第334話 迷宮に沈んでゆけ




「悪あがきをっ!」


 鋭く言い放った総長の膝が、俺の胸に当たる。押し付けられた場所がバキバキと音を立てて凹む。ああ、これは打撃なんだ。

 だがこれは覚悟の上での行動だ。やり遂げるまで耐えてみせるぞ、って、痛い!? とんでもなく痛い。というか、息ができなくて熱い。意識が持っていかれそうになる。【痛覚軽減】はどこにいったんだよ。


 だけど、それでも、腕を持っていかれた馬那まなはもっと痛かったはずだ。


 陣形の一番うしろで見物ばかりして、口だけを出す係を受け持っていた俺が、やっと見つけた晴れ舞台だと思え。自分の役目だとか卑屈な後ろめたさは、おいておけ。むしろ痛いくらいが最高だと喜べばいい。


 何度も拳を砕きながら戦い抜いた先生やアタッカーたちは──。


 痛い思いをしながら盾を構え続けた騎士たちは──。


 怖がりながらも必死になって魔術を使い続けた術師たちは──。


 血にまみれながら治療を続けていたヒーラーたちは──。


 どんなにつらくても笑ったり励ましてくれたバッファーたちは──。


 じゃあ俺はなんだ? 決まってる。【観察者】は全部を見ているんだよ!



 総長を残り半歩だけ後退させれば、それで俺たちのやるべきことは、たぶん完遂されるはずなんだ。

 血の海になっている床だけど、俺は事前に確認をしておいたし、今だってギリギリ判別できるくらいには【観察】できている。罠の境界線は見えているのだ。そこだよ、すぐそこ。


 そこにあるのがどんな『トラップ』なのか、迷宮は色分けをしてくれているわけではない。

 罠の大きさからしてたぶん落とし穴だろう。なら、そこに転落させてしまえば、いかな総長とてウチのクラス全員を相手取ることなどできはしない。最高なら即死罠とかなんだろうけれど、残念ながら迷宮の仕様上そういうのは無いようだし。


「らああぁぁぁぁ!」


 アホみたいな痛みの中でも、俺の体はなんとか動いてくれた。

 床が血で濡れているのも効果アリだ。背後の存在に気付いていない総長は、俺の行為をバカにしたように鼻を鳴らして、そしてついに半歩下がった。

 俺の気迫や力に圧されたわけではない。ただ、面倒くさい雑魚への対応として、俺を弾き飛ばすための体勢を作っただけだ。


 妥協の結果としてうしろに踏み込んだ足に反応して、ついに迷宮罠が発動する。



 このために上杉うえすぎさんたちが窮地に陥るような場所に移動してもらった。【聖導師】と【聖盾師】を囮にしたんだ、総長からしてみれば、さぞや美味しい餌に見えただろう。

 総長の位置取りを誘導し、ベリィラント隊に穴を空け、最後の最後で微調整の一押しだ。


「やっちまえ、アラウド迷宮!」


 俺の叫びに応えるかのように、総長の足元にあった床石が斜めに傾き、すぐに完全開放された穴が出現した。

 しがみついている俺からも穴の先が見える。もとい、空いた穴の途中から水がザバザバと流れていって、下の方には先が見えない。


「滑落罠じゃねーか!」


「ぬあっ!? 貴っ様ぁ!」


 総長の片足はすでに穴の上にある。放っておけばどれだけの階位があろうとも、転落は確定だ。【風術】なんて総長には使えない。

 しかしよりにもよって『滑落罠』か。二層転落に続いてこれで二度目。随分と縁があるじゃないか。今回は俺の有利に働いてくれてありがとう。



「ひっ!?」


 俺の片足に理不尽な荷重がかかった。罠に転落しつつある総長が悪あがきなのか、剣を捨てた右腕で俺の足首を掴んできたのだ。

 すさまじい握力で握りしめられた場所が、ミシミシと嫌な音を立てる。鉄板入りのブーツなのにだ。今度こそ本当に痛みより、恐怖が先に来た。俺の口から情けない悲鳴が上がる。


 もう片方の足で踏ん張ろうにも、床に溜まった血でブーツが滑る。そもそも俺の力では総長をどうにかなんてできるわけも……。


 マズい。俺まで落ちる!?


八津やづくんを放しなさいな!」


 負傷して動かない右腕をダラリと垂らしながら、それでも左手に木刀を持った中宮さんが一気に踏み込み、低い姿勢で斜め下から切り上げるように総長の頭を殴った。【剛剣】と【魔力伝導】を乗せた木刀は、見事総長のフルフェイスを固定具ごと吹き飛ばす。


 顎を上に向けた総長の素顔が晒された。嗤っていやがる。そう、直下に見える近衛騎士総長、ベリィラントは俺を嘲笑っているのだ。

 まだ諦めていないのか、それとも俺もろとも落ちることで憂さ晴らしでもしようというのか、どちらにしても総長の顔は醜く歪み、口元には厭らしい笑みが浮かんでいた。


「あ、アンタはぁっ」


 喉元がヒュっとなり、俺の口から掠れた声が零れ落ちる。


 勝ったと思った。トラップが普通の落とし穴なら魔術を集中して叩き込み、這い上がろうとするならモグラ叩きで勝ちが決まると考えていたんだ。

 それなのに俺の体は総長の体重に引かれ、滑落罠に落ちようとしている。どうしてこうなるんだよ。



「掴まれぇっ! 八津ぅ!」


「おらあ!」


 残った足が空を切り、体が完全に穴に吸い込まれたのを自覚した瞬間、俺の腕を誰かが掴んだ。

 佩丘はきおか海藤かいとう。滑落罠の上に半分体を乗り出して、二人は両手を使ってまでそれぞれ、俺の右腕と左腕を握りしめている。


 そんなことしたら、お前らまで……っ。


「同じ二班の仲だろ。こんどは落としたりなんかしねぇぞ、俺はぁ!」


 ヤンキー顔をした佩丘が俺を見下ろしながら、罵倒とも励ましともつかないセリフを吐いている。


 ああ、それか。たしかにそうだった。

 アレは二回目の迷宮。俺が班長に押し上げられた一年一組の二班は、迷宮罠に引っかかって滑落事故を起こした。転落したのは俺と綿原わらはらさん、ミアと上杉さん。


 二班のメンバーで一層に残されたのは佩丘、海藤、そして夏樹なつきだった。あの頃は夏樹のコトを、酒季さかき弟なんて心の中で呼んでいたっけ。

 救出されて散々グチられたのも覚えている。落ちた俺たちも大変な目にあったが、目の前で落ちていくクラスメイトを見るしかなかった連中だって、心は深く傷ついていたのだろう。


 俺を掴む手に込められた力が、コイツらの必死さを伝えてくれる。精神的にもリアルでも痛いくらいに。

 そうだよな。俺だって、絶対にイヤだ。


「……そんな死に設定、いまさら持ち出すのか」


「うるせえぞ、八津。あん時の俺たちがどんだけ悔しかったか、ちょっとはわかれ!」


「すまん。いや、ありがとう」


 思わず漏らしてしまった言葉に、泣きそうな顔をした野球小僧の海藤が本気で返してきたものだから、こちらとしても殊勝になるしかない。

 ラノベっぽいとは思いつつも、すまんからありがとうへの繋ぎ方で返事をする。


 ごめん、ムリして軽口を叩いてみたけど、苦し紛れのネタだったんだ。だってさあ。

 今さっき総長に掴まれた足首が、嫌な音を立ててひね曲がったようなんだ。この瞬間にも【痛覚軽減】の熟練度がギュンギュン上がっている気がするんだよ。


 アドレナリンなのか、それとも頭から血の気が引いて痛みが伝達されていないのかはわからない。

 怖い。とにかく怖いよ。



「そっ、総長をお助けしろ!」


「させるかっ!」


 もはや俺の視界からはトラップで空いた穴しか見えないので【観察】すらできないけれど、どうやら総長を助けようとしている騎士と、声からすると藍城あいしろ委員長が戦っているようだ。

 委員長、ちゃんと勇者しているなあ。


 なまじ窮地に陥ると【一点集中】と【思考強化】を回すクセがついているものだから、こういうくだらないコトにばかり頭が回るのだ。ははっ、こんなところでいまさらなキャラ立てか。


「イヤァッ!」


「くあっ!?」


 俺がアホなことを考えて自分の置かれている現実から逃避していた瞬間、頭上から甲高い奇声が聞こえて、足元では総長が苦痛っぽい声を漏らした。


 ビビりながら下を見れば、俺の足を掴んでいる総長の腕に鉄の矢が突き立っている。フルプレートを貫いたのかよ。

 そうか、ミアがやってくれたのか。角度的に俺が邪魔になるはずなのに、よくもまあ狙えたものだ。イザという時のミアの集中力は本当にすごい。


 思わず見上げれば、綺麗な金髪をたなびかせて弓を構えるミアと目が合った。


「絶対に助けマスよ、広志こうし


 彼女は緑の瞳から涙をこぼして、それでも無理やりに笑う。



『吹き抜ける、風が~、今~、背中を──』


 顔を上に向けたからか、なぜだか妙に歌声がハッキリと聞こえてくる。


 この状況で歌い続ける白石しらいしさんの責任感もすごい。もうCメロか。アニメならまさにフィニッシュ直前といったところだな。となれば、このシチュエーションで起きることといえば──。


「どっらぁあぁぁぁあ!」


 どうしてあんなに綺麗な顔からこんな声が出せるのかわからないが、それでも俺にとっては心地よい響きが上から降ってくる。俺の大好きな叫び声。

 声と一緒に赤紫色をしたサメが三匹。宙を舞うサメは、まるで自在に水の中を泳いでいるかのようだ。


「当たれぇ!」


「当たって!」


 俺と、サメを飛ばす張本人、【鮫術師】綿原さんの声がカブる。


「ぐぉ!? むふぉ、がっ!」


 苦悶の声を上げた総長の目と鼻にサメが直撃し、さらには最後の一匹が口に入って、ヤツの声はむせる音になった。

 その反動か、俺の足を掴んだ握力が緩むのがわかる。


 やっぱりフィニッシュは綿原さんだよな。終わったあとで、バディだから当然、とか言ってくれるんだろう。



「トドメだよっ!」


「かはあぁぁ! あっ、あぁぁぁぁ……」


 俺が綿原さんにどうやってお礼を言おうかと妄想していたら、非情な追撃が降ってきた。


 こんどは石。迷宮産の石材から削りだされた正八面体な石が、俺を避けるような軌道を取りながらも完全に操作されて、三つが三つ、全てが総長の顔面に直撃した。

 サメの残滓によって視界を奪われた総長には避ける術もない。


「ふはっ」


 俺が短く息継ぎした時にはもう、総長の手は俺の足を掴んでいなかった。


 四層の滑落罠は最低でも五層に通じているはずだ。ヘタをすれば六層もありえる。

 いくら十六階位の総長とはいえ、怪我をしていて単独で五層は……。


 これ以上は考えないようにしよう。


「……えっと。ありがとう、夏樹」


「どういたしましてだよ。今度こそ助けたよ、僕はさ」


【石術師】の夏樹はそう言って可愛く笑った。さすがは俺の心の友。

 今度一緒に【身体操作】を取ろうな。抜け駆けは無しだぞ?



 ◇◇◇



「八津くんっ!」


「広志!」


 佩丘と海藤によって持ち上げられた俺が広間に床に降り立った途端、綿原さんとミアが突っ込んできて俺に抱き着いた。


 近い。近いって! それと血生臭い!


「ったく、無茶しやがる」


「無事ならいいんだ。無事ならな」


 そんな俺を見ながらどこか感極まった様子な佩丘と海藤が深々と息を吐く。


「なあ八津。お前、どこのハーレム主人公気取ってるんだ?」


 そこで余計な口を挟んでくるのが我らがオタリーダーの古韮ふるにらだ。


 いやまあ、たしかに言いたいことはわかる。

 なんで俺はメガネクール美少女と金髪エセエルフ美少女に抱き着かれているんだろう。疲れ切っているのもあって振り払う気も起きないが、どうせパワーでは敵わないのだ。

 あとで全員から揶揄われるかもしれないが、今はこのまま……。


「ぐああぁぁぁぁぁ!?」


 どこかミシリと音がしたと思ったら、とんでもない激痛が俺を襲った。

 音源は白石さんではない。彼女の歌はとっくに終わっている。効果音の出所は……、俺の胸だ。ミアと綿原さんの抱擁が攻撃判定になっている!?


 そういえば総長に膝蹴りをもらって肋骨辺りがヤバいことになっていて、ついでに足首も握りつぶされていた記憶がある。ああ、いまさらながら、あれは本当の出来事だったんだなあ。



「綿、原、さんっ、ミアっ、放して、放し、てぇぇ。痛てぇぇぇ!」


「あらあら」


 胸の痛みにのたうち回る俺の耳に聞こえてきたのは、俺たちの聖女からついさっきアウローニヤの聖女に昇格を果たした上杉さんの落ち着いた声だった。


 ちなみに綿原さんとミアはすぐに飛び退き、二人して俺を心配そうに見下ろしている。


 そのうしろには佩丘や海藤、夏樹や古韮もいるし、肩を押さえた中宮さんもいた。そろって呆れたような顔をしているのはなんでだろう。

 こちらに駆け寄ってくる奉谷ほうたにさんや白石さんが視界に入る。膝を突き、むせび泣く敵の騎士を見下ろしながら苦笑を浮かべる委員長がいて、頭のうしろに腕を回して悪い笑い方をしているひきさんも。


 ほかにもクラスメイトたちが、ヤツららしいバラエティ豊かな表情でこっちを見ていた。

 良かった。誰一人欠けていない。うん、全員が無事なら、それが俺にとっての最高だ。


「八津君、頑張りましたね」


 近くに佇む滝沢たきざわ先生の優しい声が聞こえたあたりで、俺の意識は薄れていった。


 このパターン、二回目だろ。



 ◇◇◇



「──八津くん、八津くん」


「ん……、綿原、さん?」


 なにか夢を見ていたような気もするが、優しげな声に誘われるように俺の意識は浮上した。

 妹の心尋みひろと一緒にコンビニで買い物をしていたような。


「夢オチじゃないよな?」


「なにかしら、それ」


 思わず口に出した俺に対して、綿原さんはモチャっと笑いながら砂でできた白いサメをぶつけてきた。


 サメがいるってことは、異世界か。我ながらどういう判定かとも思うが、俺の思考回路なんてそんなものだ。そう考えてしまえば自動的に【観察】が動き出すのも俺の本能だな。


 どうやら俺は『緑山』制式装備たる軍用外套を流用した布団の上に寝かされているらしい。

 そして俺を眺めていたのは綿原さんだけじゃない。ミアがいて、上杉さんがいて、微妙な笑顔の田村たむらもいるな。


「で、八津。痛みはどうだ? 【痛覚軽減】を使わないでだぞ?」


 そんな田村が無体な手法で確認をしてくる。

 寝起きだし【痛覚軽減】なんて最初から使っていないぞ。ん? 痛くない。


「ん……、痛くは……、ない。治してくれたのか?」


「まあな。上杉が【聖導術】を使うまでもなかったよ。【治癒識別】を信じるなら、ちゃんと治ってる。完治だよ、八津」


 そこまで言い切ってから田村はハッキリと笑ってみせた。皮肉屋のクセにズルいんだよな、田村め。



「起きてもいいってことだよな」


「ほとんど血は流してなかったから、構わねぇぞ。患者はもういないしな。お前が最後だったんだよ、八津」


「患者?」


 俺の言葉に妙な返し方をしてくる田村は笑みを消して、いつもの皮肉な顔に戻っている。


 体を起こして周囲を見渡せば、広間にはやたらとたくさんの人がいることに気が付いた。

 いくら【観察】があっても天井だけを見てたからなあ。



「ヤヅ様、ご無事でなによりです」


 まず視界に入ったのは濃灰色の革鎧を着たままの王女様だ。


 脇にはガラリエさんとシシルノさん、ベスティさんを侍らせている。うん、それともう一人。


「ミルーマさん……」


「お疲れ様、ヤヅ」


 気合を込めて王女様を守るように立つミルーマさんがそこにいた。


 よくよく見渡してみればミルーマさん以外にもヘルベット隊の人たちや、キャルシヤさんもいて、さらにはイトル隊なんかも……。

 本来は地上で戦っているはずの人たちがここにいる。


「ミルーマさんとキャルシヤさんがここにいるってことは」


「そうよ。いえ、これは女王陛下から伝えていただく方がよろしいかと」


 意味するところを聞こうとしたら、ミルーマさんは口調を変えて王女様に発言の機会を振った。

 その呼び方。女王陛下ときたか。そうか、そうなんだ。


「ヤヅ様、改めて名乗りましょう。わたくしはリーサリット・アウローニヤ・フェル・レムト。アウローニヤ王国の第四十三代国王です」


 そうやって仰々しく自己紹介をした王女様、もとい女王様はどこか憂いを帯びながら、優しく寂しげに笑ってみせた。


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