第29話 【聖術】使い
目の前に並べられた夕食の立てる湯気が地味に鬱陶しい。
メイドさんたちに今日だけは肉類は勘弁してほしいと要望したら、首を傾げながら言う事を聞いてくれた。あれはわかっていない顔だ。
こういうところが文化の違いとしてダイレクトアタックを仕掛けてくる。あちらからすれば魔獣の死体を刺したくらいでどうしたの? なんだろう。
結局夕食は肉抜きスープとサラダ、多めのパンということになった。それでも野菜とスパイスは迷宮産なのが複雑な心境にさせてくれる。
「こんなに疲れる食事は初めてかもだね」
なんとかみんなが食べ物を胃袋に入れ終わったのを見計らって、
「予定を変更したほうがいいかな」
そして珍しく断言じみた提案をした。それくらいの確信と合意があるのがわかっているのだろう。
「
「ああ」
異世界システム担当としてバトンを受け取った古韮は、軽くみんなを見渡した。
「とりあえず身体系や魔術系は後回しだ。精神系を取る。それでいいか?」
全員が黙ったまま頷いた。さっきのアレは効いたからな。
系統については文献や候補になっている技能名からの推測も混じっている上に結構適当だ。たとえば俺の【観察】や先生の【睡眠】なんかは、身体系と精神系のどっちつかずで扱っている。
「メインは【平静】と【高揚】だ。できれば両方。自信があるなら自分の性格に合せてどちらかってことで」
『別名称の技能は重複できる』。これはシシルノさんのお墨付きで確定事項だ。軍の実戦でも効果確実と判断されている。
この場合【平静】と【高揚】は重複可能な組み合わせで知られていた。メジャーな技能なのかこの国にしては珍しく、ちゃんとした論文形式で文献が存在していた。
簡単に効果を表現すれば『心は熱く燃え、頭脳はクール』という、マンガとかでよくある表現になる。実に今の俺たち向けの組み合わせだ。
正直に言えば、技能で自分の精神状態をいじるようなことはしたくない。なにかこう洗脳じみていて気持ちが悪いから。
けれど今はそれどころじゃないのも事実だし、今の内に取っておかないと練度が追い付かない可能性がある。技能はその場で取ってもすぐに劇的な効果が得られるモノじゃないことは、経験上わかっているからだ。無いと有るとでは大違いなのも事実なのだけど、それにしたって熟練度システムが恨めしい。
「もしもだけど、余裕がある人がいたのなら……」
口を挟んだ委員長はすごく申し訳なさそうに、ただひとりを見ていた。
「あら。わたしに余裕なんてないですよ」
「まあいいです。わたしは自分の意思で【聖術】を取りたいですから」
「ごめんね。助かるよ」
実に上杉さんと委員長らしいやり取りで方向は決まった。
迷宮入りが現実的になってきて、そうなると当然『負傷者』を心配する必要がある。当面は近衛騎士団から回復役を出してくれることになっているが、枚数は多い方がいいし、熟練度の問題もある。
治癒魔術たる【聖術】使いは身内でも抱えておきたい。これは以前からクラスの総意だった。
そして今日の訓練で思い知った。俺たちの体はそれが死体相手でも想像以上に動かない。
これが生きている魔獣だったら。王国が安全性を考えていたとして、それでも怪我をしてしまったら。
熟練度を考えると、今のうちから【聖術】を持っていないとマズい。それがもしもの保険であったとしてもだ。
◇◇◇
召喚された一年一組の面々はわざとらしいくらいバラバラだった神授職を持つお陰で、ゲーム的にいえば一通りの
すなわち近接物理アタッカー、遠距離物理アタッカー、魔法アタッカー、物理タンク、バッファー、レンジャー、そして【聖術】を使うヒーラーだ。
俺? マッパーになれるかもしれない。父さんが昔読んでたらしいラノベに、マッパーが主人公っていうのがあったっけ。現実逃避はこれくらいにして。
『君たちが王家の客人じゃなくそれでも一団でいたいとして、一番確実なのは軍の独立遊撃部隊かもしれないね』
そうヒルロッドさんが言っていたくらいには万能らしい。ただし──。
『それでも【聖術】使いが三人はやりすぎかな』
という但し書きが追加されたのには困惑した。
普通なら二十二人の中に【聖術】持ちが三人もいるなんていうことは無いらしい。
繰り返しになるけれど【聖術】はざっくり言えば『治癒魔法』だ。テンプレどおり外傷治療タイプで病気には無力なのこともハッキリしている。
病気を治したり、欠損部位を修復できる可能性がある上位の【聖導術】は伝説レベルらしいので、その点でも上杉さんは聖女認定間近の存在といえるかもしれない。
脳内技能候補には出ているらしいけれど、体感で取れる気がしないらしい。内魔力が足りていないのか、階位が低いせいなのか、それとも前提技能があるのかもしれないけど、相手は物語にしか出てこない伝説級の技能なので詳細不明だ。
上杉さんが聖女であるという話はここまでとして【聖術】使いの扱いだ。
アウローニヤ王国で【聖術】使いが所属するのは、王家直属、近衛騎士団、軍、領地貴族、そして聖務部の五つだと俺たちには説明されている。
町医者? いるわけがないらしい。よく見かける教会所属というパターンはこの国の場合、勢力が弱すぎて話にならないとのことだ。こんなところでも平民軽視が垣間見える。
物は試しと冒険者にはいないのかと訊けば、俺たちが想像するような冒険者活動は、この国だと軍がほとんどを担っているらしい。ほかの国にはいるらしいので、そこにちょっとだけ夢を馳せてみた。
本当に大丈夫なのか、この国。
つまりそれだけ【聖術】使いはレアで、どこの組織からも『狙われる』存在ということだ。それをいえばウチはレア技能持ちが多いのでキリが無いのも事実だけど、わかり易い分だけ【聖術】持ちはヤバい。
「ふたりで盛り上がってるんじゃない。俺も取るぞ」
頭の中で【聖術】のまとめをしていた俺を現実に引き戻したのは、【聖盾師】
◇◇◇
「シシルノ教授にだって技能までは視えないんだろ? 適当言って誤魔化せばいいじゃないか」
少し雑だけど田村らしい考え方だと思う。
間接的に誤魔化す方法もないわけじゃない。彼はそれをやれと言っているんだ。
俺たちは最初は警戒心で、ある程度情報を得てからは極端な技能を取っていない。ただし
そしてどうやら他人の技能を看破するような技能は物語にしか出てこないということもわかってきた。
「隠し事は少ない方がいいと思うけど」
「言いたいことはわかる。けど熟練度とやらが邪魔をしてくれてるわけだ」
「まあ、ね。田村の言うとおりだと思う。育てる時間が必要なのは間違いない」
「なら委員長はどうするんだよ」
ウチのクラスで【聖術】を候補技能として出現させているのは三人。ヒルロッドさんの言葉にも出てきたとおり、神授職からバレバレだったので王国側はそれを知っている。だからこそ俺たちは身内で話し合って、出し渋ることにした。
そんな三人の内、ふたりが言葉を交わしている。【聖騎士】の委員長と【聖盾師】の田村。【聖導師】の上杉さんは微笑みをたたえて静観の構えだ。
異世界転移モノで死亡フラグになりかねないゲーム的な考え方になるけれど、ヒーラーは多い方がいいに決まっている。
目立たない上に下地になる【体力向上】で俺たちは技能の基本を体感してきた。それを今日までで一週間。
はっきりわかったのは『技能システム』は厄介だということだ。
内魔力という総魔力を削り、しかも熟練度が効果に大きく影響する。戦闘中に取得してスカっと大逆転なんてことが起こり得ない、とても残念な縛りだった。この世界の神様はなんてことをしてくれたのか。
「わかった。じゃあ僕の答えを言うよ」
「おう」
「今、僕は取らない。【平静】か【高揚】無しで魔獣と戦う自信がないんだ。それに僕は【聖騎士】だから【聖術】を取る時にどれだけ内魔力を持っていかれるかが不確定だ。下手をしたら技能を使い込むだけの魔力が足りなくなるかもしれない」
「……」
委員長の【聖騎士】は【聖術師】と【騎士】の複合神授職だ。回復ができる騎士とか、完全に勇者スタイルだな。
ここで注目したいのは最後の文字、つまり【士】と【師】だ。もちろんこちらの単語を翻訳したものだけど【士】は前衛系、【師】は後衛系であるのは確定している。じゃあ俺の【観察者】はなんなんだという話になるが、それは将来に期待するしかない。
上杉さんの【聖導師】は文句無し、田村の【聖盾師】は多分盾らしき何かを兼任する【聖術】使いで、こちらも後衛寄りが予想できる。つまり【聖術】の取得コストが低いはずなのだ。
委員長の場合は【騎士】メインの可能性が高いので【聖術】コストが高いかもしれない。今はまだ別の技能を取って、そちらの熟練を上げるというルートがあるんだ。
「だから階位が上がって魔力がどれくらい増えたかを確認したら、そのとき真っ先に取るよ」
「お前らしいや。理屈が通ってる上に、あいかわらず自己評価が低いな」
皮肉気に笑う田村の顔に委員長に対する嘲りの色はない。とっくにテストの答えを知っていたような、そんな表情だった。
田村の口調こそ荒っぽいけれど、互いに認め合う実にいい光景だ。一緒のクラスで生きてきた年月を感じさせてくれる。
「じゃあ委員長は【痛覚軽減】だな。騎士系だからコストは安いんだろ?」
「うえぇっ!?」
俺の理想を飛び越えて、田村はとても意地が悪かった。
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