第61話 できることを全部:【鮫術師】綿原凪
「【上半身強化】デス!」
「ここでそれを取るのかよ」
丸太みたいな魔獣を目の前にして、
ミアが宣言した技能は【身体強化】の上半身版とでもいうか、至極不自然な技能だ。上半身とはどこからどこまでなのか、仮に取ったとして相対的に弱くなってしまう下半身が無事ですむのか。
資料には出てくるのだけど、近衛騎士で取っている人は誰もいなかった。それも当然で、剣と盾、たまには槍で戦う人たちが、ただでさえ大事な『内魔力』をそういう変な方向で使うわけがない。
候補にすることすら
同じく体育会系の
だけどミアは【疾弓士】だ。
『弓は背中で射るものデス。ハルみたいに【下半身強化】も出てるからダイジョブデス』
あなた今、弓なんて持ってないでしょ!
「やれることを全部やりマス!」
たぶんあの子はもう【上半身強化】を取ってしまっているんだろう。
いくら将来弓使いになるからって、持っているのはメイスなのに、少しでも力を得ようって。
「おうらぁぁぁ!」
そしてついに『走る丸太』が八津くんにぶつかった。
後衛型の【観察者】なのに、ほかに役割がいないからって。
たしかに【観察】はすごいと思う。身体系を持たないグループの中で、彼は一番受け流しが上手い。それは間違いないと思う。だけどそれだけ。
左腕に固定した頼りない丸盾に右手を添えるように体を押し付けて、斜めに逸らすようにする。
本格的にやったのはここ三日間だけだったけど、八津くんは必死にそれをこなしていた。
「つぅあぁぁ!」
ガリガリと音をたてながら丸太がズレた。勢いもたぶん、少しだけど衰えていると思う。
その代償みたいに、丸太から生えた枝が八津くんに当たって、自分から藪の中に飛び込んだみたいな傷を負っていく。ガサガサバサバサという音が生々しくて、白々しい。
そのまま八津くんは膝を突いてしまう。
「イィィィヤァァァッ!!」
ミアが飛びかかっていくのが視界の端に映った。
だけど丸太は止まらないまま、こっちに向かってくる。わたしを目指して。
なんとかしないと。
◇◇◇
『メンバーカードはお持ちですか?』
『ああ、えっと』
『ほらお兄ちゃん。わたし持ってるよ』
久しぶりに、それこそ十年ぶりに見た彼は、昔のままな普通の男の子だった。
背丈は普通、体格も普通……、よりはちょっと細いかな。容姿は整っている方だとは思うけど、だからといってキャアキャア騒がれるようなタイプには見えない。
わたしには気付いていないみたいで、微妙に目を逸らしている。店番をやっていると良く出会う、若い女性と視線を合わせられないタイプのお客さんそのものだ。
最初は気のせいかな、同世代なのに見かけない人だからどこかに行く途中かな、と想像してみたけれど、間違いないと何故か感じた。この人のことを知っているって。
小学二年生の途中までわたしの前の席に座っていた男子。
家が近所なわけじゃないし、とくに仲が良かったわけでもない。
恋愛小説にあるみたいな特別な事件もなかったと思う。
ただ前の席にいて、たまにおしゃべりしたことがあっただけの存在だった。
『
入学式のすぐあとにあった自己紹介で、彼はそう名乗った。
実はその時になってやっと、わたしが彼の名前を忘れていたことに気付いた。顔はなんとなく憶えていたのに、面白いこともあるものだ。
長い付き合いがあるクラスメイトたちの間では、わたしのことを不思議クールと呼ぶ人もいる。
口数が多い方じゃないのは自覚しているし、誰でも彼でも『さん』付けだ。ただしミアを除く。
べつに距離を置いているつもりはないし、行事とかには普通に参加する。仲がいいといえるのは
しいていえば
そういうところが不思議呼ばわりされる原因なのかも。
あとは、それなりにわたしとつるんでくれていた
毎年のことらしいけど中学から高校に上がるときに、何人かは帯広か札幌の進学校を選んでしまう。残念だけど彼女たちにも人生設計があって、目指すところがあるからしかたない。
まあウチのクラスは男女関係なく垣根が狭いし、ヤなのもいないから、誰にも苦手意識を持つことはない。
はっきりしていたのは今日と同じ明日があって、いつかはウチの店を継ぐのかな、くらいの感覚でわたしがのんびりしていたことだ。苗字のお陰で窓際の日差しが気持ちいい席に座れてラッキー、程度。
昔みたいに八津くんが前の席に座ったからといって、それは少しも変わらなかった。
いや、せっかくの久しぶりだし、彼ともおしゃべりできるような関係になれたらいいかな、くらいには思っていたかもしれない。できればサメ映画の話題で盛り上がれると嬉しいなって。
誰にでもあるでしょう。自分と趣味が合っている話し相手がいるなんていう妄想をしたことくらい。
そんなぽわんとした日々が三年は続くはずだったのに、三日もしないうちに全部がひっくり返されてしまった。
なにがアウローニヤだ。なにが王国だ。なにが異世界召喚だ。
◇◇◇
「イィアアァァ!」
ミアが奇声を上げながら薙ぎ払うように丸太の足、つまり枝を叩き折っていく。何本かが千切れて、そこから赤紫の液体が飛び散るのが見えた。
「木が血を流すのは、非常識だからやめなさい!」
セリフなんてなんでもよかった。あのまま丸太の狙いが八津くんに固定されるのはマズい。それが上杉さんでもだ。だから叫ぶように挑発を吐き出してやった。
八津くんは膝を突いたまま、まだ動けていない。そこに上杉さんが駆け寄るのが見えた。
そんな状況で丸太が次の目標に選んでくれたのは……、うん、わたしだ。大声を出したかいがあったってものだね。
「さて、やりますか」
こっちに呼び出されてからあった、とりあえずふたつの良かった出来事。
「そのうちひとつよ。食らえ【砂鮫】!」
覚えたばかりの【魔術強化】を乗せて、少しだけ大きくなったわたしのサメが丸太にぶつかった。狙いもそれほど外れてないはず。
攻撃力なんてどこにもない。目つぶしになって、少しの間だけでも相手の動きが逸れてくれれば。
ガサガサと音を立てて丸太が暴れだした。少しは効いてくれたのかもしれないけれど、【砂鮫】は魔獣に当たれば魔術が消えてただの砂になってしまう。
当然目つぶし効果なんてほんの一瞬だった。
「やっぱり、止まるわけないわよね」
「
丸太が暴れた弾みで飛ばされたミアが、転がりながらこっちを見て叫んだ。彼女らしくない悲痛な声。わたしの中でどんどん丸太への憎しみが増えていくのがわかる。
今のわたしにできること。
相手の邪魔をするだけじゃ足りない。アレの動きを抑えないとダメだ。
できることを全部やって、後悔はあとから!
「【身体強化】!」
そう叫びながら、頭の中に浮かぶ球に光を灯す。
八津くんはもちろん、クラスのみんなからは止めろと言われていた技能を取得してやった。術師系なんだから【多術化】でも【魔力回復】でも、これからいくらでも取らなきゃならない技能があるけれど、今必要なのはこれしかないから。
上杉さんが治す。ミアは攻撃してくれる。
ならばわたしは、八津くんと一緒に魔獣を止める。八津くんが技術で、女子のわたしが力技でっていうのが、ちょっと気に食わないかな。
『大声を出してください。それだけで体が少し動くようになります』
「だらあぁぁぁ!」
先生の言葉に従って、生まれて初めてかもしれないような雄たけびを上げながら、頼りないバックラーを構えた。
覚えたばかりの【身体強化】じゃ大した意味がないかもしれない。それでもさっきまでより、少しはマシなはず。
腰を落として力を逸らせ。決意を固めて魔獣に立ち向かってしまっていることを、ちょっと後悔している自分を無視するんだ。
◇◇◇
「酷い目にあったわ」
「骨をやられると息ができなくなるって、初めて知ったよ」
「知らなくてもいい知識ね」
「まったくだ」
わたしが身を挺して逸らした丸太魔獣は壁にぶち当たって、そこでまた暴れ続けた。
体勢を立て直される前にと上杉さんを後衛にして、ミアと八津くんと三人で攻撃したけれど、そこでまた何回も突き飛ばされて、その度に治してもらってまた戦って……。
上杉さん曰く、最初の衝突で八津くんは肋骨にヒビが入っていたらしい。
たぶんわたしも体中アザまみれになっていたはずだけど、今はきれいさっぱりだ。革鎧の下だからどうなっているかわからないけれど、上杉さんが保証してくれた。
「わたしが倒すことになってしまって……」
申し訳なさそうにする上杉さんだけど、怪我した場所や治ったかを確認するために【治癒識別】を取らざるを得なかったんから仕方がない。早く階位を上げないと、いくら魔力回復が速い迷宮の中だからといっても後が続かなくなるから。
だからラストアタックを譲ったわけ。
「怪我の場所も具合も、治ったかもわかるなんて、
「文献だとレア扱いだったわね」
「さすがは【聖導師】デス」
「あらあら」
上杉さんの神授職【聖導師】は【聖術師】の上位らしい。それこそ物語レベルで。
今回の【治癒識別】のほかにも並の【聖術師】じゃ持っていない技能候補がたくさんなんだって。【聖盾師】の田村くんが悔しがっていた。
だからこそシャーレアさんは二班にいたのだろう、というのが八津くんの予想だ。あのおばあちゃん【聖術師】、わたしたちに優しかったものね。お陰で委員長たち三班が苦労したけれど。
「それにしたって綿原さん、無茶しすぎだよ」
「しかたなかったのよ」
「それでもさあ」
「あら、八津くんはわたしに力負けするのがイヤなのかしら」
「そうじゃなくて」
「二人は八津ハーレムパーティが誇る二枚盾デス!」
「ハーレムは止めてくれよ!」
「あら、わたしもなんですか?」
「上杉さんっ!?」
この世界に来て良かったことのもうひとつ。
こうやってクラスのみんなとおしゃべりする時間が増えたことなんだよね。
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