第98話 白球を追い求めて
「コイツを作るのが一番時間を食ったぞ。五度はやり直したぜ」
「……すんません」
箱からブツを取り出した工房長は文句を言いながらも、実に楽しそうだ。
「さすがに重いすね」
工房長から手渡された『ボール』を持った海藤が呟く。
なぜか
「そりゃお前、そういう注文だったからな。鉄球を紐でグルグル巻きにしてから革で覆って縫い合わせろときた。重さと硬さと柔らかさを全部ってか。さっきの剣や手袋ののねーちゃんたちもそうだったけど、お前らは面白いこと考えるなあ」
言われているぞ
今回の注文がたまたまそうだっただけで他意はないのだけれど、なるほどそういう見え方もあるわけだ。
「で、コレの場合はなるべくまん丸にしたかったんだろ? 苦労したぞ」
「うす。ここまで『再現』できるなんて」
「大きさは泥の球で指定されたとおりにしてある。縫い目は正直、適当だな」
「いえ、十分す」
いつになく真剣な表情で海藤はボールをこねくり回している。
傍から見れば、それはまさに野球の硬式ボールだ。革の材質のせいで少し黄ばんではいるが、わざわざ赤い糸まで使って、それっぽい縫い目までがキチンと再現されていた。本来はたしか牛革だったかな。
以前から海藤はボールをお願いしていた。木や粘土で大体の大きさを伝えて、材質もある程度指定したけれど、それでも満足のいくブツができたことはない。
そんな状況だったのだが先日、直接工房を訪れる機会があって、工房長や鎧職人と現物の材料をいじくりながら相談した結果がこれだ。
海藤が望むボールはこうして完成した。
やはりこういうことは直に話をするべきなんだろうと思う。近衛の常識、職人には口頭で伝えてあとは任せたみたいな、そういうやり方はよろしくない。王国側が許してくれればこれからは──。
けれどなぜか、完成したはずのボールを見つめる海藤の表情は複雑だった。
「さすがに重いすね。……重いすけど、こうじゃなくちゃ武器にならないすもんね」
「そりゃ、なあ」
「やべえ、なんだか、嬉しいんだか悲しいんだか、わけわからん」
ポンポンとボールを浮かせて遊んでいた海藤は、なんだか泣き笑いみたいな顔をしていた。
これにはさすがに工房長も黙ってしまう。
弓とか木刀なら当人たちには怒られるかもしれないけれど基本的に用途が一緒だし、それなりに納得もできているだろう。けれど海藤の場合は……。スポーツとしての野球と、魔獣を倒すために使う武器との違い。
ボールができて喜ぶだろうと、単純にそれだけを想像していた俺は甘かったんだろう。俺のほかにも気まずそうな顔をしているクラスメイトがいた。
「ほら
「おっ、おう。なるほど重たいな、コレ」
軽い調子の口調で、海藤がボールを俺に投げ渡してきた。下手くそな作り笑いだけど、海藤はそういうヤツだったな。
受け取ったボールは重い、のだと思う。なにせ俺は野球の硬式ボールなんて持ったことがない。それにしてもコレって砲丸、砲丸も知らないけれど、そんなレベルの代物だな。ぶつけられたらシャレにならなさそうな。
「ほれ、お前らも」
海藤が箱に入っていたボールを何個か、ポイポイと仲間に投げ渡していく。
「バッチこーいデス!」
「あははっ、バット持ってから言えよ」
「心意気の問題デス」
で、ミアも参戦するわけだ。
すっかり笑顔だけになった海藤がミアにボールを放った。
「あとでさ、野球やる?」
「やるか」
ナチュラルに励ますミアに乗る形で
「けどさ、バット折れない? メイスを使うのかな」
「あー、グローブもないしなあ」
「キャッチボールでいいんじゃない?」
「【身体強化】組に混じったら怪我しそうだけど」
変な盛り上がりを始めるクラスメイトたちだが、そこに暗さはない。せいぜい女子の一部が微妙な表情をしているくらいだ。やってみれば楽しいと思うぞ、キャッチボール。
「滑り止めに革で覆って、太めの糸なのは引っかかりを作る、だったかな」
「す。縫い目に指をかけるんすよ」
いつの間にかヒルロッドさんまで興味深そうにボールを手にしていた。木刀とかならまだしも、ボールにここまで力を注いだケースなんてないのだろう。疲れ顔のおじさんが白球を持つと、途端草野球感が強くなるな。
こういうのが好きなのか……、いや、握ったり軽く潰そうとしてみたりで、武器として使えるのかを検証中といった感じか。もっと遊び心を持ってもいいんじゃないか?
「さっきのタキザワ先生もそうだが、あえて柔らかくする意味はあるのかい?」
出てきたのは、なかなかそのとおりな問いかけだった。
「先生のは、まあ置いとくすけど、俺のは倒すのが目的じゃないすから」
「ほう」
「俺の場合、当てることが先すから」
「なるほど、違いないな。カイトウはコレに慣れていると?」
「す」
ちなみにこのやり取り、フィルド語でやっているわけだが、海藤が絶妙に語尾をはしょっているだけで、特別な用法があるわけではない。ミアといい、器用な言葉遣いをするものだ。
大陸共通語たるフィルド語は、一人称のバリエーションといい、敬語の概念だったり、妙に日本語に似ている部分があって俺たちとしては助かっている。それだけに俺たちは、人の目があるところでは極力日本語を使わないようにしているわけだ。そう簡単に日本語バレはしないと信じたいけれど。
話をボールに戻せば、ヒルロッドさんはまだ知らない。このボールに隠された秘密を。海藤が拘り抜いた理由を。
いやまあ、変化球のコトなんだけど。
◇◇◇
「ふふっ、どうかしら」
「どうって言われて──、よく似合っているんじゃないかな」
言葉を濁そうとしたら、そこら中から突き刺さるような視線が飛んできたぞ。みんな
中宮さんの木刀に続き、先生のフィンガーグローブと海藤のボールを受領した俺たちは、本日のおおとりを迎えていた。
「うん。いい感じね」
刷新した盾を持っていろんなポーズをとる綿原さんは、いつもよりちょっとテンションを上げている。
いちいちサマになっているからすごいな。日本にいた頃に盾なんて持ったこともないだろうに。
後衛系の術師なのに【身体強化】を持っている綿原さんは、ある意味ユニークな存在だ。
騎士組が大盾を持つのは当然のコトだな。それが役割なわけだから。逆にアタッカー連中は大きな盾を持たない。暴れてナンボのロールだから、動きは阻害したくないだろうし、軽ければ軽い方がいいのは道理だ。
かといって後衛系神授職の面々は外魔力が弱い上に【身体強化】を持っていない。将来的に
四階位になった【聖盾師】の
で、綿原さん。
彼女は最早、盾のエキスパートだ。二層転落事件と先日の鮭氾濫、さらには地道な訓練と持ち前の運動センスを掛け合わせることで、後衛なのにクラス六番手の盾使いとして、その地位を確立している。騎士が五人。その次ということだ。ジョブ特性を考えれば圧倒的だな。
つい先日から大盾の練習を始めた海藤より、間違いなく上手い。
彼女はそこに【鮫術】を組み合わせることで、魔獣の行動を適度に阻害しつつ受け流すというスタイルをモノにしている。二層で一緒に死闘を繰り広げたのに、俺はもうとっくに置いていかれた。少し虚しい。
「八津、なんていうんだっけ、あの盾」
「俺も詳しいわけじゃないぞ。そういうのは馬那だろ」
横から古韮が聞いてくるけれど、俺もちょと自信がない。ミリオタの馬那が適任だろうさ。
「俺は近現代だ。知らん」
残念。馬那は管轄外だそうだ。
いや俺も見たことはあるんだ、見たことは。ストラテジー系のゲームでああいうのを使ったことがある。
「ヒーターシールドでいいんじゃないかな」
「それだっ。ナイス
ここで颯爽と言い放ったのはゲーマーの夏樹だった。頼りになるな。思わずテンション高めの返事をしてしまったぞ。
そうだ、そう。ヒーターシールドで合っていると思う。
底辺をちょっと伸ばして丸みを持たせた逆三角形、といった形状をした盾だ。
俺たちが使っている丸いバックラーと、騎士組のカイトシールドの中間くらいの大きさで、縦幅は五十センチを超えている。綿原さんの左腕がほとんど隠れるくらいのサイズだ。
元々勝手に持っていたイメージと違って、横から手を突っ込むように装備するその盾は、鉄と迷宮産の木材で作られている。つまりは重くて丈夫だということだ。
訓練装備扱いではないのか、表面は艶消しの明るい緑、
俺たちの装備は灰色やら鉄色やらで、どうにも明るさに欠けているところにコレだ。女子たちが変に盛り上がっている。いやいや、防具だぞ、アレ。
「結構重たいし、取り回しも変わるわね。練習しないと」
そんなことを言いながら盾をいじくり倒す綿原さんは、モニュっと微笑んでいた。
装備で喜ぶ系女子だったかあ。
◇◇◇
「っしゃ、こいやぁ!」
「おーう、いくぞー!」
クラス全員が見守る中、佩丘と海藤が三十メートルくらいの距離で対峙していた。
工房での用事を終えてから、俺たちは訓練場に戻ってきている。太陽は傾き、四方を高い壁に囲まれた訓練場はもうすぐ暗くなるだろう。
そこで行われるのが、そう、キャッチボールだ。
残念なことにグローブは無い。よって素手、素手だ。
ボール以外に野球要素が存在していなかった。それはそれでワイルドでいいじゃないか。
「ワタシもやりたかったデス」
「ミアはあとでなー」
最初はミアが立候補したのだが、四階位の【身体強化】と【身体操作】持ちという海藤が投げるボールがどういう現象を起こすのか、ちょっと想像がつかない。しかも鉄球内蔵型だ。
かといって壁に投げるのもアレなので、なんとなく佩丘が動員されたという流れだった。
今になって考えれば、丸太とか適当な的を相手にすればいいじゃないかと思うけれど、時はすでに遅し。
「最初はゆっくりめでいくぞー」
「なめんな、勝手にやってろ」
海藤の微妙な煽りに佩丘が乗せられているけれど、それはフラグなのでは。
数秒の合間をおいて、軽く振りかぶった海藤がボールを投げる。
直後響いたのは、すぱぁんという普通に手のひらが出してはいけないたぐいの音だった。
「ってえ……、くもないな」
しっかりと左手でボールを受け止めた佩丘は、最初に顔をしかめたけれど、すぐに表情を元に戻した。
痛くない? アレが?
正直、海藤の投げたボールがどれくらいの速度を出していたのかは、わからない。やたらめったら速かった、くらいの感想だ。そうだ、とにかく速い。
ありきたりな人生を送っていて、横からキャッチボールを見ることがある人はどれくらいいるだろう。よくよく考えてみれば、幼いころの遊び以外となると、球技大会にソフトボールがあるかどうかくらいじゃないだろうか。
あとは高校野球とかプロ野球の中継だろうけど、アレはピッチャーの背中側からの画面なので、目の前の光景とは比較しにくい。
なにが言いたいかといえば、いまさっき海藤が投げたボールは、ちょっと常軌を逸した速度に見えたということだ。アレで軽く投げたとか言っていたな、海藤は。
そんなボールを受けて平気な顔をしている佩丘もヤバい。
こちらに飛ばされてきて最初に見た訓練風景。超人運動会と俺は評したが、どうやらクラスメイトたちもそちら側に踏み込んでいたらしい。
「やべーわ」
半笑いをしている海藤の声には困惑が多分に含まれていた。それと、ほんのちょっとの、これはもしかして歓喜か。
「軽く放っただけで、今のたぶん、百五十以上出てる。いや百六十かな」
誰にとでもなく言葉を続ける海藤のセリフを聞いて、そういえば前に似たような会話をしたことを思いだした。二回目の迷宮探索だったかな。
たしか百六十いくつで日本記録とか言っていたはずだ。それを今やってのけた? 軽く投げただけで?
「どうすべ。俺、めっちゃくちゃ、投げ込みたくなってきた」
笑う海藤の顔は、まるっきり近所の野球少年と化していた。
この場合の問題は誰がそれを受けるのか、かもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます