第217話 昇る龍




「ほら、りん


「ええ? でもコレって朝顔あさがおちゃんが」


「いーの、いーの。アンタが代表」


 談話室に戻ってきた茶髪ウェーブのひきさんと、黒髪ポニーテールな中宮なかみやさんがボソボソやっているが、なにをしようとしているのかを知っているだけに、俺は心の中で疋さんの応援に回ることにした。

 提案を受けた中宮さんは両手を腰のうしろに回して、らしくもなくモジモジしている。うん、悪くないな。


 よしよし、サメの注意はあっちの二人に向いているようだ。あ、振り返った。


「いいのかな……」


「いいっしょ、いいっしょ」


 暫しのやり取りをしている二人を見ていると、中宮さんも案外女子々々しているものだと思う。

 なんだか野郎は置いてきぼりだが、ほかの女子は頷いてみたり声を掛けてみたり、要は中宮さんにそれを担当しろというノリだ。

 こういう謎の合意形成に時間がかかるあたりが、またなんとも。


「ほら、ヒルロッドさんにも悪いっしょ」


 痺れを切らしたわけでもないだろうけど、疋さんは城下町に家庭を持つヒルロッドさんまで引き合いに出してきた。追い詰めてるなあ。


「あ……、ごめんなさい、ヒルロッドさん」


「あ、いや、構わないよ。少しくらいなら」


 ペコリと頭を下げる中宮さんに対して、ヒルロッドさんは歯切れを悪くして言葉を返す。

 これ以上遅くなりたくないというよりは、どうやら状況を掴みかねているのがよくわかる。事情を知らなければ俺もそうだったろうな。



「いい加減にしなさい、凛」


なぎちゃん」


 そしてついに我らが綿原わたはらさんが動いた。頼もしすぎて怖い。


「わたしが受け持ってもいいのよ?」


「ダメよ!」


「ならやりなさい」


「わ、わかったわよ」


 武力面では他を圧倒しているが、それ以外の場面では中宮さんに対抗できる女子は結構いたりする。空気を読まないミア、聖女上杉うえすぎさん、バッファー奉谷ほうたにさんなどなど。極端を言えば理屈と協調を重んずる中宮さんは、間違ったことでなければ誰が相手でも強く押されるのに弱いのだ。言葉責めというなかれ。



「じゃあ、滝沢たきざわ先生、はい……、これ」


「ありがとうございます。これは?」


 思い切りがいいというか、吹っ切れてからの中宮さんはむしろ淡白だったと思う。手にしたブツを押し付けるかのように先生に無理やり握らせた。

 先生だってとっくにわかっているのだろうけど、状況的に聞き返さざるを得ないに決まっている。


「アタシたちからの送りもの~」


 なぜかあうあうしている中宮さんに代わって、めちゃくちゃ明るい表情の疋さんがハッキリと言い放った。


「そうですか。これが」


 先生が手にしているのは、一年一組の『帰還章』と同じ大きさの紋章だ。ただしデザインは違っている。


 サイズと材質が同じなら、銀の縁取りと金のモールが付いているのも一緒。

 だが、全体は一見すると青い。青から水色を使ったグラデーションを背景に、真ん中にはうねるように頭を上に向けた青緑色の蛇が描かれている。とはいえその蛇には小さな手足が存在して背びれらしきモノを持ち、頭からは一対の角が生えていた。

 すなわち『龍』。翼があって太い足を持つ西洋竜のイメージではなく、昔話アニメに出てくるような、東洋龍というのが俗な表現になるかもしれない。恐怖や力の象徴ではなく、そこにあるのは畏怖や尊崇だ。


 横から見れば空を舞うように、本来の縦から見ればまるで『滝を昇る』ように、そんな龍が丁寧に、本当に驚くくらい緻密に刺繍されていた。


 そんな龍にまとわりつくようにしている白い粒が『二十一個』。



「それがタキザワ先生の『紋章』なのですね。完成していましたか」


「当たり前っしょ。先生に渡すんだから、間に合わないなんてアタシが許さないし」


 みんなに見えるようにと先生がテーブルに置いた紋章を見て、アヴェステラさんがほほ笑む。

 それに対する疋さんは、それはもう自信満々だった。頑張ってたからな。



 ◇◇◇



 先生が男爵になると明確に示されたのは、たしか前々回の迷宮での帰り道だったと思う。あれを言ったのはシシルノさんだったはずだ。六日前ということになるか。


 その段階でこの国の貴族制度をある程度知っていた俺たちは、変な部分で盛り上がった。

 建前上の貴族の義務とかそういうのはどうでもいい。それより先生は名前をどうするのだ、と。



 この国の公式文章では、今のところ俺たちは苗字プラス名前で記載されている。綿原さんはあくまで『ワタハラ・ナギ』だ。

 それでも騎士叙勲に従って貴族になるとなればアウローニヤ風にしてほしいと、アヴェステラさんから『お願い』されてしまった。こちらとしては嬉しくもなんともないが、貸しひとつだと思えばそれでいいかと受け入れたのは当然だろう。大したこだわりがあったわけでもないし。

 明日の式典をもって俺は『ヤヅ・コウシ』から『コウシ・ヤヅ』となるわけだ。


 ここで注目なのが『コーシ』ではなく『コウシ』という部分だろう。一年一組はそこだけは譲らなかった。発音は大事なのだ。いいね?

 例外としてミアだけは『ミア・カッシュナー』だが、最初っから『加朱奈』をカッシュナーと発音していた彼女だ、むしろ願ったり叶ったりらしい。両親が日本に帰化する前の苗字だものな。



 で、そこで問題になったのが先生のミドルネームだった。


 この国の制度では騎士爵より上、男爵からが本物の貴族として扱われる。その中でもしっかり跡を継げる血統貴族と一代貴族が混じるわけだが、ここでは置いておこう。

 そんな貴族家当主、もしくは嫡子として認められた者はミドルネームを持つのが通例だ。なんでも俺たちが理解している大陸共通語のフィルド語ではなく、アウローニヤ独自のアウラ語を使っているらしい。


 初登場のアウラ語だが、使っているのは王国貴族の上流層だけで、歴女の上杉さんや古典に詳しい中宮さんにいわせると、古いフィルド語じゃないだろうかという話だった。中宮さんに古典女子という新しい属性が追加されてしまったぞ。



 ちなみにミドルネームとはいっても宗教的意味ではなく、むしろ習俗と言った方が適切だろう。たとえばこの場にいる人だと、アヴェステラさんがアヴェステラ・フォウ・ラルドール子爵で、『フォウ』というのはアウラ語で『楚々とした』という意味に近いらしい。おばあちゃんと同じなんだとか。


 だが我らが滝沢先生はミドルネームを断った。

 本来ならショウコ・なんちゃら・タキザワ男爵という名前になるはずなのだが、俺たちを置き去りにしてまで名乗りたくない、と。


 滅多にそういうコトを言い出さない先生の決断に王国側は焦った。幸いなのかマズかったというか、ミドルネームを名乗る件について、これがなんと王国法で定められていなかったのだ。

 こういう法律があるのだからそこをなんとかお願いします、などと説得しようとしたアヴェステラさんたちが調べたところ、五百年ぶんの資料をひっくり返してもそういう法律が見つからなかったらしい。単なる伝統文化であったということがこの期に及んで新発見されてしまった。


『歴史的発見じゃないか』


 それを聞いてカカと笑ったシシルノさんは意地が悪い人である。



 けっしてアヴェステラさんはアウローニヤの文化を押し付けようとしたわけではない。周りの目を気にしてくれていただけだ。ただでさえ人種違いの俺たちは、勇者と呼ばれるのと同時に異国人、果ては未開人だのと言われている。そんな蛮族を貴族にしてしまうという今回の行為で、先生がミドルネームを持たなかったらどう言われるか、というワケだ。

 そこに笑いたければ笑うがいいさという先生の意思が立ちはだかった。


『先生、文化を軽く見るのは危険です』


 そこで動いたのは歴女聖女の上杉さんだ。現地の文化風習を甘く見るのはよろしくない、と。アヴェステラさんが希望の光を見出したかのように表情を輝かせたのだが──。


『ですからそれを逆手に取りましょう』


 再びアヴェステラさんの表情が暗くなった。可哀想だな。

 そこで語られた上杉さんの策謀に皆が唸り、そして全会一致で可決されたのだが、それは式典でバラすとしよう。



 アップダウンの激しいアヴェステラさんを哀れに思ったのか、さらにもう一手とばかりに藍城あいしろ委員長が提案したのが、家紋だった。

 この国には根強く家紋の文化が存在している。なにせ貴族は自称勇者の血を引きし者たちだ。血統、家というものがどれだけ重視されているかという話だな。そのクセ俺たちをあざ嗤うのだから意味不明だが、それはまあいい。


 風習とはいえ所詮はミドルネーム。家よりは軽いに違いない。

 クラス一同で説得して先生に家紋を決めてもらうから、それで妥協してくれという案だ。さすがは委員長、落としどころを見極めるのが上手い。

 微妙にアヴェステラさんに対して貸しを押し付けているし。



『みなさんに任せます』


 という経緯で先生から引きずり出した解答だ。


 最初はそれなら全員の紋章を、などと先生は言った。先生の性格を考えれば当然のことだろう。

 それに対する委員長は当然のような顔をして、時間も無いし今回は先生のだけで、各人のは後日検討しましょうとぬかしてみせた。絶対に検討した結論として却下になりましたというやつだろ、それ。


 結果、俺たちはフリーハンドを得たのだ。



 ◇◇◇



「技能の効果も時と場合ですね。みなさんの行動が逐一が見えていては、サプライズが小さくなってしまいます」


「ああ、やっぱり気付いちゃってたか~」


「見ないようにはしていたのですが」


 完成した紋章を見つめる先生がそう零し、軽い感じで疋さんが笑う。


 先生は見ないようにしてくれていたのか。誕生日プレゼントの時もそうだったけど、団体行動が長くなると団結力は上がるのだが、細かいところで弊害も出るものだ。

 それもこれも小さい離宮に閉じ込められているのと技能が悪い。その筆頭が俺の【観察】なのがまた。



 図案自体は『緑山』のようにモメはしなかった。

 先生の名前からストレートに浮かんだからな。中宮さんが空手着で拳を突き上げる先生とか言い出したが、それでは『昇竜』だ。むろん却下。


 キーワードは滝と沢、そして昇だ。


『鯉のぼりだとカッコつかないよなあ』


 などとおちゃらけた古韮ふるにらは、中宮さんに睨みつけられて沈黙した。


 そこで『龍』が登場する。

 そこまでいってしまえば話は早い。滝を昇る龍と、それに導かれる二十一人。あとはソレっぽくよろしく、というオーダーを疋さんは快く引き受けてくれた。



「迷宮の二泊と昨晩。疋さんが使ったのはアレですか」


「はい。誕生日にもらった糸!」


「やはりそうでしたか。本当にありがとうございます」


 図案ができたのが迷宮に入る前日で、ベースになる紋章のもと、つまり銀縁だけで中身は空っぽな革の素材を受け取ったのは迷宮に入る日の朝だった。


 そう、誕生日プレゼントと称して疋さんに渡されたふたつめの品、色とりどりの刺繍糸はこのための仕込みでもあったのだ。伏線っぽくていいな。


 そこから迷宮の中で二泊、地上に戻った昨晩、疋さんはがんばった。


 下地が革製だから慣れない彼女は最初の方でかなり苦戦をしたらしい。

 階位があるから革が相手でもパワーに問題はないのだが、力加減で苦しんだとか。地球から持ち込んでいた針を何本か折ってしまったようだ。それでも彼女はメゲなかった──。


「いや~、【身体操作】の熟練? 上がったっしょ、これ絶対」


 みんなの前でヘラっと笑いながらそう言い切れる疋さんは、チャラ系で実にポジティブな人である。



 長い裏話みたいになってしまったが、そうしてこの紋章、名付けて『昇龍紋』は完成した。

 俺たちの英語教師、滝沢昇子たきざわしょうこ先生にふさわしいと全員が自負する逸品だ。もちろんMVPは疋さんだな。

 ちなみに『昇龍章』でないのは、日本語にした時の音の響き、それだけだ。


「『りゅう』というのかい。君たちの世界の生き物なのかな」


「空想や神話上の生き物です。こっちの『竜』みたいに」


 面白い視点で質問をカマしてくるシシルノさんに、仲良しな白石しらいしさんが解説をしてあげている。


 この手のパターンの物語なら普通にドラゴンとしての竜がいそうな世界なのだけど、あくまで神話の生き物らしい。迷宮十層くらいにならいるかもしれないが、絶対ろくでもないフォルムをしているに決まっている。



「改めてみなさん、ありがとうございます。それとアヴェステラさんには我儘を言ってしまい──」


 本当にそろそろお開きといったムードになったところで先生が立ち上がり、まずはクラスメイトたちにお礼をして、それからアヴェステラさんに頭を下げた。


 先生は常識人だ。社会人として理不尽を受け入れることもできる人だと俺は思っている。

 そんな先生が言い出したちょっとした我儘だが、本当ならば王国の意見を受け入れてしまえばよかったのだ。コブシでもヒジでも、あるいはもっと深く考えてもいいから、適当なミドルネームを付けてしまえば、それで済んだ話だったろう。


 だが先生は、騎士団長という責任と共に男爵を受け入れることはしても、俺たちとの別扱いを嫌った。

 これはそういう小さなこだわりの話だ。おかげで面白い『逸話』が確定しているのもいい。



「いいんです。タキザワ先生のお気持ちは今なら少し、わたくしにも理解できますから」


「それは」


「本当に素敵な関係だと思いますよ。タキザワ先生と、みなさんの間柄」


 優しく微笑むアヴェステラさんの明け透けな物言いに、先生ばかりか俺たちまでもが顔を赤くしてしまう。

 ついでにメイド三人衆やヒルロッドさんはおろか、シシルノさんまでが同じような笑みを浮かべていた。王国側の六人が同じように笑うのなんて、史上初ではないだろうか。


 見ているこちらが気恥ずかしくなる。



 ◇◇◇



「うん、これでいい」


 男子部屋の壁に槍を立てかけた馬那が、納得したように頷いた。


 アヴェステラさんたちが離宮を立ち去り、日本人だけでの打ち合わせも終わった俺たちは、男女にわかれて寝室にいる。


「槍なんて迷宮に持ち込めないし、ソレは当面そのまんまだな」


 槍を見ながら軽い調子で古韮が言うが、そのとおりだな。

 迷宮に三メートル級の槍なんて持っていっても邪魔なだけだし、俺たちは王城警護は管轄外だ。そもそも長槍の練習なんてしたこともない。式典以外では意味のないブツでしかないのだ。



 話し合いの結果、昼間は談話室にクロスさせて設置、夜は男女にわけて一本ずつを寝室に持ち込むことになった。


「『帰還旗』か」


「帰るぞ、俺は」


 皆と一緒にそれを見つめる田村たむら佩丘はきおかが、再確認をするように呟く。

 もしかしたら女子部屋でも同じような会話がされているのかもしれない。


 ここでやっと『帰還旗』が意味を発揮した。武器や式典ではなく、心意気というヤツだ。


「星座が違うのに地球と同じような星、か」


 ふと窓から夜のアラウド湖を見れば、闇のせいで水面と夜空の境界線がわからない。綺麗な星空とソレが湖に反射して上下感覚がおかしくなりそうだが、これはなかなかの光景だな。満天どころか視界全部が星か。


「あ」


 つぎの瞬間、俺の頭の中に小さな光の粒が生まれた。しかもふたつ。


「どした、八津やづ


「あ、海藤かいとう。それがな」


「……技能か?」


「ああ。【遠視】と【暗視】が出た」


 なんでこういうタイミングなのかな。


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