第25話 白い鮫




 ギイギイと木材が軋む独特の音を立てて、夜の湖を五艘の船が進む。

 船はボートと呼ぶには大きく、一艘あたり十人乗りといったサイズだ。けれど帆が付いていないので帆船ではない。基本的にはオールで進む。ガレー船と言うとネガティブイメージになるのは俺の勝手な思い込みかもしれない。


「なるほど、水術を使っているのか。異世界ならではだな」


 同じ船になった古韮ふるにらは感心しきりだ。


「湖の主とかいるのかしら」


 そして綿原わたはらさんも絶好調。隠しきれない笑みが、妙な形になった口元からこぼれ出ている。クールな目を細めて口を歪める、綿原さん独特の笑い方だ。


 そんな彼女こそが今晩の主役でもある。


「【観察】に夜目効果は無し、か。分かっていたけど悔しいかな」


八津やづくんにはロマンが足りないわね」


「湖の主ってロマンだったんだ」


【観察】の性能を確認しながら綿原さんと話しているけど、今日の彼女はちょっとだけ口数が多い気がするな。

 王城を取り囲む夜のアラウド湖を灯りを最小限にして船が進む。



「このサイズの船をオールが二本と水術で動かすのか。技能を考慮した技術体系はすこい。いや、魔力があるからこそ身分差が発生しやすいのか。機械技術の停滞、能力者の権力集中化……」


 藍城あいしろ委員長は相変わらずだった。



 ◇◇◇



「なんか女子が企んでるみたいっすよ」


藤永ふじながはそういうのどうやって仕入れてるんだ? って、深山みやまさんか」


「そっ、深山っちが妙に楽しそうだったからさ、なんかあるんだろうなって想像してんすよ。たぶん女子絡み。八津っちはなんか聞いてる?」


「いや朝礼の内容くらいかな」


 昼間、俺たちはいつもどおり訓練場をグルグルと行進していた。


 最近は余裕もできてきて、歩きながら会話をすることも多い。

 訓練中に会話とは何事か、とはならずにヒルロッド教官はむしろそれを推奨してきた。迷宮内では歩きながら情報のやり取りをするので、こういうのにも慣れておけということらしい。


 そんな行進中に全然チャラく見えないチャラ男の藤永が話しかけてきたというわけだ。

 いつも藤永とペアになっている深山さんといえば、うしろの方で綿原さんとコソコソ話をしている。

 綿原さんはコミュ力のある孤高タイプで必要な会話はしっかりする方だ。だからこそこういう時に深山さんと話しているなんて意味深だと思う。たしかに怪しい。


「いいじゃないっすか。たまには楽しいことくらいないと、やってられないすから」


「だよな」



 ◇◇◇



「十刻半(二十一時)に迎えに上がりますので、それまでに用意をお願いします」


 午後の訓練が終わってすぐ、アヴェステラさんたちはそう言い残して去っていった。

 用件は分かっている。要は出かけられる服装をしておけということだ。



「ではついてきてください」


 約束の時間ピッタリに現れたアヴェステラさんたち王国組にくっついて、一年一組は移動開始だ。

 列の一番うしろをいつもと違う格好のメイドさん三人衆がついきている。警戒まる出しなのがなんとなくわかった。


 メイドさんたちとアヴェステラさんが着ているのは、どうやらこの国の女性文官標準のものらしい。

 グレーで細めのスカートに白いブラウス、上には濃い緑色の長袖ベストだ。制服のように完全に同じなわけじゃなく、細かい部分が違っている。国章やら家の紋章やら爵位やら、その他装飾やらで地味さを残しながら微妙に煌びやかなのがオシャレに見える。

 女子に言わせると生地の質まで違うらしけど、その辺りはまったくわからん。


 ちなみにシシルノさんはベストの代わりに、膝下まである薄緑のコートみたいのをいつも着こんでいて、俺たちはこっそり白衣みたいだなって言っている。さすがは研究者だ。

 ヒルロッドさんは上下グレーの騎士服っていうのをいつも着ている。ノーネクタイだけど上着がゴツいだけのスーツにも見える。第六近衛騎士団『灰羽』の制服らしい。


 我ながら服装について語彙が少ないと思い知るな。



「夜に離宮を出るのって初めてだね」


「ああ、悪いコトしてるみたいで面白い」


 前の方で誰かがヒソヒソやっているけれど、脱獄っぽい言い方はどうなのだろう。

 離宮の入り口を守っていた騎士さんたちは直立不動で、こちらを見もしなかった。



 ◇◇◇



 何度か階段を降りて廊下を何回か曲がって、どれくらいだろう、三十分は歩いていない。


 そこには十人くらいの人が待ち構えていた。服装でしか判断できないけれど、近衛か軍の人、文官さんたちだと思う。ひとりを除いてだけど。気になるその人は文官服を着ていたので、この場でツッコむのは野暮だろうし、やめておこう。


「水の音。……はしけか」


 委員長の言葉そのまま、そこは艀としか言いようがない場所だった。

 暗めのランプに照らされたそこには水に浮く木製の桟橋があり、十艘ほどの船があり、そして屋根があった。まるで映画に出てくる隠しドックのような場所、まさにそんな感じだ。


「五艘出します。『勇者』のみなさんは三班に分かれて乗船してください」


 久しぶりにアヴェステラさんは俺たちのことを勇者と呼んだ。ほかの人の目があるからか。

 俺たちは適当に分かれて、王国側の人たちはあらかじめ決めてあったように乗り込み、船は出航した。



 ◇◇◇



 アウローニヤ王国の王都パス・アラウドは、巨大なアラウド湖と南側の平野にまたがっているらしい。湖の南西側にある大きめの島そのものが王城になっていて、二つの橋が城下町に繋がっている。某大泥棒が忍び込んだ公国の規模を十倍スケールにしたイメージだろうか。上から見たことの無い俺たちには判別がつかない。


 船はそんな城を離れ、湖を北上している。その先に技能実験島があるのだ。ロマン溢れる単語に、事前に話を聞いたオタグループは大いに盛り上がった。もちろんミリオタの馬那まなも。



「気を付けて降りてください」


 同船していたアヴェステラさんに促されて、俺たちはその島に降り立った。正確にはまだ艀だが、暗い灯りに照らされた視界の先には森が広がっている。

 直径大体三百メートルくらいの楕円形の島。それがアラウド=レスヴィ、王国軍技能実験島だ。


「水際が望ましいとのことでしたので、こちらへ」


 いつの間にそんな話が出ていたのかは知らないが、本日の主役たる綿原さんの要望だろう。一行は島の奥ではなく外周を歩いて北側を目指した。



 五分くらいでついたそこは綺麗な砂浜だった。水際から奥行は二十メートルくらいで、横幅はどこまで続いているかは判然としない。昼間に来れば見事にプライベートビーチというイメージだ。もちろん俺はそんなものを画像でしか見たことがない。


「ワタハラ様、条件は」


「いいですね。ありがとうございます」


 わざとらしく『様』付けをされた綿原さんは動じることもなく頷いた。やっぱり度胸あるな。

 そして同時に彼女はチラっと笹見ささみさんと深山さんに目線を送っている。どういうことだろう。



「じゃ、じゃあ始めます! みなさんこんばんは。今日はなぎちゃん……、綿原凪さんの【鮫術】を見せたいと思います!」


 なんと白石しらいしさんが音頭を取った。たしかに【騒術師】の彼女にふさわしい役割だけど、そういうキャラだったか? これが女子の企みってヤツなのか?


 白石さんは【大声】という技能を取っている。あれはみんなで【体力向上】を取った翌日だったか。軍隊でよく使われている技能らしく資料がたくさんで、取得コストも安くて効果もハッキリしているという理由で悩む必要は薄かった。

 実態は【声帯強化】みたいな技能だけれど【騒術師】である以上、持っていて損はないはずで、ちゃんと先も考えての行動だった。


「やってください!」


 そんな彼女はふたつのおさげを振り回すようにして、遠巻きに見ている観衆どころかまさに島中に響くような大声で宣言した。



 白石さんが叫んですぐに人影がふたつ、綿原さんの傍に歩み寄った。

 笹見さんと深山さん。なぜと思う間もない。ふたりは両手を湖側にかざす。


「合体ぃ!」


「ま、魔術」


 元気な笹見さんに続いて、か細い声の深山さんが続く。『合体魔術』だとっ!?


 俺の【観察】が何かを捉えた。間違いない。ふたりは技能を使った。綿原さんじゃなく、なんでふたりで?


「これは、霧……なのか」


 近くにいた委員長が唸る。


「そうか【熱術】と【冷術】。水はふんだんにあるんだ。放射冷却か」


 魔術を科学する委員長だが、なるほどだ。【氷術師】の深山さんは白石さんと同じタイミングで【冷術】を取っていた。神授職が示す以上、当然取るべき技能だから。

 それを知った【雷術師】の藤永が、慌てて【雷術】を取っていたのはチクショーメってやつだろう。



 まだまだ練度が低い笹見さんと深山さんの魔術は範囲が狭い。だけどそれは確実な自然現象を引き起こした。

 湖畔に置かれた松明の灯りの元、確かに白い霧が発生したのだ。砂浜の水辺に生まれた、たった三メートル四方の霧が。


「今だ凪ちゃん! やっちゃって!」


 歌っているの時のようなノリノリモードに入った白石さんがカッコよく叫ぶ。

 綿原さんが軽く息を吸った。


「……【鮫術乃壱・霧鮫】」


 独り言のように呟かれたその言葉とともに、霧が集まり形を変える。白が濃くなっていく。

 気が付けば彼女の目の前には全長五十センチにもに満たない、けれど間違いようもなくリアルな形状をした霧の鮫が出現していた。


 ちなみに『技能』を使う時にそれを発声する必要は無い。もしそうなら俺は【観察】を連呼する変人になってしまうだろう。念のため。



「これがわたしの鮫よ。可愛いでしょう?」


 彼女は【鮫術師】綿原凪。百六十くらいの細身で肩まで伸びた黒髪。緑色のフレームの向こう側にはキツ目の黒い瞳。高一にしては大人びていて、紛れもない美人だ。


 彼女は笑っていた。それはもう最高にもちゃっとした、素敵な笑顔だった。


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