第28話 肉を刺すという行為




「先生、藍城あいしろ委員長、中宮なかみやさん」


「どうした」


 訓練場への重い足取りの途中で俺はクラスのトップスリーに話しかけた。この切実な想いは通じるだろうか。返事をしてくれた委員長の顔色もそこそこ悪いし、わかってくれそうな気はしているけど。


「あのさ、計画変更して精神系取らない?」


「わたしは良いと思います」


「先生……。すみません」


「わたしも取ろうかと迷っていますから」


 いつもは出しゃばらないのに、多分委員長に言わせたくなかったんだろう、先生が率先して賛成してくれた。しかも自虐するようなことまで言って。

 ちょっと悔しそうにしている委員長だけど、彼だって当事者だ。中宮さんの表情も硬い。


 薄々わかっていたのに見えないふりをして、ゲームみたいなものじゃないかと自分を誤魔化していた現実が迫ってきている。

 高校一年生二十一人と先生がひとり。誰が冷静に生き物を殺せるっていう話だ。



 ◇◇◇



「ではまず俺が手本を見せよう」


 訓練場でいつもより短い行進をして体を温めたあと、ついにその時はやってきた。

 ヒルロッド教官が持っているのは、刃渡り三十センチはあるかという大振りな自称短剣。分厚い片刃で、ミリオタの馬那昌一郎まなしょういちろうが言うには『ヒルト』とかいう鍔みたいのがついている上に柄が長い。繰り返すと、デカイナイフだ。

 全体が黒っぽいけど、材質はたぶん鉄じゃない。どことなくプラスチックっぽい? まさかな。

 ところどころに傷がついていて、訓練で使い込まれているのがよくわかる。



「アレが標的になる。迷宮一層で出現頻度が最も高く、そして倒しやすいといわれる魔獣だ」


 視線の先には三人の騎士に支えられた物体が地べたに置かれていた。


「【八脚茶鼠獣】だよ」


 五十センチ四方くらいに見えるソレは、名前の由来になった八脚が付いていない。確かに色は茶色くて短い毛がびっしりと生えているが、アンバランスなくらい頭が大きい。

 見ようによってはネズミに思えなくもないけれど、普通の位置に目がふたつ、なぜか下顎にも目がふたつあるのがわかる。名前に『四眼』もくっつけた方がいいのでは。

 ネズミは既に死んでいる上に、足は全て掃われて単なる肉塊状態になっていた。


 死体で練習しろと、そういうことだ。嫌だな、こういう変な部分でリアルな世界観なのは。

 異世界転生モノ小説は結構読んでいると自負しているけれど、ファーストアタックがこういう展開ってあっただろうか。わかっている、これは現実逃避だ。



「見ていろよ?」


 ナイフを腰だめにしたヒルロッド教官が軽く駆け出し、そのまま身体ごと相手にぶつけるように体当たりをかました。

 切っ先は多分、ネズミの首の根本に刺さっているのだろう。ヒルロッド教官はそのままナイフをえぐるようにしながら、首を下方向に斬り裂いた。赤紫っぽい色の血が噴きだすが、教官は素早く飛び退いて返り血を避けてみせた。


「こんな感じだ。相手は動かないし簡単だろう?」


 十メートルくらいむこうからの無情な声が俺たちクラスメイトに届いた。聞こえたくなかったな。

 なるほど柄が長いのはああやって両手で使うのが前提だからか……。


「ヤクザの出入じゃねぇか」


 その顔で言うと妙に似合う、ヤンキー風の佩丘駿平はきおかしゅんぺいクン。

 苦手意識は消えていないけれど、今ちょっと親密度が上がった気がする。



「午前中に狩ってきた新鮮な獲物だよ。いくらでもあるから失敗を恐れずにやってみるといい。どうせ城下に卸す肉だ。いくら傷をつけても問題はないからね」


 戻ってきたヒルロッドさんからまた出た平民見下し発言だが、それはまあどうでもいい。

 そうか、標的は有り余っていると。


「慣れるだけの作業だよ。誰からやるのかな」


 何のことはないといった風情で言われると、まるでこちらが臆病者に感じるのが嫌になる。


「ワタシからやりマス!」


 大きな声で手を挙げたのは加朱奈カッシュナーミア。金髪ポニテの疑似エルフだった。



 ◇◇◇



「オンタリオでパパとハンティングをしたことがあるんデス」


「よくわからんが経験者ということかな」


「デス!」


 ニコニコ笑顔のミアとヒルロッドさんの会話が風のようにクラスメイトの間を吹き抜けていた。ミアも共通語で話しているのに、どうしてエセ外国人みたいな発音ができるのかは永遠の謎かもしれない。


 それにしてもワイルドな体験しているな、ミアさん。両親が元カナダ人だったか、そういえば。

 まあウチのクラスのことだマタギに同行したヤツがいてもおかしくない。それくらい俺はこの一年一組を変な形で信用してしまっている。


「いい意気込みだな。ではカッシュナー、最初は丁寧にだ。ゆっくりでいいから正確に狙え。滑らせて自分の手を切らないようにな」


「そのための【身体操作】デス!」


「そうか。よし、やれ」


 ゴーサインとともにミアは駆け出した。躊躇がない。そして速い。

 陸上経験者の酒季さかき姉に短距離走のフォームを習っていたのは知っていたが【身体操作】だけで、こんなに足は速くなるのか。



「イヤアアァァ!!」


 高い叫びとともに、細いミアの身体がネズミの死体に直撃した。ドンっと重たい音が響く。

 それでもミアは動かない。ヒルロッドさんがやってみせたように、彼女は全力でナイフをこじり、引き下ろした。


「みんな、ワタシはやりましたヨー!」


 右手にナイフをぶら下げたまま、ミアはこちらを振り返って笑った。訓練服どころか顔の一部までが赤紫に染まっている。

 哺乳類ではありえなさそうな、鮮血とは明らかに違う色だ。アレが魔獣の血。


 彼女の歩みは獲物に向かう時とは違って、帰りは散歩のようにてくてくとしている。余裕を感じるな。

 そして何故か俺たちの集まる場所を素通りして、そして。


「オゲアアァァ」


 吐いた。



 ◇◇◇



「ミアさん、顔を洗ってきてください」


「グシュッ。美野里みのり、ありがとデス」


 みんなが固まる中、ただひとり動揺を見せないでミアに歩み寄ったのは、我らが聖女、上杉美野里うえすぎみのりさん。彼女は顔色を変えないまま、ミアにタオルを手渡した。


「大丈夫ですか」


「この涙は嘔吐の生体反応で、心の汗的なのじゃないですから安心デス」


「そうでしたか。ミアさんは強いですね」


 そう、ミアは緑の瞳を潤ませ、頬を涙がつたっていた。ツラくて泣いたわけじゃないっていうのは、たぶん本当なんだと思う。同時に吐くほど不快だったのも事実なんだろう。


「ヤると決めればスイッチが入りマス。それでもあの感触は残りマスね。慣れるか技能を取るか、考えどころデス」


「わたしにできるかしら……」


「美野里なら大丈夫デス。ワタシが意味なく保証しマス!」


「まあっ、ミアさんったら」


 殺伐とした会話がほのぼのとなされている光景は、当人たちは地球人なのにどこか異世界を感じる。あのふたりはすごいな。


 そんなやり取りがあってから、ミアは訓練場の端にある水飲み場に歩いていった。俺たちはその背中を見送るだけしかできない。けれど彼女の背筋はちゃんと伸びていて、それが小さな勇気を振り前いているような気がした。

 背中で語るなんていう表現はよくあるが、女の子の小さい姿でもできることなんだと思い知った。それなら俺だってやるしかないじゃないか。



 そこからはもう意地の張り合いと、置いていかれたくないという同調圧力がもたらす阿鼻叫喚だった。


 最初のほうで見栄っ張りタイプが根性で挑む。

 佩丘はきおかを先頭に田村たむら、酒季姉、そして奉谷ほうたにさんが。


 次に責任感が強い人たちが。

 こっちは先生を筆頭に、委員長、中宮さん、上杉さん、古韮ふるにらあたり。


「姉ちゃんがさ、獣医学部行ってるんだけど……、俺、もっと尊敬することにするわ」


「そういえば海藤かいとうの家も牛飼ってたんだな」


八津やづの家もだろ。矢瀬やぜ牧場だっけ」


「ああ。母さんの実家」


「戻ったらさ、牛談義でもするかあ」


「いいね」


 思わぬかたちで海藤と友誼を結んでしまった。現実逃避って良いよな。


「んじゃ俺たちもやるかあ」


「海藤、先を譲るよ」


「お前なあ」



 最後の方は酒季さかき弟、草間くさま、そして深山みやまさんあたりの気弱組だった。

 震えながらおぼつかない足取りで、深山さんなんかはもともと白い肌を雪みたいにさらに真っ白にして、それでもネズミの死体を突き刺した。


「深山っち……、がんばれ」


 藤永の声は小さくて声援になっていなかった。

 目を赤くして、歯を食いしばって、かすれた声はまるで自分に言い聞かせているみたいに。



 ◇◇◇



 一刻(二時間)くらいをかけて、それでも俺たち全員はやり遂げた。


 泣いたし吐いたし、終わったあとで崩れ落ちたり、うずくまって動けなくなったヤツもいた。

 まがりなりにも最初から最後まで冷静そうに振る舞えたのは、先生と中宮さんと上杉さん、佩丘くらいだったかもしれない。あの綿原わたはらさんでさえ涙目だった。


 俺はもちろん吐いて、うずくまった。



「嗤いやがって、こっちは日本人だっての」


 佩丘が吐き捨てたのは、見物をしていた訓練騎士の一部が俺たちを見てあざ笑っていたからだ。


 この訓練場には大きく分けて二種類の訓練騎士がいる。軍上がりの平民か、最初から近衛狙いの貴族子弟か。

 どうやら俺たちのことは貴族に流れているらしく、一部の連中の間に平民でしかも実績が無い俺たちが王家の客人待遇を受けているのを気に食わない、などと思っているのがいるらしい。


「いい加減慣れろ。行進のときからずっとだろう」


「ちっ、わかってるよ」


 海藤が諫めているけれど、どこかで誰かが暴発しそうでちょっと怖い。やらかしかねないのが俺自身なのも。

 もしもクラスメイトの誰かが、あそこで嗤っているチャラい貴族連中に手出しされたら……。うん、多分やるだろう。俺もずいぶん仲間意識が強くなったみたいだ。


 そこに気付いたから、少しだけ気が晴れた。


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