第198話 俺たちは全員で帰還を目指す




「まずはだけど、綿原わたはらさんはサメを描きたかった」


「大正解よ」


 断ることが許されない無茶ぶりに、これまでの付き合いからの記憶を総動員して、脳内綿原さんをイメージする。


 そうして出てきた最初にして根源的な回答がコレだ。

 大正解ときたか。クラスの全員が正解できるだろうな、コレ。

 満足そうに綿原さんは腕を組んでこちらを見つめている。もちろん、まだまだ先を促されているわけだ。。


「だけど指摘されたみたいに、サメだけを描くわけにはいかなかった。仲間たちがいるから」


「誰だってそう言うものね。だから──」


「いっそのこと全員を描いてしまえばいい」


「それだと細かすぎるし、ごちゃごちゃになりそうなものね」


 俺と綿原さんの掛け合いが続く。

 なんだか楽しくなってくるじゃないか。



「だから小さめのシンボルだけにして、フォーメーションを使ったのか」


「そうよ。いいアイデアでしょ」


「だな。一体感が出るし、前に進むって感じになったと思う」


「ふふっ」


 会話はよどみなく弾んでいる気がするが、どうにもちょっと気になることが。

 みんなが雑談している端でこういうのならアリなのだけど、よくよく考えてみれば全員に見られながらのマンツーマンだ。これは、どうなんだ。

 かといって恥ずかしいと口にしてしまえば、それはそれでマズいことになる予感しかしない。演じ切るしかないのか。


 そんな俺と綿原さんをほとんどの女子がニヤニヤと笑って見ているような気がする。具体的には先生と上杉うえすぎさんを除いた全員が。あの大人しめの白石しらいしさんや深山みやまさんまでもがだ。白石さんなんかは企みの当事者だろうに。

 野郎どももほとんど似たようなものだ。いつもどおりに佩丘はきおか田村たむらがむっすりしているくらいで、ほかは奇妙の笑みを浮かべていやがる。

 どんな羞恥プレイだ、これは。【観察】も【視野拡大】もオフにしよう。耐えられる気がしない。



「緑になるのはわかりきっていた?」


「当然でしょ。だから緑の筆を用意しておいたんだし」


「ああ、そうだった」


 たしかに白石さんから渡された筆の色は、最初から緑だった。


「テーマだけは読み切れなかったわ。山か風か、くらいかしら」


「だから後付けにしたんだ」


「山になったらこうしよう、くらいかしらね」


 まあそうだろうな。山になる可能性は高かったし、草でも畑でもどうにかなるだろう。


「風だったらどうしてた?」


「さあ。適当に波線を描いてから、うしろに山脈だったかしら」


「ほとんど山じゃないか」


「そうね」


 酷い話……、でもないか。拳だけはマズかったろうけど。

 綿原さんにとってのメインはあくまで二十二のカイトシールドと、その上に載るマークだったのだから。もちろんそこには白石さんの想いも混じっているのだろう。


 男子連中はもちろん、さっきの様子ではほかの女子にも秘密にしていたようだから、綿原さんの性格を考えればコレを作ったのは最近で、しかもたぶん短時間しか使っていない。俺はなぜ綿原さんプロファイリングをしているのやら。


 だからこそ、伝わってきてしまうモノがある。なぜかコレを描いている時の綿原さんの表情が目に浮かんだ。

 俺の妄想する彼女であってそれが本物ではないというのは、この際どうでもいい。



「綿原さんさ」


「なにかしら」


「最初こそサメが描きたかっただけだったかもしれないけど、そのために全員もって言ったよね」


「ええ、そうよ。だって全員じゃなかったら不公平じゃない」


 だよな。


 このセリフ、さっき似たようなコトを言っていたが、ちょっとだけニュアンスが違っている。

 さっきまではどうせみんなから要望が出るから全員ワンセットで、今の言い方だと、全員でなければ価値がないという意味で。


 一から一気に二十二になったのではなく、一を積み重ねて二十二にした。俺にはそう聞こえるのだ。


 なんでもないようなコトかもしれないが、俺からしてみればこれはとんでもない思考だと思う。

 試しに中学三年の頃を思い浮かべてみればすぐにわかった。卒業間近、つまり丸々一年付き合って、中には三年間一緒のクラスだったヤツもいて、それでもクラス全員を特徴づけてシンボル化なんてできるだろうか。俺にはムリだ。

 中学で付き合いが浅かった連中でも、会えば顔と名前は一致するだろうし当たり障りない会話くらいはできるだろう。だけどソイツがどんな人間だなんていうのは、とても表現できそうにない。


 少人数クラスではあるとはいえ、綿原さんはそれを平気にやってしまう。わかりやすいアイコンとして、異世界に来てから得た技能や武器で表しているが、その向こう側にみんなの息遣いを感じる。

 恐ろしいのは、コレをできてしまいそうなのがこの場に二十二人、つまり全員がやれと言われればやるだろうという事実だ。不愛想な佩丘でも、皮肉屋の田村でも、大人しめな深山さんでも、そして新参者の俺でも。


 これが十年来の付き合いという重みなのだろう。

 そんな山士幌の連中は、俺のような外様をあっさりと吸収して、同じ色に染め上げてしまった。


 異世界召喚なんていう異常事態があって、共同生活だからこそという部分はもちろんあるだろう。だけどコイツらなら、山士幌にいたままでも同じだったんじゃないだろうか。

 最初は古韮と野来のきで、そこに白石さんが加わって、うしろの席にいる綿原さんと話してみたりして、そこからぶわっと一気に広がる関係性が目に浮かぶようだ。


 こんなに楽しい絡み取られ方があるとは、想像もできなかったよ。



「いいな、コレ」


八津やづくん?」


 思わず呟いてしまった言葉に、綿原さんが怪訝そうに首を傾げた。大丈夫、謎の感動に包まれた俺は今、超ポジティブだぞ。あとで後悔しそうな気もするけれど。


「俺はこのイラスト、すごくいいと思う。俺が勝手にそう思うだけだ。綿原さんに買収されたんじゃないぞ」


 勝手なセリフを吐いた俺を見るのは、怪訝そうな、呆れたような、そして楽しそうなクラスメイトたちだ。蔑むヤツなどひとりもいない。


 はたして綿原さんがどこまで考えてコレを作ったかはわからない。サメが根底にあったのは心の底から知っているけれど、それは置いておいてだ。

 ここからは俺の勝手な妄想になる。よくあることだろう、小説や絵から作者の意図と関係なくもたらされる意味というのが。それと一緒だ。



「なにか言いたいこと、あるの?」


「うん。俺の言葉に出して、言いたいことになってきた」


「そ」


 モチャっと笑う綿原さんは、とてつもなく卑怯者だ。

 こんな愉快な落書きイラストを見せられたら、俺だってその気になってしまうのは仕方ないじゃないか。


 これももしかしたら綿原さんの計略のうちなのかもしれない。

 それでも構わないし、コレが俺の好みに適っているなら、それこそ綿原さんとの心の距離が近いことの証明にすらなる。頭が茹ってるかもしれないな、今。



「山士幌をみんなで歩いてるみたいに感じるのがいい」


 俺に綿原さんの想いは見破れない。だけど俺の心の内ならいくらでも吐き出すことができる。


「緑の山と緑の草原。うん、完成版はさ、山をもうちょっと青っぽくするといいかも」


「もうちょっとリアルに寄せるってことかしら」


「リアルっていうか、ほら『灰羽』の紋章も翼や盾の部分はグラデーションになってるだろ。こういうレベルの刺繍ができるんだから、いっそのことって」


「……いいかもしれないわね」


 なんだかんだで綿原さんも乗ってきた。


「なによりこの絵さ、本来の縦で見ると、これがまたいいんだよ」


「縦? 肩に付ける時はたしかにそうだけど」


「そしたらほら、先生を先頭にして上に突き進んでる感じになるだろ?」


 顎に手を当てて綿原さんがちょっと考え込む。


「そこまで考えてたわけじゃないけど、たしかにそう見えるかもしれないわね」


「そしたらさ、空の向こう、どこかにある山士幌を目指してるって、そんな風に思えないか?」


 勢いでアホみたいなコトを言っている自覚はある。

 それでもクラスメイトたちが息をのむ気配を感じた。



「迷宮の下かもしれないぞ?」


 そういうツッコミをするのは古韮ふるにらだ。悪気があるのではなく、混ぜっ返し。


「その時は逆さにでもすればいい。先生を先頭に、深層へまっしぐらだ」


「ふふっ、わたしが常に先頭ですか」


 ついには滝沢たきざわ先生に口を挟ませることに成功した。薄く笑う先生は相変わらずカッコいい。こっちに来るまでは堅物な英語の先生としか思っていなかったのにな。

 今ではクラス全員が認める俺たちの先生だ。教師は辞めたらしいけど、こっちが勝手に先生は先生だと思うのは自由だから。



「いいんじゃねえか。俺は気に入ったぞ、二十二人全員で帰るってことだろ」


 低めの声で佩丘が獰猛に笑って言った。

 もはや綿原さんの意図は置いてきぼりだ。各人が勝手にコレを見て、好きなように解釈すればいい。もちろん前向きに。


「こじつけ感あるけどねー。八津の思い込みっしょ」


「いいじゃん。それでも」


 ひきさんとはるさんが悪い笑顔で言葉を交わす。そのとおり。見たままを勝手に解釈しただけだ。


「わたしが上にいるのが気に入りマシた」


「上って、右だろミアの場合」


「横から見れば上デス」


 ミアと海藤かいとうが。


「俺と上杉の区別がついてねぇじゃねえか」


「ですねえ」


 田村と上杉さんが。


「なんで全員カイトシールドなんだ?」


「盾の形を一緒にした方が、統一感があるかな、って」


 馬那まなと綿原さんが。


「こんなに細かい刺繍、大丈夫なのかしら」


「うーん、明日聞いてみるしかないね」


 中宮なかみやさんと藍城あいしろ委員長が。


「おそろいだね、八津くん」


「そっちはまん丸だけどな」


「うへへ」


 奉谷ほうたにさんと俺が。


 みんなが好き勝手なことを騒いでいる。やっぱり俺は、この空気が好きでたまらない。



 ◇◇◇



「八津くんが勝手に解釈してくれたから、それも追加でいいわよ」


「綿原さんはそれでいいのか?」


「意味なんて前向きならいくらあっても問題ないでしょ?」


 ざわめきが治まりかけた頃になって、綿原さんは苦笑いになっていた。

 綿原さんが下地を作って、俺が色塗りを手伝ったってくらいだろうか。共同制作っぽくて悪くないな。いやいや、俺のしたことなんて絵を見てしたり顔をしたくらいか。



「なんか流されてこんな感じになったけど、みんなは綿原・白石案のコレでいいかな」


 落ち着きを取り戻したタイミングを見計らって、委員長が採決を希望した。俺には想像できる。もうコレでいいじゃないか、と委員長がそうしたがっているのが。ここで別案や異論を出されてモメるのはしたくないと。

 ちゃんと白石さんの名を連ねるあたりが委員長らしいところだ。偉い。


「山士幌への進軍……。いや、帰還か」


「マジ顔でどうしたよ、馬那」


「いや、コイツに名前を付けるとしたら」


 採択を待たずに、もはや決定事項として馬那がなにかを考え込んでいて、それを古韮が茶化している。


「……うん。『帰還旗』、もしくは『帰還章』。どうだ?」


「……いいな」


「いいね、それ」


 馬那の持ち出した単語を反芻するようにしてから、古韮と野来が賛成の声を上げた。



 騎士団紋章は肩に付けるのが基本だが、同時に団旗でもある。

 ウチのクラスで儀仗騎士をやることになっているのは、まさに古韮と馬那だ。彼らは槍のような棒の先にぶら下げた団旗を掲げて行進することになる。式典の一回だけになるだろうけど。


「俺は山士幌に帰るんだぞって、気合を入れて堂々と歩く。いいな」


「ああ、すっげえいい。この国の偉いさんに見せつけてやれるのが、いい」


 ジャガイモ顔の馬那と微妙にイケメンな古韮が笑い合えば、それはみんなに伝染していく。


 俺たち山士幌高校一年一組は二十二人、全員で帰還を目指す。


 迷宮に入って戦うのも、地上の訓練も、こうした夜の話し合いも、全部が手段で目標を忘れてはいけない。常日頃からみんなで言い合っていることを、形にしたのがこの紋章だ。そういうことになった。

 言葉だけでなく形にして意識するのはいいことだろう。


 うん、流された展開だったが、悪くないオチじゃないだろうか。

 山士幌に帰るのだという決意を新たにできた、とてもいい話だ。



「あ、あのね」


 そんなノリになったところで、綿原さんが小さく手を挙げた。彼女にしては珍しくキョドった感じだけど、どうしたのだろう。


「一番下、横から見たら右端にちょっと隙間があるわよね」


 言われてみればたしかに。だけどこれってデザインの妙ってヤツじゃ。

 まさかこの空白にまで意味を込めたのか、綿原さんは。


「芸術的なナニカじゃないのよ」


 ではどういう。


「コレを見たら、シシルノさんとかベスティさんが、自分たちも入れろって言いだしそうな気がして……」


 滅茶苦茶ありえる。ありえるどころではない。確定だ。


「シシルノさんたちまで山士幌に連れてっちゃうことになるね」


 奉谷さんはあっけらかんと言ってのけるが、馬那が持ち出した『帰還旗』というフレーズが揺らぐ。かといってシシルノさんに断りを入れるのも、ちょっと可哀想だなと思う俺もいるし。どうしよう。


「いいんじゃないかな。シシルノさんなら山士幌に行ってみたいって、絶対そう言うと思う」


 本当に珍しいことに白石さんが大きく笑って断言してみせた。その笑顔に野来が見惚れているのは見逃してやろう。



「ねえ八津くん」


「なに?」


 微笑ましい光景を眺めていた俺に、綿原さんがコッソリ話しかけてきた。


「アレに意味を作ってくれてありがとう」


「勝手に俺が思ったことだから」


「わたしね」


 ん? 綿原さんには別の意図があった?

 だとしたら俺は余計なコトを言ってしまったのかもしれない。


「背景の山脈の向こう側にね──」


「……」


 この段階でわかってしまった。やっぱりこの人は綿原さんだ。


「おっきなサメが空を泳ぐ姿を、いつか追加してみせるわ。文句が出ないくらい活躍してからね」


 それはもう、とても綿原さんらしい馬鹿馬鹿しいこだわりだった。


「悪くないね」


 だから俺はそれを応援することにする。


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