第405話 他人の畑に文句を付けるモノではない




「普段の昼は迷宮と同じで保存食なんですよ」


「戦いの最中だからこそ温かい食事が大切なんだって、ウチの馬那まなが言ってました。たぶん本かなんかの受け売りでしょうけど」


「出展はなんであろうとそこに意義があれば、それは本当だと思いますよ、ヤヅさん」


「そうかもですね」


 昼食の準備に盛り上がる仲間たちを見ながら、シャルフォさんと俺は軽い会話を交わしていた。手にしているのは『豚串』だったりする。

 順番に焼いているので、全員に行き渡るまではもうちょっとかな。


 迷宮二層で採取できる豚肉は、同じく二層のカエルやウサギ、三層のヒツジやヘビと並んで王都ではスタンダードな食材だ。ただしブタはレアモンスターに近いので、本来それほど流通量は多くない。

 今回の旅に先立ち一年一組は、鉄串にカットした豚肉を刺しておき、それを【氷術師】の深山みやまさんと【冷術師】のベスティさんが凍らせたものを多数運んできている。


 どうしてそんなものを持ってきたのかといえば、二層に溢れた魔獣の素材がダブついて、値が落ちていたというのが理由だったりする。レアがレアじゃなくなっているのだとか。

 どうせ安いならレアっぽい食材もアリだという理屈だな。事実、ヘピーニム隊の人たちは嬉しそうだし。これから先に立ち寄る場所で、珍しいお土産ってことにもできてしまうのがお得感。



「はい、こっちも解凍終わったよ」


 さて、そんなセコい裏を持つ豚串なのだが、冷凍して保存してあるので、食べる時には解凍する必要がある。もちろん担当してくれているのは、我らが【熱導師】の笹見ささみさんだ。


 彼女の【熱術】は基本的に対象を選ばない。普段の戦闘では空気か水を使っているが、それは笹見さんが風呂にこだわるあまり【水術】を取得しているからというのが理由である。

 綿原わたはらさんの【鮫術】と同じく、対象とする物体に対応する魔術を使える方が、安定度や緻密な操作性に繋がるのがこの世界の魔術ルールだ。


 ここでちょっと話が逸れるが、【導師】という上位系術師の笹見さんはいろいろな魔術を候補に出していて、その中には【風術】もあったりする。【身体強化】が候補に出たせいで動ける術師を優先したビルドをしてきた彼女だが、今後は『熱風』とかを使うようになるかもしれない。うん、異世界モノでドライヤーは定番だよな。


「綺麗に解凍されていて助かります」


 二本まとめて解凍された串を受け取った上杉さんが、笹見さんを褒めたたえているのが微笑ましい。


 生き物に対しては不可能だが、物体そのものに対して『均等』に熱を通すことができる笹見さんは、こういう場面で強いのだ。戦闘力というよりは、解凍力で。

 笹見さんは肉に含まれる『水分』を狙って加熱しているわけではない。どうやらそこまで明確に水を捉えるイメージができないらしいのだ。ヴァフターから逃げ出した時のように、霧とかであれば掌握はできるのだけど、濡れた服とかになると、途端難易度が跳ね上がるらしい。


 だから直接物体全部を熱する方が楽なのだとか。

 このあたりはどこまでを石としてイメージできるか模索していた【石術師】の夏樹なつきとカブる部分だな。


 とはいえ、ちょっと時間がかかる程度で均等に冷凍品を溶かすことのできる笹見さんは、偉大な導師であることに間違いないだろう。



「外側だけ解凍できたけど中が凍ってたなんて、よくある話っすよねえ」


藤永ふじながクン、【雷術】で電子レンジとかできそう?」


「っす!?」


 豚串が焼けるのを見つめながら順番待ちをしていたチャラ男の藤永を目掛け、相方にしてポヤっとした深山さんのさりげない言葉の槍が突き刺さった。


「ま、マイクロ波とかの電磁波って、電流と違うっすから。【雷術】って弱い電流側っすから」


 やけに詳しい藤永の説明に、深山さんは軽く首を傾けて納得している……、んだよな?


 それと藤永、父親が電気工事士なのは知っているけど、やっぱりそっち方面に進む気なんだろうか。

 そういえば藤永の進路とか、聞いたことが無かったかもしれない。


「そうなんだ。わたしが凍らせて、藤永クンが溶かすって、ちょっといいかなって……」


「……やっぱり俺、もっと【雷術】磨くっす」


 すっごいクリティカルな言葉が深山さんから繰り出されてしまった。これで奮起しない野郎はいないだろう。


「けど、魔力タンクだって大事だよね? 藤永クンは前に出るんだし、すごいなって思うんだけど」


「っすよね。俺、前線で魔力タンク頑張るっす!」


 どっちなんだよ、藤永ぁ!


 けどまあ深山さんに褒められて舞い上がる気持ちはわかる。女子からというだけでなく、藤永にとっては深山さんから、っていうのが大事だものな。



「冷凍モノは好きじゃねぇんだけどな」


 荷車に積んであったバーベキューセットを使って、文句を言いつつ豚串をじっくり炭火で炙っている副料理長の佩丘はきおかが真剣な眼差しを食材に送っている。ゴツイ強面と相まって、どこか頑固なヤキトリ屋のオヤジ風になってるぞ。妙に似合ってるのがこれまた。

 料理長の上杉さんは事前に寸胴鍋で簡単な野菜スープを作り上げ、今は佩丘と並んで豚串担当をしている。二人とも働き者だよなあ。



「ほれ、これで全員か?」


「回っていない人は言ってくださいね。綿原さん」


 数分後、料理番の二人が藤永と深山さんに豚串を手渡したところで、およそ全員分が行き渡ったようだ。

 確認をしている佩丘と上杉さんは、これから自分で焼き上げるのを召し上がるらしい。これぞ料理番の特権だな。


「じゃあみんな、いただきます」


「いただきます!」


 迷宮委員としての責務には食事のコールも含まれる……、こともある。割りと適当なんだよな、このあたりは。

 綿原さんに合わせて、みんながいっせいに声を上げた。



 出来上がった品々は、野外での昼食というのにはちょっと異質かもしれない。


 朝の内に作ってあった塩おにぎりを片手に豚串を頬張る俺たちと、硬めのパンをかじるヘピーニム隊の人たちだったけど、両者ともに幸せそうな顔をしているのが印象的だ。鉄のマグカップに入れたスープもイケる。


 やっぱり美味しい食事は全てに勝る。約束された勝利というやつだ。


「こういう長距離行軍では、やはり術師の存在が大きいですね」


「……そうなんでしょうね」


「ふふっ、焦らなくてもいいですよ」


 横にいたシャルフォさんが豚串を片手に話しかけてきた。

 俺は俺で口に詰め込んだおにぎりを飲み込んでからの返事になってちょっと恥ずかしかったのだけど、シャルフォさんは笑って流してくれている。


 さっきからシャルフォさんが一緒なのは、俺が迷宮委員として接待係をしているのではなく、たまたまでしかない。

 どうやらシャルフォさん、さりげなく飛び出す勇者の常識、つまりアウローニヤの非常識に期待しているようなのだ。女王様に提出する報告書をどうするか、今から材料を集めておきたいらしい。


 こちらとしてもアウローニヤの常識を実地で学ぶ機会でもあるし、勇者の秘密を探るというよりは、両者の合意でやっている常識のすり合わせみたいなものだな。


「やっぱり【熱術】と【水術】は強いですね。かまどづくりとかなら【土術】でも」


「そうですね。食事に力を入れなくても、そういう術師は重宝されます」


「そうなんですか?」


 俺が指を折って術師を挙げていくのだけれど、シャルフォさんからの返答はちょっと意外なものだった。


「熱水と氷はどんな状況でも重要ですから」


「ああ、そういう」


「今回の行軍はミヤマさんのお陰でかなり楽なんですよ。【冷術】使いはそれなりに貴重ですから。帰りが今から不安なくらいです」


 軍人のシャルフォさんが使う重要というフレーズがどうにもきな臭いけど、それはそれだ。



 ペルメッダへの旅において、一年一組は大量の飲み水を荷車に積み込んでいる。


 王城では水路が張り巡らされていて常に綺麗な水が流れていたが、あれはアラウド湖から揚水したものを何重にも濾過してから城内に引き込まれていたものだ。

 さらには用途によって、完全に清浄とされる迷宮の一層からすら水が運ばれているくらい、王城は綺麗な水にこだわっていた。勇者の伝承由来なんだとか。


 その甲斐もあって王城『アラウド=シクト』が、別名『水の城』と呼ばれているのは伊達ではなく、上水道とされる水路の水は普通に飲める。風呂の水などもこちらからだ。

 中世ヨーロッパ風のイメージこそあるが、衛生面についてはとんでもなくレベルが高いのが王城だったりする。


 そういう点で現代日本人たる一年一組は、とても恵まれた異世界を堪能できていたといえるだろう。風呂使い放題は大きかった。



 だけど旅となれば話は別だ。


 迷宮産の素材であれ、地上に持ち出せば普通に腐敗が始まる。水でも肉でも野菜でも。

 その中でもとくに水が重要なのは言うまでもないだろう。


 水源に恵まれたアウローニヤ中央部には大河の支流がたくさん存在しているが、一年一組はそれを飲み水とは認めない集団だ。非常事態でもない限りという条件付きだけど。


 道民は綺麗だからと川や湖の水を飲まない。絶対にだ。


 よって俺たちは、わざわざ一台分の荷車を水専用として王城から持ち出し、笹見さんが煮沸、深山さんが冷やしてから飲むようにする予定でいる。

 さすがに今日は初日なのでそこまでの手間は掛けていないが、イトル領で補給をしたとしても三日目くらいからは気を付けるつもりだ。


 なにせイトル領を出発したら、そこからフェンタ領までは主要都市を避け、街道を外れる予定なのだから。


 ともあれ上杉さんが聖女ならば、笹見さんと深山さんは女神と言ってもいい存在なのだ。旅の女神とか、良いフレーズかもな。



「食事だけなら迷宮の方が楽ですよ。偵察さえ万全ならですけど」


「勇者のみなさんたちは宿泊ありきですからね。わたしたちなどは歩きながら保存食ですよ」


「普通、朝夕は地上ですもんね」


 せっかくなので話を迷宮に切り替えてみるが、つくづくあそこが清浄であったことを実感する。旅をはじめて思い知った。いや、まだまだか。これから痛感することになるのかな。

 苦笑いを浮かべるシャルフォさんはさておき、こうして青空の下での食事も悪くないけれど、衛生を気にしてしまうのは日本人のサガなのかもしれない。


「ガラリエ隊長のことです、迷宮泊は当然の前提になるでしょう。『緑風』である以上、わたしも【睡眠】を取らないといけませんね」


「ですよね。目指すは十二階位ですか」


「十三階位まで一気に行きたいですね」


「俺たちもです。競争ですね」


「勇者たちとの競い合いですか。望むところです」


 ちょっと離れたところで滝沢たきざわ先生と話をしているガラリエさんを見ながら、シャルフォさんは意気込みを語る。


 いいね。俺たちも負けてはいられない。



 ◇◇◇



「こりゃすごい」


「小麦畑だね。綺麗だなあ」


 列の前の方から、荷車を引く古韮ふるにらと、前方偵察を任せっぱなしの草間くさまの声がこちらまで届いてきた。


 昼食後、二時間くらいを掛けてさらに林をひとつ抜け、街道に沿ったまま丘の上あたりに隊列が登ってきたところで、そこから見下ろす感じで風景が一気に開けた。

 視界に広がるのは緩やかな丘陵地帯と、そこにある青い麦畑。さらに向こうには──。


「意外と早く見えたわね。アレがそうなの?」


「ああ。地図が本当なら、あそこが『イタルト』だ」


 地図上の区画では、このあたりはとっくにイトル領のはずだ。当然こうして広がる畑も。


 ということは綿原さんが言うように、麦畑の向こうに見える街並みこそがキャルシヤさんの故郷にしてイトル領の中心都市、イタルトなんだろう。

 まだまだ遠くではあるものの、たしかにうねりながらも街道はあそこに向かって伸びている。今のペースなら一時間ってところだろうか。


「安心したかしら」


「ああ。街が見えたってだけで、肩から力が抜けたよ」


 笑いを帯びた綿原さんのセリフに、俺はヒルロッドさん並みに疲れた声になる。


 あまりに地図が信用できなくて、今日中に見つからなかったらどうしよう、などと考えていたのだ。

 シャルフォさんたちヘピーニム隊の人たちが何度か来たことがあるから大丈夫だと言ってはくれていたのだが、この目で見るまではな。


 王城と違って木製の屋根が多く感じる雑多な街並みが、今日の目的地にして宿泊地だ。


「速度はこのままで。夕方には着けると思います」


「おーう!」


 安心して力の抜けた俺の声に、元気なみんなの返事が被さった。



 ◇◇◇



「うーん。雑、かな。手播きだからなんだろうなあ」


「密度が難しいよね。うねとかシッカリさせれば、もうちょっと上手くできそうだけど」


 丘の上からはその田園風景に感動混じりの視線を送っていた俺たちだが、いざ畑に近づけば一部の農業オタが面倒くさい感じになっている。


「手入れもちょっと」


「人手が足りてないのかな……」


 共に農家の息子と娘、文系男子な野来のきと文系メガネ女子な白石しらいしさんという非公式婚約者同士、将来『白石ファーム』経営者ご夫妻となる予定の二人による夢に欠ける会話だ。



 王都近郊の農場は王城のあるアラウド湖の南西側をメインに広がっているため、湖東側の漁村から直接東に向かった俺たちとしては、初めて見るこの世界での小麦畑ということになる。

 そんな畑を両脇に見ることができる街道を俺たちの隊列が進んでいるのだが、そこで垂れ流されているのが農家の後継ぎたちによる酷評だった。


 お前ら、今日はこれからキャルシヤさんの旦那さんに会うんだから、本人の前で絶対に言うなよ?

 ヘピーニム隊の斥候さんが先触れに走ってくれてるから、ヘタしたらあちらから出迎えに来てくれるかもしれないんだから。


 それとシャルフォさんたちが微妙そうな顔になっているから、声を小さくしてくれ。普段は大人しいクセに、どうして農業が絡むと君たちは。


 たしかに野来や白石さんのご指摘通り、街道の両脇に広がる畑は近寄ってみれば粗が見えるのも事実だ。

 なんと表現したものか、山士幌で見た畑に比べて密度が濃くて、しかも偏りがあるような。区画も大雑把だし、遠くからなら青い絨毯のような見え方をしていたが、近寄ればこんな感じなのかとクラスメイトたちのテンションも低めになっている。

 全体的に整然さに欠けるというのが素直な感想だ。


 今まさに進んでいる土の道が主街道だと知らされたのと同じ現象だな。

 俺たちは山士幌の大規模機械化農業に毒されていたんだよ。


 この世界に舗装道路が無いとか、路線バスが無いって言っているようなものだ。野来と白石さんは異世界モノを嗜むんだから、もう少し冷静になってくれ。



「でもほら水路はしっかりしてるぞ」


 そこにポジティブな要素を放り込んだのは、これまた農家の息子だけど自衛官を志望する馬那まなだった。

 いいぞ、もっと言ってやれ。


 なるほど、これまた馬那の言うとおりで、街道のすぐ脇には幅が五十センチくらいの小川が流れている。一部は枝分かれして畑に引き込まれているようだし、街道を横切る場所ではしっかりとした石橋が整備されているじゃないか。


「そっちも手入れがなあ。もっと──」


「あ、ヤバ。ストップ、野来!」


 さらにダメ出しを口にしかけた野来に、前を歩いていたメガネ忍者な草間が慌ててこちらに振り返って、待ったをかける。どうした?



「耳に痛いけれど、本当なのが辛いところだね」


 その声は街道の右側、畑の中から聞こえてきた。


 いや、畑じゃなく細いあぜ道か。視界が通らないから見えないが、たぶん畑の中に巡らせた細い道から。


「こちらの方が近道になると思ったのだけど、驚かせてしまったかな。これは申し訳ないことをした」


 そんなことを言った、声からしてたぶんおじさんは、軽くジャンプをしながら二十メートルくらいの距離をたった三歩で詰めてみせた。

 迷宮でなら普通に見られる行動だけど、畑でソレをされると違和感がすごいな。じゃなくって。


 耳の良い中宮なかみやさんと、はるさん、一歩遅れた先生が凄い勢いでこっちに走ってくるが、あちらが早い。


 ちょうど隊列の中央あたりにいた俺や野来、白石さんの目の前に着地したのは、紺色の髪をした四十近い、まさにおじさんだった。温厚そうな笑顔だけど、細身で百八十近い長身からは一連の挙動を含めて強者の風格が漂っている。

 なぜか片手に五歳くらいの小さな女の子を抱いているのが、最大の違和感だな。


 碧い瞳で興味深そうにこちらを窺う金髪を伸ばした可愛い子だけど、どこかで似たような顔をした人物を見たような気が。


「これは、その。急がれると言われまして」


 続いて慌てたように登場したのはヘピーニム隊の斥候さん。さっき先触れに行ってくれた人だ。


「おっと。僕は賊じゃなければ、敵でもない」


 つまりこのおじさんと、女の子は──。



 ◇◇◇



「意識したわけではないのだけど、そちらの斥候職が通り過ぎてからの登場になってしまったようだね。間が悪くて申し訳ない」


「はあ」


 のんきな声に俺の返事は間の抜けた声になってしまう。


 俺と藍城あいしろ委員長のあいだを歩くおじさんのお名前はベゼース・イトルさん。元第二近衛騎士団『白水』所属の騎士爵で、家名の通り、今はキャルシヤさんの家に婿入りしている。

 要はキャルシヤさんの旦那さんで、イトル領の代官をしている人ってことだ。


 ちなみにベゼースさんに抱っこされたままで綿原さんのサメに手を伸ばしては逃げられているのは、ケイタール・イトルちゃん五歳。キャッキャと笑って楽しそうにしているこの子は、キャルシヤさんの一人娘である。


 現在歩いているのは隊列の一番前で、ベゼースさんの両脇には俺と委員長がいて、すぐうしろを綿原さんと先生、ガラリエさん、そしてバツの悪そうなシャルフォが続いている。

 いちおうベゼースさんが街への道案内という、建前みたいな位置取りだ。


 さっきから綿原さんのサメがケイタールちゃんの周りを飛んであやしているのだけど、そういう機能もあったんだな。



 聞かれたくないセリフが漏れたのは痛恨だけど、これはこちらの警戒網の隙と、向こうの移動速度が偶然噛み合ってしまった結果ということになる。

 つまり草間の【気配察知】が通り過ぎたちょうどそのタイミングで、ベゼースさんが斜め後方から急いで走り寄ってきたというのがコトの真相だ。


 なにせベゼースさんは十階位の騎士職だ。お子さんひとりを抱えたところで、曲がりくねった畑のあぜ道百メートルを数秒で詰めてくる。

 悪意がなく、単に急いで俺たちを出迎えようと脇道を使ったとはいえ。


 うん、視界が通っていないところでは、速度のある敵からのサイドアタックに気を付けようという教訓だよな。今後【聴覚強化】組は中央左右に配置が無難か。

 林を進んでいた時はそうしていたのだけど、畑に出たからといって安心しているようではまだまだだ。


 なんてことを考えている俺は現実逃避中なんだろう。



「気にすることはないよ。人手が足りなくて手入れが届いていないのは本当なんだ。僕も時間を見つけては手伝っているくらいなんだから。好きでやっているのもあるのだけどね」


 のほほんと語るベゼースさんの恰好は、たしかに騎士っぽくないし、もちろん貴族的でもない。

 革でできた厚手のズボン、革のブーツ、腕まくりした白いシャツから見える鍛えられた腕は、所々が土で汚れている。ケイタールちゃんは青いワンピースなのだけど、そちらもちょっと。


「そろそろ到着の時間かと思って、着替えに戻ろうとしたところで先触れが来たものだからね」


「申し訳ありません」


 ベゼースさんの言葉を聞いて、ピクリと反応したシャルフォさんが謝罪を述べる。


「いやいや、こちらこそ驚かせた上にこんな格好で申し訳ない。それにコレがイトル領の現実だから、恥じても仕方がないだろう?」


「いえ、ですが」


「ヘピーニム卿、これは僕の落ち度さ。繰り返しになるが気にしないでほしい」


 柔らかい口調からは悪意を全く感じない。いい人そうだというのが素直な印象だ。


 申し訳なさそうなシャルフォさんは可哀想だけど、少なくとも俺や委員長は今のところベゼースさんに悪印象は抱けそうにないかな。こんな会話の最中でもサメは奔放にケイタールちゃんと遊んでいるし。



「なにより僕がこんな格好で急いでしまったのは、君たちのせいなんだよ」


「え?」


 いきなり矛先が勇者に向いて、委員長が小さく声を上げる。それでも物騒なセリフを吐いたベゼースさんは飄々と笑ったままだ。


「それはそうだろう? キャルからの手紙がいつもの三倍の文章になっていたんだ。勇者、勇者、勇者。そればかりさ。それと第三王女、今の女王陛下に取り込まれた、ともね。もちろん暗号だよ?」


 あんまりなセリフに周囲が沈黙してしまう。

 いいのかよ、そんなこと言っても。綿原さんのサメまで止まってしまったじゃないか。


「どこの領地貴族にも密使はいるし、同じようなコトをしているよ。イトルが特別なんかじゃないさ」


「……フェンタ家も似たようなものです」


 ヤバい空気を感じたのか、諦めたようにガラリエさんまでベゼースさんに同調した。

 そっか、ガラリエさん家も同じなんだ。怖いなあアウローニヤ貴族は。


 さて、ベゼースさんは見た目通りに温厚なおじさんなのか、それともラハイド侯爵みたいなタヌキなのか。



「さあ、着いた。イトル子爵家本領……、近々伯爵領になるようだけど、なんにせよだ。イタルトにようこそ。勇者たちを迎えることができて光栄だ」


 ベゼースさんが立ち止まった場所には、街道を跨ぐようにうらびれた門というか、丸太が組み合わされただけの木の鳥居みたいなのがあって、たしかにその柱にはフィルド語で『イタルト』と刻まれているのが見えた。


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