第197話 彼女の思うがままに
「つぎは、えっと紋章についてなんだけど、意見はあるかな。出来るだけ穏当なのがいいんだけど」
「委員長、提案があるわ」
やはりだ。やはり
心労からか精彩を欠く
「あ、ああ、それは構わないけど、そこそこにね」
「もちろんわかっているわよ」
心外だとばかりの綿原さんだが、表情はそう言っていない。
彼女はひとつ前の議題で委員長の心が折れるのを読んでいたのだろう。
そこまで見込んで紋章決めの冒頭で綿原さんがガッツリ主導権を握りにいった。彼女は俗称について、どうせ認められるはずもない『緑鮫』などという選択肢をハナから放棄していたのだ。
そのぶん貯め込んでいた私欲をここで開放する腹積もりだったのだ。綿原さんは堂々と立ちあがり、両手を広げて皆に問う。その手のひらの先を二匹のサメが揺蕩っていた。
最近はアジテーション方面で戦果を拡大している綿原さんだ、すごい貫禄だな。
「サメよ」
「サメ、か。そうか」
「ええ、サメよ」
呆然と呟く委員長に綿原さんは、さも当然とばかりに被せる。
これは会話として成立しているのだろうか。
「緑の意匠、構わないわ。山もいいと思う。そしてそこにサメがいたら、とても素敵だと思うのよ」
さっきの
俺の脳内で認定しているクラスの美人トップツーが二人そろってこのザマだとは。ミアは脳内に割り込んで来なくていいぞ。
「ふふっ、山士幌の緑の小麦畑をわたしのサメが泳ぎまくるの。勇壮だとは思わない?」
ごめん、全然まったく思わないのだが、ここで全面否定をすることにわが身の危険を感じないでもない。
綿原さん、君はどこまで。
初手でガツンと過剰な要求をブチかまして、そこから譲歩をしたように見せかけて、結果として自身の持つ本来の要求を通してみせる。俺の読んだことがある小説で良く出てくるフレーズだ。
問題なのは、綿原さんにとってこれははたして過剰な要求なのかどうか怪しいところ、かもしれない。マジの素である可能性が結構高いような。
「た、たしかにそうかもしれないけどね」
「委員長ならわかってくれると思っていたわ」
「……だけど、個人の技能や武装を持ち込むと、ほら、いろいろと」
たどたどしく言葉を並べる委員長が彷徨わせた視線を、ある個所で止めた。
「たとえばだよ。綿原さんのサメを入れたら、
「俺かよっ!?」
委員長にロックオンされたのはピッチャー海藤であった。
可哀想な海藤はうろたえるばかり。そんなヤツの近海では一匹のサメが遊弋している。殺傷性皆無なのは重々知っているのだが、最近妙にリアリティを増してきた綿原さんの【砂鮫】は、なんともいえない圧を発していた。表面処理が上手くなったと寸評したのはプラモ好きの
「ひっ、
「アタシっ!? 巻き込まないでよ!」
錯乱した海藤が生贄仲間に選んだのはチャラ系【裂鞭士】の疋さんだった。酷いことをするヤツだな。
「ほら、こういうことになるんだよ」
諭すように委員長が綿原さんの説得にかかる。引き合いに出された二人にはご愁傷様だが、平等を旨とする一年一組だ。委員長の意見は正しい。
「いいよね、僕なんて石ころだし……」
「あたしだって水球だよ。元気だしな、
「ありがと、
「あいよ」
一部で謎のやり取りをしているのがいるが、そっちはどうでもいいか。
ところで夏樹、お前、最近打たれ弱くなっていないか?
「そうね。わたしも当然そうなると思うわ」
「……綿原さん?」
正論をカマされたにもかかわらず、綿原さんは泰然としたままだ。腕組みまでしている余裕がある。
そんな彼女に、委員長は訝しげな視線を送った。もちろんクラスメイトたちみんなも。
いや、ひとりだけ──。
「
「うん」
みんなの注目を集めた綿原さんは突如として文系メガネ少女、
そう、俺の【観察】は捉えていた。皆が懐疑的な目をしている中、白石さんだけは動じていなかった。まさか共謀していたのか?
「これが『灰羽』の騎士団紋章」
つかつかと白石さんの元に歩み寄り、綿原さんは手渡されたそれを皆に見せびらかした。
◇◇◇
アウローニヤの近衛騎士団は制式装備としての白いフルプレートでも、迷宮用の明灰色の革鎧でも、同じ種類の紋章を付けている。
右肩にはアウローニヤ国章とレムト王家の紋章を並べてふたつ。
左肩には各騎士団紋章と部隊マーク。役職があれば団長、部隊長、分隊長のマークが入る。
さらに貴族騎士の場合は家の紋章だ。
そこに功績がある人や、長年勤めている人などに授与される勲章などを付ける人もいる。ここでいう功績というのが日本人的にはすごく微妙で『報国勲章』などと呼ばれているらしいが、要は国にお金をどれだけ入れたかでもらえるものらしい。もちろん金額が多くなるほど、勲章が大きく派手になっていく。募金と思えば、わからなくもないのだけど。
アウローニヤがレムト王朝になってから百年十年だかが過ぎているらしいが、近衛騎士団が武力的な意味で功績を上げたことなどほとんどない。精々が『六層アタック』を仕掛けて無事に戻ってきた人たち、つまり近衛騎士総長を隊長にする近衛最強部隊の面々くらいらしい。
性格はさておき、強いのは事実だけに始末が悪いな。
そんな感じでこの国の、とくに貴族騎士はいろいろなところに紋章やら勲章をぶら下げているのだ。チンピラ騎士のハウーズなんかがそうだったな。スポンサーがたくさんいるのかと思ったくらいだ。
その中でも国章、王家章、騎士団章の形や大きさだけは規格化されているようで、今まさに綿原さんが手にする『灰羽』の紋章は、長辺十センチ、短辺三センチくらいの長方形をしていた。
周囲を銀糸で縁取ってあって、下にあたる短辺には金のモールがたくさんぶら下がり、全体が薄く灰色に刺繍されている。本体表面には白い片翼と濃い灰色で刺繍された盾と剣が並ぶ。目を凝らせばもう少し緻密な飾りが施されているのがわかるが、全体としてはそんな感じだ。
「あ、ごめんなさい。誰かテーブル持ってきてもらえるかしら」
「おう」
手にした紋章のやり場に迷った綿原さんが声を掛けると、ヤンキー
七階位の騎士ともなれば、この場にいる二十二人がなんとか取り囲めるくらいのサイズがあるテーブルさえひとりで運べてしまう。迷宮ではなくこういう実生活での何気ないところで、階位の恐ろしさを思い知らされるコトがままあったりするのだ。
「
「ん。ありがとね」
クラスメイトの全員が窮屈に取り囲むテーブルの上に、白石さんから手渡されたなにかを綿原さんが置いた。
「これって……」
ソレを見た中宮さんが思わずといった風に呟く。
誰からも見やすいようにテーブルの中央に置かれていたのは、長辺三十センチ、短辺十センチくらいの白い紙切れ。ここまでされれば話の流れ的に、誰もが気付いただろう。
「紋章のデザイン案、か。手回しのいいことだぜ」
皮肉屋の
見やすいようにするためか三倍に拡大されてはいるが、たしかにそれは紋章のデザイン案なのだろう。
「まあ、見てもらえばわかるわよね?」
腰に手を当て両肩あたりにサメを乗せた綿原さんは、とにかく見てみろと、それからなにか言えと、表情だけで雄弁に語ってくれている。
ここまでお膳立てがあるならば、それは鑑賞させてもらうしかないだろう。
「まさか」
「こうきたか」
小さなざわめきがテーブルを囲んだ仲間たちからこぼれる。
その紋章図案は黒インクで描かれ、ところどころに色がつけられていた。ただしバックにはなにもなく、真っ白なまま。
そしてサメがいる。
騎士を象徴するカイトシールド、大盾を
「これってあたしかい?」
笹見さんがサメの横を指さして言う。
サメの右隣りには同じく大盾の上に水球と思わしき絵があった。
その隣には大盾の上に……、これは音符か? ということは白石さん。
「これこれ、先生よね!? 凪ちゃん」
「そうよ」
弾んだ声で綿原さんに問いかけた中宮さんが見ているのは、図案の中央から少し上、左右のど真ん中にえがかれた大盾の上に載る『拳』だった。すごい伏線回収もあったものだな。
綿原さんがこれを描くタイミングはけっこう前からあったと思う。それこそ騎士団創設の話が出て、その時点で俺たちは『灰羽』の紋章を知っていたのだから。
けれど、トチ狂った中宮さんが『拳』とか抜かしたのはついさっきだ。偶然、それとも読み切っていた?
そんな先生を表す拳の両脇には大盾に載せられた木刀とメイスが左右に並ぶ。
もうここまでくれば誰にでもわかるだろう。木刀は【豪剣士】の中宮さんで、メイスは【嵐剣士】の
その少し下には七枚の大盾。
左端のシールドには白い球、残り五枚はメイスが描かれていて、中央のひとつだけ緑色の球がある。右端が弓か。
なるほど、左から【剛擲士】の海藤、そして順に【岩騎士】の
「まんまじゃねぇか」
「そうよ、なにか悪い?」
田村の言葉を綿原さんがサックリ肯定する。
そう、まんまだ。これは一年一組の最新フォーメーション、そのままじゃないか。
三列目には大盾が四枚並ぶ。
ムチ、緑の球がふたつ、一番右は……、クナイ?
すなわち【裂鞭士】の疋さん、区別はつかないが【聖導師】の
ちなみに現在、【裂鞭士】の疋さんと【忍術士】の草間はアタッカーと同時に【聖術】使いのふたり、上杉と田村の直掩に入っている。
四列目は術師だ。
六枚の大盾にはそれぞれ、サメ、水球、音符、雷、氷の粒、石。判別しにくい絵柄だが、意味さえわかってしまえば、誰を指示しているのかは明瞭だな。
左から【鮫術師】の綿原さん、【熱導師】の笹見さん、【騒術師】の白石さん、【雷術師】の
最後の五列目置かれた二枚の大盾に、これまた同じような『目』が。片方が細く、もう片方はまんまるだ。
左が【観察者】の俺で、右が【奮術師】の
細長い長方形の紙には、上側を大きく余白にした三分の二くらいを使って、一年一組二十二人の今が描かれていた。
ズルいことをするなあ、綿原さんは。白石さんも共犯か。
「べつに山でも風でもよかったのよ。拳だけは困るけれどね」
笑いながら筆を手にした綿原さんは、その紙を横に見立てて緑色の山脈を描いていく。バックグラウンドというわけか。
さらさらと筆を入れる綿原さんの作業時間は一分も必要としなかった。
「下絵はこれでいちおう完成ね」
やり遂げたとばかりに綿原さんが笑顔を見せた。
出来上がったソレは長辺に沿うように長く緑の山脈が描かれ、記号化されてはいるものの、クラスメイトたちがこれまた緑の草原を突き進んでいるかのように思える。
紋章自体は縦にして使われるので、傍から見れば滑稽なのかもしれないが、見方を変えれば──。
これには降参だ。完全に綿原さんと白石さんにしてやられた。
「ところでわたしは気に食わないでいるの」
突如妙なことを言いだした綿原さんが、俺の方を向いた。気に食わない?
なぜ頬を膨らませ気味にしているのだろう。ついでに両肩のサメもあらぶっている。フグとサメかよ。
「
そう言われても、どちらかというと引いていただけであって。
「う、上杉さんとか佩丘もだろ」
「あの二人はもともとそういうキャラなの」
俺の反撃はあっさりと弾かれた。だったら俺もそういうキャラで……。
「だから八津くんにも無理やり出番をあげるわ。一緒に説明して。わたしがどういう想いでこれを描いたか」
なんとも難しい注文が、笑顔でむくれる綿原さんから飛んできた。
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