第99話 変化球と食事情




「ほーれ、いくぞー!」


「お、おおう」


八津やづよぉ。腰引けてんぞー、しゃんとしろ」


「お、おう。いいか海藤かいとう、そこそこだぞ? 俺は後衛職で【身体強化】持ってないんだからなっ!?」


「わかってるってー」


 なぜ俺は海藤とキャッチボールをしているのだろう。

 あんな凶器じみたボールを使って、しかも素手でだぞ。いちおう盾は持っているけれど。



「っし!」


 掛け声とも息吹ともつかない音を発して、海藤が白球を投じる。

 ヤツは左投げだ。サウスポーというやつだな。真上というより利き腕を斜め上に振りかぶったフォームで、俺の右肩を狙ったような角度でもってボールが飛んできた。


 とにかくボールをよく見ろ。【観察】【一点集中】よ、ここが見せ所だ。念のために【痛覚軽減】も準備しておこう。

 見るべきは『回転』と『向き』だ。ヒントは縫い目。ソレにさえ集中すれば、ここからの軌道を読むことができる。


 ストレートは逆スピンで、スライダーとシュートが横。あとはチェンジアップとスプリットだったか?



 なるほど、たしかにこれはストレートじゃないと思う。横回転が強い。たぶん、スライダーだ。

 当初俺の右肩に向かっていたボールが、少しずつ左側に流れていく。この曲がり具合ならっ。


 何度も繰り返しになるが、俺の【観察】は見えるだけで、思考速度や反射神経が良くなることはない。とはいえ取っ掛かりだけは誰より速いと、それだけは自負している。すなわち意思決定までの速度だ。残念ながら判断力ではない。判断材料を集めるのが速いから、そのぶん瞬発的にどうするかを決定しやすいというコトだ。

 さらに俺は後衛とはいえ四階位で【一点集中】も使っている。普通の文系高校一年生男子の範疇を逸脱した反射速度と力が備わっているということだ。


 自己肯定をしている間にもボールは迫っている。


 ズパンといい音を立てて、俺の左手は白球を捕まえた。

 痛くはないが、なんかまだキュルキュルと回転していないか、このボール。


「ナイキャチー!」


 海藤の笑顔は絶好調だ。めっちゃくちゃ楽しそうだな。

 で、これ、いつまで続けるんだ?



 変なことを言わなければよかったと後悔するのは、人間だれにでもあることだろう。

 俺の場合はついさっきだ。


『回転の仕方が違うんだな』


 馬那まな古韮ふるにらなんかが海藤とキャッチボールを始めたあたりで、そんなことをつぶやいてしまったのだ。常日頃から【観察】を使いまくって、周りもそれを知っているからこそ、俺の言葉が戯言ではないとすぐ気付く。


『回転軸まで見えるのか?』


 それに海藤が食いついてこうなったというワケだ。



広志こうしもなかなかやりマスね」


「代わってもいいんだけど」


たかしが納得してまセン」


「なんだよなあ」


 すぐ横で見物しているミアだが、普通にキャッチボールの順番待ちをしていた。そこに海藤のご指名で、俺が割り込む形になってしまったのだ。


 割り込みはズルいと膨れた彼女は全面的に正しい。変な探求心を起こした海藤が悪いのだ。結論として俺は悪くないはず。

 最後の全力投球はミアが担当することになったわけだし、それで納得してほしいかな。あっちで馬那と古韮がキャッチボールをやっているから、混ぜてもらえばいいのに。


 夕暮れの訓練場に白球が舞っていた。

 このフレーズだけだと実に青春だな。



 ◇◇◇



「こちらを」


「……これは」


「はい、土鍋です」


 離宮に戻ってさあ風呂と食事だとなった段で、メイドさんのひとりアーケラさんが恭しく差し出したそれは、土鍋だった。もちろんそれを受理するのは我らが料理長、上杉うえすぎさんに決まっている。

 ちなみに副料理長は佩丘はきおかだ。指名された時になにやら捨て台詞を吐いていたが、まんざらでもない顔がダダ漏れだったのはいい思い出だな。


 そんな佩丘も同じくメイドのベスティさんから土鍋を受け取っている。ヤツらしくもなく緊張した面持ちだ。高そうな花瓶でもあるまいに。


 だが気持ちはわかるぞ。俺たちが心待ちにしていた品のひとつだからな。



「いいじゃねえか」


「そうですね。注文通りです」


 悪人顔で嗤う佩丘と聖女スマイルの上杉さんの対比が酷い。

 それでも二人の言っていることはそろってポジティブだ。合格の品だったということになるな。


 手渡された鍋は釉薬の関係か、茶色地に薄っすらと緑がかってなんともいい色合いを出していた。そっち方面に詳しいわけではないので、勝手な印象だけど。

 俺の持つザ・土鍋のイメージに近い、実にスタンダードな形をしている。ただし結構大きいかな。直径で五十センチくらい、深さは二十センチはありそうだ。当面の用途が決まっているだけに、大きいのは当然か。

 キッチリ蓋もセットになっているし、これはもう立派な土鍋と言っていいだろう。


「この大きさのモノが五個。もう少々お時間をいただければ、小さい鍋を人数分ご用意いたします」


 ちょっと誇らしげなアーケラさんが第二弾があることを教えてくれた。

 個人用の土鍋か、実にいい。


「全員分の鍋ですか。鍋焼きうどんはムリでも、おかゆや雑炊ならよさそうですね」


「そうだな。ったく、味噌と醤油さえありゃあなあ」


 上杉さんと佩丘のクッキングトークが続く。


 で、コレ使い道だが。

 炊飯だ。土鍋でごはんを炊く。実に素晴らしい行いだ。



「鍋料理にも、いろいろ使えそうですね」


 米のことばかり考えていた俺の心を読んだかのように、タイミングよく上杉さんがバッサリと斬ってきた。べつに俺と会話しているわけではないのに、ちょっと心に刺さる。

 まあ、なんにでも使えるな、土鍋だし。


 そんな上杉さんを先頭にして、土鍋を手にした調理班はキッチンに消えていった。さっそく使い勝手を確認するつもりだろう。



 アウローニヤには皿や壷のような陶器はあっても、調理に使ったり保温のための土鍋文化は古臭いという理由だかで、王城からは絶滅していた。平民がどうしているのかはわからない。迷宮から鉄が採れるのが大きいのでは、というのが藍城あいしろ委員長の推察だ。

 迷宮では粘土は出ないけれど、鉄が出る。なるほどだな。


 米を炊くのにも鉄鍋に木製のフタを使っているわけで、それはそれでアニメや高級料亭っぽいイメージで悪くはない。できれば鉄窯がいいのだけれど、それは望みすぎだろう。いや、将来的にはアリだな。



 待ちぼうけの間、いつもどおり俺たちは雑談タイムに入っていた。裏で技能は回しているけど。


「鉄鍋で料理って、迷宮メシのイメージがあってなあ。俺も一度はやってみたいけど」


 古韮がしみじみと腕を組みながら言うが、俺は二層転落事件でソレをやっている。

 たしかに悪くはなかったけれど、あの時は四人だったから警戒しながらの食事になって、まったく落ち着かなかった。クラス全員とかで入れ換えで偵察しながらならアリかもしれないな。

 いや、忍者の草間くさまと鞭使いひきさんがいれば、それで事足りそうな気もする。


「鶏ガラは良かったね。こっちの人にはウケなかったけどさ」


「わたしは美味しいと思いましたよ。また食べてみたいですね」


 鍋談義のノリを受けて、笹見ささみさんが残念そうに料理チート失敗を語れば、護衛兼メイド三人衆がひとり、【翔騎士】のガラリエさんがニッコリと笑ってくれた。


 こちらの鍋というかスープは、肉料理もそうなのだけど、全体的にスパイシーだ。カレーとはまた違うノリで、胡椒っぽい何かが多めで、それに加えてアクセントにピリ辛スパイスが投入されるケースが多い。美味しいかと聞かれれば、間違いなくそうですねと言えるくらいには安定した味だと思っている。だが毎日はどうだろう。


 だからといってせっかくメイドさんたちが作ってくれている食事だ。

 贅沢を言うのも申し訳ないということで、食事についてはなあなあになっていた。だがしかし、一部のクラスメイトは虎視眈々とその時を待っていたのだ。

 具体的には上杉さんと佩丘だな。



 米騒動があった日から、俺たちは夕食を手伝うようになった。

 何かしらの一品と、米が出る日は炊飯をメインに、なにかしら米料理を作ることにしたのだ。俺たちが不安定な時期だったのもあって、気分転換になるからと王国側もそれを認めてくれた。


 鶏ガラスープもそんな経緯で生まれた一品だ。


「今度さ、ラーメンに挑戦してみない?」


「ラーメンか。かん水ってどうやって作るんだっけ」


「うどんとかソバなら……、って、醤油とダシが無いとムリかなあ」


「ねえねえガラリエさん、魚を干したのってあるんですよね?」


「庶民料理としては。みなさんにお出しするのはちょっと……」


「いいじゃないですか。僕たちはそういうの気にしませんから。ほら、鮭だって試しに干してるじゃないですか」


「……上に確認してみます」


 料理談義の中で、なにげに『俺たちは平民を差別しないムーブ』が混じっていたぞ。

 誰だ言ったのは。



 さておき、今では日替わりで三人から四人が料理班としてがんばってくれている。俺も一回やったけれど、常任料理長たる上杉さんの指導は厳しかった。

 先生は何故か毎回参加していて、その時ばかりは本気で先生を辞め、上杉さんと佩丘に教えを乞うている。パーフェクトなイメージの先生にも弱点はあったわけで、それはそれで実にいいんじゃないかと、密かに一部男子連中が萌えたのは秘密だ。


 そういう経緯で山士幌高校一年一組による料理チートは発動したのだ。


 マヨネーズ無双は卵が高級品なので、いつかやってやるリストに追加して保留。そのわりに牛乳とバターは普通に使えたので、鮭のバター焼きは大成功した。みんなで泣いた。

 メイドさんたちはもちろんドン引きしていて、そういった光景はもはや離宮の日常になりつつある。これが異世界常識格差というやつだろう。さっきの平民ムーブを咎められないな。



「カラアゲとかトンカツもいいよね」


「おう。揚げ物は料理チートの基本だな。ガラリエさん、こっちに油を使った料理ってあります?」


「そうですね……、魚の油煮や蛙料理があります。蛙揚げは出てことがあったのでは」


「ああっ、あったわ。くっそう揚げ物チートは無効か」


 古韮はこの国の食文化をどうかするつもりか?

 大規模チートではないし、この程度なら許容範囲だと理解はしている。食事と風呂についてはどうしても妥協したくない分野だからな。



 そうそう、メインは炊飯だった。


 これについては上杉さんが本当にがんばってくれている。

 水の量、火加減、蒸らしの時間、砥ぐ回数などなど、鉄鍋の個数分だけ条件を分けて検証を続けているお陰で、ゴハンはちょっとずつ白くなって匂いが柔らかくなってきた。

 そのぶん俺たちが湿っぽくなる回数も増えたわけだが、それは彼女の罪ではない。


美野里みのりのお陰でお米の扱いが見えてきまシタ。ワタシも精進しマス」


 ちなみにミアが切望したので、携帯タイプの飯盒が工房で絶賛製作中だ。優先順位が最下位だったので今日はムリだったが、次回の迷宮探索では持っていけるかもしれない。


 こんな感じで俺たちは精神を揺さぶられながらも異世界を生きている。なんてな。



 ◇◇◇



「夜分に失礼します」


 夕飯が終わって、さあ日本人の時間だと皆が動き出したそんなタイミングで、アヴェステラさんがやってきた。


「みなさんにご報告したいことが──」


 新武装といい、鍋といい、どうやら今日は新しい何かがやってくる日らしい。


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