第26話 王女の言葉




「俺は『サメ』という魚を知らないのだけど、その術でどんな攻撃をするのかな」


 嬉しそうに自分の周りで霧鮫を回遊させている綿原わたはらさんに、ヒルロッドさんが話しかけた。遠巻きからだけど勇気があるな。


「それはもう鮫ですから、基本は噛みつきですね。次点で尾びれで打撃でしょうか」


「そうか……。霧が噛みつくとして、攻撃には……なるんだよな?」


「なりません」


 まったくもってにべもなかった。この段階で霧鮫が攻撃魔術でないことが確定したわけだが、それでいいのだろうか。ほら、王国側の人たちが黙ってしまっているぞ。

 一部嬉しそうなのはシシルノさんと他二名。たぶん『魔力研』の人たちなんだろうな。あれは新しい技能が見れて、それを喜んでいるだけだ。



「お風呂で試しました。それはもうガブガブ噛ませて、ビシビシ叩きましたが、全くのノーダメージです。攻撃力は皆無だったということです」


 女子風呂で試していたのか。なるほど湯気ならふんだんにあるし、実験としては最適だ。湯気がいい仕事をするっていうのはアニメの中だけだと思っていたのだけど本当だったんだな。

 女子が結託していた理由も見えた。ついでに脳内でその光景も妄想した。


「先生、暴発とか心配しなかったんですか?」


「込める魔力と熟練を考えれば、問題ないだろうと判断しましたから」


 横にいた先生に訊けば返事は淡白で明確だった。そりゃそうだ。少ない魔力、低い熟練度で事故るほどの魔術なんてできるわけがない。

 安全な鮫、地球でも大半は人を襲わないらしいし、いいじゃないか。



「ワタハラ様。それはどれくらい維持できるのですか?」


「残り魔力なら……、三十分はいけると思います」


「では続けてください。動きも観察したいので」


 アヴェステラさんは無表情で注文を出しながら、そして一瞬だけこちらを見た。正確には俺のちょっと横をだ。やっぱりそういうことなのかな。



 ◇◇◇



「……先生」


「ええ」


 先生も気付いていたのか。俺の場合は【観察】で、先生は単純に注意力なんだろう、そういうところがすごいと思う。

 周りに咎められないような動きで俺たちはその人物に近づいた。あまり接近しすぎず、ひそめた声がギリギリ届く程度の距離まで。


「お気づきでしたか。さすがは勇者様です」


 ギリギリ届く、小さいけれど綺麗な声を発したのは一人の女性文官だ。茶色の髪をまとめ上げ、ちょっと濃いめの色をした顔にはそばかすが散らばっている。メガネの下にある目は流石に変えられなかったのだろう、綺麗な碧眼が輝いていた。


 こちら側の誰かに気付いてほしかったくせに。


「顔を向けない無礼をお詫びいたします」


 こちらの方を向きもせず霧鮫芸を見つめ続けながら、彼女は軽く顎を引いた。

 アウローニヤ王国第三王女殿下、リーサリット・フェル・レムトその人が。



「こういう機会でもなければ、気軽にお話もできないのが残念です。アヴェステラたちはどうですか?」


 敢えてファーストネームで呼んだのだろう。親密アピールか、それとも人事が自分の差し金だとでも言いたいのか。

 俺は沈黙をキープする。ここは先生にお任せだ。政治の話なんかわかるわけもない。

 綿原さんを応援しているだけでよかったのに、俺はそれで楽しい気持ちだけになれていたはずなのに、本当に余計なことをしてくれる。



「あの術といい、やはり勇者様がたは面白いですね。まるで物語のように」


「面白い?」


「この場にわたくしがいることに気付いているのは、お二人とアヴェステラだけなのです。王国の人間、ジェサル卿もミームス卿も知りません」


 話が飛んだような気もするけれど、俺と先生も王女の面白いとやらの範疇と言いたいのかもしれない。


「護衛も無しでいいのですか」


「一介の文官ですよ?」


 先生の確認もあっさりと流された。王女の言葉が本当ならだけど。



「……目立ちたくないのでしょうから端的に。ご用件をどうぞ」


「助かります。わたくしは勇者様の担当王族として、継続的に報告を受け取っています」


「……」


 話を促すように先生は黙ったままだ。気付かれるのを考えてか、合いの手も入れない。


「あなた方は着実に力をつけています。そう遠くない内に迷宮に入ることになるでしょう」


 そのあたりはヒルロッドさんの報告かもしれない。

 俺たちはまだ行進しかしていない。それでも着実だと判断されているのか。無茶をさせられるのじゃないか? 使い潰そうなどと考えていないか?


「ワタハラ様の術を見て少しだけ確信が深まりました。あなた方は強くなるでしょう。アウローニヤの誰もが想像できない、奇妙で楽しい、それこそ物語のような強さを手に入れる気がするのです」


 攻撃力の無い鮫を見てそれを言われても困る。だけど王女の言う『物語のような』の意味もなんとなく理解できてしまう。

 真っ当ではない異質な強さ。それが勇者の強さで、だからこそ勇者なのだと、少し離れた場所で呟く彼女はそう考えている気がする。



「あなた方の望みは変わっていませんか?」


「はい」


 今度は黙らず、先生は即答した。


「そちらの世界には魔力が無いのでしょう? こちらで得た力を惜しいとは思いませんか? この地に残れば地位や名誉、あらゆるものが手に入るかもしれないとしてもですか?」


「わたしたちは帰ります」


 全くブレない答えだった。

 あっけなさすぎる拒否を示されても、それでも王女はこちらを見る素振りすらない。もちろん俺と先生も空を舞う鮫と綿原さんを見ている。


「……信じていただけないとは思いますが、わたくしは善処しましょう」


 王女もまた揺れ動く白い鮫を見つめているのだろう。

 そろそろ色も薄くなってきた。綿原さんの術が終わろうとしている。


「何かしら取り引き材料があった方がいいかもしれませんね。暫し時間をください。そう長くはないでしょう」


「……年単位、ですか?」


「まさか。だからこそ急いでください。競走かもしれませんね、わたくしとあなた方との」


 それだけ言って王女は少しずつ俺たちから距離を取った。

 ちょうど綿原さんの術も終わり、クラスメイトが砂浜の三人に集まろうとしている。俺たちも行かないとだ。


「おふたりとお話しできたことを嬉しく思います。それとワタハラ様に礼をお伝えください。笑顔も含め、とても素敵で心躍る光景であったと」


 聞き取りにくい最後の言葉だったけれど、きちんと綿原さんへ伝えないとな。聞き耳がどこにあるからわからないから、当然日本語で。


「行きましょう」


「ですね」


 撤収の準備を始めた王国の人たちをしり目に、俺は先生の背中を追いかける。向かう先にはクラスメイトたちが作る輪ができていた。



 ◇◇◇



『第三王女から接触があった。これまで以上に引き締めてほしい。特に都合のいい言葉に注意を』


 綿原さんのシャークマジックショーが終わった夜の内に、先生直筆の日本語で書かれたメモが巡回された。


 先生の中ではさっきの王女とのやり取りはそういう解釈になったらしい。言われてみればどこにも保証がある話でもないし、ただ懐柔しにきただけかもしれない。

 演出たっぷりにそれっぽく。あなただけに特別なお知らせですってヤツだ。


『綿原さんを讃える言葉もありました。それについてだけは、わたしも同感です』


 先生の方こそ甘言で誑かす輩じゃないか。



 そんなメモは各人が確認サインを入れて、一巡したあとみんなの前で燃やした。

 ただ委員長が気になる注釈を入れていた。


『王国の中に僕たちの扱いをめぐる政治的な争いがあって、その一手が王女の接触かもしれない』


 王女の来訪が演出だとしても、委員長の考えはたぶん正しいだろう。町長の背中を見てきた委員長の言葉だ、信じるに値するのは間違いない。

 そもそも突然勇者が現われたというのに、いまだ王国の窓口が三人に固定されている。もっといろいろな、しかも偉い人たちが現われて当然な状況だ。委員長や先生は『綱引き』とか『落としどころ』なんていう単語を使っているが、あちら側の思惑を今の俺たちがどうこうできるはずもない。



「鍛えるしかないってことだな」


「わたしの鮫はすごかったでしょう」


「ああ、攻撃力が無くたって、目くらましには十分すぎるよ。アレを見たら誰だってビビる」


「八津くんはわかってるわね。でもこんなもんじゃないわよ。鍛えて鍛えて、もっと大きくて数が増えて、しかも直接ダメージを与えられるような鮫を、わたしは生みだすの」


「それは怖いな。俺も鍛えて見切れるようになるよ」


「鮫鑑定士ね」


「ヒヨコじゃないんだからさ」


 たわいのない話だけど、異世界に飛ばされた人間としてはこんな時間がとても大切に思える。

 今日の綿原さんは笑顔が多いからなおさらだ。



「おーい、凪ちゃん。就寝時間だよー」


「ありがとう奉谷ほうたにさん。もう行くわ」


 綿原さんは立ちあがって、談話室を出ていく女子の集団に紛れていった。

 今日は夜にイベントがあったから、もう日付が変わる寸前だ。


 なんと明日からは刃物を使う訓練になるらしい。模擬剣をすっ飛ばしてなぜと思うが、理由があるらしいので結局はやることになるだろう。


「ほれ八津。俺たちも行くぞ」


「おう」


 男子組に背中を押されて俺たちも男子寮、もとい男子寝室に向かった。


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