第213話 物騒な雑談




「先生、どうしてあんな場所でだったんですか?」


 地上に戻り、夜の離宮で日本人だけになってから藍城あいしろ委員長は先生に問いかけた。


 絨毯が敷かれテーブルや椅子を壁に寄せた談話室では、各人が思い思いに地べたに座ってなんとなく円陣を組んでいるような形になっている。


 委員長はつい二時間くらい前に滝沢たきざわ先生が迷宮でカマした件を言っているのだろう。たしかに考えてみれば、あんなことをわざわざ迷宮で話す必要はなかったかもしれない。先生らしくないとも思ったし。

 なんなら戻ってきて、日本語で話すようになってからでもよかったはずだ。


「最初は【冷徹】の有効性についてだけのつもりだったんです」


 そういえばそうだったな。

 冷静沈着な人が強いだろうという理屈は、こっちに来てから戦いばかりの俺としても理解できるようになった。【平静】は神技能で、【冷徹】はまだちょっと不明だが大神技能となる可能性がある。



「ですが……、八津やづ君も気付いていたのではないですか?」


「俺ですか?」


「同行していた第四近衛騎士団長、キャルシヤさんの視線と表情です」


「ああ、なんかいろいろでしたよね。くるくる変わってたような」


 先生はなぜかキャルシヤさんを話題に上げた。


 たしかに三日間を一緒にしたキャルシヤさんは、最初の頃に感じた豪放なだけの人ではなかったと思う。

 俺たちの誰かが怪我をすれば痛ましい顔をしていたし、考え事に耽るような素振りもあった。とくに三日目あたりは迷宮泊の疲れもあったのか、表情の切り替わりが多かったような。

 騎士団長くらいになると、迷宮の中でもいろいろ考えることもあるだろうくらいに思っていたのだけど。


 俺の個人的感想としては、総じて頼りがいのある姐さんってところだな。



「それもあって、薄めておこうかと思ったんです」


「薄める?」


「八津君への濃度が高かったように感じたものですから」


 俺濃度とはなんだろう。先生らしくもなく、妙な例え方だ。


 隣に座っている綿原わたはらさんの肩がピクリと反応し、漂うサメの動きが大きくなったが、とりあえず今は先生の話の続きを聞こう。な、綿原さん。


「わたしが感じたのは強い興味。……ヘタをすると執着、です」


「先生」


 定番の表現だが、先生を呼ぶその声には大地の底から響くような重みがあった。

 発したのはもちろん、我らが【鮫術師】綿原さんに決まっている。それがちょっと嬉しくもある俺も大概だ。


「気持ちはわかりますから落ち着きましょう、綿原さん」


「気持ちはわからなくていいですから、対策を考えましょう」


 すごいな綿原さん。諫める先生に真正面から対峙できる度胸なんて、俺は欠片も持ち合わせていないぞ。

 ウチのクラスの女子は、胆力のバケモノが多すぎる。



「武力でなら……、先生とりんはるとミアをぶつければ。ついでに草間くさまくんも」


 おい草間、ついで扱いされているぞ。黙っていないでツッコミを入れるところだろう。目を逸らすな。なぜそこでメガネを拭き始める。

 そもそもだ、この話題について武力行使から検討を始めるのはいかがなものだろうか。


「待ってなぎちゃん。名分がないわ」


「訓練を装うのはどうかしら」


 頼むから中宮さんも乗っからないでほしい。具体案を出し始めた綿原さんも綿原さんだ。


「腕が鳴りマス」


 ミアは黙っていろ。


「相手は十四階位。今のハルとどっちが速いかな」


 春さんもスピードの向こう側とか空気の壁みたいなノリはやめてくれ。


 どうしてこう、どいつもこいつも。

 途中で何度か口を開きかけていた先生はどこか諦めた顔で一歩下がり、すでに目を閉じている。どうやら場が落ち着くまではコトの推移を見守るようだ。たしかに先生らしい態度だとは思うけど、今回ばかりは話題をブチかましたという点で責任を取ってもらいたいと、俺は切実に思っているのだけど。



 それにしても興味? 執着?

 キャルシヤさんが俺に?

 そして薄めた? 先生が?


 話がブットんでしまったので先生の真意は明かされていないが、なんとなくどうしたかったのかは想像できる。

 一年一組の中で俺だけが特別だというわけではないと言いたかったのだろうし、もしかしたらクラスにおける先生の発言力を見せつけるためというのもあったのかも。それが『濃度を薄める』の意味だろう。


 だとしたら先生は身を張ってくれたわけだ。身代わりになってまで視線の矛先を自分に向けさせた。

 やっぱり先生はいつでも俺たちのことを考えてくれていると自覚したら、胸が温かくなるな。


 ところでそれならこの場の行方もなんとかしてほしいのだけど。

 こうして思考しているあいだにも、綿原さんが物騒な案や役割分担を提示しているし。



「やるじゃん、八津」


 輪から数歩前に出てしまっている綿原さんの元いた場所、つまり俺の横ににじり寄ってきたチャラ子のひきさんが小悪魔のように笑っている。


「え、なにが?」


「キャルシヤさんに盗られたらヤダってことでしょ? アレ」


「そうなのか、な」


「要はあれっしょ。八津がいない一年一組なんてイヤなんだよ、アタシたち」


「疋さん……」


 普段からホンネをぶちまけ、言葉を飾らない疋さんだからこそ、刺さった。

 そうか、そういう風に思ってもらえているのか。


「んーと、まあ八津だけじゃなくって。それが誰だってそーなんだけどさ」


「だよな。うん。そうだよな」


 付け加えて疋さんは俺だけが特別なんじゃないと言うが、なぜだかそれがかえって嬉しい。



 最初は一年一組のクラスメイトだからというだけの理由で、ヤツらは普通に俺を見捨てなかった。それがこのクラスの当たり前だから。


 そうこうしているうちにみんなとそれぞれ話すようになって、人となりが見えてきて、趣味や好き嫌い、どこにツボがあるのかなんていうものまでわかるようになった。とはいえみんなは人間で、それぞれの引き出しが多すぎて今も毎日、新しい発見が続いている。

 そうやって相手のことを知っていくこと、もっと知りたいと思う関係。


「仲間で、友達だもんな」


「だねぇ。腐れ縁なんてもゆーかも」


 さて俺は疋さんと友人なのだろうか。腐れ縁というにはまだまだ早すぎるとは思うけど。


「ははっ、凪もムキになっちゃって」


「……」


 少し向こうで激論を交わしている綿原さんを見て、疋さんがイタズラっぽく笑う。

 俺にできるのは沈黙くらいだ。なにか言ったら自爆する未来しか見えない。



「八津さ、凪のこと──」


「よろしいでしょうか」


 恋愛脳気質のある疋さんがヤバそうなコトを言おうとした瞬間、わざわざ挙手をしてまで発言を求めたのは聖女な上杉うえすぎさんだった。俺と疋さんの会話を見とがめての言葉ではない。


 普段はこの手の議論に対しては遠巻きにしてけんにまわる彼女にしては珍しいタイミングに、皆が聞きに回る気配になる。こういう存在感はさすが上杉さんだと言わざるを得ない。


「わたしがキャルシヤさんから見て取ったのは、たしかに執着もあったと思います」


 上杉さんまで観察していたのか。なんというかこう隙が無さ過ぎて怖いのだが、ウチのクラス。

 そしてなにより、重たい。上杉さんまでもがそう判断したならば、さっき先生の言ったことも説得力を増すというものだ。もしかして俺って本当に狙われているのではないかと、自分が心配になってくる。


 少し前までネタだと思っていた自分が恥ずかしい。


「ですがそれと同時に、おそれ、畏怖みたいなものがあったようにわたしは感じました」


「畏れ?」


「言い方を変えると、八津くんには申し訳ないのですが、気味悪がっている、と」


 聞き返した綿原さんに応えて出てきた上杉さんの表現が酷い。



「言われてみるとそうですね。キャルシヤさんにそういう感情があったというのは、否定できません」


 会話の流れを見守っていた先生が、再び参戦してきた上に何気にキツい同意を示してくれた。そうか俺はキモかったのか。ははっ。


 ところでここまでの会話が全部、女子だけでなされていて、男子は遠巻きにしているだけなのだけど、それはいいのだろうか。お前らだって思うところがあるのだろう。どんどん発言してくれてもいいんだぞ。男子の中で、俺はどう思われているのだろう。


 ああ、これが現実逃避か。


「あっれえ、変な流れだね」


「だな」


 横で疋さんが首をかしげているが、どうやら俺は狙われていたのではなく、キモかっただけらしいぞ。


 ついさっきまで俺は友情が美しいとか、そういうのを脳内でこねくり回して感動してたのに、なんてオチだ。



「けど、だからといって確証はないわよね、美野里みのり


「ええ。もちろんです」


 だけど綿原さんは納得しなかったらしい。上杉さんを睨むまではしなくても、探るような視線を送る。


 そうか、綿原さんは俺のことをキモいと思わないでいてくれたのか。

 そろそろキモいを連呼するモードから離れた方がよさそうだな。本気で自分に暗示をかけているみたいになっているじゃないか。


「だけどそう……、今のわたしたちでは、あの人を消すのはムリがあるわね」


 綿原さんは今、消すと言ったか?

 途中から聞き流していたが、そういう方向に行っていたのか。物騒を通り越している。


「委員長?」


「な、なにかな、綿原さん」


 首をぐりんと動かして、綿原さんが藍城あいしろ委員長に話を向けた。同時に二匹のサメが彼を取り囲むようにグルグルと回遊している。

 ああ、サメ使いの本領が発揮されているな。あれはなかなか怖いんだ。俺はもう慣れたから結構平気だけど。


「今のわたしたちの立場だと、人ひとり失脚させられないの。どうにかならないかしら」


「その話、まだ続けるの?」


「……」


 委員長の至極真っ当な返事に綿原さんが黙り込む。ちょっと頬が膨れて見えるのが面白い。


 どこからどこまでが本気だったのかはわからないが、この話はネタだ。先生発というのが珍しいが、こういうバカ話をマジで討論に持って行くようなコトをこのクラスの連中は好んでする。


 本日のお題がたまたま俺を見るキャルシヤさんというネタだったにすぎない。そうだよな?

 ちょっと綿原さんの食いつきが良すぎただけで、迷宮騎士団として一団になることを俺たちは保証されている。これは王子様と王女様のお墨付きだ。さすがに第四近衛騎士団長が覆すなんてことはできないだろう。


 あの近衛騎士総長ならやりかねないところがすごくイヤだな。

 この国の王家って、ちょこちょこ舐められている様子があるし、やっぱりある程度の自衛は必要になるのだろうか。具体的にどうするのかは難しいところだが。



「じゃあそれなら、明日の朝にでもアヴェステラさんたちにそれとなく確認するってことで、どうかな」


「……仕方ないわね」


 委員長がなんとか綿原さんを宥めてこの話はここでお開きになった。


 なんといっても二泊三日の迷宮から戻ってきた夜だ。【体力向上】が仕事をしているのか階位のせいか、疲れこそ感じていないものの、普通のベッドで休むことができるのは大きい。

 アイテムボックスとかインベントリがあれば迷宮に持ち込めるのになあ。


 一年一組による迷宮騎士団発足まであと二日であった。



 ◇◇◇



「みなさん、おはようございます」


「おはようございます!」


 翌朝、いつもの時間通りにアヴェステラさんたちは登場した。顔色は……、良かった普通のようだ。

 なぜかといえば──。


 昨日、夜になって迷宮から戻ってきた俺たちを待っていてくれたアヴェステラさんは、綿原さんから一年一組の陣形が変わったから紋章がちょっと、などと聞いたところで顔色を青くしていた。

 さすがに全面変更は冗談で、奉谷ほうたにさんのところだけ小さく緑の刺繍を追加するのをお願いしたわけだが、これって委員長がお得意の大きく出てから小さな要求を通すといういつものパターンだったかもしれない。やるな、綿原さん。

 ほっとしたように受け入れてくれたアヴェステラさんには感謝しかないと同時に申し訳ないことをした。


 今日は一日かけてフルプレートの調整と、式典の練習を予定している。とくに儀仗係になっている古韮ふるにら馬那まなは大変かもしれないが、アレは美化委員から逃げるための立候補だったので同情の余地はない。がんばれ。



 とはいえ、それ以外のメンバーも覚えなくてはいけないことは結構ある。

 とくに大変そうなのは先生だ。


 今回は騎士団発足の式典となっているが、もうひとつ、この国的にはそれなりに大事な要素が組み込まれていた。

 一年一組の生徒全員、つまり二十一名が騎士爵になり、そして滝沢昇子たきざわしょうこ先生は男爵となる。そう、貴族だ。

 貴族だぞ、俺が。俺たち全員が。変な笑いしか出てこないのはどうしてだろう。



 普通の近衛騎士なら騎士爵になる式典を期ごとで一度にやって、あとは配属しておしまい。ハシュテル副長のように金で買った男爵の場合など、いちおう王家の誰かが同席した上で書類をもらってお開きらしい。その後、自宅で開くパーティーが本命だとか。


 そんなわけで俺たちは明日、まずは貴族になってからその場で騎士団を結成するという、この国としては非常に珍しい行事を催すことになる。

 セッティング自体はアヴェステラさんに全てをお任せしたが、当日の主役は俺たちだ。当然それなりの仕草や挨拶みたいなものが必要になるらしい。とくに男爵として騎士団長になる先生は。


『卒論発表のほうが気楽でした』


 というのが先生の談話だった。


 なんにしても迷宮とか訓練とは別の忙しさがありそうな、今日と明日ということになりそうだ。



「本日の予定については以上になります。みなさんからはなにかありますか?」


 いつものセリフで朝のミーティングの終了をアヴェステラさんが告げる。

 たまに質問が出されたり、しかもその内容がおちゃらけていたりすることもあって、そういうことを繰り返してきたせいかアヴェステラさんたち王国側の人たちの空気も柔らかい。


「はい!」


 その声を発したのは綿原さんだった。


 いつになく背筋が伸びていて、右手はまっすぐ五本の指が天井を指している。これにはクラスメイトたちも謎の気迫を感じたのだろう、場が硬直した。

 そしてなにより、彼女のサメが静止している。二匹ともがピタリと宙で固定され、微動だにしていない。


 なにかが始まろうとしている。嫌な予感しかしないのだが。


「どうしましたか? ワタハラさん」


 付き合いも結構になるアヴェステラさんだ。元々空気を読むのにも長けた人だし、なにかしらを感じたのだろう、綿原さんへの返事には緊張が含まれていた。


「第四近衛騎士団『蒼雷』の団長、キャルシヤさんについてです」


「キャル……、イトル卿がなにか」


 ああ、その件を引っ張るのか、綿原さん。

 迷宮でなにか事件でもあったのかとアヴェステラさんがビビっているぞ。シシルノさんあたりは笑いをこらえているようにも見えるけど。


「そのキャルシヤさんなんですけど、ウチの八津くんのことを厭らしい目で見ていたそうです!」


 どうしてそういう表現になるかなあ。


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