第163話 もったいないと思う心




「イィヤッ!」


 迷宮二層に【疾弓士】ミアの掛け声が響き、直後二十メートルほど先でこちらに向かおうとしていた『丸太』の中央に矢が突き立った。そしてそのまま動きを止める。


「一撃かよ」


「ついにやりマシた!」


 ミアの横でボールを投げていた海藤かいとうが呆れた声を出せば、彼女は嬉しそうに弓を持ったままガッツポーズをしてみせた。


 単体の強さでみれば二層で一番手強い魔獣は丸太というのが俺たちの見解になる。倒しにくいだけなら『竹』、素早くて首が涼しくなるのが『ウサギ』といったところか。マヒ毒の『カエル』もなかなかだ。

 そんな最強格の丸太をミアは一矢で仕留めてみせた。十階位クラスの騎士がみせる力技で叩き伏せるようなやり方ではなく、力と技術の組み合わせでクリティカルを発生させたのだ。これはもはや快挙といっていいだろう。


 今回の迷宮にミアは二種類の弓を持ち込んでいる。

 普段使いの一メートル弱の弓と、もう少しだけ大きいモノだ。大量の鉄矢こそクラスメイトが分散して持っているが、二張の弓だけは本人が背中に担いでいる。メイスと短剣、バックラーもひっくるめて、クラスで一番ゴテゴテした見た目になっているのがちょっと面白い。



「わたしたち、アレを最初に倒した時って命がけだったわよね」


「だったな。よくもまあ」


「呆れるわ」


 俺の左前でヒーターシールドを構えて魔獣の攻撃を待ち構えている綿原わたはらさんもまた、ミアのやったことに呆れるしかないという声色だ。


 俺たち四人、綿原さんとミアと、上杉うえすぎさんが二層に滑落した時は全員が三階位だった。内魔力の残量と相談しながらギリギリまで技能を取って、四人がかりの決死の覚悟で丸太一体を倒したものだ。どれだけ怪我をして、絶望しかけたことか。

 あの時から頼もしい攻撃役だったが、六階位となり身体系技能の熟練を上げたミアはもうなんというか、ストレートに強い。



「でもこっちはやっぱり強いデス」


「強い? そりゃそっちの方が強いだろ」


「引くのが大変だって意味デスよ。連射はムリそうデス」


「ああ、そういう」


 ミアと海藤は向かってくる魔獣に弓やボールで対応しながら弓談義をしているが、彼女が今さっき丸太に使ったのは『三層』用に持ってきた強弓だ。

 弓矢の威力は当人の力と関係ない。弓の強さと矢そのもので決まる。もちろん引けなければ意味がないのだが。

 とはいえここは異世界で、たとえば【風術】で瞬間的に後押しをしてみたり、【魔力付与】を矢にかけることで魔力的に強化するなんてことができるらしいが、実際に見たことはない。

 ちなみにこの世界ではまだ火薬や銃器は無いようだ。ただしアウローニヤの資料だけなので、ほかの国が発明していなければ、だが。



「そいやっ!」


 ちょっとお祭りっぽい掛け声で鞭を振るっているのは【身体強化】にも慣れてきて、いよいよ前線に出ている【裂鞭士】のひきさんだ。彼女は前衛で唯一【奮術師】の奉谷ほうたにさんから【身体補強】をもらって戦っている。なにせほかの前衛は全員六階位で、疋さんだけが五階位だからな。

 同じく五階位だった【聖騎士】の藍城あいしろ委員長は、ついさっき六階位になった。取った技能は【頑強】だ。これでまたタンクが硬くなったぞ。

 この時点で五階位はあと五人。


 調査とミリオタの馬那まな曰く漸減ぜんげんという名目で、群れがいると予想される方向に進んでいるものだから、出てくる魔獣にはことかかない。イザとなった時の逃走経路も俺の中では想定済みだ。

 そんなわけで六階位組も積極的に魔獣を倒して七階位を狙っている。うしろの五階位組が受け取るのは弱らせたウサギやトマトなど、柔らかい魔獣ばかりだ。それでもそれなりに数があるものだから、後衛のレベルアップももう間近だろう。



「えいっ、えいやあ。やっつけたぁ!」


「ナイスだ疋!」


「へっへーん」


 鞭で絡めとったトマトに何度もメイスを叩きつけて、疋さんは独力で魔獣を倒してみせた。腕の振り方や手首の使い方などを日頃から教えていた海藤が、疋さんの元気な活躍を自分のことのように喜んでいる。

 楽しそうなのはいいのだけど、うしろから見ているとスプラッタであることに変わりはない。


「慣れちゃったな」


「だねえ」


 げんなりと呟く俺に、副官の奉谷さんがこっちも困り顔で答えてくれる。ロリ娘がコクリと頷く光景は心を和ませてくれるな。


「先生やりんちゃんが言ってたでしょ。切り替えだって」


「まあな。そうしないとやってられない」


 瞬間的なスイッチとまではいかなくても迷宮モードだけはしっかりオンにしておくようにと、一年一組に酸っぱくなるほど言い続けているのは滝沢たきざわ先生と副委員長の中宮なかみやさんだ。空手家美人と木刀美少女とはいえ、二人とも大きな生き物を殺す経験などしたことはないだろう。それでも心構えを説いてくれるのは、そちら側の人間としての矜持なのかもしれない。それこそがクラスにおける自分の役割だと思っている部分もあるだろう。



「余裕ができても油断はしない」


「慣れるのはいいけど、流しちゃダメだ、ってね!」


 もはや幾つあるのかもわからないくらい増えてしまったクラスの標語を奉谷さんと唱えて、お互い笑い合う。迫りつつある魔獣が見えているのにコレだ。

 この世界に順応するのは仕方がない。むしろ慣れないといけないくらいだ。それでも大事ななにかを忘れるなと先生は言う。


 俺たちはまだまだ調子に乗れるレベルにない。そうだな、とりあえず近衛騎士総長をブチのめせるくらい強くなってから考えるとしよう。

 そうなる前に山士幌に帰りたい。


「ほら八津やづくん。あげるわ」


「おう」


 できもしない未来を想っていたら、綿原さんが咎めるように声をかけてきた。彼女は盾を使ってウサギにダメージを入れて、そのままこちらに流してよこす。すごいな、完全にコントロールしているぞ。


 ここまでお膳立てしてもらった以上、しっかり仕留めないと前線を張ってる連中と綿原さんに笑われる。キチンと周りの様子も確認しながら、俺は短剣をウサギに突き立てた。



 ◇◇◇



「へえ、こりゃあ美味い。なるほどこういう食べ方もあるのか」


「地上では足が早いそうですから」


 ずいぶんと口調が普通になった隊長さんが料理を褒めれば、上杉さんはいつもどおりに穏やかに笑った。


『塩の部屋』からふたつ手前、王都軍の人たちがここだけは魔獣を通すまいと頑張ってくれている大部屋で、俺たちは遅めの昼メシを食べている。普段なら時間を惜しんでサンドイッチかおにぎりといったところだが、今回に限りそれなりに調理をした料理にした。メニューは辛口のモツ鍋だ。

 上杉さんと佩丘はきおか、それとメイド三人衆合同の力作になる。女性四人の料理光景に大柄のヤンキー風男子が普通に混ざれてしまうあたりが佩丘の凄みだろう。


 この状況を想定しての大鍋が五つだった。料理主任が五人で、鍋をひとつずつ担当という形だな。

 鍋といっても形はもはや寸胴に近い。折り畳み式の脚まで付いていて、現場で展開すればそのまま簡易竈になるという代物だ。じつはこれ、工房には頼んでいたのだが前回の迷宮泊には間に合わなかったブツだったりする。



「もったいないというか、仕方ないというか。なんだかな」


「迷宮ならでは、ということで」


 家計にうるさい佩丘がグチって、上杉さんは諦め顔だ。それでも料理自体に文句はないらしい。


「絶対この国のスパイスと合う。いい感じだぜ」


「アウローニヤは基本が辛口ですからね」


 料理談義をする二人を見る古韮ふるにらはちょっとうらやましそうだ。混ぜてもらおうにも話についていけないのだろう。



 迷宮ではモノが腐らない。

 正確には迷宮で採れたモノは、迷宮の中ではそうそう腐らない、か。


 モノが腐る、腐敗とはすなわち細菌の働きだ。医者志望の田村たむら曰く、迷宮で腐敗が起きないということは、すなわち雑菌がいない可能性が高いらしい。

 地上で生活をしていれば周囲は細菌だらけだ。土にも水にも空気にも、なんなら自分の皮膚にも体の中にも、どこにでもいる。だから腐ってしまう。


 迷宮に流れる水路の水は普通に飲めて、腹を壊したりはしない。生水でもまったく問題無しだ。さらにいえば魔獣の死骸は生肉でも食べることができてしまう。いまのところ鮭以外はイヤだがな。トマトやキャベツは別として。

 そもそも相手は魔獣なんていう謎生物だ。最初から腸内細菌なんて持っていないに違いない。

 要は迷宮に放置した肉は腐らないままでいるか、それとも迷宮に吸収されてしまうかということになる。なんともエコでクリーンな話だ。ふざけているよな、迷宮め。


 命を失ったモノは迷宮に吸われるとされているが、迷宮にとって生命の定義がどこからどこまでなのかは定かではない。もしかしたら体の表面や服についている雑菌まで吸収してくれているかも。

 突き詰めると迷宮にいれば風邪をひかないですむのかもしれないな。ウイルスなんて絶対居なさそうな気がするから。



 むしろ迷宮に入る人間や装備品の方が余程不潔なんだろう。

 キッチリ手洗いをしてナイフも熱で炙っておけば、食という意味では本当に安全にすごせるのが迷宮という場所だ。魔獣が出なくて一日中明るいのさえなければ、それこそ最高の住環境になるかもしれない。すごいぞ、風呂とトイレまで完備だ。


 過酷で清浄な空間、それが迷宮。カッコいいフレーズだと、自分としては気に入っている。清浄だったか静浄だったか?



「いやあ、珍味としてなら食べることもあるんだけどね。これはなかなかだよ」


「美味しい、ですよね」


「もちろんさ。ほらシライシくんももっと食べなさい」


「は、はい」


 迷宮でハイテンションになっているシシルノさんは、なにが起きても楽しいようだ。今も元気にモツ煮を食べながら白石しらいしさんに絡んでいる。すぐ傍に複雑そうな野来のきがいるが大丈夫、たぶんシシルノさんはその辺もわかってやっているぞ。

 そもそも野来も気に入られている方だ。あとはなぜか草間くさまも。シシルノさんは大人しいのを相手にするのが好みとみた。



「やっぱり正解だったわね」


「面白いこと思いつくよな、綿原さんたち」


「前々から思ってたのよ。それで美野里みのりと一緒にアーケラさんたちに相談してみたの」


 自慢げに笑う綿原さんは、相変わらずモチョっとした表情だった。


 モツの扱いについて発案してきたのは綿原さんと上杉さんだ。綿原さんはコンビニの娘として、上杉さんは小料理屋の跡継ぎとして、フードロスを許せない部分があるらしい。

 だからといって城下町にモツは流せない。さっき上杉さんが言っていたように魔獣のモツ、今回はウサギだが、その内臓は地上に持ち出すと簡単に腐ってしまうらしい。迷宮の中で【冷術】を使って凍らせればそこそこ長持ちはするが、術師がそこまですることかという話になる。

 普通に肉を食えばいいだけのことだから。


 シシルノさんの感想にあったように、王都の料理としては珍味扱いらしい。それだけに調理の研究もあまりされていないようだった。

 魔獣の内臓などと蔑まれているらしいが、肉も胃袋も同じようなものだろうに。


 自分で倒して解体までやるようになってしまった一年一組は、もはやジビエと同じレベルで魔獣肉を捉えている。奪った命を余さずに、とかいうきれいごとではなく、単純にもったいない精神が発動しただけだ。それとホルモンは美味しいわけだし。



「味噌と醤油が欲しいな」


「そうね。スパイシーなのは悪くないけど、ちょっと違うのよね」


「米はあるのになあ」


「材料は大豆でしょ?」


「それと麹な。ソレが難しいはずなんだよ」


「異世界あるある?」


「そうそう」


 綿原さんとなんとなくな会話をしながら辺りを見渡せば、概ねみんなは楽しそうにしている。

 ごく一部、モツが合わない兵士がいるのと、我らが滝沢たきざわ先生が悲しそうに表情を歪ませているくらいだ。先生、アルコールが恋しいんだろうなあ。山士幌に戻ったらクラスの全員で予算を出し合って、『うえすぎ』で先生を接待してあげるっていうのもアリかもしれない。

 異世界話を聞かせてあげたら上杉さんの両親も驚くことだろう。俺の場合はその前に母さんと心尋みひろにか。



「八津くんもそろそろでしょ?」


「たぶん。あと五、六体かな」


 俺がちょっとしんみりしているのに気付いたのか、綿原さんの話題が階位に転がった。


 今日ここまでで六階位になれたのは、委員長、上杉さん、夏樹なつきと疋さんの四人。残るは俺と深山みやまさんだけだ。たぶん夕方までにはなんとかなるだろう。

 ビシバシと魔獣を倒しまくっているミアはもちろんだが、前衛組も遠慮をしていない。まだ七階位は登場していないが、こちらもなんとかしておきたいところだな。


 迷宮の一層で三から四階位にするのに苦労するのと同じように、二層では六から七が壁になる。八階位はムリ。裏技というか強引な手段も考えてはいるが、まずは全員の六階位とアタッカー数名の七階位が絶対条件になる。


 とはいえまだまだ時間はある。

 今は上杉さんたち料理班に感謝しながら迷宮メシを楽しむのが先決だ。笑顔の綿原さんと並んで食べるモツ煮は微妙にチープで異国風だけど、どこか日本の味がする気がした。


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