第343話 依頼を受けるのはいいのだけれど
「迷宮、ですか」
「はい」
少し考え込むようにしてからアヴェステラさんは迷宮という単語を口にした。そしてさらに思考に
もしかしたら、混乱している今の状況で『緑山』を迷宮に入れたくないのかな。俺にもいくつか理由が思いつくし。
だけどこちらにだって言い分がないわけではない。これから五日もただ待たされるというのは、時間を持て余す。というか、勿体ないじゃないか。
周りは話題をぶった切るような俺のセリフに呆れてはいるようだけど、日本への帰還を望む一年一組としては、それでもやっぱり迷宮に入っておいた方がいいと思うのだ。
続けて幾人かの仲間たちが表情に納得の色がみえるようになる。
「感傷に浸るのは今だけでいいってのはわかるけどよぉ、いきなりすぎだろが、
こういう会話には滅多に自分から参加してこない佩丘が、ため息を吐くようにツッコミを入れてきた。
同時に俺が話の流れをぶった切ってしまったことにも気付く。アヴェステラさんは真っ当に受け止めてくれているようだが、やらかしたか、俺。佩丘にまで指摘されて焦る俺だが、すでに手遅れだ。
「いいんじゃないかな。五日『も』日程が空くんだし」
そこに入る委員長のフォローが身に染みる。
一生とは言わないが、高校生をやってる間はついていくよ。将来町長選挙に立候補するなら投票だってしてやる。なるほど、こういう細かい気配りが選挙で勝つ秘訣なのか。
という明後日な思考はさておき。
「明日からっていうのは無茶ですし、残り五日という前提で、明後日から一泊二日くらいでどうでしょう」
勢いで言い出しっぺになってしまった以上、発言の責任は取る。迷宮委員っていうのもあるしな。
本当なら二泊三日と言いたいところだが、一泊だけなら戴冠式の前日を空けておくこともできる。もしも式典でセリフとか役回りがあるなら練習する日程にもできるはず。これならどうです? アヴェステラさん。
俺のすぐ傍で紅白サメが首肯してくれたので、同じく迷宮委員な
「みなさんなら五日の猶予と聞けば迷宮を話題にするだろうとは考えていました。このあとで説明するつもりでしたが、結論だけを申し上げるなら、現在のアラウド迷宮にはまともに人手を回せていません」
アヴェステラさんは想定内だと俺をフォローするような口ぶりだが、同時にアラウド迷宮の混乱状況について言及してきた。
「二層、三層における最低限の安全確保がなされているだけですね。単純に戦力が足りていないのです」
「ふむぅ」
苦い表情になったアヴェステラさんの言葉に、寡黙な
とはいえ、軍事に詳しくない俺ですら、今の迷宮がヤバいことになっているのは想像できる。
なにせ昨日のクーデターでは王城のあちこちで大激戦が起きてしまった。とくに酷かったのは王室区画の『黒い
具体的な数字までは教えてもらっていないが、相当数の怪我人や、そして死者も出た。ジェブリーさんなどは片足を失い、上杉さんの【聖導術】がなければ、かなり不自由な生活を送ることになっただろう。
心が軋む話だな。現状では確定した数が出ていないからという理由で俺たちには伝えられていないが、それもアヴェステラさんたちの気配りなのはバレバレだ。
俺たちが関わった迷宮はむしろ平穏な方で、近衛騎士総長率いるベリィラント隊とパラスタ隊が『緑山』と怪獣大決戦をやったわけだが、迷宮全体としてはなんと死人はゼロ。後遺症が残るような怪我人は一人もいなかったらしい。
目立った損耗としては行方不明者が一名。他ならぬ総長本人なので、損耗とは言いたくないな。
当日の迷宮には日和見陣営が多かったことと、そこに乱入した総長一行は女王様を追うのに力を入れていたらしく、道中での障害は適当に蹴散らしてスルーしたのが被害を少なくした要因だったようだ。
「『紫心』と『白水』は機能していませんし、『紅天』は王室の警護で手一杯です。王城全域は『蒼雷』と『黄石』の信用できる部隊に任せていますが、潜伏している敵対派閥も残されています。王都軍ですら敵味方の色分けをつけている最中ですね」
アヴェステラさんの説明からは王城の苦境が伝わってきた。
俺などはクーデターが成功して良かったくらいの感覚だが、事態はまったく終息していないということだ。
地上の混乱を他所に現在の迷宮には魔獣の群れが残されているが、ここのところの積極的な狩りで、二層と三層の重要区画は比較的安全が保障されている。一日や二日くらいの休止ですぐさま迷宮が魔境と化すようなことはないだろう。
となれば地上を安定させる方がはるかに重要なのは明らかで、迷宮に降ろす戦力を最低限にするのは当たり前の判断だ。
そんな状況にも関わらず俺が迷宮に入ろうと提案したのは、迂闊すぎたかもしれない。なんかアヴェステラさんに申し訳ないことをしてしまったな。困らせるつもりはなかったのだけど。
「全体で動けている人数はどれくらいなんすか?」
コトが戦力ということもあり、やはり馬那はその辺りが気になるようだ。迷宮に偏った俺の考えとはべつに、全体の状況を確認しようとしている。
「現状では近衛で二割、王都軍で三割くらいでしょうか。二日あれば四割と六割に持ち込めると見込んでいます」
「それって、負傷者の回復とかじゃなくて……」
「はい。女王陛下に恭順の意志を見せる者の数ですね」
せっかく軍事っぽい話だったのに、アヴェステラさんの返答で、事態はむしろ政治であることがあからさまになってしまった。心持ち馬那の勢いが弱くなったような。
政権転覆が成った今、騎士も兵士も、官僚たちも、自分の折り合いと実家の都合がつくならば、女王様に従うのが明らかに無難な状況だ。心証をよくするためには一刻も早く。
ただでさえこれからは、元からの『第三王女派』が幅を利かせることになる。どれくらい『宰相派』の首が切られるかはわからないが、そのあたりの損得勘定は貴族だからこそ敏感になるのだろう。
「加えて近衛騎士総長が迷宮で行方知れずのままです。たとえ『緑山』とはいえ。ですがそれでも──」
総長の名前まで出してネガティブさを醸し出していたアヴェステラさんが、最後の最後で自分の発言を覆す言い方になった。あれ?
「そこで、俺たちだね」
「ヒルロッドさん?」
「戦力が、無いわけでもないんだよ」
あらかじめ打ち合わせをしていたかのように言葉を引き継いだのはヒルロッドさんだった。
綿原さんが驚いたような声を上げ、一緒になって紅白サメがピクリと跳ねる。
「君たちは知らないだろうが、どうやら『灰羽』は最初から女王陛下の味方だったらしい。俺も知らなかったんだけどね」
「はい?」
ヒルロッドさんからもたらされた信じがたい新情報に、綿原さんの声が軽く裏返った。
「ウチの団長、ケスリャー・カー・ギッテル男爵閣下は、女王陛下の行動に最初から賛同していたらしい。俺の認識では総長にベッタリだった記憶があるのだけれどね」
そう言ったヒルロッドさんの目には、これまでに見たことのない複雑な色が混じっていた。
ああ、そういう意味ね。
「無傷なんだよ。『灰羽』は」
今回のクーデターで全く損害を出さなかった近衛騎士団は、どうやら二つあったらしい。
ひとつは長い正式名称は忘れられた、我らが『緑山』。怪我人こそ多数出したものの、すでに全員が完治している。
そしてもうひとつは第六近衛騎士団『灰羽』。またの名を教導騎士団。
グチにも近いヒルロッドさんの説明によると、なんとこちらの騎士団、近衛を名乗っているはずなのに王城で起きた騒乱をほぼ見て見ないふりをしてのけた。動いたのはミームス隊とヒルロッドさんの説得に応じた平民上がりの騎士爵だけで構成された、合計三部隊だけ。
ミームス隊は隠し通路から『黒い帳』を襲撃して、ほかの部隊は行政区画の鎮圧に動いたそうで、そちらも軽い怪我人が出ただけで済んだらしい。
たしかにハシュテル騒動のお陰で『灰羽』はすっかり信用を失っていたわけだが、それにしたって完全な傍観はすごい。上位貴族関係者の訓練をすることもあるから、そこそこの格と強さを持った騎士だっているはずなのに。それこそハシュテル隊みたいなのが。
もし元第一王子、というか総長が勝っていたら、はたまた宰相が勝利者だったら、すかさず擦り寄って同じことをしたんだろうなあ。イヤな意味ですごいな、ケスリャー団長は。
「『灰羽』団長、ギッテル男爵は昨夜遅くに女王陛下に謁見し、これまでと変わらぬ忠誠を誓いました」
「それって通るんですか?」
ネタばらしを終えて半笑いのアヴェステラさんに、委員長が怪訝そうに問いかける。
「しばらくは。最低でも五日は通ると思いますよ?」
「ああ、そういう」
アヴェステラさんの笑みが深くて怖い。それを見た委員長も黒い笑い方になっているし。
式典だけとはいえ女王の戴冠式で、たぶん新しい人事が発表されることになるのだろう。近衛騎士総長、宰相、軍務卿、ほかにもたくさんの部署に穴が空いたのだ。そこを埋める必要が出てくる。
あの女王様のことだ、もしかしたらケスリャー団長をうまい具合に使いこなすかもしれない。うん、俺はそんな気がする。
そんなことは委員長とアヴェステラさんもわかっているか。それを含めての邪悪笑顔なのだろう。
「そんな『灰羽』は教導を中止して王城警護を担当しているが、なぜか余力があるんだよ。ならば迷宮の異常に立ち向かう『緑山』に協力するのはやぶさかじゃないだろう? ましてや俺はココの顧問なんだから」
「ヒルロッドさんってそういうキャラでしたっけ?」
「『きゃら』というのが何を意味するか、なんとなくわかるのが楽しいね。ウチの団長としては君たちを擁する女王陛下と出来る限りおもねっておきたいのさ。今後のこともあるからね」
随分と饒舌で説明っぽいヒルロッドさんのセリフだが、言っていることは明解だ。
五日もの空白を与えられれば俺たち勇者は絶対迷宮に潜りたがる。ヒルロッドさんは女王様に命じられて、それをサポートしろと言われていたのだ。
ネタバレまでにアヴェステラさんが見せていた苦しげな様子は、実態としては本当だけど、俺たちに対するプレゼントを隠していたってところか。粋なことをしてくれる。
「ミームス隊から一分隊を出そう。分隊長はお馴染みのラウックス。もちろん俺も一緒だ。いいかな?」
「はい!」
久しぶりになるヒルロッドさんとの共闘だ。クラスの全員が元気に返事をした。
◇◇◇
「迷宮に入る決定をされたところで、みなさんにお願いがあるのです」
それは実にアヴェステラさんらしからぬ、妙にオドオドとした口調だった。
明後日からの迷宮が確定し、なんとなく弛緩した空気が談話室に流れている中での発言なのだが、さっきまでとは違う意味でどこか様子がおかしい。こんどは無理難題とかだろうか。
そこでチラっとアヴェステラさんの視線が走るのが【観察】できた。向かった先は俺と、
「実はですね、大変申し上げにくいのですが、女王陛下が、その」
用件は女王様絡みだったようだ。
迷宮に一緒に入りたいとか、もしかしたら総長を探し出せとかそういう依頼だろうか。それにしてはアヴェステラさんの口調がたどたどしい。
「……今朝になって【身体強化】が候補に現れている、と。できるならば十階位となり、取得したいと仰せなのです」
なるほどなるほどなるほど。だから俺と夏樹を見たんですね、アヴェステラさん。
「八津、くん……」
なんで綿原さんは痛ましいものを見る目でこっちを向いているのかな?
クラスメイトたちもだ。なぜ俺と夏樹をそんな目で。
いやいや、実に素敵な話じゃないか。王女から女王になってクラスチェンジかな?
俺としては【身体強化】を身につけてパワー系巫女になるよりも、できれば【召喚術】とかを生やして山士幌への帰還手段になってくれることを期待していたのだけどなあ。
おっと、このネタは二回目か。動揺しているようだな、俺。
いまさら当たり前だが【身体強化】は前衛職なら普通に生える技能だし、誰もが最初に取得する定番中の定番だ。レアでもなんでもないどころか、持っていない前衛など、まずいない。
後衛職に生えるのはたしかに珍しいが、ウチのクラスなら綿原さんや
女王様に出現したって、それがとんでもない異常事態では……、ないんだ。
「僕はねっ、八津くん」
「な、なんだ、夏樹」
ショックこそ受けはしたが、女王様のレベリングに異存はない。そう言いかけたところで、夏樹が叫ぶように俺に語り掛けてきた。
「羨ましいって気持ちを隠すのは無理でもさっ。それでも応援しないとダメじゃないかって、思うんだ!」
「夏、樹……」
「じゃないとさ、応援される側になんて、なれないじゃないか」
「夏樹、お前」
「僕だってすぐに【身体操作】を取るし、【身体強化】だっていつかはって思ってるよ。そのためにはみんなに応援してもらって、階位を上げないと。だから……っ」
「そのとおりだ、夏樹。俺も一緒だ!」
「八津くんっ!」
夏樹の最高な考え方に、俺は全面的に賛同する。
お互いの肩に両手を置きあい見つめ合う俺と夏樹の姿を、クラスメイトたちはさぞ羨ましく見ていることだろう。
この友情は、山士幌に戻ってからでも永遠だ。
「なんだあの茶番」
「青春ってヤツデス!」
「
「八津って、無理してるよな、アレ」
ガヤが聞こえるが、ここは気にするところではないな。
とにかくここは前向きに考えてみよう。ついでに真面目モードにもスイッチを入れて。
「アヴェステラさん」
「……なんでしょう、ヤヅさん」
「十階位に意味があるってことで、いいですか?」
「その、はい。そのとおりです」
後衛職であっても十階位の【身体強化】持ちならば、訓練次第で七階位の前衛と勝ち負けに持ち込むことすら可能だ。襲われたりなんかしたとしても、守られる側にとって一番大事な逃げ足が格段に違ってくるはず。つまり女王様の守備力がストレートに上がるのだ。
それともうひとつ、十階位という数字自体が意味を持つ。
十階位とは迷宮三層で上げることが可能な限界階位でもある。
近衛騎士になる資格がそうであるように、十階位というのはアウローニヤにおける一流の証ともいえる階位なのだ。貴族騎士が特例という名の抜け道で七階位なのは見なかったことにしておこう。俺たち『緑山』も同じ手口で騎士になったので人のことは言える義理ではないからな。
ここのところ十三階位とか、果てには十六階位なんていう化け物と出会ってきたが、本来十階位というのは十分強者の部類になる。
「勇者の後ろ盾と自分の能力だけでなく、階位も使いたい。できれば戴冠式で派手に発表する形で、ですか」
「わかっていただけますか」
納得を前面に押し出した俺の言葉に、アヴェステラさんは深く安堵の息を吐いた。
この国において階位とはステータスだ。能力的な意味ではなく、肩書として。
神授職、そして階位という存在があるからこそ、明確な数字としてその人の力を表してしまう。それを誇示しまくっていたのが、まさに近衛騎士総長あたりだな。だがそれがまかり通るのだから、やはり一定以上の意味があるのだ。
そして女王様は能力のある人だ。知性や政治力、謀略にパラメーターを振り切った感じはあるが、その力で見事勇者を取り込み、その看板を使って王位を簒奪してのけた。
あの人は【身体強化】が出なくても、もしかしたら最初からこうする気だったのかもしれないな。以前の会話では勇者と一緒に迷宮に入る日などやってこない、みたいな雰囲気を匂わせていたのに、アレはなんだったんだ。俺たちの気を引くための演出みたいなものだろうか。
まあいい。
後衛系でしかも戦闘には向かないとされている【導術師】が十階位だ。面白い話じゃないか。
しかもただの接待ではない。本人のレベリングに【魔力定着】を使うことで、十分貢献しているときたものだ。
ハズレジョブを引いたけど、実は使えるスキルがありました。リーサリット女王は主人公属性の持ち主だったわけだな。
実に俺好みだよ。
「いいですね。とてもいい。式典に出席した人たちが女王様の階位を聞いて驚くんです。うん、これは痛快だ」
「や、ヤヅさん?」
「おい八津、落ち着け」
「しっかりしなよぉ~、八津」
「さすがはヤヅくんだ。いい表情をするじゃないか」
「大丈夫よ八津くん、サメを今──」
テンションマックスな俺に方々から声と、ついでに汚れるのを気にしたのか紅白を改め白一色になったサメが飛んでくるが、それすら今は喝采だ。
上げてやろうじゃないか、女王様の階位を。どうせなら十一までやっちゃうか?
あとで正気になってから気付くのだが、この時の俺は、どうやら【身体強化】ショックで混乱状態に陥っていたらしい。
おのれ【身体強化】め、精神面から攻撃してくるなんて卑怯だぞ。
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