第108話 悪役令嬢っぽい人がいた
「騎士団の件は聞かせてもらったよ。俺としては上の意向に従うだけかな」
翌朝、アヴェステラさんと共に談話室に現れたヒルロッドさんは、いつものお疲れ顔で苦笑いをしていた。
背後にはシシルノさんもいて、なんとも言い難い面白い顔をしている。何を考えているのやら。
ちなみに、俺たちは今朝から離宮の掃除を始めた。
立派というか律儀というか、笹見さんは
チャラ男っぽいクセに下っ端感丸出しの藤永だけど、やるとなれば手抜きをできないタイプらしく、見事トイレはピカピカになっていた。さすがは【水術】使いなだけのことはある。
最近は【雷術】と組み合わせた水の電気分解を狙っているらしいので、これはもう水素爆発に期待がふくらむところだ。実にロマンがあるし、ヤツはもしかしたら将来の最強キャラかもしれない。雷系は強いから。
『【砂術】で掃除ができないかなって思ったのよ』
少しだけしょぼくれた
大昔は砂で皿洗いをした、なんていう逸話を聞いたことがある気はするけれど、床掃除はムリじゃないかな。
『お気持ちは嬉しいですが、わたくしたちの仕事を取り上げない程度でお願いしますね』
俺たちの行状を把握して、その理由を聞いたメイドさんたちはいたく感動していたが、それでもアーケラさんには軽く釘を刺されてしまった。
メイドさんたちの仕事を奪う形になるというコトには、実は
結果、これからも掃除は続けるが、食事作りと同じでお手伝いレベルに留めるという落としどころになった。むしろ整理整頓をしっかりやってくれ、だとか。
朝の顛末はこんな感じだったが、俺たちは俺たちなりにメイドさんたちを仲間として扱うという意思表示はできたと思っている。
いかんせん向こうは王城の人で、こちらは日本の平民だ。昨日も思い知ったけれど、常識が違い過ぎて誠意やら善意がどう受け止められるのかが不安だったが、とりあえずは好意的な反応で助かった。
こちらの常識には染まりたくはないけれど、知らなければいけないというジレンマだ。
異世界倫理観無双をするわけにもいかないだろうし。
◇◇◇
「通達が総長と両殿下のふたつだったから、ね……」
ため息を吐きながらヒルロッドさんはアヴェステラさんをチラリと見やる。
第六近衛騎士団『灰羽』のヒルロッドさんが近衛騎士総長から騎士団長経由で指示を受けるのは当然だ。問題なのは、たぶん第三王女様がアヴェステラさんを通して命令した方だろう。二人の偉いさんから別系統で指示を出されたとか、心中はいかばかりか。
いや待て、ということは昨日アヴェステラさんが言っていた、王女様が騎士総長を説得するという件にカタがついたということか。
それとも騎士団の話だけが先行しているから、総長はまだ自分の管轄だと思い込んでいるだけかもしれない。
わからない。わからないけれど、俺たちにできることがあるわけでもないし、こういうのはモヤモヤするな。もう知らないふり演技はやりたくないのだけど。
委員長も同じことに気付いているのだろう、首を傾げているのが見える。
「先の話ではあるけれど、俺は外部顧問になると思う」
半笑いのヒルロッドさんは俺たちの顧問になってくれるらしい。部活みたいだな。あとになって反故にならないといいのだけど。
ヒルロッドさんが相談に乗ってくれるのならば、騎士団なんてやったことがあるわけのない一年一組としてはとても助かる。けれどこの場合は騎士団長の仕事のような気もするのだけど。騎士団の運営そのものに関わるアドバイスなのだから。
直接表に出てこない第六の騎士団長は俺たちと距離を置きたいのか、繋がりを持ちたいのか、どっちなのかがよくわからない。このあいだのチンピラ騎士、ハウーズの一件があったから、俺たちと顔を合せ難いというのはあるかもしれない。
結局板挟みになるのはヒルロッドさんだ。やはり社会は怖い。不健全な考え方かもしれないけれど、がんばって大学にいこう。そうしよう。
「わたしは当面、出向扱いになるのかな。迷宮騎士団か。実に楽しみだよ」
その発言で、どこまで情報が伝わっているかわからないという微妙な悩みを、シシルノさんがきれいさっぱり解消してくれた。
彼女がこの場で迷宮騎士団というからには、もはや体制は周知の事実ということになるのだろう。
「ふふっ、みなさんはお気になさらず。手回しの目途が立っていたからこそ、昨晩お話ししたのですから」
少し笑ったアヴェステラさんが最終的なネタばらしをしてくれた。
俺の懸念を返してくれとは言わないが、モヤモヤ展開はそろそろヤメにしてほしい。
「君たちはそんな心配までしていたのか」
そこでやっと状況に気付いたヒルロッドさんが、バツの悪そうな顔をする。
「つまり俺は騎士総長の意を汲んだ手先だよ。お手柔らかにね」
遠い目をするヒルロッドさんの言葉を誰が責められるというのだろう。悲哀だ。
できればあちら側でなく、俺たちのための防波堤になってほしいのだけど、そこまで望むのもな。
「あははっ、ミームス卿も面倒な立場になったものだね」
ケラケラと笑うシシルノさんをヒルロッドさんが軽く睨むけれど、それに動じる教授ではない。
むしろとばかりに懐からなにかを取り出した。書類か?
「さっき退職願を出したのだけどね、突き返されてしまったよ」
「ジェサル卿……」
「シシィ、あなたね……」
あんまりな行いに唖然とする俺たちがいて、ヒルロッドさんとアヴェステラさんは揃って手で目を覆った。
アヴェステラさんに至っては、余程口を滑らせない限り出てこない愛称呼びになってしまっている。
「何かな、アヴィ」
「んんっ……、ジェサル卿。少しは
ニヤニヤとシシルノさんがツッコメば、アヴェステラさんは咳ばらいをしてから苦言を呈した。
軽くだけど、シシルノさんの御家事情は聞かされている。
ジェサル子爵家。なかなか長い歴史を誇る家で、軍部に強いつながりがあるらしい。
シシルノさんがミドルネームを持たないことからわかるように、彼女は当主でもなければ跡継ぎでもない。たしか四女とかだったか。
「わたしが【瞳術師】と知れた途端、分家との婚約が消えてなくなるような家だよ。いまさらなんの義理立てかな」
シシルノさんのセリフには、クラスの女子を中心にうわぁといった感じの声が響く。これは初耳だ。
まさかシシルノさんに悪役令嬢的バックストーリーがあったとは。
「だからこそあなたの意思を汲んで『魔力研』ではないですか。それを今になって」
「罪滅ぼしかい。そんなものがあろうとなかろうと、わたしはこうしていたよ。どうせなら、あの所長をどうにかしてほしいところだね」
婚約破棄のお詫びに就職先の斡旋とか、なんとも微妙な話だ。
シシルノさんの能力なら総合魔力研究所なんて楽勝な気もするけれど、そこにはアウローニヤの実情が絡んでくる。
王国が俺たちに渡した資料の中には、主要部署のお偉いさんの名前が並んでいるモノもあった。
無論主旨は組織図の方で、歴代の長の名前なんていうのはオマケだったのだろう。向こうも俺たちとの常識の違いを見切れていなかったのか、普通に閲覧することができた。もちろん軍の詳細な編成などは手に入らない。機密にすべき部分はシッカリしていたということだ。
『官僚が世襲か』
ボソリと委員長がこぼしたのが記憶に蘇る。
役職リストにはそこそこの頻度で同じ家名が同じ部署に並んでいた。
違う名前もそれなりに出てきたのだけど、調べてみれば分家でした、みたいなケースが多くて先生が眉間を押さえていたものだ。
酷いケースだと、とある時点から家名が『完全に』切り替わるなんていうのも。
中世ヨーロッパ風ならこんなものじゃないかとも思うけれど、この世界の場合は神授職までもが絡んでくる。
この手のお話にはありがちだが、神授職は血筋と幼少の経験で発現が固定されやすい。血筋もへったくれもない俺たちですら、中学までの経験がそれなりに反映されているくらいだ。
軍家に生まれて分家と婚約していたシシルノさんが直接戦闘に向かない【瞳術師】になった。彼女の性格が強く出たのかどうかはわからない。けれど御家としては大問題だったのだろう。なにせこれから生まれてくる子供にまで影響がある話なのだから。
軍家と【瞳術師】と婚約破棄というキーワードでここまで推察できるくらいにはアウローニヤに詳しくなった俺だけど、むしろここで気になるのは退職願の方だ。
まさかとは思いたいけれど。
「いやあ、勇者が集う迷宮騎士団だろ。これはもう入団するしかないじゃないか」
やっぱりだった。
「出向なり、先に入団を願うなり、手段や手順はあると思いますが。事実、顧問は内定でしょうに」
「わたしなりの覚悟と誠意を、だよ」
「両殿下の名の下、堂々と軍と迷宮騎士団に繋がりができるのです。軍部があなたを簡単に手放すわけが──」
アヴェステラさんのもっともな意見にもシシルノさんはどこ吹く風だ。覚悟というより妄執を感じたぞ。ほら、仲良しの
ところで出向して顧問になるのは決まっていたのか。ヒルロッドさんの件といい、根回しがしっかりしすぎている気がする。昨日の今日でこれだ。
実質的主犯が第三王女なのは知れているので、あの人の恐るべき手腕が見えてくる。こういう政治絡みは、異邦人の俺たちに手出しできない分野だからな。
どこかでばったり王族とか公爵様と出会って意気投合、なんていうイベントが発生しないだろうか。
「粘り強くいくとするよ。わたしが失職したら君たち、もちろん養ってくれるだろうね?」
「……シシルノさんには恩がありますから、期待には応えたいと思います」
「聞いたかいアヴィ、アイシロくんの言葉を。これが勇者の器というものだよ」
委員長の言葉はリップサービスではないだろう。シシルノさんの知識や思考は迷宮探索をメインにする俺たちに必要なものだ。
それになんだかんだシシルノさんは楽しい人で、俺たち一年一組は彼女のことが好きなのだと思う。どうやらウチのクラスは先生属性に弱いらしい。
だからといってシシルノさん、アヴェステラさんを煽るようなことまで言わなくても。
◇◇◇
「迷宮での長期滞在は、宿泊訓練だと考えれば問題ないだろうね。ただ、二泊となると人員の調整が必要かな」
次のというか本命の話題、つまり迷宮泊については、それほど渋ることなくヒルロッドさんに認めてもらえそうだった。
シシルノさんは当面、顧問で我慢してくれることになったが、そもそも迷宮騎士団がいつ成立するかも未定の段階だ。できてもいない会社に身命を賭けてまで飛び込まないでもらいたい。
昨日の夜にあそこまで熱くなって役職決めをやった俺たちが言えた義理でもないかもしれないけれど、シシルノさんは大人だからな。
「そちら側の窓口はワタハラとヤヅだね。資料はあるのかな」
「長時間迷宮に滞在した事例はだいたいです。わたしたちからも計画書は出しますので、見てもらえれば」
ヒルロッドさんの質問に、綿原さんがハキハキと答えていく。なかなか立派な姿だ。
「──宿泊にいい場所は
「なるほど、非常時の手順に従うわけだね。現実的でいいと思うよ。どうせやるなら、なにかしら新しい試みも組み込みたいね」
昨日の晩や今日の朝、掃除をしながら話し合った内容を綿原さんが並べていく。ヒルロッドさんがうんうんと頷いているところを見るに、なかなか好評のようだ。
「そうです。新しい挑戦。実は悩んでいるのがお布団でなんです」
「布団?」
「はい。わたしも経験しましたけど、背中が硬いとイヤだなあって」
ヒルロッドさんの表情が無と化していく。
だけど欲しいよな、布団。
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