第206話 ミカンが襲ってきたぞ




「うおわっ!」


 咄嗟に持ち上げたバックラーにミカンが直撃して、俺の体がうしろにズレた。

 ぶち当たったミカンはといえば、勢いを失い地面に転がってから一本足をねじって立ち上がり、再び跳躍の姿勢に入る。


「えいっ!」


 そこにすかさずメイスを叩き込んだのは自身に【身体補強】をかけてパワーアップを果たしている、ロリ系【奮術師】の奉谷ほうたにさんだ。

 戦闘中は役割り的に俺とペアになることも多く、お互いの性能をキッチリ把握できている頼もしいバディといえるだろう。あ、サメがこちらを見ている。


「一発じゃムリだね」


 同時に【平静】と【鼓舞】を使っているのだろう奉谷さんは、この期に及んで実に冷静だ。普段は元気キャラなのだが、今は元気に冷静というなんだかすごい存在になっている。


「もっかい、えいっ!」


 メイスで殴られて少し潰れていたミカンは、奉谷さんの突き出した短剣によって、今度こそ沈黙した。



 ミカンこと【単脚無眼蜜柑】。ほとんどつるのような形状のしなる足を一本だけ本体の下に生やした直径二十センチほどのミカンである。目と腕、口もついていないので見た目はほぼミカンだ。果物や野菜に目がついているのがデフォルトになっている一連の魔獣にしては、随分と真っ当な存在といえるだろう。


 攻撃パターンはヘビと似ていて、体当たりアンド毒がメインになる。

 一本足を捻るようにジャンプして体当たりをカマして、ぶつかった際に飛び散る果汁に弱いマヒ毒が含まれているという寸法だ。カエルと違ってマヒといっても、動きが悪くなったり触覚が薄くなるという程度の毒である。だからといって食らって嬉しいものではないが。


 ガラリエさんが盾で強めに弾いて地面に叩き落としたミカンにシシルノさんが手を伸ばしかけたが、聖女上杉うえすぎさんと鮫女綿原わたはらさんの視線を受けて諦めていた。あの人はなにを考えているのだろう。



 地面を走るヘビと直線的ジャンプ攻撃のミカン、ついでに変化球で飛んでくるキュウリと、このあたりが三層では速度があって柔らかい部類の魔獣になるが、その中でも最速だったのがコイツだった。

 だけどぶっちゃけ脅威度はヘビやキュウリよりは低い。いくら速くても動きが真っすぐではなあ。


 後衛ですら全員がバックラーを持ち、【反応向上】や【視覚強化】を取りまくっているウチのメンバーとしては、わりと相性のいい魔獣といえる。

 倒してしまえば毒も消え、残されるのは中々美味しいミカンなのが、いかにも迷宮の魔獣らしいところだ。離宮の食卓にもよく登場したりする。


 ただし問題は数だった。



「残り三十二」


「まだそんなにいるんだ」


 俺のカウントに奉谷さんはビックリ顔だが、これでもかなり減らせたと思う。

 最初にこの部屋を探った時には【忍術士】の草間くさまをして『たくさん』としか表現できなかった。シシルノさんもまたしかり。

 イザとなればキャルシヤさんたちに暴れてもらい、ついでに逃げられる部屋構造なのを確認してから吶喊してみれば、その部屋は一面オレンジ色に染まっていた。チラ見しただけでも八十くらいはいたと思う。


 三層で数で押してくるのはヘビが一番かと思っていたが、一点集中ならばミカンが上らしい。

 こういう出現傾向も予習の内だが、群れの異常発生のお陰で偏りが酷すぎる。


「いちおう殲滅もお仕事だからな」


「キャルシヤさんたちにお礼しないとだね」


 今回ばかりは経験値の一部放棄も仕方がなかった。建前でも群れの殲滅を謳っている以上、諦めるしかない。勇者はツラいよ。

 キャルシヤさんたちを周囲に配置して、数を減らしながらこの状況まで持ち込んだ。。


「キャルシヤさん! そろそろ大丈夫そうです。警戒の方だけで、お願いします!」


「まったくお前たちは。いいぞ、好きにしろ」


「ありがとうございます!」


 ここらでイトル隊には手控えてもらって、一年一組だけで勝負をかける。


「騎士組は個別に守備に入ってくれ。位置取りは任せる。調整はあとで指示するから、自由行動!」


「おう!」


 敵の数と散らばり方からして、盾を前面に押し出すような陣形には意味がない。

 半円を描くようにして、要所要所に盾がいればいいだろう。後衛のレベリングなら、こちらの方がやりやすいくらいだ。



「ふむ。これならわたしでも倒せそうだよ」


 そう、なによりこのミカン、弱らせてしまえばシシルノさんでも倒せるのだ。

 取り押さえても暴れるヘビと違って、足さえ千切ればせいぜいがその場で弾む程度しかできなくなる魔獣。しかも柔らかい。


「全部だ。残り全部を『柔らか組』に回してくれ! それと田村たむらも」


「おう!」


 ついさっき【聖騎士】の藍城あいしろ委員長が八階位を達成した。これで前衛は全員。さらにはちょっと前に【熱導師】の笹見ささみさんも。

 ぶん殴りまくっていた前衛陣の中には九階位が近いのもいるだろう。


 ここで九階位を増やすのも悪くないが、このあとの調査を考えれば、弱点を減らしておく方を優先したい。


「もちろんシシルノさんたちもだ!」


「わかってるよ!」


 俺の声に答えてくれたのは【忍術士】の草間だ。

 いつの間にか右手に持ち替えたバックラーを器用に使って、ミカンを横合いから殴りつけてシシルノさんたちの方に飛ばしている。

 それをまた自分の大盾でガラリエさんが受け止め、瀕死のミカンにシシルノさんがトドメを指すという寸法だ。キャッチボールみたいなマネをしているな。


「アーケラさんとベスティさんも上げてください!」


「ありがとうございます」


「はーい」


 アーケラさんとベスティさんだって七階位だ。ここで上げておいて損はない。本気で【睡眠】を取ったりしないだろうな。


 それにしても草間の動きなんだが。



「草間、上手いな」


「中学まで卓球部だったからね」


「そ、そうか」


 軽い調子で草間が返事をするが、そういう設定があったのか。

 メガネ小柄男子の草間が卓球部だったとか、ある意味ベタな逸話がポンと出てくると返答に詰まる。俺は卓球にネガティブイメージなど持っていないからな、念のため。


「速さに対応できれば、これくらいは、ねっ」


 草間とて伊達に前衛職で八階位をやっているわけではない。【反応向上】も持っているし、もしかしたら【気配察知】と組み合わせてミカンに対応しているのかも。

 ここまで戦闘面ではあまり表に出てこなかった草間だが、直近で【身体操作】を取ったせいもあるのか、あきらかに動きが良くなっている。ここにきてまた覚醒者かよ。



「らあっ!」


「だぁいぃ!」


 そんなミカン対応で目立っているのが草間のほかにも二人ほど。【剛擲士】の海藤かいとうと、【鮫術師】の綿原さんだ。


 野球少年の海藤はわかる。両手握りでメイスを振る姿は、まさにバッターといった感じだ。左打ちなんだな。べつにホームランを狙っているようなフルスイングではなく、むしろハーフスイングで力加減とミカンの行方を調整しているような戦い方をしている。草間と同じで器用なものだ。

 事実、ミカンは都合よくレベリング対象者の上杉うえすぎさんや白石しらいしさんの目の前に落着しているわけで、アレは狙ってやっているのだろう。



 だがもうひとりの綿原さんがわからない。

 右手に持ったメイスを下から斜め上にこすり上げるような振り方で、これまた器用にミカンを捌いているのだが、彼女は陸上選手だったのでは。あのスイングはいったい。


「ふふっ、体育の授業でやったソフトテニス。わたしが一番強かったのよ」


 俺の疑問を勝手に氷解させてくれる綿原さんだが、新しい属性がまた追加されているぞ。


「ホント、なぎは万能だよねぇ」


 横で長身アネゴな笹見ささみさんが苦笑いをしながらミカンに立ち向かっている。

 球技といえば男子なら海藤で、女子ならバスケ・バレーの笹見さんというイメージだったのだけど、どうやら綿原さんもヤリ手だったようだ。


 俺の中で釣り合いが取れるとか取れないとか、陳腐な単語が崩壊していく気がするのだが。


「ほら、八津やづくんも階位上げて」


 そんな自分勝手な葛藤の真っただ中でも綿原さんは遠慮をしてくれない。

 俺の目の前にミカンを叩き落としてレベリングを強要しているようだ。


「いや、奉谷さん優先でいく」


「八津くん?」


 べつにくだらない男の意地とかではない。綿原さんが怪訝な顔をしているが、ちゃんとした理由があるんだぞ。



「田村を前に出したから」


「……鳴子めいこに【聖術】を、かしら」


 一言だけで綿原さんは理解してくれた。


 玉突きみたいで悪いのだけど、委員長と田村を前線でダブルヒーラーにして、真ん中を最強ヒーラー上杉さんに任せるとすれば、後衛をどうするか。


「ごめん奉谷さん。考えがあったのかもしれないけど」


「ううん。ボクもつぎは【聖術】だなって思ってたし」


 横の奉谷さんに声を掛ければ、ニパっと笑った彼女はそのままミカンにトドメを刺した。すごい絵面だが、これが今の俺たちでもある。相手がミカンだけに罪悪感が薄い。



 スピードがあるが直線的な魔獣を相手にしていると、面白いくらいにクラスメイトたちの得手不得手が現れる。


 得意っぽいのが草間、綿原さん、海藤、滝沢たきざわ先生、笹見さんあたりか。先生などは軽いパンチで弱らせる加減を練習しているようだ。ほんとうに勤勉な人だと思う。

 逆に苦手にしているのは、前衛だとムチが間に合っていないひきさんか。キュウリを相手すると大活躍だったのだが、どうやら単純な速度に追いつけていないようだ。


 木刀使いの中宮なかみやさんは普通に対峙しているが、完璧な手加減とまではいっていないようだ。元々が最速全力で撲殺するタイプの武術家な中宮さんだ。こういう小さくて速いタイプに手加減が効かないのは理解出来る。


 足で勝負して、武術についてはまだまだなはるさんもそれは同じだな。あまりの速さに弓を封印しているミアも得意とまではいかなさそうだ。動きはいいのだけど、どうにも雑なんだよな、ミアは。弓の時だけは緻密になるのに。


 騎士組は全員が盾で止められているので安定している。前線で頑張ってくれている【聖盾師】の田村を個別で守る余力すらあるようだ。


 後衛はといえば、【聖導師】の上杉さんと【氷術師】の深山みやまさん、どうやらミカンには音がまったく通用していない【騒術師】白石しらいしさん、そしてそもそも攻撃手段を持たない【奮術師

】の奉谷さんと【観察者】の俺がまったくの無力状態。深山さんを健気に守る【雷術師】の藤永ふじながにしても空中の敵に雷を当てるなんてコトはできていない。


 意外なところでは石を新調した【石術師】の夏樹なつきが健闘している。どうやら正八面体石を宙に浮かせて、むしろミカンが当たりに来るところ置くようにしてカウンターに持ち込んでいるようだ。だからこそかどが多いその石を選んだといったところかな。夏樹も石使いとして成長しているのがよくわかる。


 シシルノさんたちはガラリエさんに加えて、キャルシヤさんまで守備に入ってくれたので、そちらはまったく問題ない。むしろ手加減の方が心配なくらいだ。



 という感じで全部が見えている俺だが、攻撃手段こそ貧弱だが防御だけは後衛の上位に入る。

【身体強化】を持たなくても、【観察】と【反応向上】【視覚強化】【一点集中】があり、そこに奉谷さんから【身体補強】を掛けてもらえば、見切りだけは万全だからな。


『放っておいても被弾の心配をしなくていい指揮官とか、最高だ』


 なんて嬉しいことを言ってくれたのはミリオタの馬那まなだったろうか。


「もう少しだ。守りだけは丁寧によろしく!」


「おう!」


 なんにしても安定は取れている。しかも後衛に経験値を回せる状況が確立しているのは大きいな。

 ここにほかの魔獣が混じったら大混乱になるだろうが、ミカンだけなのは幸いだ。相手が果物系魔獣なので罪悪感が薄いのがさらにいい。

 こういう部屋ばかりだと最高なのだけど。



 ◇◇◇



「あの、本気ですか?」


「ええ。もちろんです」


「九階位になったら【平静】もいいかもしれないね」


 一年一組を代表して迷宮委員たる綿原さんが相手の正気を確認するが、どうやらあちらは本気のようだ。


 戦闘が終わり全体的に酸っぱいというか甘い匂いが漂う部屋で、階位が上がったメンバーがどうするのかを確認しようとしているのだが、なんとシシルノさんとアーケラさんが八階位になっていた。

 で、そんなふたりが揃って【睡眠】を取ると言い出したものだから、俺たちも焦る。なにもそこまでしなくても、という想いだ。



「わたくしは【湯術師】として、ある程度完成してしまっています。【多術化】や【遠隔化】を取ることもできますが、ここはやはり」


 いやいやアーケラさん、そこは素直に【多術化】でいいのではないだろうか。それと自分の弱点になりかねないコトまでバラさなくても。

 長年……、といっても二、三年らしいが、【熱術】【水術】【魔術強化】【魔術拡大】をひたすら鍛えてきた彼女は、一個の大きな熱水球を操るスタイルが完全に確立しているそうだ。いまさら【多術化】を取るくらいなら一年一組に同行できる方が重要、だとか。そういえば【体力向上】も持っていたな。


 シシルノさんに至っては、いまさらツッコムのも野暮かもしれない。

 長年に渡って視覚系技能を磨き続けてきたシシルノさんだ。俺たちと知り合うことでむしろ日常で役立つ技能に意味を見出してしまっている。実際、シシルノさんみたいな人にこそ【睡眠】はマッチする技能なのがわかっているだけに、文句がつけにくいな。研究で徹夜とかやっちゃうタイプだろうし。



「……技能については本人の決めたことなら口出し無用、でしたね」


 諦めたように綿原さんがため息を吐いた。


 これが騎士団員や兵士なら上司にお伺いを立てるとかで話も変わってくるらしいが、シシルノさんとアーケラさん、そしてベスティさんはそのあたりの自由裁量を与えられているらしい。シシルノさんが自由なのはいまさらだけど、アーケラさんとベスティさんって、本当に何者なのだろうか。

 第三近衛騎士団『紅天』所属のガラリエさんは話がべつになるが、それでも『緑山』への移籍が確定している。どうせ三層では階位が上がらないのでそのあたりは無視できてしまうのだ。


「そのとおりだよワタハラくん。それにもう、取ったからね」


「わたくしもです」


 綿原さんが最終確認の言葉を口にした直後には、二人ともすでに【睡眠】を取り終わっていたようだ。


「これで勇者のみなさんの仲間として、一歩近づけたでしょうか」


 普段から微笑みを絶やしたことがないアーケラさんが、いつも通りの穏やかな口調で嬉しいことを言ってくれる。


「大歓迎です」


「わたしも、わたしもすぐに取るからねっ!」


 苦笑しながらも嬉しそうな綿原さんに、自分だけが置いていかれた感じになったベスティさんがしきりに付きまとう姿を見て、あたりから笑い声が上がった。


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