第354話 去ることを前提として




「本音を言えば君たちにつきまとい、行動を共にしたいという想いは消せずにいるのだけどね」


「シシルノさん……」


 俺たちとの別れを宣言するシシルノさんの言葉を聞いて、可愛い顔を崩した夏樹なつきが寂しそうな表情になる。


 夏樹がそうなってしまうくらい、シシルノさんはいつもと違う笑顔を見せていた。寂しげな、悲しげな。だけど覆すことのできない意思を感じる笑みだ。

 こんな顔をした大人の女性なんて、俺の手に負えるわけがない。


「安心してくれていい。言ったとおり、わたしは強制されているわけじゃないんだ。御家の事情など知ったことではないし、これはわたしの意思なんだよ」


 シシルノさんの実家、ジェサル子爵家は軍部に顔の効く家ではあるが、シシルノさん本人とは没交渉になって久しいと聞く。以前聞かされたシシルノさんが婚約破棄されて悪役令嬢みたいな扱いをされたなんていう経緯があったから。


 そんなジェサル家とは関係なく、シシルノさんはアウローニヤに残るのだと言う。御家の方はいちおう中立派というか日和見だったので、今後女王様になびくかどうかはわからないのだけれど、シシルノさんは人質という感じでもなさそうだ。そんな縛りでどうにかできる人じゃないしな。


「君たちも知っている通り、陛下の施策はこの国を変えるだろう。期限付きとはいえアウローニヤの立て直しは上手くいくと、わたしはみている。あのお方にはそれを為す力があるだろう」


「シシルノさんはそれを手助けするんですか?」


 どことなく憂いを込めて綿原さんが問う。

 心のどこか奥底では、シシルノさんがついてきてくれるんじゃないかという期待があったのかもしれない。


「手伝いというよりは、見極めかな。まさに君たちの言った顧問だよ。そうする必要があると思うんだ」


 そう言ってのけるシシルノさんの決意は固そうに見える。


 自由奔放に振る舞うシシルノさんだが、それでも彼女はアウローニヤの人だ。御家との確執があったとしても、国そのものへの想いはあるのだろう。あるのかな、本当に。

 むしろこれから変革していく王国を見ることを、そこに口を挟める立場を得ることができそうな状況を楽しんでいるような、そんな。


 うん。そっちの方がシシルノさんっぽいからそういうことにしておこう。



「ほらほら、それより【魔力視】についてだよ。わたしが君たちの旅に付き合えないとなると、さあどうだろう」


「困りますね」


 シシルノさんの現実的な仮定に、綿原さんは躊躇なく言い返した。


「同行しないと言った手前、ワタハラくんの言葉に喜ぶのはいけないことなのだろうね。だけどやはりそう言ってもらえると、誇らしく思ってしまうよ」


「ま、まあ、それはいいじゃないですか」


 明け透けなシシルノさんに、綿原さんが一気に慌てモードになってしまう。

 今日の綿原さんは緩急が激しいな。サメも一緒になって跳ねているし。


「もとよりわたしはペルメッダに同行するつもりはなかった。だが君たちにはクサマくんはもちろん、ヒキくんもいる。直近ではハルくん、ナカミヤくんもだね。斥候については、それほど心配はしていなかったんだよ」


 指を折りながら斥候ができるメンバーをシシルノさんが挙げていく。【忍者】を目指す草間くさまと【鞭者】を狙うひきさんは定番で、最近では木刀少女の中宮なかみやさんも【聴覚強化】を取得した。

 さらには足でかき回す、というより魔獣を振り切ったりトレインが可能な陸上女子、はるさんが積極的に動いてくれるのもありがたい。彼女も【聴覚強化】取ったことだしな。


 その上ウチのクラスは【視野拡大】や【視覚強化】持ちがゾロゾロ揃っているので、奇襲にはめっぽう強いのだ。


 そう、一年一組という集団は、斥候能力という意味ではかなり分厚い戦力を持っている。王国の部隊でここまで索敵に力を入れているところなどないくらいには。もっといえば四人も【聖術】使いがいる部隊もないだろうけど。



「そこにきてヤヅくんの【魔力観察】だ」


 だからこそシシルノさんが抜けることによる痛手は、斥候能力の低下というより魔力の調査や判定となる。知識や思考、経験や常識なんかもとても重要だけど、それは『緑山』のアウローニヤ関係者全員にいえることだな。


 で、俺に【魔力観察】が生えてしまったことの意義を、シシルノさんは突いてきた。

 さっきまでは性能予想で、ここからは状況判断。だからシシルノさんはこのタイミングで俺たちに話しかけてきたのだ。


 つぎに俺が取るべき技能を誘導するのではなく、シシルノさんが居なくなるという事実を判断材料のひとつとするために。

 これはズルではなく、むしろ誠実な行動だと思う。後出しジャンケンを避けてくれたというべきかな。


「だから八津やづくんに【魔力観察】を取れってことですか」


 話の流れで誰もが行きついていた答えを、綿原さんは言葉にした。


「そこまでは言わないさ。判断のひとつにと思ってね。ただし、わたしが【魔力観察】がどのような技能なのかにとても興味を持っているという事実も、この場で白状しておくよ」


「正直すぎてシシルノさんっぽいです」


「君たちには胸襟を開くべきだと考えているからね」


「まったく、シシルノさんは困った大人ですよ」


 ため息を吐く綿原さんだが、その表情は名の通り、どこか凪いだものだった。近くを泳ぐサメも彼女の精神を表すように、穏やかに漂っている。俺も似たような気分だよ。


 ここからは俺の決断次第ということか。



「みんな、聞いていてくれたよな」


 立ち上がり、周りを見渡しながら発した俺の声にみんなの視線がこちらに集まる。


「どした?」


「なになに」


「やっちゃうのか?」


「俺はいいと思うぜ」


 そこかしこからクラスメイトたちの返事が届くが、大半のメンバーは聞き耳を立てていたんだろうな。

 賑やかしが半分で、残りは後押しするような響きが混じっている。


 個人の取る技能については、最終的に自己判断。それが俺たちのやり方だ。

 口は出すけど、周りが決めるんじゃない。話し合って考えて、最終的に下した個人の判断にみんなが合せる。それが一年一組の流儀だから。



「ここで【身体操作】を取ったら、十二階位まで大きな技能は取れそうにないんだ。十一階位の技能取得はパスになると思う」


 十階位になったばかりでシケた話ではあるが、【身体操作】は取るにしても運用でも、それなりに重コストな技能だ。

 とくに使い続けることで体を慣らしてナンボという性格の技能であるため、オンオフを切り替えにくい。常に全力とまではいかなくても、常時発動が望ましいのだ。


 取る以上は使い続けなければ意味が薄い。

 さっき取得した夏樹は【石術】を控えめにすることで魔力量を調整し、上杉うえすぎさんなどは、それこそ【聖術】を使う場面以外では【身体操作】をなるべく使うようにするだろう。


 ならば俺はどうなるか。

 もちろん【観察】や【目測】は使い続ける。【視野拡大】や【視覚強化】もだ。ただし俺の場合、そういう視覚系の技能を使い続けてきたお陰で熟練度が伸びたのか、運用魔力コストは確実に下がっている。

 夏樹の【石術】と同じように【観察】の強弱を調整して【身体操作】に重きをおけば、ここで取得しても十分に運用が可能だと思ったからこそ、さっきまで悩んでいたのだ。

 それでも十一階位での新技能は、余程の事情でもない限りパスする予定だったのだけどな。


 そこに登場した【魔力観察】は【身体操作】よりも取得コストが重たい。運用については未確定だが、これまた十一階位になっても何もできないのはほぼ確定だ。


 結局は二者択一で、どちらかを選ぶしかない。ついでに中途半端はダメだとも思う。



「聞こえてたと思うけど、『緑山』が解散されれば、俺たちは一年一組としてペルメッダだ。シシルノさんたちアウローニヤの人とは……、残念だけどお別れすることになるんだろうな」


 ああ、俺らしくない。こういう演説じみたマネは藍城あいしろ委員長か綿原さんの領域なのに。

 それでも自分の技能に関するコトだ、やり切るしかないのがツラい。


「だから今のうちに【魔力観察】を取っておこうと思うんだ。今日と明日を逃したら、つぎの迷宮はしばらく先になる。馬那まな?」


「ん。ペルメッダまでは五日以上だな。山越えだ」


 ここで地理担当の筋トレマニア、馬那にも確認をしておく。


 アウローニヤと山脈を挟んで東側にあるペルメッダ侯国までは、いくら階位を上げた俺たちの移動速度でもそれなりに時間がかかる。

 到着したところで、さあすぐに迷宮とはいかないかもしれない。


 シシルノさんの【魔力視】が無くても、草間の【気配察知】とみんなの索敵能力があれば、道中は問題ないとは思いたい。それでも、保険がほしいんだ。



「つまり一週間以上は空くことになるんだ。じゃあそのあいだに俺がするべきことはなんだってコトだよ」


「よっ、【観察者】!」


「茶々はいいよ、古韮ふるにら。でもそうだ。俺は戦えないけれど、見ることができる。シシルノさんの代わりになんてなれるわけがないし、【魔力観察】がハズレかもしれないけれど……」


 合いの手を入れてきたイケメンオタクの古韮に苦笑を送ってから、俺は俺にしかできないことを再度自覚する。


 旅の途中は大した問題ではない。ペルメッダにあるという『ペルマ迷宮』に入ってからこそが本番だ。シシルノさんの魔力探知無しで迷宮を調べ上げる必要があるのだから。


 これでもし【魔力観察】がハズレスキルだったら大恥だな。再び追放の危機ってか?



「優先順位を変えようよ。いったんは八津くん、上杉さん、奉谷ほうたにさんに絞ろう。藤永ふじながくんと田村たむらくんは前衛で面倒みるからさ」


「言ってくれるなあ、野来のき


 そこで口を挟んできたのは【風者】もとい、オタク系【風騎士】の野来だった。面倒をみるなんていわれたお坊ちゃん【聖盾師】の田村がすかさず噛みつくのも恒例だな。


 野来が言っているのは誰を優先的に十一階位にするのかというレベリングの順番についてだ。

 名前が挙がっていた以外で対象になっていたのは【氷術師】の深山みやまさんと【騒術師】の白石しらいしさん。要は魔力タンクなメンバーだ。


 そこに俺を割り込ませる。


「前衛だって階位は上げられるでしょうし、もっと丁寧を心掛ければ全体として魔力だって節約できるわよね。それこそ八津くんの役割でしょう?」


「中宮さんは厳しいコトを要求してくるなあ」


 中宮さんは全体として魔力が安定するように、俺にそういう指揮を執れと言ってきた。


 個人個人が意識をすれば、戦い方次第で全体の魔力を節約することだって不可能ではない。一番確実なのは【聖術】の使用回数を減らすことだ。怪我をしないで安全に、っていうのが一番かな。慣れてきたとはいえ四層でそれをどこまでできるのか。


「あら、優先をいじって一番割りを食うのは術師のみんなよ? 八津くんはそれでいいのかしら」


「いいって? なにが……」


 たまに中宮さんが見せることのある意地の悪い笑みを受けて、俺は思わず術師たちの顔を伺ってしまう。


 視界に入ったのは【熱導師】の笹見ささみさん、【石術師】の夏樹、【騒術師】の白石さん、【氷術師】の深山さん、そして【鮫術師】の綿原さん。

 俺のせいでレベリングの優先順位を落とされることになる仲間たちだ。


りん?」


「なにかしら、なぎちゃん」


「煽るのは勝手だけど、プレッシャーまで乗せるのは違うんじゃないかしら」


「そう?」


 俺的一年一組美人ランキングトップツーな二人が視線をぶつけ合う。番外なミアはキョトンと首を傾げているが、それはそれで助かるよ。三すくみなどごめんだ。


 恐ろしい光景ではあるが最初の頃と違って、俺は二人の関係性や気質を知ってしまっている。なんというかこう、中宮さんが犬なら綿原さんは猫というべきか、とにかく中宮さんはストレートに綿原さんのことをライバル視しながら慕っているのが見え見えなのだ。

 綿原さんだって中宮さんのことは嫌ってなどいない。ただ、自分の天才性を中宮さんが羨んでいるのを自覚しているのか、そういう部分を覆い隠してからかうようなマネをする。


 よって竜虎相搏つような光景であっても、実態は中宮さんがじゃれついて綿原さんがあしらうというケースが多いのだ。

 ただし例外がないわけでもない。言っては憚られるのだけど俺が絡んだ時、綿原さんはちょっとだけムキになる。タチが悪いことに中宮さんもそれを知っているから、こういう光景になってしまうのだ。


 ムズ痒い気分ではあるし、俺と綿原さんはなにかを約束した関係ではない。いや、山士幌に戻る誓いはしたけれど、それはクラス全員での話だ。


 俺だっていつかは伝えたい、とは思っているんだけどな。



「そこまででいいんじゃないかな。反対する人、いるかい?」


 見るに見かねたのだろう、我らがクラス委員長が仲裁に入ってくれた。待っていたぞ!


「問題ないんじゃなかな」


「賛成~」


「俺は勝手に階位上げるしなあ」


「異議なしだねえ」


 などなど、クラスメイトたちが勝手気ままに声を上げるが、反対はなさそうだ。


 ここまで一切口を出さない滝沢たきざわ先生を筆頭に、アウローニヤ組も完全に見守る態勢に入っている。切っ掛けを作ったシシルノさんまでも、悪い笑みを浮かべたままで黙っているくらいだ。



「反対はいないってことでいいね? なら時間が惜しいよ。八津の覚悟ができたなら」


「ああ。ありがとう委員長」


 細いフレームのメガネを瞬かせた委員長は、サクっと話をまとめてみせた。


 途中までやっていた俺のスピーチってなんだったんだろうなあ。言うべきことではあったし、アレはアレで必要だったと思うことにしておこう。


「じゃあ、取るよ」


 これ以上引っ張るのも時間のムダだ。

 俺は頭の中にある少し大きめの光の粒に願いを込める。起きろと。



 ◇◇◇



「これ、は……」


 思わず声が出た。


【魔力観察】自体はなんの問題もなく取得できたと思う。ガッツリ、それこそ最初に【観察】を取った時と同じくらいには内魔力を持っていかれたが、それは想定の範囲内だ。

 誰に言われるまでもなく、さっそく行使してみた結果が目の前に映る光景なのだが、俺としては絶句するしかない。


「八津くん、どうなの?」


「あ、ああ」


 サメと一緒に心配そうにこちらの顔色を伺う綿原さんが目の前にいるが、これは返答に困るな。


「ええっと、たぶん『魔力が見えてる』んだと、思う」


「なんだよ、ハッキリしねえなあ。草間やシシルノさんのとは違うのか?」


 呆然としている俺に、野球少年の海藤かいとうがツッコンできた。

 なるほど、魔力が見える先輩の二人に確認を取るのはアリだな。


「えっと草間、魔力ってどんな風に見えるんだ?」


「見える? どっちかっていうと感じる、かな」


 どうやら草間にとって魔力とは、見えるのではなく感じるモノのようだ。そりゃそうだ。【魔力察知】だものな。


 ならばシシルノさんの【魔力視】はどうなんだ?



「わたしかい? わたしの場合は薄い光かな。それこそ頭の中の光の粒が体全体を纏っているように見えるんだよ。生き物以外で、たとえば部屋の場合なら空間全体、とくに床あたりが薄く輝いているような感じかな」


 人差し指でツンツンと自分のこめかみをつついたシシルノさんは、そう説明してくれた。そういえば最初の頃にそんな言い方をしていたかもしれない。

 それって目がチカチカしたりはしないんだろうか、などと考えるのは逃避なんだろうな。


「で、ヤヅくんの表情を見るに、違うんだね?」


 そして当たり前の追及がシシルノさんから飛んできた。


 そう、違うんだ。


「色が付いているんだと、思います」


「色?」


「はい。さっきまでと少しだけど、視界に見える色の具合が違うっていうか。とくにみんなの姿が」


 そこまで口にしたところで、すぐ近くにいたはずの綿原さんが一歩遠ざかっているのに気付いた。


「その、色って言われると、なんかちょっと」


 俺の視線を受け止めた綿原さんが言い訳じみたコトを言っているけど、そうじゃない。


「汚れてるとかそういうのじゃないよ。綿原さんの場合……、白っぽい?」


「白い? それはそれでオバケみたいでイヤね」


 俺にどうしろというのだろう、この人は。


 さて、この状況をどうやって説明したものか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る