第406話 一所懸命に生きる人




「では改めて挨拶をさせてもらうかな。キャルシヤ・ケイ・イトル閣下が伴侶、ベゼース・イトルだ。キャルと紛らわしいだろうからベゼースで構わない」


 ベゼースさんの改まった挨拶は、アウローニヤにおける規範に則ったものだった。

 あくまでイトル子爵家の当主はキャルシヤさんで、自分は伴侶であれど配下となる。だからこそこういう名乗りになるのだ。


 場所はイタルト市街の奥まった場所に建てられたイトル子爵邸の一室。

 王城の『水鳥の離宮』にあったような巨大なテーブルが置かれた食堂に、一年一組が集まっている。


 お誕生席にはベゼースさんと、その横に小さな女の子。子供用の背の高い専用椅子にちょこんと座っているのが可愛らしい。

 対面に座るのはガラリエさんとシャルフォさん。


 で、俺たち一年一組はいつものパターンで男女に分かれてテーブルの長辺を埋めている。


 壁際には給仕係らしき女の人が二人と、男の人が一人控えているのだけど、完全におばあちゃんとおじいちゃんだ。恰好もメイド服とかではなく、それなりに上等だけど普段着のような感じの服装をしている。


 ちなみにヘピーニム隊の人たちは別棟で同じく食事にありついているはずだ。

 彼らも堅苦しい場には出たくないし、シャルフォさんとしても出したくないらしい。こういうところでこの国は平民階級と騎士爵の差が大きい。


 今回の場合は差別というよりも、ヘピーニム隊の人たちがこの場にいることを嫌がっているというのが大きいのだろう。

 お互いに無駄な気遣いを避けた形だな。じゃあ俺たちはなんなんだという話になるが、いちおうまだ王国騎士爵ではあるし、日本人感覚だと素朴な雰囲気のあるベゼースさんに気後れはしないからな。

 なによりベゼースさんは勇者との対談をご所望なわけで。



「ほら、ケイ、挨拶してごらんなさい」


「ケイは、ケイタール・イトルです。五歳です」


 ベゼースさんに背中を軽く押されたケイタールちゃんのご挨拶を受けた食堂に万雷の拍手が巻き起こる。一部からは意味不明な歓声まで上がる始末だ。

 白いサメと石やら水球が舞い踊り、ケイタールちゃんの大変良くできたご挨拶を賞賛している。


 なにしろ、こっちはアウローニヤに飛ばされてから出会う、本当の意味で最初の子供だ。

 しかも金髪美少女。アガらないはずもない。


 最初は驚き顔になったケイタールちゃんだけど、俺たち迫真の笑顔にすぐにニッコニコになってくれた。やっぱりこうでなくっちゃな。

 とはいえ一年一組も大概だよなあ。俺もガッツリ楽しんでいる側ではあるが、ノリが良すぎじゃないだろうか。


 そんな俺たちの勢いに、当のベゼースさんはもちろん、シャルフォさんやガラリエさんもが引いているんだけど。

 その点ウチの滝沢たきざわ先生は肝が据わっている。視線をそっと下に向けて不動の構え、というか、状況を受け流す流水のごとき振る舞いだ。出来る。


「えっと、レイコお姉ちゃん、ユキノお姉ちゃん、さっきはお風呂、ありがとうございましたっ」


「なーになに、あたしにかかれば簡単さあ!」


「うん。どういたしまして」


 ケイタールちゃんに名前呼びをされたアネゴな笹見ささみさんはデレデレで、ポヤっと系な深山みやまさんもどこか誇らしげだ。



 俺たちがこの屋敷に到着した段階で旅の疲れをまずは洗い流してもらおうと、大きな浴室にはすでに水が張られていて、あとは温めるだけの状態になっていたのだが、そこで手を挙げたのがお二人だった。

 この館の風呂は基本、薪で沸かすのらしいのだが、こちらには毎日朝晩風呂を作り上げている笹見さんがいる。さらには深山さんまでもが名乗り出て、沸騰直前まで持っていった湯を適温まで下げるというコンボが発生した。この家の衛生管理を信じていないわけではないけれど、念には念を入れたという形だな。


 遠慮をするイトル家のお二人を一番風呂に指名して、一年一組プラスガラリエさんとシャルフォさんが男女別れて二番手、最後はヘピーニム隊の人たちとなったわけだ。

 旅の初日でホカホカなのは実にいい感じだけれど、明日以降はこうもいかないのが確定しているので、なおさら笹見さんと深山さんが気合を入れたという事情もあったりする。それとちびっ子にいいとこを見せたかったのも。


 そうして食事の席についた俺たちだが、地上では魔力回復が遅いというのもあって、深山さんと笹見さんは本日の魔術行使を最低限にするように通達された。ということで、さっきテーブルの上で踊っていた水球はチャラ男な藤永ふじながによるものだったりする。


 ちなみに目の前に並んでいる料理については、さすがにこちらの上杉うえすぎさんや佩丘はきおかは出張っていない。

 あくまで俺たちは客の立場で、あちらは子爵家の当主代理が迎えてくれている形なのだ。風呂はまあ、こちらからワガママを言い出したことだし、経費節減になるのだからで押し切った。



「まずは食事としよう。普段は二人なものだから静かでね、ケイも賑やかな方が楽しいだろう。楽しくやってもらいたい」


「ありがとうございます。礼儀には疎いものでして、こちらとしても助かります」


 明らかに俺たちの事情を知った上でベゼースさんがしてくれた提案に、こちらを代表して先生が返答する。

 とはいえ、ここから先に政治的な会話が出てきた場合、委員長か上杉さんが応対することになるだろう。あの二人は出席番号も都合よく一番と二番なので、上座側なのが助かる。



「あ、このパン美味しいです!」


 どんな食事になるかと構えていたが、そんな空気を早速軽くしてくれたのは元気っ子の奉谷ほうたにさんだった。


「それは嬉しいね」


「えへへ」


 奉谷さんのセリフに全く嘘が混じらないのはいつものことだ。

 気まずければそもそも口を開かないし、ポジティブならば黙らない。そういう彼女の言葉だからこそ、相手には響くのだ。


 それをダイレクトに感じたのだろう、ベゼースさんは優しく微笑み、ケイタールちゃんは得意げだ。


「たしかに美味いな」


「木の実? クルミっぽいけど」


「ウチの店のチーズを乗せてみたいデス」


 クラスメイトたちからも称賛の声が上がる。

 それとミア、こっちの世界は乳製品が少ないから、チーズは高級品だぞ。危ない発言はしないように。


 実家が手づくりチーズの店をやっているミアの事情はさておき、もしかしたら俺たちの到着を予想して焼いてくれていたのかもしれないパンは、まだほんのりと温かく、王城では食べたことのないクルミのようなナッツが中にまぶされていた。

 懐かしい食感だよな、こういうのも。


 ほかの料理に目新しい品はない。

 肉類はアラウド迷宮から送られてきたものだし、野菜にしても半分がたは迷宮産だった。強いて言えばアラウド湖で獲れた魚という、俺たちがあまり食べたことのない料理が珍しかったくらいだろうか。


 それでも大人数でテンションがアガっているケイタールちゃんが喜んでいる姿を見ると、場の空気も良くなるというものだ。


 ちなみにアルコール類は用意されていなかったのだけど、そのあたりの事情もちゃんと伝達されていたらしい。ヘピーニム隊の人たちがいる棟がどうなのかは知らないけど、やるじゃないか、キャルシヤさん。



「歓迎してもらえてよかったわね」


「心からって感じ、するよな」


 向かいに席に座る綿原わたはらさんは、ほっとしたように力が抜けている。それについては俺も同感。

 なにせキャルシヤさんは、結果は良かったとしても自ら進んで女王様に与したわけではないし、俺たち勇者はその手先だ。ベゼースさんが俺たちに複雑な思いをしていても不思議ではない。


「俺はチグハグさが気になった」


 右隣りから話しかけてきた馬那まなは、どこか訝しげだ。


「チグハグ?」


「この街、綺麗なのに、寂しいっていうか。やっぱり徴兵のせいなのかな」


「ああ、なんとなくわかる」


 馬那の言葉には俺も同意できる部分があった。


 たとえばこうして食事をしている食堂にしても、質素ではあるが貧乏くさい雰囲気はない。テーブルも綺麗で、食器もひとつひとつが綺麗に磨かれているから、仕事をしてくれただろうおじいちゃんとおばあちゃんの心遣いは伝わってくる。だけど、なんでこういう人選なのか。


 実はこの街、イタルトに入ってからずっとこんな感じなのが、俺としても気になっていた。


 イタルトは中世ヨーロッパ風な物語にありがちな城塞都市でもなんでもない。

 高く積まれた石の壁なんかは見当たらなくて、せいぜいイトル邸の周囲に高さ一メートルくらいの石垣があったくらいだった。街の周囲なんてフルオープンで、最初は閑散と、次第に家が増えてきて、中心部でやっと店や宿が混じり始めるという感じで、言うなればやたら大きな村といったイメージだ。


 そんな街の規模に比べると人が少なくて、明らかにお年寄りが大多数。だけど決してうら寂れた印象はない。

 木造の家がほとんどではあったが、それなりに綺麗な街並みがあり、そしてここ、イトル子爵邸宅は豪華とは程遠いけれど、それでも普通に綺麗で大きかった。


 街の入り口にあったボロい鳥居はどうやら由緒あるものらしく、アレは別扱いということらしい。すっかり初手のイメージにヤラれたな。



 馬那のいうチグハグさ。

 広くて灌漑がシッカリしているのに手入れ不足な畑、お年寄りが多くてそれなりに綺麗な街並み、そしてこの食事。


 意味するところはやっぱり人手不足、なんだろうな。



 ◇◇◇



「ガラリエ・ショウ・フェンタです。この度女王陛下のご温情により、王国男爵位を賜りました」


 食後、会場を談話室に移して、今度はこちら側からの自己紹介だ。


 離宮とは違って、ちゃんとテーブルが並べられていて、一部にはソファーまで置かれているので地べたに座ってというわけではない。


 さて、この時点でこのメンバーの中で唯一正式に叙爵が完了しているのは、実はガラリエさんだけだったりする。俺たちの方は騎士爵剥奪の上に国籍喪失なので叙爵とは言わないか。

 いちおう今の段階でこの一団は『緑山』、ヘピーニム隊合同の物資輸送任務扱いだ。


 ガラリエさんが正式な男爵になったのには、この旅における箔付けとともに、ちょっとした理由も無くもない。

 この集団、トップスリーはガラリエさん、平民上がりのシャルフォ・ヘピーニム騎士爵、同じく勇者の称号はあれど平民出身の異邦人たるショウコ・タキザワ男爵なのだ。旅路の途中で、もし貴族の地位が必要なイザコザがあった場合、血統貴族出身のガラリエさんが男爵として存在するのは大きい。


 落ちぶれたとはいえ、今回の騒動で勝ち組に回ったフェンタ子爵家のご令嬢が戦果を上げての男爵だ。しかも女王様直々の推挙ときた。格としては十分なんだとか。

 これでも喧嘩を吹っかけてくるバカが居る可能性があるのがこの国の現実というのが怖い。


 などという理屈でいつの間にか、というか本日の午前、ガラリエ男爵は正式な存在になっていた。

 書類にサインをしたタイミングは、なんと俺たちが漁村に降り立ち荷物チェックをしていたあたり。ガラリエさん的にそれはアリなのだろうか。

 変装していたが女王様もいたし、メンバー的には十分だったのだろうけど、なんかなあ。



「ショウコ・タキザワ男爵です」


 そんな俺たちの自己紹介を、たった五歳の女の子は必死になって記憶しようとしているのか、青い瞳を大きくして目を凝らしている。


 そんなケイタールちゃんのポジションはソファーに座った笹見さんの膝の上だ。どうやらあの子は笹見さんが気に入ってしまったらしい。母親たるキャルシヤさんの体格に近い女性となれば、たしかに彼女一択ではあるのだけど。豪快な空気も似ているし。

 これには周囲の女子たちが羨ましそうで、何人かは嫉妬の炎に燃えている。綿原さんもその中のひとりだったりして、彼女が子供好きと知れた俺としては楽しい発見でもあった。


 それと夏樹なつき、お前まで羨ましそうだけど、それはどっちの立場視線なのかな?



「マコト・アイシロです。よろしくお願いします」


 そしてさっきの食事や、畑、街の風景を思い出しながら、どうしても考えてしまうのだ。


 こんな子が近い将来、帝国とのイザコザで不幸な目に会うのなんて、間違ってるよな。


 王城を離れてこうやってイトル領に入ったことで、はじめて現在の王国の情勢を叩きつけられたような気分だ。

 城の中には大人しかいなかったし、同年代はいても、それは全員貴族たちだった。そこに女王様が含まれているのだけど、それはいまさらだな。


 けれど、こうやってイタルトという街の在り様を見て、ケイタールちゃんの笑顔を知ってしまうと、どこに正しさがあったのか、これからこの国がどうなるのか、ゴールが見えないモヤモヤを突きつけられた気分になるんだよな。


 俺たちは基本的に女王様を無意識に信頼してしまっている。だからといって彼女の帝国に対する付き合い方が、この国の全てを救うなんていう保証はどこにもないのだ。

 もしかしたら宰相派が大挙して帝国に逃げ込んだ方が、一般の人たちやこういう地方領主にとってはマシだったなんてことも……。


 とはいえ、そんな事態になったら俺たち勇者は漏れなく帝国傘下で都合のいい駒にされていたので、絶対に付き合うわけにはいかなかった。

 俺たちは全員で山士幌に帰るのが大前提で、だからこそ女王様のクーデターに加担したのだ。人が傷付き、亡くなるとわかっていても。


 いやいや、少なくともイトル家に限っては、女王様に付いた方が確実に良い方向に傾いているはずだ。

 こうしていくら考えたところで、政治に疎い俺には答えなんてわかるわけもないか。



 ◇◇◇



「僕はね、申し訳ないけれど、イトル家にはそれほど執着していないんだ」


 自己紹介が終わり、当たり障りのない旅とかの会話がひと段落したところで、ベゼースさんがとんでもないコトを言い出した。


『ケイ、勇者のみなさんに話を聞かせてもらっているといい。僕は少し外すからね』


『うんっ!』


 などというやり取りがあって、ここは談話室の隣にあった応接室みたいなところだ。


 どう考えても政治的な話だったので俺は付き合いたくなかったのだけど、身内から当たり前のように頭数に入れられていたのがツラい。

 メンバーはガラリエさん、先生、委員長、上杉さん、田村たむら古韮ふるにら、綿原さん、そして俺……。答え合わせでもしたかったのか、馬那もこっちに来ている。


 どうしてシャルフォさんと中宮さんの不在が許されているんだろうなあ。政治サイドじゃないっていうのが理由なのはわかるんだけど、どうにも釈然としない。

 アウローニヤに来てからこちら、しばらくは副委員長として政治関連にも参加していた中宮さんだけど、最近はもっぱら武術サイドだ。なんかズルくないだろうか。



「二百年の歴史を持つとはいえ、僕は外様だからね。御家の隆盛にはそれほど興味がないんだよ」


 微笑みを浮かべたままのベゼースさんは、抜け抜けと言い放つ。


「おっと、この点についてはキャルも同意見だからね。今を生きている自分たちがどうありたいかが大事なんだと、そういう意見で一致している」


 微妙な表情になってしまった俺たちに釘を刺すように、ベゼースさんは大きなアクションで手を振って夫婦仲が円満であることを示してきた。


 イトル子爵家の歴史は調べたことがある。

 俺がキャルシヤさんに目を付けられたんじゃないかという話題が出た時に、みんなで調べたのだ。主に綿原さん主導で。


 元々騎士の家系だったイトル家は、現在のレムト朝が興る前から男爵としてこの地に領地を得ていたらしい。

 で、百数十年前、当時腐敗していたと『されている』ウーウェラ王室が西のフィーマルト迷宮を発見したのを契機に、レムト公爵ともうひとつの公爵とが三つ巴のバトルをやった。もちろん勝ち残ったのがレムト公家、現在のレムト王室だ。


 イトル家はその争いの中でレムト公爵家に付いた。だからこそ領地は安泰とされ、レムト王朝初代女王によって作られた六騎士団の序列二位たる『白水』の団長になったという経緯がある。

 レムト朝の重臣としては名家も名家だな。子爵家ならば王国でも十指に数えられるはずだ。


 ただし先代イトル子爵が近衛騎士総長の追い落としを画策するなんてバカをやらかすまでは、だけど。



「『負け子爵』ことイトル家は、義父が急死したことで一気に転落した。ちょうどケイが生まれてすぐだったというのもあって、キャルが近衛に不在だった隙を突かれたのもある。キャルは『蒼雷』に飛ばされて、兵役の割り当てが厳しくなったのもその頃からだ」


 やっぱりそうだったのか。

 仮にも名門子爵家で騎士団長の領地にしては、変な寂れ方をしていると思ったんだ。納得したのか馬那も無言で頷いている。


「それでもキャルは政治を嫌っていたからね。宰相と総長の両方から疎まれていたにも関わらず、中立を保とうとしていた。それが悪手だとしても」


 ベゼースさんは軽い笑顔のままで語っているが、心の内はどうなんだろう。キャルシヤさんに隔意はなくても、王国に対しては。


 そんな立場だった頃のキャルシヤさんに俺たちは出会ってしまった。しかも迷宮内で、羊の群れと共に。あの時キャルシヤさんは俺たちに何かを見たようだけど、思うにそれは政治的な意味ではなかったはずだ。


 どちらかと言えば貴族騎士の『白水』よりも、迷宮で暴れる平民騎士たちがいる『蒼雷』が似合ってしまうのがキャルシヤさんだと俺は思う。『紫心』団長や総長代理が、なんか似合わないとも。


「僕としてはそれでも構わなかったのだけど、結果としては女王陛下に取り込まれて、しまいには伯爵閣下だ。どうにも困ったものだね」


「ベゼースさん。それについては、加担した側として──」


「気にすることはない。僕はこれで良かったと思っているんだから。女王陛下がいなければどこかでキャルは使い潰されていただろう。魔獣溢れる迷宮でも、醜い政争が繰り広げられる地上でもね」


 ついにキャルシヤさんの総長代理就任に触れたベゼースさんに、思わずといった風に委員長が口を挟むが、そのセリフは最後まで言わせてもらえなかった。

 むしろベゼースさんの語る未来の方が確実に起き得ただろうことは、この場にいる全員が理解できている。


 ベゼースさんは全部をわかって、その上でこうして俺たちと応対してくれているんだ。


「地上の懸念が一掃されれば迷宮に専念できるだけ、キャルの気性にはそちらが合っている。およそ陛下もキャルに政治力は期待していないだろう」


「たぶんキャルシヤさんなら、率先して潜ると思いますよ。無理やりでも『紫心』を引っ張って」


「……そうだね。そのとおりだ。目に浮かぶようだよ」


 なので俺もちょっとだけ勇気を出して、キャルシヤさんを持ち上げた。


 嬉しそうな顔のベゼースさんが想い描いている光景を俺は共有できているだろうか。

 あの豪放でカッコいい【斬騎士】、キャルシヤさんは、どんなに偉くなっても迷宮で戦い続けるような気がするんだ。それはたぶん、女王様の求めている新しい近衛騎士の姿そのものだから。


 うん、そうだ。総長代理候補は二人いて、それがミルーマさんとキャルシヤさんだったのだけど、女王様の選択は間違っていないと思う。

 ミルーマさんが辞退したというのもあるだろうけど、迷宮を突き進む総長代理となれば、やっぱりキャルシヤさんがよく似合う。『迷宮子爵』なんて呼ばれていたらしいキャルシヤさんは、こんどは『迷宮伯』なんだろうな。日本語だと迷宮泊とカブるけど、フィルド語なら音が違うので、その点でも安心だ。



「王城のゴタゴタは陛下にお任せするし、キャルの役目は迷宮にある。ならば僕はどうなんだろうと、ここ数日考えていたんだよ」


 自嘲にも聞こえる静かな声になったベゼースさんは、応接のソファーに背中を預けて軽く上を見上げている。


「今までは情勢に流されていたし、半ば諦めていた。帝国に呑み込まれるにしても、ケイだけでも逃がすことができれば、なんて思っていたんだ。言っただろう? 僕はイトル家に執着なんてない。ケイがケイタール・イトルじゃなくなることで安全になれるなら、それで十分だったんだ」


「ベゼースさん……」


 そんなセリフを聞いた綿原さんは、痛ましいおじさんにどうやって声を掛けたものかと迷った素振りで、だけど名前以上の言葉が出てこない。

 この場にいる誰もが一緒だ。


「だから同じままにすることにした。僕はこれでも元近衛騎士だからね。今はこの領地の護り手で、なによりキャルとケイのために、この命はここにあるのさ」


 これまでと同じように行動すると言うベゼースさんに、皆が怪訝そうな表情になる。

 いや、上杉さんだけは別か。なにか思うところでもあるのかな。


「僕はキャルの成すことを見守りながら、これまで以上に最善を尽くすとするよ。まずはイトル領の健全化かな。陛下から援助が出るなら有難いのだけど」


 イトル家に執着は無いと言いつつ、それでもキャルシヤさんやケイタールちゃんを守る手段として、ベゼースさんはこの地を使おうとしている。



 もしかしたらこれが今、地方領主たちが陥っている状況なのかもしれないと、ふと思う。


 王城の中にいる官僚たちと違って、領地に籠る貴族たちは情報に欠けるはずだ。キャルシヤさんと繋がっているベゼースさんなどは、これでもかなりマシな方だろう。

 では、そんな人たちがどうするのか。女王様が戴冠したという情報を得たとして、これから何が起きるのかもわからないだろう。ただ女王様の沙汰を待つのか、それとも積極的におもねるのか。


 どんなに暗号を駆使したところで、まともな情報源が存在しなければ意味などない。


 そんな中でできるひとつの解答が今のベゼースさんの考え方だ。開き直って領地経営に打ち込めばいい。

 そしてそれこそが大正解だと俺たちは知っている。あの女王様は、こういう姿勢を望んでいるのだから。



「街道整備でも灌漑でも、開墾でもしよう。現状の収穫を増やす手法があるならば……、あとで、シライシとノキだったかな、彼らと話す時間を貰えると嬉しいのだけど」


「好きに使ってやってください。アイツら、農業の話になったらうるさいですよ?」


「いいね。どうやら僕は正解を引き当てたようだ」


 開き直りのせいなのか、心持ち饒舌になって白石しらいしさんと野来のきを所望してくるベゼースさんに、ヘラっと笑った古韮が即答してみせる。ほかの面々などは苦笑いがほとんどだ。


 そんな空気を感じ取ったベゼースさんは、どこか安心したんだろう。

 良くも悪くも子供な俺たちから、ベゼースさんとイトル領、そしてケイタールちゃんに当面は危害が無さそうだと読み取ったかな?


 これこそがベゼースさんが一番欲しがっていた情報で、勇者をこうして迎えた最大の理由だったのかもしれない。

 まあ、こんな会話でキャルシヤさんの故郷が元気になれるなら、ここに立ち寄った甲斐もあるというものだ。


一所ひとところに懸命となる。土地にしがみつくというのとはまた違うのでしょうけれど、本当に大切なモノを守ろうという姿勢は、とても立派だと思います」


「『聖女』のお墨付きか。お言葉をありがたく受け取るよ」


 どこか感じいった風の上杉さんが優しく微笑みながら放ったセリフを受けて、ベゼースさんは心底安心したように笑った。


 時代がかった物言いができた上杉さんまでもが嬉しそうで、なによりだ。


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