第372話 人影
「まずは言い出したわたしからだろうね。コレをわたしがどう思ったか」
一年一組ルールのひとつ、言い出しっぺの法則はどうやらシシルノさんにまで及ぶらしい。なんでそういうノリを大切にするか、という話だけど、それがシシルノさんだからかな。
それでもノリノリなシシルノさんは、楽しげに言葉を続ける。
「形状と大きさから見て、これは三つ又丸太だと断定していいと思う。ならばこの状態はなにか……」
もったいぶるなあ。全体スケジュールが押しているどころか、うかうかしていると魔獣の襲撃すらあり得るのだけど。
「この魔獣……、あえて魔獣と言ったが、この状態では別の呼称が必要かもしれないね。そういうのは勇者の諸君が得意とするところだろうから、命名権は委ねようじゃないか」
シシルノさんのどこにそんな権利があるのかは知らないが、もしかしたら論文の片隅に名前が残ってしまうかもしれないヤツか。
気付けばクラスメイトたちの目が大人し系女子の
うん、納得の人選だ。二人ともオタだからそれっぽく
やったな、二人そろってアウローニヤの歴史に名が刻まれるぞ。このネタは何度目だろう。
「見つけたのは
「
「そうね」
半笑いになっている綿原さんに俺は苦言を呈するのだが、からかい口調な彼女はどこ吹く風だ。
こんな意味不明現象で俺が自身の名前を残したくないことなど綿原さんはとっくに見通していて、だからこそイジりにくる。ついでにサメも俺の周囲を泳いでいたりも。
「さて、前置きはこれくらいにしておこう」
前段が長いんだよなあ、シシルノさんの会話形式は。それがまた微妙に面白いから始末が悪いのだ。
「大きい可能性はふたつ。魔獣の発生と回収だね。薄いとは思うけれど、欺瞞という線もあるかな」
ここまでの前置きはシシルノさんの気遣いもあったのだろう。
すなわち俺たちにも考える時間を与えてくれていたということだ。三分間待ってやるというヤツだな。
「発生というのはなんとなく理解できるのですが、回収とは?」
で、それなりの人間が同じ地点に辿り着いただろう答えを披露したシシルノさんを問いただしたのは、アウローニヤの女王様だった。
キッチリ参加してくるあたり、女王様も律儀な人だ。というか、興味深々なお顔だな、あれは。
「魔獣が活動限界、すなわち寿命を迎えたという事例は確認されておりませんが、その可能性を考慮したわけですな」
シシルノさんは対女王様専用っぽくなった慇懃な言葉遣いで補足説明を行う。活動限界か、良い響きだ。
「リサイクルってことか」
「『りさいくる』? なかなか楽しそうな言葉だね」
そこで迂闊なコトを言ってしまった小太りヒーラーの
「古くなった魔獣を吸い取って、『素材』にバラしてから組み直して復活させる、って感じで納得してもらえ、ますか」
「さすがは勇者の一員にして頭脳担当のタムラくんだ」
なんとかひねり出すようにリサイクルとこの状況を組み合わせた説明をする田村にシシルノさんの笑みが増す。
いつの間にやら田村は勇者の頭脳側の人間扱いされていたらしい。事実な部分も多いので、否定をするつもりもないけれどな。俺も何度も助けられているし。
「迷宮はなんでも吸い込むんだから、古くなったり中途半端に傷を負った魔獣もって考えるのは自然、でしょ?」
田村よ、なんで最後が疑問形なんだ?
ヤツらしからぬ妙な口調からして、敬語にしたいのに上手くできていない気配が感じられる。変なところで不器用なんだよ、田村は。
「一考に値するし、この場面ではないにしろ、そういうコトが起きている可能性は高いと思えるね。だがこの状況での本命は──」
「ここで魔獣が生まれるってこと?」
「そう。ホウタニくんの言うとおりだね。ここまで形状がハッキリしている以上、吸収はさておき、分解と考えるのは少し難しい気がするんだよ。何しろ魔力は床と均一化しているのだから」
「んん?」
皆の考えていることとジャストミートな答えを言ったロリっ娘な
シシルノさんたちに慣れ切ってしまった仲間の中には、敬語を使うのを諦めたメンツもいる。まあ、あの奉谷さんには似合わないよな。頑張って敬語を使おうとする姿も可愛らしいといえばそうなのだけど。
そんな奉谷さん評よりも大切なのは、彼女が口にした決定的な言葉の意味だ。
魔獣が生まれようとしている。この現象はその前段階ではないのか。
この場にいる全員がその可能性に到達している。
だけど人の目がある場所で、はたして魔獣が発生したりするのだろうか。
「ヤヅくん、見つけてからそれなりに時間が経っているが、変化は?」
「……見た感じ、ありません」
シシルノさんに聞かれ、俺は素直に答えた。ここから変化を見逃すなんていうのは、絶対にやっちゃいけないことだから。
俺が【魔力観察】で見ることができるのは、形状と色の濃さ。さっきから【観察】と【視覚強化】は使い続けているけれど、間違いなく変化は見当たらない。
「【魔力視】では魔力の偏りは……、変化していない。平坦なままで、そこに描かれた線が無ければ疑うこともできなかっただろうね」
「止まっているってことですか?」
「となるとますます吸収の線は薄まったね」
俺の功績はさておき、問題になるのはここからの展開だ。
シシルノさんの感覚では魔力の集約みたいなことは起きていないようだし、もし吸収されている途中ならば色が薄くなっていくのが道理だ。とすればコレは……、待機状態?
「念押しになるが、目の前で魔獣が発生するなどという現象が報告された事例はない。十層で竜が床から湧き出たなんていう与太話を除けばだがね」
シシルノさんの冗談が付け加えられた話は、全員が重々承知している。人間が魔獣の発生を確認した事例はリアリティのある範囲では存在していない。
それにしても十層まで到達したらドラゴンか。ドラゴンスレイヤーとか、憧れるよな。
「さて、君たちは勇者で、特別な存在だ。そんな君たちの前でしか起きないような前代未聞の現象に出会ったことは、あったかな? 迷宮内の出来事という意味でだよ?」
続けてシシルノさんから投げかけられた問いかけに、クラスメイトたちはそれぞれ考え込む。
俺たちが迷宮で経験した異常事態……。あったか? そんなもの。
「えっと、『鮭』の時と『珪砂の部屋』は、どうです」
「なるほど、ワタハラくんが今挙げた二件はたしかに稀有な事態だ。だが、事例としては記録されている。数年に一度や二度は起きる現象だね」
サメを浮かべた綿原さんが出してきた事例は鮭氾濫と珪砂部屋、つまり迷宮の構造についてだったが、シシルノさんはそれを超常現象とまでは見なさなかった。
綿原さんもわかっていて言ったのだろう、食い下がることもなくシシルノさんの顔を窺っている。
「わたしの記憶に残る迷宮関連で最大の異常現象。それは、君たちの出現だ」
「ですよね」
こちらの気持ちをおもんばかってか、シシルノさんはお得意の悪い笑顔ではなく、苦笑でもって短く告げた。
気持ちを汲んだ綿原さんも、これまた苦笑いで同意する。
「君たちが意志疎通の可能な魔獣であれば話も変わるのだろうが、それは置いておこう。ちなみにわたし個人としては目の前の存在が立派な若者たちだと確信しているので、その点は心配しなくていい」
「あ、わたしもだよっ!」
一転、珍しくも優しい笑顔になったシシルノさんが聞いていて恥ずかしくなるようなコトを言い出し、そこに明るくベスティさんも乗っかった。
見れば、ほかのアウローニヤの人たちも同じように微笑んでくれている。
なんだかもう、すっかり身内の感覚だよな。見た目からしてみんな外国の人たちなんだけど、もはや一緒にいるのが当たり前で違和感なんてどこにもない。
もう少しで離れ離れになってしまうのを想像しただけで、寂しくて悲しくなるくらいに。
「さて、話を戻そう。これはわたしの想像になるのだけどね、目の前にあるコレは、迷宮の当たり前なんじゃないかと思うんだよ」
「当たり前……」
シシルノさんの言い放った見解に、クラスの誰かが呟くような小さく声を出す。
「そう。迷宮の魔獣は完成された形で出現する。卵も無ければ子供もいない。老体がいるかどうかは……、判別もできないね。だが見てみるといい。答えが目の前にあるじゃないか」
キラリと目を輝かせ、再びマッドな笑顔になったシシルノさんは、それはもう嬉しそうに俺の描いた線画を指差した。
「そのことにヤヅくんだけが気付いてしまったのは、たしかに前代未聞なのだけどね」
「つまり八津が異常事態だってことですね」
俺を上げてるいるのかどうか怪しい発言をするシシルノさんに、抜かりなく古韮がツッコミを入れる。
しかもクラスメイトたちまで笑い顔になっているし。勘弁してくれよ。
「ただ一人の【観察者】。ヤヅくん、君はこれからもなにかを見るのかもしれないね」
「その時は手紙でも書きますよ」
「期待して待つことにしよう」
肩を竦めるしかできない俺に、シシルノさんはニヤリと笑いかけてきた。
「じゃあコレって魔獣の原型なのかな。設計図とか?」
「鋳物みたいに最初に型だけ作って、人の目が無いうちに一気に魔力を流し込むっていうのは、どうかな」
脱線しかけた会話の流れを元に戻すかのように、メガネ忍者の草間が感想を述べれば、同じくメガネな
「その瞬間さえ見届ければ……、ってダメか」
魔力がここにある型に流入する瞬間を確認できればと古韮は言いたかったのだろうけど、それは無理だろうな。俺たちがここにいる限り、たぶんそれは起こり得ない。
「観測したいのにさせてくれないってか。迷宮め」
忌々しそうな口調で、お坊ちゃんな
「ではどうするか。ヤヅくんはどう考えるかな?」
「シシルノさんは確認したいんですよね。魔獣の発生を」
「当然だとも。とすれば条件は──」
「人の目があってはいけない。なら、いったんこの場を離れる必要がありますよね」
答えなんて会話の途中で想定できていた。だからシシルノさんと俺のやり取りはお互いに短い言葉で成立してしまう。
「そのとおりだ。ここを離れ、どこかで引き返して確認を行う。ヤヅくんの判断が重要になるね。ほかの魔獣が紛れ込んで判別がつかないのでは意味がなくなる」
そう。まずはこの部屋を離れる必要がある。迷宮には安心して魔獣を生み出してもらおうじゃないか。
ただし俺たちは折を見て引き返し、この部屋に帰ってくる。あの時よりは現実感がマシマシだけど、やるべきことは『鮭氾濫』と一緒だ。さて、戻ってきたらここはどうなっているのかな?
「陛下。これは迷宮研究において非常に重要な検証です。よろしいですかな?」
「もちろん構いません。元よりわたくしは勇者の皆様方の意向に従うつもりでここにいます」
会話の行く先を見守っていた女王様にシシルノさんが確認を取ったことで、このあとの行動は確定した。
『緑山』の面々は、多数決をするまでもなく状況を呑み込んでくれているだろう。
これで最後になるかもしれないアラウド迷宮での探索で見つけた異常現象。それを検証をしたいと言っているのは、ほかならぬシシルノさんだ。俺たちに否はない。
「移動先は四の二十五を目途にしよう」
この付近の構造と部屋番号は頭の中に入っている。マップを引き出すまでもなく、俺は指示を飛ばした。
目指すは魔獣の探知が届く可能性がある距離からさらに一部屋向こう側。
ただし追加でその先の索敵をする必要が出てくる。現地についてからにするか、それとも草間たちを先行させるか。
いや、今はこの部屋の異常を確認するのが一番の目標になったのだし、レベリングについては目的は達成されていて、ここからはオマケみたいなものだ。無理をしてまで隊を分離する必要も無いか。どうせすぐに引き返すのだし。
「草間、【気配察知】と【魔力察知】がギリギリ届かないところを狙うつもりだ。技能が通っていたら、魔獣が生まれないかもしれないから、現地に着いたら探知範囲を確認しておいてくれ」
「なるほどだよ。もしかしたらあっちから来てくれるかもってことだね」
さすがは草間だ、よくわかっている。
この部屋で生まれた魔獣が俺たちを追いかける可能性は薄いと思うが、全くないとは言い切れない。もしも草間の探知にこのあたりで見つかっていない三つ又丸太が引っかかってくれれば、それそものが魔獣発生の証拠になるという寸法だ。
とにかく今は、俺たち人間の存在を魔力ごと探知の外に置く必要がある。
はたしてあの広間で三つ又丸太が発生するのか、そうだとしてもどれくらの時間がかかるのか、これからするのはそれを含めての検証だ。それでいいんですよね、シシルノさん。
◇◇◇
「なんでここに魔獣の死骸がある」
それは二層では頻繁に、三層では何度か見たことのある光景だった。
何者かが魔獣を打ち倒し、そしてこの場を去って行ったと思われる痕跡。牛が二体、血にまみれて床に伏している。魔獣は死んだふりなどはしない。【観察】を掛ければ詳細は見えるし、アレは間違いなく死んでいるんだ。
だけどここは四層で、俺たちがいったんの目的地とした四の二十五だぞ。この二日でここを訪れたことなんてない。
「女王様、アヴェステラさん。四層にほかの部隊が──」
「いるはずがありませんっ」
俺の言葉を遮るように女王様は言葉を返し、周囲を警戒するような素振りを見せる。
つまりはそういうことなんだろう。今日に限って、地上から四層に送り込まれた部隊など、いるはずがなかった。ミルーマさんたちヘルベット隊のドッキリとかだったらどれだけ笑えただろう。
そういうジョークだったら救われたのにな。
「迷宮への出入に関しては厳重に審査がなされています。総長の行方が知れていないのですから……、まさかっ!?」
女王様の気付きに、俺たちの警戒度が一気に上昇した。
「草間ぁ。【気配察知】!」
「っ、気配……、ないよっ! 人も魔獣も、近くにはいないっ!」
草間が付近に気配は無いと叫ぶが、それでも万全を期す必要がある。俺は【魔力観察】を行使した。
そこに転がっている牛の残骸の裏にヤツが潜んでいたとして、もしかしたら魔力の色の違いで探知が可能かもしれないと考えてしまったからだ。そんなのだったら草間がとっくに気付いているはずだとわかっていても。
そして反射的に、これはもう染みついた当然の行動として【観察】も同時に動かす。動かしてしまった──。
「ああぁぁぁ!?」
「八津くんっ!?」
そこに迷宮の悪意が待っているとも知らずに、俺はこの世界に飛ばされてきてから最大の衝撃を受けることになる。
あまりに酷い俺の取り乱し様に、綿原さんが驚愕の表情でこちらを見ているが、それどころではない。普段の俺なら綿原さんの反応に感情を揺り動かされて、良かれ悪かれ落としどころを見つけてきたのだが、今回ばかりは効果無効だ。
「ふざけてんのかっ! 俺にこんなモノを見せて、どうする気だぁ!」
どうしたって叫びを止めることができない。
絶句している綿原さんやクラスメイトたちが視界に入っているが、それが俺の精神に安定をもたらすことはなかった。
だってこれは、あまりに酷すぎる。
「五層に落ちたはずだろ! なんでここで見つかるんだよっ! 足蹴にしたのはそうだけどさっ、いくらなんでも酷すぎじゃないかっ! 恨みでもあるってのかよ!」
俺はソレを指差して、叫ぶことしかできない。
忘れていようとしていた。怪我を負った近衛騎士総長が五層に転落してどうなるのかなんて、考えから外していたんだ。わかっていて、頭の片隅には残っていたけれど、それでも。
おおよそ状況を見る限り、偶然の巡りあわせと考えるのが自然だろう。でもだ。それでもなんだ。
最早ソレを指差す腕を上げることもできない。
両手をだらりとぶら下げながら、視線をソコに向け、俺はバカみたいに呟くことしかできないんだ。
「そこに……、たぶん総長がいる。呑み込まれてる最中なんだと、思う」
ぼそりと吐いた俺の言葉に周囲の皆が驚愕し、広間が静まり返った。
大柄な体躯をしていて、迷宮には似つかわしくないアウローニヤ特有のフルプレート。右手にはご丁寧にロングソードを持ち、左腕は大盾を装備したまま千切れて少し離れた場所に落ちている。だけど立体感はない。平坦に、ぺちゃんこになってしまって。
まさに死闘の果てに倒れ伏した姿のまま、総長はすでに実体を持たず、魔力の色になって迷宮の床に残滓を晒していた。
【魔力観察】特有の見え方で、赤紫一色であるはずの床の一部に青白く染まった平坦な人型がある。
それが俺たちと戦いを繰り広げた近衛騎士総長だとすれば──。
なによりキツいのは、これが見えているのが俺だけだという現実だ。
弱い俺の心が、壊れていくのがわかってしまう。一年一組の暖かさに漬かりきった俺が、孤独で向き合うには重すぎるじゃないか、こんなのは。
「俺にしか、見えていないん、だよな……」
心の中でなにかが折れた音が聞こえた。
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