友だから、全部知っているんだよ。これからもお互いに教え合いたいんだ。

 さあ、一緒に背負おう。迷子になったっていい。僕たちが親友ならさ。


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