第129話 名を呼ぶ:ベスティ・エクラー城中侍女
「──えっと、ここがウサギが十二で」
「──ここはトマトが五。それとカエルも五」
「──こっちは丸太が三だよ」
勇者たちと共に迷宮に入り、二日目。
時間的には深夜だけど、もちろん交代制で見張りは行われている。とはいえ二十人以上の勇者の半数と、眠ることができないでいる随行者が起きているのだ。歩哨というよりは、酒こそ入っていないものの半数が潰れてしまった宴会の終盤に近い。
それなり以上に人の活動する気配が部屋のあちこちから伝わってくるということだ。
とくに近くでなにか作業をしているらしい……、これはワタハラ、シライシ、ホウタニかな。そんな彼女たちの声は、なぜかわたしの興味をかき立てた。そっと聞き耳を立てながらも、どこで乱入してやろうかと機を窺いたくなる。なるべく驚かせてあげるというのが礼儀だろう。
迷宮に入るのは久しぶりだ。
軍にいた頃に五階位になり、特殊な立場の城中侍女として七階位まで上げて以来だから二年ぶりくらいになるだろう。
技能の修練だけなら地上でも問題なくできるのだから、目標となる階位を達成した者がわざわざ命を賭けてまで迷宮に入る必要は無くなる。
屋内に見えるとはいえ、空気、気温、風、すべてが地上と少しずつ異なるココは、慣れない人間にとっては精神への負担が大きい。魔獣との闘いを他者に任せきりにしてですら。
なので貴族たる立場にある者はより高い階位や新たな技能、もしくは名誉や職務を目的とでもしない限り、迷宮を厭う者が多い。アウローニヤが迷宮によって生まれ、迷宮に支えられて存在している国であるにもかかわらずというのが情けない話。
滑稽と思わなくもないが、わたしも騎士爵であり侍女という立場でもって、しばらく迷宮とは無縁であったのだから言えたものではない。
そんなわたしが奇妙な経緯があったとはいえ、事故でもないのに迷宮で一夜を過ごすことになるとは。
夜というには明るすぎるのもまた迷宮の非現実を目の当たりにするようで、落ち着かない気持ちにさせられる。
それとももしかしたらこれは、勇者たちと一緒だからこその高揚かもしれない。
「──偏りがあるのは、うん、間違いないわね」
「──傾向とか、あるかな。シシルノさんがいてくれたら。でも、ここがちょっとおかしいかも」
薄っすらと目を開いてみれば、ワタハラとシライシが難しい顔を寄せ合って床に置かれた紙を見ていた。なんだろう。
傍では腕を組んだホウタニがなにが面白いのか、楽しそうな表情で二人の顔を伺っている。
迷宮の中とはいえ、女性三人が集まってなにをしているのやら。浮ついた話でないのは確かなようだけど。
「どうしたの三人して」
「あ、ベスティさん、ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」
「いえいえ、寝付けなかっただけだから」
頃合いかと起きだして話しかけてみれば、ワタハラが申し訳なさそうにしてくれた。
王城に詰めるようになってそろそろ三年、こういう反応をしてくれる相手がいることが妙に新鮮で、可笑しく感じてしまう。わたしも毒されたものだ。
「やっぱり【睡眠】がないと難しいですか」
「どうかな。人それぞれだろうし、わたしは軍上がりだからわりと平気かな」
「わたしたちだって、持ってなかったら寝れてないと思います」
ワタハラが言うように、彼女たち勇者は全員が【睡眠】を持っている。これはちょっと異常だ。
軍にはそれなりに【睡眠】持ちがいる。
徴兵された者が環境の変化に戸惑い心を病んだ結果、偵察を専門とする部隊の一員だから、【睡眠】を取得する理由としてはそんなものだろう。事前申告なしでの技能取得はそれなりに罰則が存在しているが、上の連中も徴発された者たちの技能など、真面目に把握していないのが普通だ。
ましてや王城で【睡眠】持ちなど、一部の軍上がりか不眠症に悩むごく少数の貴族くらいしか該当者が思い浮かばない。
内魔力という制限がある以上取得する技能は厳選されて当然であるし、そこに【睡眠】が入り込む余地はほぼない。それをわざわざ『臆病者の技能』とか『格式が低い』などと言い換えるのが王城風だ。
強くなるための技能であることは、目の前の光景を見れば一目瞭然なのに。それをわかっていなかったわたしも同類か。
「軍人は寝るのも仕事。まさか迷宮でとは思わなかったけどね」
「あはは、付き合わせちゃった」
屈託なく笑うホウタニだが、その顔を見ると彼女が十五だとはとても思えない。贔屓目でも十三程度。
こんな子供が一刻も早く強くなろうと迷宮に泊まり込んでいる事実に、少しだけ胸が痛む。大人しく見えるシライシにしてもそうだ。ワタハラは……、図太そう。軍隊向きかもしれない。
「……ベスティさん、なにか考えてます?」
「まさかあ」
こういう鋭いあたりが、うん、戦士の素養だ。
「それでそれで、なにをしていたのかな?」
「話逸らしましたよね。いいですけど。魔獣の発生……、この場合は接触ですか。ソレの頻度を描き込んでいたんです」
「へえ、なんでまた」
面白いことを考える子たちだ。ムダになることかもしれないのに、勇者たちはそれを厭わない。どちらにしても勤勉さとでもいうか。
こういう部分がジェサル卿、シシルノさんの心をくすぐるのだろう。たぶん姫殿下も。
「最初は単に暇だったからですけど、どうせやらなきゃならなかったから」
「真面目ね」
「サボったら会わせる顔がないだけです」
誰にとは聞かない。言ってからしまったという顔をしているワタハラを見て、小さく笑うホウタニとシライシの手前、ここから先は彼女たちに譲るべきだろうから。できればその会話にわたしも混ぜてもらいたいものだ。
だけど今はこちら。傾向というのはいったいどういう意味だろう。
「
「それを
アオイとメイコ、そういえばシライシもホウタニも家名だった。
二人が魔獣の出現を記録していたのは聞かされていた。シライシが種類や数を、ホウタニは誰が倒したかを、だったはず。
それを目の前に置かれた真新しい地図に描き込んでいるわけか。事前に作った冊子よりも大判の地図は、このために持ち込んでいたのだろう。事前の説明には無かったから自発的ということなんだろうけれど、勤勉にもほどがある。
そんな地図には文字や数字だけでなく、色分けがされている。これは彼女らのいう『はざーどまっぷ』とかだったか。いや、違う。
「魔獣の数を色で表したの?」
「ええ、まあ」
少しだけ歯切れの悪いワタハラが気になるが、なるほどこれは冊子と同じようにわかりやすい。魔獣の『濃さ』が一目瞭然だった。
ん? 書かれている数字と違う色があるようだけど、間違っている?
「こことここ、数と違ってるけど」
「……白石さん、どう?」
彼女たちがこんな間違いを幾つもするとは思えなかった。なにか理由があるのかとあたりをつけて、問題の箇所を指さしてみれば、ワタハラが明らかに困った顔をしている。間違いを指摘されたからではない。
ワタハラがシライシに向けた問いも、間違いを確認しているわけではないだろう。ホウタニを見てみれば、笑顔のままで固まっていた。一滴の汗が頬をつたっている。地図とは別の意味でわかりやすすぎでしょ。
「シシルノさんも知ってるから、いいと思う」
「そうよね」
シライシがシシルノさんの名を持ち出し、それを聞いたワタハラが諦めたように苦笑した。
今やっていることをシシルノさんは知っている。報告には無かった気がするが、なにかズるくないかな。なぜシシルノさん……、もうシシルノでいいか。彼女は教えてもらっていて、わたしが知らないという事実が気にかかるなあ。
「シシルノさんの仮説に強い魔獣ほど生まれるのにたくさんの魔力が必要だって話、ありましたよね」
「詳しくはないけど、あったかも」
この状況でワタハラにそういう話をされると、はぐらかされている気になってくる。たしかにわたしは魔獣の生まれる理屈などには詳しくない。もっと学んでおくべきだった。
だからワタハラの言っていることが本当か嘘かも判別しかねてしまう。これを説明しているのがシライシやホウタニなら顔色だけでわかるのだけど。
ワタハラはそういうところが可愛げがない。そんなことではヤヅにモテないぞと、口に出してやりたくなる。
「わたしたちとの相性もあるけれど、二層だと丸太とブタが一番上で、そこから竹、キャベツ、カエル、トマト、ウサギの順番くらいでいいです?」
「希少種以外なら、そうね。ウサギなんかは数で押してくるし」
戦闘集団としての相性まで考慮するあたり、たいした自己分析だと思う。概ねわたしも同意できる順位付けだ。
「なので、ウサギを一として、トマトを二、カエルを三って感じで荷重……、強さを数字にしてみたんです」
「ちなみに丸太は? 根拠もあるよね」
「七です。今のところは一度に出てくる数と強さが、逆方向でだいたい一緒だっていうのが、理由です」
「つまり丸太はウサギ七体分の魔力を使って生まれてくる、と」
「あてずっぽうですけどね。で、それを全部足し合わせて色にしたのが──」
ワタハラの説明は実にわかりやすかった。話の順序と理由づけが明確だからだろう。これがシシルノならもっと回りくどい言い方になっているはずだ。
「それでベスティさんに相談ですけど、こことここ、不自然に色が濃いですよね」
「……部屋の繋がり方かな。ここから先が行き止まりだから、自然にこのあたりで固まってるんじゃ」
「ああ、なるほど。白石さん、入ってきた扉ってどっちから?」
「そんなことまで残してあるの?」
そこまでしているかという驚きで、少しだけ声が大きくなってしまったかもしれない。目の前の彼女たちもそう思ったのか、あたりを見渡している。気まずい。
「ごめんごめん」
「いえ。……入ってきた扉を考えたら、うん、ベスティさんの言うとおりかも。ほかにもそういう場所があるからコレ、描き直しかな」
「うええ!?」
ため息を吐いたシライシと可愛く叫ぶホウタニの対比が面白い。だが、コレを描き直す?
そう考えることができる、それはどれほど稀有な資質だろう。これが勇者のやり方……。
「まだまだだなあ。
天井を見上げたワタハラが不満そうにそうこぼした。
この子はシシルノと同じ域に至るつもりだ。この若さで。
「タムラはこういうのが得意なのかな?」
「詮索はダメですよ」
「これは個人的な興味なんだけど」
「それでもです」
警戒されてしまったかもしれない。けれどこれは本音なのがつらいところだ。
わたしは勇者ではない彼らも知りたい。
「なら、わたしからも近づくことにするかな」
「どういうことです?」
「ナギ、アオイ、メイコ」
訝しげなワタハラから順番に指をさして、名前で呼んでみた。
予想どおり、三人がぽかんとしているのが痛快だ。やってやったぞ。
「ベスティさん……」
ナギがため息を吐いて頭をがっくりと下げるけど、こういうのは言った者勝ち。軍隊風のやり方だね。
「あはははっ、いいじゃない。ボクは嬉しいな」
「メイコは素直でいい子だね」
「でもベスティさんは最初っからベスティさんですよね。それはそれで、なんかズルいかも」
「素直なままでよかったのに」
クルクルと表情を変えるメイコが面白くて、そして可愛くて仕方がない。この子たちとこうできる時間が楽しいな。
「あーあ、でもコレ、今からじゃ描き直す時間も足りないし、どうしようかしら」
「ねえ凪ちゃん。交代の時にさ、八津くんに見せてからでいいんじゃないかなあ」
ヤヅの名前を出すメイコはほんの少しだけ、口の端を上げている。ワザとだね。
「そうね。八津くんならなにか傾向見つけてくれるかもしれないし」
「ひょう、凪ちゃんって八津くん、買ってるよね」
「なっ、ちょっと奉谷さん。【観察】がってことよっ」
「またまたぁ」
ワタハラとホウタニの掛け合いが続く。女子だねえ。
「なになに、やっぱりナギってヤヅのこと、アレなの?」
「そりゃもう」
「ちょっと、ベスティさん、奉谷さん!」
「ふふっ」
「白石さんまで。笑うのやめてっ」
「凪ちゃん、大声出すと聞こえちゃうよ?」
「そっちこそ、
「そ、それは今、関係ないんじゃないか、な?」
◇◇◇
わたしは姫殿下の飼い犬だ。
脅されたわけでもなく、縛られているわけでもない。わたしはわたしの意思で姫殿下に仕えている。
両親が流行り病で倒れた時、軍の給金ではどうしようもなく、途方にくれていたわたしを拾ってくれた人。隊の後方で水係をしていたわたしを城中侍女に引き上げたのは、もちろんそこに打算があったからだろう。
わたしも疑ってかかってはいたけれど、跳ね上がった給金には逆らう気にもなれなかった。
しばらくして両親は息を引き取った。せめてもの救いで痛みを和らげる薬を与えることができたのは、間違いなく姫殿下のお陰だ。
周囲に気付かれないように姫殿下と通じているうちに、彼女の人となりも見えてきた。これでも人を見る目はあると思っている。貴族同士の迂遠なやり取りの中からでも本質を拾って、ソレを外したことはない。
わたしの見立てる姫殿下は、利を使い、情を知る人だ。
そんなお方だからこそ、最初は恩義で、今は主従として仕えることができている。
姫殿下は能力ある者や義を持つ者を無下にはしない。人という財を使い捨てにするようなマネはしないお人だ。それがわかっていない、たとえば近衛騎士総長のようなアレは姫殿下を甘く見るが、それすら活用してみせるのがあのお方だとわたしは知っている。
そんな姫殿下は勇者たちに酷くご執心だ。
報告を聞いただけでよくぞそこまで妄想できるものだと思っていたが、今日のやり取りだけでも一端が理解できてしまう。
ナギやアオイ、メイコと話しているだけで、背筋を昇る想いをどれだけ堪えなければならないのか。
アウローニヤに現れてからこれだけの短期間で悠々と二層を駆け抜ける力と、それを自分たちだけで成し遂げる知を持つ存在。なるほどこれが勇者だ。
これから姫殿下は勇者たちとどう向き合っていくのか。
騎士団を創るという話に嘘はない。そこにわたしを参加させる姫殿下の意向は、勇者と共にあれという意味を持つ。うしろから刺せなどという指示は絶対にないだろう。わたしにはその確信がある。
姫殿下が勇者たちにどのような利を差し出すのか、情を語るのか、それを聞かされた彼らはどんな顔を見せてくれるのか。それが今から楽しみでしかたない。
もうまもなく姫殿下は、リーサリット第三王女殿下は大きく動く。あとはその時期だけだろう。
左右するとすれば、それは勇者たち。
◇◇◇
「ねえナギ」
「なんです?」
もう一歩を踏み込みたくて、わたしはナギに話しかける。
「みんなって名前と家名、呼び方バラバラよね?」
「こちらの人たちも一緒じゃないですか」
「まあね。貴族は家名に誇りを持ったりするの。上下関係もそう。でもあなたたちって全員、同い年で平民同士だったよね?」
「……そうですけど」
ワザと口調をさらに平民風にしてみた。親密感が出ているといいのだけれど。
「なにが言いたいんです?」
警戒したようなナギだけど、わたしの狙いは違う。
勇者たちが『自称平民』なのは、この際どうでもいい。
「なのにナギはアオイやメイコのこと、シライシ、ホウタニって呼ぶんだなって」
「それは、十年もずっとこうだったし、慣れているから」
ナギの顔色は変わらない。本当にそう思っていて、それがどうしたという風情だ。
「あのさ、凪ちゃん」
「奉谷さん?」
「ボクたちのこと、名前で呼んでみない?」
さすがはメイコ。わたしの狙いに気付いてくれた。
こういうのに聡い気質だとは見込んでいたけれど、度胸も大したものだ。
「なんでいまさらよ」
「んー、なんとなく、かな」
「はぁ」
ナギが大きくため息を吐く。ここまでかな。
「べつに『
「なっ、ななな」
ところかメイコはもっと踏み込んでみせた。一歩どころか、相手にトドメを刺す一撃だよね、それ。
「ふふっ、凪ちゃんがみんなを名前で呼んだら楽しいかも。女子だけでいいから」
「白石さん……、ほかの子だって」
「うん。べつに凪ちゃんがよそよそしいなんて思ってない。ただのイタズラ。ね?」
アオイも誘導にかかった。しかもやり口が上手い。
親しみを意味させるのではなく、これが楽しい、と。じつに勇者らしい物言いだと思う。
「凪ちゃんってば、さっきミアにイジワルしたじゃない。罰ゲームってことでどうかな?」
「奉谷さん……」
今度はメイコが追い打ちらしきことを言うが、『ばつげーむ』? 勇者の言葉か。
「……いつまでよ?」
「うーん。日本に戻るまでで。もちろん戻ってからは好きにしていいから」
腕を組んで考え込んでしまったナギにアオイは小さく笑いながら言うが、瞳にはなにががこもっているような気がした。
これは勇者が国に戻るまでの、遊び。
わたしが振った話がきっかけでも、これは彼女たちなりに真剣な何かなのかもしれない。やりすぎたかと、少し戸惑ってしまう。
「わかったわよ。碧、鳴子。これでいい?」
「うんっ! いいよ、凪ちゃん」
「凪ちゃん、これからもよろしくね」
渋々といった感じのナギだけど、表情は悪くない。彼女らしい奇妙な笑い方を見れば、それがわかる。
「不公平とか言われそうだから、女子全員を名前で呼ぶわよ?」
「もちろんだよ。それで、八津くんは?」
「奉谷さ……、鳴子!」
「あははは、凪ちゃんが怖いー」
「もうっ」
いつかその時が来るまでに、わたしは勇者たちともっと親しくなっておきたいと思う。我ながら個人的な欲求で。
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