第73話 魔力と魔獣
「わたしはね、迷宮の魔力が澱んでいるんじゃないかと考えているんだよ」
澱むという表現をシシルノさんは使った。
一年一組の決意表明については教導騎士団としてヒルロッドさんと、俺たちについての総責任を負うアヴェステラさんがともに了承してくれた。
俺たちは全員を一部隊として、まずは迷宮一層で四階位を目指すということで話はついたのだが、二層でエンカウントした魔獣の群れの件が気になった。一層でもおかしなことが起きたりしないのかと。
そこから始まったのは、迷宮二層がなぜああなっていたのかについて、シシルノ教授の説明だ。もちろん私見らしいけど。
俺たちはこれまでの付き合いでシシルノさんの性格をある程度把握できている。なんというか思考の仕方が俺たち寄りなのだ。
ついでに開けっぴろげで言いたい放題。そういうところを好ましい、信じてみたいというクラスメイトが、実は多い。初見のときに感じた冷たい目つきは何処にいったやらだ。
『前例や伝統に囚われないで、科学的アプローチを心がけていると思うな』
などと見解を述べたのは
俺の中では迷宮で起きることに対して科学的に研究をするのが当然という部分が多いのだけど、王国の研究者にもいろいろな派閥があるらしい。
代表的なのが『伝統派』。
なんだそれはと思うが、なんでも二百年くらい前のすごい人が考えた『研究結果』を大切にしているらしい。そこには神授職や魔力についてなども含まれていて、シシルノさんに言わせると停滞の象徴だそうな。
『彼らはナハム師の言葉で遊んでいるだけだよ。ああ、ナハム師自体はわたしも尊敬すべき素晴らしい研究者だと思っているからね、念のため』
要は昔にナハムさんという凄い迷宮研究者がいて、その人の書いた文献が今でも通用しているということだ。
問題なのはそれを盲目的に信じ込んでいて、新しさを求めない、ヘタをすると文献に矛盾するような考え方をする人間を排除しようとする、そんな一派があるらしい。称して『伝統派』。自分たちでは『正当派』とか『ナハム派』とか名乗っているいるとか。
こうなるともはや宗教だ。
ナハムさんの文献に当てはまらない事があっても『解釈』を変えることで対応しているとか、そのものじゃないか。
この話を聞いた時は、なるほど俺たちにも新発見ができるワケだと思ってしまった。
迷宮との付き合って五百年の歴史を誇るこの国で、ぽっと出の俺たちにできる事なんて本来は無いはずだ。だからみんなで必死になって文献漁りをして、知識を得ようとしたら、コレだ。
偉大すぎる人が現われると、逆にその後が停滞することもある。地球でも似たような話があったっけ。
そういうこともあってこの国の魔力研究は停滞ぎみで、『常識はずれ』で『勇者チート』や『クラスチート』を持っている俺たちにも付け入る隙、もとい協力できる部分があったのは、喜ばしいことだ。
もしかしたら後年、『シシルノ・シライシ派』なんていうのができているかもしれない。歴史は繰り返すってね。
◇◇◇
「迷宮内の魔力が増加傾向にあるという話は以前もしただろう?」
話を戻して今の迷宮だ。シシルノ教授の授業は続く。
「一律平坦に魔力が増えるなら、問題はないとは言わないが危険は少ない。平均的に魔獣が増えるだけですむからね」
大事な点だが、迷宮の魔獣は繁殖しないとされている。それこそナハムさんが提唱したらしいのだけど、魔力によって生み出されているという説だ。
理由は簡単で、幼いどころか小さな魔獣すら誰も見たことがないという現実が証拠だ。どれだけ魔獣を解剖してみても、腹の中に子供もいなければ卵も見当たらないときた。
──ここで余談になるけれど、迷宮から食肉が採れるという理由で、王国では牧畜があまり行われていない。
そうするとどうなるか。卵が超貴重品扱いになる。そう言われてみれば、食事で卵料理を見かけたことがなかった。
なんということだろう。マヨネーズ無双が遠のいたのだ。
いろいろと探索をして各層のマップを埋めても、魔獣の巣らしきものは一切見つからない。
つまり迷宮の魔物は、いきなりそのままの大きさで出現しているとしか考えられないのだ。
登場シーンを見た人が誰もいないのが大きな謎だけど、どうやら迷宮は人の目が無い時にそれをしているということで結論付けられている。なんだかなあ。
魔力では物質を生み出せない、それが前提のはずなのに。
委員長の悩みは増えるばかりだ。
「魔力の増加分布がまだら模様だということですか?」
委員長の質問にシシルノさんが大きく頷く。
「まさにだよ。そしてこれはナハム師の説を大きく裏付けることにもなる。歴とした観測結果だからね──」
「魔力が濃い場所でたくさん魔獣が生まれているのはわかりました。じゃあ転落した時に苦労したっていうのは、まさか俺たちを狙って」
シシルノさんが別方向に話を持って行きそうだったので、俺はちょっとだけ軌道修正を試みた。
「……わたしとしては君たちの来訪と魔獣の群れの出現は、魔力の仕業という意味で同根だと考えている。けれど両者が衝突してしまったのは、偶然だろうね」
「そうです、ね」
謎は謎のまま。偶然かもしれないけれど、必然ともいえる。まあ転落騒動が強制イベント発生とかじゃなければそれでいいか。
「それとも『勇者は魔獣と戦うのが運命』とでも言った方が良かったかな?」
「まさか」
「だろう。わたしはそこまで物語的に捉えられないよ」
イタズラっぽく笑うシシルノさんの顔はこれまで何度も見たけれど、やっぱり楽しそうだ。
「そこでだミームス卿」
「なにかな?」
シシルノさんが突如ヒルロッドさんに話を振った。
「次の迷宮入り、わたしも同行させてもらいたいのだけど、いいかな」
「むう……」
そんなやり取りを聞いたみんなは、黙って成り行きを見守っている。驚きが多すぎて口を出すこともできない。
シシルノさんが迷宮に入る?
「俺の指示に従ってくれると約束できるなら、仕方ないかな」
「それはもちろんだよ」
「関係部署への根回しもね」
「……面倒だが、まあそうしよう」
認めるのか、ヒルロッドさん。アヴェステラさんは……、ダメだ。目を逸らして黙っている。
「あの、シシルノさん?」
ついに委員長が口を開いた。勇者だな。
「君たちが何を考えているかはわかるがね、わたしはこれでも六階位の【瞳術師】だよ?」
「あ」
間抜け顔になった委員長をはじめ、クラスメイトたちをシシルノさんが見渡す。実に楽しそうに。
「【魔力視】と【魔力察知】。探索用に【体力向上】だって持っているからね。一層なら何の問題もないわけさ」
そりゃそうだ。クラスの女子だって同じじゃないか。
この世界には魔力がある。どんなに見た目が普通でも、ひ弱に見えても、階位と技能さえあれば強者になりうるのが異世界だ。
見た目に誤魔化されないように気を付けよう。そういう意識が必要なのだと、心に刻んでおかないとダメだな。こればっかりは地球の常識に引っ張られると、あとで痛い目にあいそうな気がする。
「ジェサル卿は技能次第で優秀な魔術斥候が可能な逸材だった。技能によっては、ね」
「困るよミームス卿、わたしは研究員だよ?」
同じようなフレーズを二度使ったヒルロッドさんが言いたいことは、シシルノさんが迷宮向きの技能をあまり取っていないという意味だろう。しかも過去形だし。
そうか技能次第で『魔術斥候』なんていうカッコいいロールもできるのか。しかもなにか俺向きな気がしてきたぞ。実にいい!
「八津くん。自分も、とか思っていない?」
「……ごめん、ロマンを感じてた」
「【観察】と相性良さそうだものね。考えるのは悪くないんじゃないかしら」
「まあ、これからの技能次第かな」
「ならわたしは『機動術師』でも目指そうかしら」
「どこでそういうの憶えてきたの!?」
「昨日の夜、わたしたちの冒険をお話したら、
白石さん、なんてことを。
でもたしかに『機動術師』ってカッコいいフレーズだな。
「八津くんはどこを見ているのかしら」
「あっ、いや」
そんなやり取りもあって、シシルノさんは次回の迷宮入りに参加することになりそうだ。
結局アヴェステラさんはため息ひとつで、最後まで何も言わなかった。
◇◇◇
「じゃあ
「お、おう。だけど綿原、お前」
「たぶん大丈夫だから、どうぞ」
軽い口調の綿原さんと、困惑が隠せない海藤の噛み合わない会話が訓練場で行われていた。
午前中のうちに二層での戦いを説明した俺たちは、普通に訓練をすることにした。
このあたりはもう【睡眠】と【体力向上】のお陰だろう。キチンと寝れば、しっかり回復してしまうのだ。クラスの誰も【疲労回復】を取っていないのだけど、死にスキルになりそうな予感がすごい。
今回滑落罠にはまって生還した四人は一層組の強い要望もあり、二層で積んだ経験を披露することになった。
見せる側は綿原さん、ミア、そして嫌だけど俺。上杉さんも盾技くらいはこなすだろうけれど、今回は除外だ。マッパーばっかりだったという言い訳で俺も外してほしかったのに、それは許してもらえなかった。
「いくぞ、おらぁぁぁ」
クラスのみんなと近くで訓練をしている騎士の一部が見守る中、海藤が走りだす。ターゲットにされた綿原さんは術師なのに、どっしりと腰を落としてバックラーを構えて動かない。すごい度胸だ。
「どぅらあっ!」
迷宮にいたときに比べれば随分控えめな掛け声で、綿原さんは海藤の攻撃を見事に受け止めた。
現時点で海藤が持っている戦闘用技能は【身体操作】と【身体強化】。
対する綿原さんは【身体強化】のみ。もちろん魔術系を除くとして、技能だけで見れば海藤が上回る。しかしだ。
ぶつかり合ったバックラーがギャリギャリと金属をこする音を立てながら、お互いの角度を変えていく。
「うおっ!?」
勝敗をつけるなら、綿原さんの完勝といえるだろう。
器用にバックラーを捻り、力を受け流した綿原さんはその場から動かずに、海藤は行き場を失った力を持て余して地面に滑り込む形になったのだから。
「ウサギと丸太の間くらいかしら」
あえてその場から動かず、視線だけを海藤に送った綿原さんが所感を述べた。
絶対にカッコつけている。口元がもにゃっているから丸わかりだ。
「くっ」
実はけっこうギリギリな対戦だったのだけど、海藤は気付いていないようで、とても悔しそうにしている。あとで声をかけてあげよう。
だからといって綿原さんを落とすいわれはない。彼女は迷宮で足掻き、実戦であれだけの技術を身に着けたのだから。それこそ今やっている対人戦より、迷宮の魔獣を上手く捌くくらいに。
「はっはっはっ。迷宮で迷子になった勇者殿がどれほどの力を持つかと見に来てみれば、ただの蛮族ごっこではないか。これだから異国の民は」
妙に甲高い男の声が耳に入った。
ソイツは観戦していた一年一組とは反対側、訓練中の綿原さんたちの向こうから現れたものだから、俺としては随分前から気付いていた。
イヤらしい、人を嘲る上から見下ろす目をしていたので、なるべく無視しようとしていたのだけど、【観察】は優秀で困る。
綺麗な金の長髪を肩に流した男は、騎士用の訓練装備を身に着けている。
そんな細身で長身の男の周りには、まさに取り巻きといった感じの風情を持った連中が追加で四人。合計五人の、いかにも貴族でございなヤツらがエントリーしてきた。
「これって貴族の難癖イベントじゃない?」
横にいた
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