第267話 野望の火種が燃え上がる時
「シシィっ!」
「いいのですよ、アヴェステラ」
シシルノさんのほぼレッドカードな不敬発言を聞き、さすがのアヴェステラさんも語気を荒くしたが、第三王女はそれを軽々と受け流した。
「そしてシシルノ、あなたは楽しい人間ですね」
「お褒めに預かり」
アウローニヤ貴顕の階位が足りていない、迷宮で戦うべきだと主張する王女様に対し、ならばお前の階位はどうなんだと、シシルノさんはそういう風に取れることを言ってしまったのだ。目の前にいる王族に対して。
だけど、そんなシシルノさんを第三王女は『楽しい』と評した。
もちろん王族のレベリングなんて今の迷宮の状況ではもちろんムリだし、平時でも体裁が整うレベルの最低限だろう。王女様が五階位というのですら、ちょっと高いくらいに思う。一層限界の四階位でいいんじゃないだろうか。
いやそうか王女様の場合、巫女的な意味で【魔力定着】と【神授認識】を運用できるくらいには魔力が必要だったと。
政治を取り仕切る側の人間が職責を伴わずに階位を上げてどうすると、多くの人が言うだろう。
それは真っ当な意見だし、俺もそう思う。シシルノさんの煽りは筋違いの暴言に近い。だが、シシルノさんは煽るだけのためにそういうことを言う人だったか?
「わたくしが戴冠して真っ先にしたいこと。迷宮に入る自分の姿を想像するのです。その際は勇者様方とご一緒できれば、どれだけ素敵なことでしょう」
なのに王女様はシレっとそんなことをのたまう。
そこでちょっと気になったのは、そんな日が来ないだろうという雰囲気をにじませているところだ。
王女様が迷宮に入るのが将来でも現実的ではないのか、クーデターの失敗を織り込んでいるのか、それとも俺たち勇者と呼ばれている者たちがどうにかなってしまうのか。
こういうのは一度気にしてしまうと尾を引くから面倒くさい。王女様はどんなパターンを想像しているのだろう。それとも匂わせだけなのか。
「姫殿下はもっと多くの人間が、多くの回数、迷宮に入るべきだとお考えでいらっしゃると?」
「自明でしょう。そうですね、平民への開放には法整備にも時間がかかるでしょうから、当初は腑抜けた宮廷貴族たちを活用したいところです」
「わたしですら九階位になることができました。勇者たちと行動を起こす時には十階位になっていたいものですね」
シシルノさんが王女様をさらに煽るが、宮廷貴族、とくに第一と第二近衛を真っ当に活用するとする意見は正しい、と思う。
ヒルロッドさんやガラリエさんあたりは首を傾げピンときてない様子だ。この国で生まれて、近衛騎士まで成り上がれた二人は明らかな勝ち組だし、それを『正当』なルートに乗って達成したという自負もあるのだろう。
だけど違う。一年一組には王女様の気持ちがわかってしまうのだ。
なにも三層四層で戦わなくてもいい。お飾りの七階位であっても第一の『紫心』や第二の『白水』に一層や二層を任せれば、王都の食糧事情や経済は活性化するだろうし、戦力だって上乗せされる。
俺たちが証明したように、文官系神授職だって迷宮戦闘で役立てることもあるのだし、サポートをしてもらえば、より安定するかもしれない。
ここまでの会話で見えてきた。王女殿下が女王となり最初に手をつけるであろう一手は、これまで以上の迷宮の活用だ。
「この国の抱える構造的欠陥、それのひとつが迷宮に対する姿勢だとわたくしは考えています」
王女様のクーデターが成功したとして、どれくらいの貴族が没落するかはわかったものではない。
その結果として王女様が迷宮への対応を変えるならば、一人の貴族の没落が二人か三人の迷宮探索者を生み出すことにもなるだろう。
法の制限もあるのだからいきなり平民を強くするなどということはできないだろうし、王女とてそれは望んでいないだろう。この政治形態で、変に力を持った平民を増やすのは、たしかに得策だとは思えないしな。
だからこそ現行法でくすぶっている連中を、無理やりにでも迷宮に放り込むことで素材を集め、中抜きを減らし、強兵を育て上げる。
日本では不可能な改革であっても、この世界ならばできてしまう、そんな説得力がある案だと思う。
というか、俺たちも似たようなことを話し合ったことがある。
『本気になればこの国は十階位や十三階位だらけの軍を作れるんじゃないか?』
いつかそんなことを言ったのは軍オタの
もちろん現状でも少数精鋭の形で十三階位以上の部隊は近衛騎士団でも軍部でも抱えている。秘密部隊くらいならほかにもありそうだし。
馬那が言ったのは、しっかりとしたローテーションを組んで、戦術を確立することで十階位の部隊をもっと増やせるはずだという意見だ。
まさに俺たちが成し遂げようとしているように。
だからこそ王女様の抱える苦悶が理解できてしまうのだ。
停滞した状況を少しは打開できる方法が存在しているのに、法律、慣習、貴族の持つ政治力がそれを阻んでいるという現状。それが王女をイラつかせている。
「王女殿下はこの国をより良くしたいと、そういう考えで」
「正確には『真っ当に』……、でしょうか。今が間違っているのであるならば正す必要があると、わたくしは考えているのです。この場にそれをすることができる存在がいるのならば、なおさらに」
委員長の問いかけに王女様は真っすぐに視線を合わせて答えた。
良い国、真っ当な国。委員長と王女様の言う国とは、普通に世界中のどの国でも目指すモノであり、実は実現しにくいものなのだろう。地球の歴史でもそうだったし、アウローニヤを見てリアルでそういう空回りがあることを知った。
「なにもわたくしは、神世の伝承のような万人が何一つ不自由を感じない神国が実現できるとは考えていません。物語のように民を想い、彼らの安寧を第一にするような賢王になりたいなどとは……、とてもとても」
うん、そのあたりは同感だ。
現実的なものの見方というか、そういうのは十年どころか百年を掛けてゆっくり、そしてしっかりと進めるべきことだろうと思う。夢物語が過ぎて民主主義に目覚めるには、この国は未熟すぎる。
そこからの第三王女は饒舌だった。
冒険者動員制度の撤廃。むしろ隣国ペルメッダを見習い優遇制度を作りつつ、アラウドはムリでもほかの三迷宮を開放する。もちろん兵たちをはじめ、迷宮への入場条件を緩和。そのためのサポート体制の構築。
いくつかの税制を改め、離散しかけている村には保障も行う。徴兵についても現状の数字を見直す。諸々。
財源ならあるのだ。日本とは違い……、違うよな? たぶん本当の意味で中抜きをしている貴族たちから奪えばいい。もちろん王室からもだ。
「そのための必須要素、それこそが硬直し、腐敗した現体制の打倒です」
いいな。この人はクーデターで勝利することを目標にしていない。そこから先にある、やりたいことをするのに必要だから、手段としてそれを考えているのだ。
国を良くするための政策を胸に秘めて現体制を打倒するという考え方。政治に疎い俺にはなんともわからないが、少なくとも王女様からは真剣さが伝わってくる。この人は本気だ。
「迷宮と魔力はわたくしたちの味方です。まずはそこを調整することで、国そのものの発展を見込めると、わたくしは考えています」
地球で政治家たちが語るような良いのか悪いのかも難しい細かな話と違い、この世界に魔力と迷宮が存在する以上、王女様の考えは成立しうるように思えるのだ。
このリーサリット第三王女ならばと思わせるなにかが。
いやいや、流されるな。興奮に呑み込まれるのはマズい。王女様にどれだけカリスマがあるからといって、俺の印象だけで現実性を測るのは危険だ。
クラスの話し合いで票を投じるのはいい。心に言い聞かせておくべきなのは、自分は二十二分の一だという意識だ。
「と、わたくしの施策について、いつまでも言い立てても仕方ありませんね」
「いえ、同意できる部分もたくさんありました。勉強になります」
ふと我に返ったように王女様がそう言えば、委員長がソツのない返事をする。
ただし委員長のそれはおべっかだとは思えない。事実、一年一組の連中とシシルノさんは目をキラキラ、一部ギラギラさせている。リアルシムだもんなあ。
このネタについてはオタとゲーマーグループが中心になって、そこに委員長たち頭脳派までが参加して、何度も何度も話題にしたことがあるのだから。
だからこそさっきアウローニヤが人口減少レベルで衰退していると聞いて驚いたし、この国が俺たちの想像以上にヤバいことにも気付かされた。
「殿下、わたくしもここまでは知らされていなかったのですが……」
「言っていませんでしたからね。この場で胸の内を晒すのことこそ、ここふた月、わたくしが抱いていた夢でした」
呆れたように苦言を呈するアヴェステラさんに、王女様はスラリと言ってのけた。なかなか意地の悪いお人でもあるらしい。
ずっと【観察】で表情を伺っていた俺には見えていた。ヒルロッドさん、ガラリエさん、ベスティさん、アーケラさん、そしてなんとアヴェステラさんもついていけていない箇所があったようなのだ。
一年一組以外の人たちはどうしたってこの国の常識に縛られている。シシルノさんがちょっと逸脱しているだけで、もしかしたら王女様のやりたいことを実現させる一歩目は、身内の説得から始まるのかもしれない。
この場にいるような味方側の人たちですら首を傾げているという事実を、王女様はどう受け止めているのだろうか。
俺たちだって明日から学校の時間割が別モノにされたら驚くだろうしな。このたとえは規模が違い過ぎるか。それに一年一組がここにいる時点で、俺たちからしてみれば大転換なわけだし。
そういう意味では他人事だからこそ、王女様の案に対して好き勝手な感想を抱けているのだろう。それで特権を持っていた人たちからしてみれば、たまったものではない変化もあるのだから。
それに、あえてこの場の誰もがまだ触れていない大問題が残されている。クーデターが成功するとかしないとか、そんなものとは比較にならない巨大な問題が。
◇◇◇
「聞かせることのできる相手がいなかったのです」
ポツリと呟くようにした王女様の言葉に、アヴェステラさんとベスティさんが息をのんだのがわかった。
ベスティさんは王女様に救われた立場だし、アヴェステラさんはいわば盟友として横に立っていたつもりだったのだろう。なのにそういう言われ方をされてしまっては。
ガラリエさんは御家の事情なので、ちょっと違うのかな。
「ごめんなさい、アヴェステラ、ベスティ、ガラリエ。あなたたちが頼りないという意味ではありません。言い方を変えましょう。そういう状況ではなかった、わたくしの胸の内に抑え込むしかなかった、そんな想いだったのです」
ほんの少しだけ頭を下げるようにした王女様は言い方を変え、苦笑を浮かべた。
「勇者様方のせいなのです。勇者様方が現れて、驚かされて、もしかして、などと思ってしまったのです」
一転語気が強くなった王女様による酷い言い様だが、誰も何も言わない。非難がましい目すら向けられないだろう。
こっちは明確に被害者の側だ。それでもこのふた月をアウローニヤで過ごし、いろいろな人と交流して、そして昨日今日と王女様の話を聞いた今ならわかる。
「力も手も足りず、時間も押し迫り、だからといって旗を持たないわたくしにできることなどない。やれる事といえば、せいぜいこれ以上宰相に力を付けさせないよう牽制するのが限界だと考えていました」
力が抜けた感じで王女様は自虐を並べていくが、それはつぎへの踏み台に過ぎない。
「出会った当初は夢すら疑いました。ですが勇者の皆様方はわたくしの小さな仕掛けを悠々と乗り越えて、想像もできない程の速さで成果を積み上げていったのです。なにかが起きる度にわたくしの手が広がっていく。策が積みあがる。勝算が見えてくる」
ついには明確な笑みを浮かべて語る王女様が怪物に見える。
「胸の中にあった小さな火がどんどんと膨れ上がり、この期に及んでわたくしはもう、全身が炎に包まれたように感じてしまって……」
座ったままの王女様が顔を俯け両手で自分の胸を抱く。本当に燃えているかのように。
アヴェステラさんとシシルノさん、ついでにアーケラさんを混ぜ合わせて煮詰めたらこんな人間が出来上がるのかな、と、なんとなくそう思った。
一年一組で例えるなら、委員長と上杉さん、そこに綿原さん辺りを合体させたような存在だろうか。完璧すぎて震えがくるぞ。
才能の器に知性と理性と情熱と激情を詰め込んで、そこに努力する時間を加えたらこうもなるのか。
そこに現れた勇者という名の大馬鹿者がフタを開けてしまったと。
「流されんなよ
「わかってる。そっちこそだろが
近くから佩丘と田村の小さなやり取りが聞こえるが、ヤツらも王女の発する熱にヤラれているのが丸わかりだ。
こちらの世界に来てからいろいろなアジテーション、主に先生と
佩丘たちが口に出してまで警戒しなければならない程の圧があるのだ。
なのに、ほへーっとした顔で聞いている
先生や
「わたくしは、リーサリット・フェル・レムトは、善意や正義で事を成したいのではありません。ましてや国を憂いての行動でもなく──」
綺麗な金髪碧眼の美少女は顔を上げ、獣のような笑顔を見せて言った。まるでスイッチの入った時のミアを思い起こす様相だ。
「のちの世において、たとえ簒奪王と呼ばれようとも構いません。わたくしはわたくしの想い描いた野望のために、ただそれだけの勝手な欲望を成就するために、この国を欲するのです」
表情こそ豹変させてはいたものの、決して大きくも荒くもなっていなかった第三王女の語りが終わろうとしている。
「──どうでしょう、アイシロ様、勇者の皆様方。これがわたくしの嘘偽りのない真情です。王位を目指す心の内は、力を持たない小娘の夢想が出発点だっただけのこと、としか」
王女様は年齢通りの微笑みに表情を戻し、俺たち一年一組を見渡しながらけろりと言ってのけた。
「……善でも悪でもなく、ですか」
「ええ、そうです」
深く息を吐いた委員長がなんとか言葉を絞り出せば、王女様はそれに軽く答える。
さっきまでの熱はすでに霧散してしまい、まるで映画を観終わったかのような気分になっている自分に気づいたくらいだ。それくらい王女様は自然体に戻っているし、そもそもさっきまでの熱弁の最中でも、誰一人立ち上がったりもしていなかった。
まるで熱い風が吹き抜けたかのように、だ。
「たしかに、これからやろうとしていることを正邪で表現するのは違うと、僕も思います」
町長の息子として、清濁を併せて吞む世界をチラ見したことのある委員長らしい言い方だった。
「えー、ハルは正義がいいな」
そこに正義のお巡りさんを父親に持つ
「うーん、ダークヒーロー的なアレ?」
「それって、
メガネ忍者な草間が中二チックなことを言い出せば、オットリ系オタク男子の
うん、ウチらしくなってきた。
大丈夫。王女様の熱にヤラれても、一年一組は一年一組のままだし、方向を見失ってはいない。
「ワタシはどっちでもイケるクチデス」
「うーん、先生はチョイ悪系が好きなんっしょ?」
「ちょっ、
「止めなさいよ
こんなものだ。
みんなはとっくに理解している。やらなければいけないことは、やらなければいけない。納得したいからという理屈で王女の心根を聞いてはみたものの、すでに後戻りできる段階はとっくに超えているのだから。
「ただまあ、出てきたのが思った以上の化け物だった、と」
「そうね」
「
「そうかしら?
サメを浮かせた彼女はなんてことはないという風に、飄々とした答えを返す。
中学まででそんなコトを言われた記憶は無いのだけどな。
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