第125話 唸る鞭とズルいヤツ
「なあ
「知らない。わからん」
「そっかあ? なんかあっただろ」
「いや、わからないんだ」
俺の肩に馴れ馴れしく腕を乗せてくる
それもこれも、あっちでヒソヒソとやっている
しかも綿原さんの表情が……、これはいけない。
決して怒っているわけでもないようなのだけど、なにかが伝わってくるのだ。負の方向性のなにかが。
すでに朝食を終え、各人のストレッチも完了した。あとは出発するだけ。ここは俺か綿原さんがコールをするところなのだけど。
宿泊迷宮は予定通りに二日目を迎えたわけ、なのだが。
「八津っち、八津っち。アレはアレっすよ」
古韮の反対側から現れた
「昨日の夜っすよ。俺と深山っちも当番だったから起きてて、見てしまったっす」
「なにをさ」
「八津っち、ずっとガラリエさんと並んで話し込んでたっすよね。楽しそうに」
え? それがどうして、アレに繋がる?
「あー、俺も混ぜてもらえばよかったな。なんかふたりの世界だったから遠慮してたんだぞ」
「古韮も見てただけか。なんで遠慮なんだよ」
「なんとなく?」
古韮はなぜ疑問形なのか。
「八津くん……」
「ど、どうした
「
白石さん鑑定が可能な野来は、不吉なことをわざわざ伝えに来てくれたようだ。
ところでなんでこう、朝から俺は野郎に絡まれているのだろう。
と、げんなりしていたところで綿原さんがあらためてこちらに向き直り、歩き始めた。明らかにこちらを目指している。
俺の両肩から重さが消えたと思った時には、古韮も藤永も野来までもが距離を置いていた。しかも無関係を装うかのように、散り散りにだ。【視野拡大】で全部が見えてしまうのがなんとも切ない。
「綿原さん?」
「……」
少しだけ頬を膨らませた綿原さんは何も言ってくれない。代わりに彼女のすぐ脇では元気よく【砂鮫】が空を泳いでいた。
うん、いつもよりピチピチしている。サメは綿原さんの感情表現器なのかもしれないな。ほらアレだ、アホ毛で機嫌がわかってしまうというアレ。
サメからはあまり読み取れないのが残念だ。
「えい」
綿原さんの小さな掛け声と共に、そんなサメが俺に襲い掛かる。
とはいえ彼女の【砂鮫】のことは、すべて理解の範疇だ。こちらの顔面を狙ってこない限り、ダメージが入るわけもない。いやまさか【熱砂鮫】じゃないよな?
そんな心配をよそに彼女のサメは俺のスネに当たり、正確には直前の魔力干渉で霧散しながら、最終的に足元に砂が散らばる結果となった。もちろん痛みはなく、熱も感じない。ほんとうにタダの【砂鮫】だったようだ。
タダのサメってすごい表現だな。
迷宮の床に散らばった砂は次の瞬間にはサメの形状を取り戻して、宙に浮かんだ。
その時には綿原さんの表情はいつもどおりに戻っていた。
「そろそろ時間ね。今日もがんばるわよ」
「あ、ああ。そうだな」
すっかり通常モードの綿原さんの向こう側で白石さんと深山さんがクスクスと笑っているのが気になったけれど、それは放っておこう。大事なのは目の前の彼女だ。
べつになにか特別なコトがあるわけでもないけれど。
「じゃあ、行こうか」
「ええ。みんな、集まってください!」
綿原さんの大声で、部屋にいた全員が集合する。
一年一組が二十二人。騎士とメイドさんを合せて王国側から十人。今日一日は運び屋に同行してもらえないので、この三十二人が迷宮を徘徊することになる。
◇◇◇
「えーい!」
威勢のいい掛け声で【裂鞭士】の
しかも巻きついた鞭は目には見えないけれど【魔力伝導】が込められている。その効果でキャベツが覆った魔力もそれなりに弱体化しているだろう。真の意味で魔獣をデバフれるのは、クラスメイトの中で疋さんが唯一だ。
「そうりゃー!」
術が途切れないように右手の鞭を離さないまま、キャベツこと【七脚一腕玉菜】に接近した疋さんは、左腕に装備したバックラーを敵の頭頂から生えた腕に叩きつける。腕というが、見た目はほとんどカニの脚だ。相変わらず魔獣のフォルムはこちらのSAN値を試してくるぞ。
そんな腕が節ごと捩れた。アレは本来の可動範囲とは違っている。疋さんの攻撃が通った証だ。
「いけるぞ疋さん!」
俺の声に反応して、疋さんの口元が不敵に吊り上がった。
ああ、鞭が良く似合っている。
「おうさ! 来なよ藤永。アンタの番っしょっ」
「はいっすよぉ!」
レベリング対象の藤永が、疋さんに呼ばれて駆け出した。
その間にもアタッカー連中が倒れ込むキャベツの足にメイスを振り下ろし続けている。フラグではなしに、これは勝っただろう。
「りゃああ!」
らしくもなく勇ましい声を出した藤永がキャベツの頭頂部、表現的に酷くアレなのだけど、一本腕の付け根に短剣をねじ込んだ。あそここそ、キャベツの弱点部位。殴り続ければ倒すこともできる相手だが、俺たちが大切にしているのは丁寧さだ。
弱点があってそこを狙えるならばそうするし、できるように練習する。それが俺たちなりのやり方だ。ただし根性が必要でもある。
魔獣特有の赤紫の血が藤永に降りかかるが、それでもアイツは歯を食いしばって魔獣の命を捕りにいく。
「もうちょいだよ。藤永っ!」
「はいっす!」
一番近くで見守る形になった疋さんが掛ける声に、懸命に答えながら藤永はやり遂げようとしていた。
「キタっす。五階位っす! ありがとう、疋っち」
「なーにさ。アタシだってやりゃデキるんだよねぇ」
お互いの手のひらをぶつけ合って、喜びを露わにする二人だ。藤永の手は返り血で汚れているが、疋さんは気にもしていない。普段は綺麗好きなのにな。
彼女は彼女で、戦力になれていることが嬉しいのだろう。
◇◇◇
昨日のうちに五階位になったメンバーは、その場ですぐに技能を取得した。
基本的に俺たちは、次に取るべき技能をタイミングも併せて決めてある。今回のケースでは集団行動かつ今のところイレギュラーも見当たらなかったので、レベルアップと同時に技能取得となった。
ざっと並べると
後衛一点張りだった白石さんと奉谷さんが【痛覚軽減】を取得できたのは大きい。奉谷さんは【聖術】や身体強化系バフまで待ちたいという意思もあったが、皆で説得して最後には折れた形だ。ちびっ子な外見に似合わず案外頑固な彼女だが、誰だって痛いのは嫌なものだし、見ている方もつらい。
これからもレベリングでは前に出なければいけないのだから、その時に【痛覚軽減】は必ず役に立つ。
その点では五階位になっても技能を取れなかった上杉さんには申し訳ないとも思う。彼女は二層転落事故でかなりムリな技能の取り方をしてしまったせいで、内魔力的につぎの階位までお預け状態になっている。もちろんその時には【痛覚軽減】を取ってもらう予定だ。
ちなみに上杉さんは満場一致で六階位にしてあげたいクラスメイト筆頭に選出されている。
ほかのメンバーはといえば、【反応向上】や【視野拡大】を取るかどうかと悩んだ
『【剛擲士】なんだし、ピッチャーらしくしないとな』
というのが本人の談話である。
実はこれで海藤と春さんはまったく同じ技能構成、言い換えれば同一のビルドを持つことになった。すなわち【体力向上】【身体強化】【身体操作】【一点集中】【痛覚軽減】【平静】【睡眠】。
痛みをこらえて冷静に、最大限の力で正確な攻撃を繰り出し、どこでも寝ることができるアタッカー。パーフェクトとしかいいようがない。
遠距離型の海藤と近距離の春さんが同じになったのは面白い偶然だけど、これは一年一組が大切にする基礎を固めるという方針の結果だ。この先は動き回る春さんと、どっしり構える海藤とで棲み分けができていくだろう。
術師では【氷術師】の深山さんは【魔術拡大】を取得した。一年一組では初見のスキルになる。
文字通り魔術の効果範囲を広げる技能で、似ているものに発動点を増やす【多術化】があるが、現状で瞬間的に氷を射出するようなマネができない深山さんは、得意技の『凍結床』を広げる方向で考えたようだ。
【魔術拡大】は深山さんの持つ【水術】と【冷術】の両方に効果があるので、まだしばらく行動阻害型の術師のままだろう彼女にとっては、安定を得たことになる。
そして──。
「いやー、動きが軽いし、力も載るし、最高だわ!」
いつもはもうちょっと軽い感じでチャラい疋さんが、今はストレートに喜びを見せている。
彼女は五階位になって【身体強化】を取得した。
それだけかと言うなかれ。前衛系神授職の疋さんは階位上昇による外魔力強化が表に出易い。そこに【身体強化】まで加わったのだ。それはもうレベルアップ前後で大違いにもなる。
これまで彼女は前衛職でありながら前に出ることができないでいた。手先が器用であっても運動神経が良いわけでもなく、ほかのアタッカーのように『経験者』でもない。ミアのようなワイルドさも持ち合わせてはいなかった。ミアの真似事は誰にもできないだろうけど。
それでも疋さんは腐らず【身体操作】を使いながらひたすら鞭の扱いを練習し、【魔力伝導】を応用した『魔力鳴子』まで編み出して警戒態勢に貢献してくれていた。
そんな訓練の成果が、ここにきて結実したのだ。
まだまだ【身体強化】の熟練は低いし階位に振り回されている感があって、指揮官としての俺は彼女の動きを判定するのが大変だ。
だがそれでも構わない。さっきの戦いを見ていれば疋さんがどれだけ前衛を切望していたかが、わかってしまうのだ。遠距離型とはいえ、前に出ることができないアタッカー。戦力増強はもちろん大歓迎だが、それ以上に彼女が開放されたことが、最高に素敵なことだと俺は思う。
同じく遠距離型のミアや海藤も前に出ることをいとわない。もしかするとこういう気質がアタッカー系神授職に反映されているのかもしれないな。
◇◇◇
「んじゃ、取るっす」
そしてつい今しがた五階位になった藤永が取ったのは──。
「おおう。漲るっすよコレは」
なんと【身体強化】だ。
一年一組の後衛系ジョブで【身体強化】を候補に出現させていたのは四人いる。
ひとりはバレー・バスケ部の【熱導師】
もうひとりは陸上長距離出身の【鮫術師】綿原さん。彼女はすでに【身体強化】を取っていて、動けて盾を振り回しながらサメを出現させるという、マルチタレントみたいなマネをしている。確実に俺より強い。【身体操作】も候補に出しているから彼女の将来は何処に向かうのやらだ。
さらにもうひとりはなんと【聖盾師】の
帰宅部のアイツがなぜかといえば、おおよそ神授職が影響していると想像できた。ほかにもアイツには『如何にも』な技能候補が出ているが、それはまた今度。
そして田村と同じくバリバリの帰宅部でチャラ系下っ端キャラの【雷術師】藤永だ。こちらはもう意味不明としかいいようがない。どこに【身体強化】が出る要素があったというのか。
なんとヤツは綿原さんや笹見さんと一緒で、【身体操作】までをも候補にしているのだ。
『こうみえて器用なんすよ』
『藤永クンって、なんでもそこそこできるよね』
という藤永と深山さんの言葉を聞いた時、俺は膝を突きかけた。
この世界の謎とか神授職に隠されたチートとか、雷で神経を刺激してとか、そういうのでは全然なかったのだ。
しかもクラスのみんながそれに納得していたことが心に刺さる。藤永はそこそこ『までは』デキる男というのは、クラスの共通認識だったらしい。
俺には出ていないのに……、器用だから出た?
世界が間違っているんじゃないだろうか。クラスの男子で【身体強化】が出ていないのは俺ともうひとり、かわいい弟系の【石術師】
夏樹はいい。俺から見てもかわいいし、実際みんなに可愛がられているのだから。
それに比べて俺ときたら。
現実を知った時も落ち込んだが、目の間で実際に【身体強化】を取得する藤永の姿を見て、俺の心の中で黒いなにかが──。
「八津くん、大丈夫よ」
そんな声が耳に響いた。
「……綿原、さん」
「大丈夫だから。わたしはわかってるから。ね?」
綿原さんが傍に立っていた。そもそも、なにがわかるのだろう。
俺は心の内を話したわけでもないのだけど。なんでこのタイミングでそういう声掛けができるのか。
「ふふっ、不思議そうな顔をしてるわね」
「あ、そんな風に見える?」
「ええ。わたしにはお見通しなの」
ちょっと怖い。あたらしい技能に目覚めたとかだろうか。【鮫術師】に【読心】とか、似合わないのだけど。
「サメが
あ、ダメだ。絶対ウソをついている。
けれどまあ、方法はわからないけれど彼女は俺の心を見通して、そして励ましてくれているのだろう。
コレは応えなきゃ、ダメなんだろうな。
「筋トレ、もっとがんばるよ、俺」
「方向性が違う気もするわね」
セリフを間違ったかもしれない。
「ま、いいわ。そろそろわたしたちの順番よ。階位を上げて強くなりましょう」
「だな。やるか」
とはいえ俺と綿原さんは魔力が足りてないから、五階位での技能取得はスルーなのがちょっと寂しいところだったりする。
迷宮泊の二日目は順調に進んでいた。
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