第121話 おすそわけ




「どんな感じだい?」


「濃いな。区画によっては倍以上かもしれない」


 ヒルロッドさんの質問に答えたのは王国第一軍、通称王都軍所属のとある部隊の分隊長さんだ。


「そうか……」


「俺たちも、もう上がりだ。そっちと取り合いにならなくて気楽なくらいだよ」


「すまんな」


「なあに近衛優先は決まりごとだ。言っても仕方ないだろう」


 会話から伝わってくる主旨は二つ。

 ひとつはやはり魔獣の数が多いということ。倍以上というのは、いい意味でも悪い意味でも聞き捨てならない。


 もうひとつは近衛というか、俺たち一行への配慮だ。

 最低でも騎士爵というオール貴族で構成されている近衛騎士団は、王国軍の中でも筆頭格とされる王都軍より上位扱いになっている。そんな中でも教導騎士団たる『灰羽』は、迷宮での行動順位が最上位だ。かち合えば、ほかが避けるルールになっている。

 さらには向こうも気付いているだろうけれど、ヒルロッドさんは勇者を率いているわけで、この状況で狩場を譲らないなどありえない。そういう依怙贔屓みたいのは好きではないのだけど。



「さっきの部隊はほとんど無視だったのに、やっぱり人によって違うのね。あっちの隊長さんの性格かしら」


「そんなものなんだろうな。『黄石』にもジェブリーさんみたいな人だっていたんだし」


「気さくなおじさんだったわね、あの人」


 向こうに聞こえないように綿原わたはらさんとコソコソ話しながらも、全体の見渡しは忘れないように気を配る。迷宮に入ってからずっとこうしているけれど、【集中力向上】が仕事をしてくれているのか、さほど疲れを感じないのが幸いだ。


 綿原さんの言う『さっきの部隊』というのは一時間くらい前にすれ違った、これまた王都軍の部隊のことで、そっちは軽く頭を下げただけでほぼスルーされてしまった。

 まあたしかに隊長クラス以外は平民が大多数の王都軍からしてみれば、俺たち勇者一行になど関わりたくないというのは理解できる。


 そしてそういう扱いを受けた俺たちが傷つかないわけでもない。

 線が細いタイプの夏樹なつき野来のきなんかは、それなりにショックを受けた顔をしていたな。



 これこそが俺たちが迷宮に入る間隔が空いた理由だし、その弊害だ。


 目の前の話題に出てきたように、昨今のアラウド迷宮は魔力の関係か魔獣が増えている。得物には困っていないのは事実だし、魔獣を倒せる人手が多いに越したことはない。


 けれど王国側は当初、俺たちの存在をあまり大っぴらにしたくなかったようだ。それこそ離宮に隔離しているくらいには。今になって考えてみると帝国が関係していたり、【聖術師】やハウーズみたいな身内の敵も多かったのが理由だったと思う。

 迷宮に慣れていない俺たちを気遣ってという側面はあっただろうが、そちらの要素はどれくらいだったのやら。



 お陰で俺たちが迷宮に入る日程には王都軍が遠慮をする形になってしまっていた。

 そのくせ転落事件で緊急動員されたわけだから、王都軍からしてみれば俺たちを腫れ物扱いしても仕方がない。


 年若い黒目黒髪の集団が迷宮を徘徊している。

 それだけでもう、彼らとしては近づきたくない、関わり合いになりたくない理由が満載だ。


「で、あちらがそうか」


「まあ、そうなるね」


 どうやら会話の中に俺たちが登場したようで、こちらとしてもますます居心地がよろしくない。

 相手の分隊長はヒルロッドさんと知り合いらしくお互い気さくな態度は取っているけれど、言葉遣いからは警戒を感じてしまう。


「ふぅん。たしかに黒いな。けれど若すぎだ」


「いい子たちだよ。保証する」


 黒いとか言っている分隊長だけでなく、あちらの部隊全員が俺たちにチラチラと視線を送ってきているのはわかっていた。けっして直視しないようにしているのも。



 今回俺たちが迷宮入りを強要したせいでこうなっているけれど、どうせ転落騒動で王都軍には知られてしまったわけだし、それ以前からも貴族ネットワークから勇者情報はあふれ落ちているのは想像できる。とっくに運び屋たちには知られているのだし。

 俺たちの要望を叶えて歓心を買えることや勇者を鍛えるというメリットと、もはや機能していない情報封鎖を天秤にかけた上で、迷宮内では勇者解禁という流れだ。王女様あたりの判断だろう。

 聞いた話と俺たちの推測が混じっているけれど、そうは遠くないはず。


 こうなった以上、これからも迷宮でたくさんの人に会うだろう。

 できればもう少し気楽な関係になりたいのだけど、あちらの態度を見るにしばらくは難しいかもしれないな。


「ヒルロッドさん。アレをお願いするっていうのは、許されますか?」


「ああ……、たしかにそうだな。構わないよ。君たちの狩った獲物だ。ワタハラが直接話すといい」


「いいんですか?」


「慣例上は問題無いし、皆が見ているからね。いまさらだよ」


 そんな思考に浸っているところで、ヒルロッドさんたちの会話に綿原さんが乱入した。度胸ありすぎだろう。あちらの部隊の目の前で堂々と交渉している綿原さんが眩しすぎる。

 ヒルロッドさんにも思うところがあるのだろう。こちらに華を持たせるつもりか、綿原さんに任せてみるようだ。



「あの、綿原っていいます。よければお名前を。ここにいる人たち以外には言いませんから」


「……王都軍、ヤルバ隊のミハット・ガスティルだ。隠し事をする必要はない。こちらも迷宮内の出来事について、報告書の提出義務があるのでな」


「そうでしたか。すみません」


「構わんよ。ミームス卿が認めているのだ。そういうことだろう」


 話す相手が分隊長、ミハットさんに変わっても綿原さんは物おじしていない。



『わたしね、お客さんに慣れてるのよ。だから迷宮でそういうことがあったら、わたしが対応するわ』


 事前の話し合いで迷宮での行動、とくに戦闘シーンは俺が、それ以外は綿原さんが指示を出すという役割分担は決まっていた。


 それにしたって立派なものだ。相手は親世代くらいの年齢だろう。いや、だからこそかもしれない。

 こういう場合は藍城あいしろ委員長が出張るというのが一年一組のパターンだったけれど、綿原さんの対応は安心感に満ちている。


 視界の端に映る委員長だけど、対応せずにすんだとばかりにホッとした顔をしている。本当に迷宮の中では【聖騎士】に徹するつもりだろう。

 そう仕向けたのが俺と綿原さんだけに文句も付け難い。委員長には負担をかけっぱなしだったからな。せめて迷宮委員としてがんばって、恩返しといこう。



「それでですね、わたしたちはまだしばらく続けるんです。なのであちらの素材、持てるだけで構わないので、引き取ってもらえませんか」


「……まだ続けるだって? もうすぐ八刻だぞ」


 迷宮で狩った素材を譲ると言い出した綿原さんに、チラリと火時計を確認したミハットさんはいかにも不可解という表情を見せた。


 今はだいたい八刻、つまり夕方の四時。地上までの時間を入れれば、普通なら引き上げを考える頃合いだ。これから狩りを続けたところで大した成果にはならないだろう。だからこそあちらも上がりと言ったのだし。


「そのあたりは詮索しないでもらえると助かります」


「わかった。それで、獲物を譲るというのは?」


「そのままです。重たいモノ以外で価値のある部位は抜いてありますけど、丸太と肉が余ってしまって」


 譲れないのはブタ肉の美味しい部分とか、カエルの毒が解けた毒腺とか、これから食べる予定のトマトとか。毎度のことだけどほとんど迷宮の単語とは思えないな。



「勇者様が狩ってくれたと言えばいいのか?」


「好きにしてください。こちらとしては余ったので捨てたことにしますから」


 綿原さんの言っていることは本当だ。ここでこの人たちに会わなければ、持ち帰りにくい素材は『捨てて』いただろう。今日はこのあと運び屋には地上に戻ってもらう予定だけど、それでも明らかに獲物が多すぎる。


 そして軍の規則ではノルマを超えた獲物にボーナスが付くのを、俺たちは知っている。

 迷宮に魔獣が増えている現状を考えれば、少々持ち帰った素材が多くても不自然にはならないだろう。綿原さんはそこまで見越して話をしている。


「……適当にもらっていく」


「ありがとうございます。助かりました」


 押し売り成功の幕だ。さすがはコンビニの娘、それともこの場合は営業かな。


 俺たちは捨てた。むこうは拾った。それだけだ。

 どこぞの冒険者モノのように獲物の奪い合い、強奪なんていうのは、国軍が狩りをするアラウド迷宮に限ってあり得ない。いや、貴族のお偉いさんならやりかねないな。今回は逆パターンだけど。



「ったく、若いクセして手慣れてやがる。娘の育て方には気を付けないとな」


 負けを認めたのか、ミハットさんの口調が崩れた。心持ち首が傾いて姿勢が悪くなっている。そっちが素なんだろう。

 それと、綿原さんは良い育ち方をしている娘さんだぞ、念のため。


 そんな隊長の姿を見た部隊の人たちが囃し立てて、振り返ったミハットさんが怒鳴りつけている。

 普段はたぶんそういう空気でやっているのだろう。


 今回の件が少しでも今後につながるといいのだけれど。俺たちは悪い勇者じゃないよ?


「娘さんがいるんですか?」


「ああ。まだ八歳だがな」


「……そうですか」


 セールストークが終わったかというところで、綿原さんはさらにもう一歩を踏み込んだ。

 世間話、しかも娘さんの話題でさらに懐柔するつもりか。



「それなら、これを」


「なんだこりゃ」


「サメです」


「サメ?」


 ヒップバッグをガサゴソとして迷宮のしおりを取り出した綿原さんは、そこから一枚の紙を抜き出してみせた。そこに描かれていたモノは──。


 綿原さんご自慢のデフォルメされたサメのイラストだった。

 表紙だけで飽き足らす、一枚絵にまでしていたとは。そしてこの場でそれを渡すという行為が意味するところは明白だ。


「娘さんへの贈り物です」


「これがか?」


「贈り物ですから」


「……そ、そうなのか」


 綿原さんが発するサメオーラが濃いな。ちなみにミハットさんたちの前で【鮫術】は使っていない。


「それくらいの世代の女の子なら、大喜びすること間違いなしです」


「そういうものなのか? 本当に?」


「はい」


 大嘘をキッパリ言い切る綿原さんの根性がすごい。

 事情をわかっているこちら側の面々は、ただ静観するのみだ。口出しなどできるはずもない。



「それにいつか」


「ん?」


「勇者が描いたモノだと、もしかしたらそういう価値が付くかもしれません。だからコッソリ扱ってくださいね? 娘さんのお名前は」


「ハーナ、だ」


 娘さんの名前を聞いた綿原さんはペンを取り出し、イラストの端にスラスラと文字を追加していく。


「できました。どうぞ」


「これはなんだ?」


「わたしたちの故郷の言葉です」


【観察】のお陰でギリギリ見えたそれ。


『ハーナ・ガスティルさんへ。綿原凪』


 がっつり日本語で、そう書かれていた。


 ソレをミハットさんに手渡した時の綿原さんの笑顔は、はたして営業スマイルだったのか、それとも心からのものだったのか。会心という言葉の意味を再確認させてもらった気分だった。



 ◇◇◇



「なあ綿原さん」


「戦闘中よ。手短にお願いね」


 まあたしかにそのとおりなんだけど。


「前線は安定してるから大丈夫だよ」


 ミハットさんたちに素材と、ついでにイラストを押し付けてからだいたい一時間くらい。俺たちはまだ戦っていた。

 とはいえ運び屋たちにはもう少しで帰ってもらう予定なので、夕食前はここらが切り上げ時だろう。


 今の段階で五階位になれたのは順に、白石しらいしさん、田村たむら上杉うえすぎさん、奉谷ほうたにさん、中宮なかみやさん、はるさん、海藤かいとう。回復役と完全後衛、それと殲滅力のためにアタッカーを優先した結果だ。

 今日の内にあと一人か二人、クラスの半分くらいを五階位にしておきたいけれど、これまでにない長丁場になっている。疲れとかは大丈夫だろうか。

 このあとの予定では夕食のあとにも戦闘だ。可能かどうか、食事をしながらみんなと相談だな。



「さっきのアレって、まさかと思うけど」


「ただのプレゼントよ。こういうところで点数を稼いでおくのが大切だと思うの」


 そうなんだろうとは思う。どんな形であれ付け届けというのは悪い手ではないし、現時点では素人の絵だ。価値がないというのが素晴らしい。

 希少価値があったり値の張るモノ、ほかにも地球由来の品なんていうのは、受け取る側が困るだろう。ヘアピン一本ですら、危ない。


「イラストを渡すのは良い手だと思うよ」


「でしょう?」


 アレなら素材的にはこっちの技術オンリーだ。素人絵だから知識チートにもなり得ない。

 気軽に料理のレシピとかの概念系で価値あるモノを渡すのなんて、こちらの社会常識を考えれば迷惑以外の何者でもないから。


 大丈夫だよな? サメの絵ごときで美術史に革命が、とかにならないだろうな?

 いやいや、異世界にマンガの概念を持ち込んで大儲けとか定番ネタだろ。


 ヒルロッドさんやメイドさんたちが見逃してくれたんだ、大丈夫だと思い込むことにしよう。

 それともうひとつ。



「綿原さんさ、もしかしてサメの布教活動?」


「なんのことかわからないわね」


「そうなんだ」


 真っすぐな目で俺を射抜く綿原さんだけど、普通なら目を逸らしてわかりやすくするシチュエーションじゃないだろうか。

 口元がモチャっとしていて、丸わかりになっているのが惜しいところだ。


「来るわね。ウサギが二体抜けてきたわ。わたしは前に出るから」


 それだけ言い残して綿原さんは駆け出した。すでに夏樹なつき笹見ささみさんが動いているし、レベリング優先はあっちなのだけど。

 まあいいか。



「アハハ。ボクもあとでなんか描こうかな」


「あ、わたしも」


 話を聞いていた奉谷さんと白石さんまで変なコトを言いだした。

 もしかしたら今後、勇者のイラストがそこいら中に出回ることになるかもしれないな。


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