第34話 見えているぞ




「……見えました。見えました、けど」


「……」


 言いよどむ俺の目を見ながら滝沢たきざわ先生は黙って言葉の続きを待ってくれていた。

 その横にはちょっと不機嫌そうな中宮なかみや副委員長が控えている。


「何をされたかは見えました。でも、どうしようもありませんでした」


「身体が反応できなかった、ですか?」


「はい」


 異世界に呼び出されてかれこれ十日。クラスメイト全員で決意して、現状の内魔力で取れるだけの技能を取ったのが三日前だ。それ以来、技能の性能と使ったときの消費魔力を体感して、それぞれのやり方、考え方で熟練度を上げている。


 目の前に先生と中宮さんがいるのもその一環だった。俺はふたりに【観察】の性能調査を手伝ってもらっている。

 召喚された初日に取ってからもう十日以上、ずっと使い続けてきた【観察】はどれくらのことができるのか。それを検証しているところだ。



「ではもう一度いきますよ」


「はいっ!」


 先生が一歩下がって両腕を下げて脱力した。

 決死の想いで返事をした俺の声は、完全に裏返っている。怖いからだ、とてもとても。


「しっ!」


 一瞬だけの鋭い吐息が聞こえたと思った直後、先生は左腕を曲げて『腰に戻していた』。

 まるでこれからパンチを繰り出しますよ、という光景に見えるが、事はもう終わっている。先生はノーモーションで左ジャブを繰り出して、すでに引き戻しているのだから。


 先生が実行した、刹那で一連の動作。その全部が俺には見えていた。


 あえて俺の視界の端になるように、だらりと垂らした左腕が鞭のようにしなって。

 軽く閉じた拳が滑るように左下から斜めに俺のアゴ下一センチくらいを通過して。

 振り抜く前に繰り出す以上の力を込めて腕を引き戻して。

 そのまま腰だめに構え戻す。


 これが先生の成した一連の動作だった。もし本当だったら俺のアゴは拳一個分だけズレていたはずだ。結果は想像したくもないな。



「最初に試した時には自分でも驚きました。明らかに全盛期より速く、精密ですから」


「一階位でコレですか。外魔力……」


 先生はため息で中宮さんは憮然とした表情だ。

滝沢昇子たきざわしょうこの左ジャブ』。死角から飛んでくる速くて緻密な左拳。

 先生を全国大会ベスト4に導いた原動力だと聞いた。準決勝の相手が優勝したらしいから、ヘタをしたら準優勝。


 そんな大学四年時より、現役を離れた今の方が上だというのだから、魔力のある世界はつくづく恐ろしい。

 武術にこだわる中宮さんが反発したくなる気持ちもわかる。



「でも八津やづくんは先生のアレが見えたんでしょ?」


「……うん」


 中宮さんの口調がちょっとキツ目で、俺らしくない返事をしてしまった。


「正確に言うと見えただけ、だよ」


「それでも──」


「いやいや、最後まで言わせてくれ」


 たぶん中宮さんは体が反応できなかっただけとか、階位を上げればとか思ってるのだろうけれど、そういう話じゃない。


「まず、マンガみたいにスローモーションに見えたとかじゃない。パンチが迫ってくる間に色々考え事なんか、する暇もなかった」


 リアル殺気でやられていたら走馬燈くらいは見えていたかもしれないけれど。


「だから金縛りみたいな感覚も無かったし、未来予測めいたこともできなかった」


「それでも見えたって、意味がちょっと」


 食い下がるなあ。



「八津君の瞳は一切動いていませんでした」


「え?」


 先生の衝撃発言に俺と中宮さんが同時に変な声を出した。そんなとこまで観察していたのか。


「それでも見えたということはわたしの【視野拡大】に近いかもしれませんが、いえ、違うのでしょうね」


「はい。視界が広くなったワケじゃありません」


 俺だって一階位だ。微妙に動体視力も上がっているはず。だけどコレはそういうことじゃない。


「正面からアゴを狙った以上、完全な死角にはなっていません。最初から最後まで視野には入っていたはずですね」


「だけど先生のアレは見えるようなものじゃ──」


「そうです。力を持たない意想外からただ速度と打点だけに拘った、それだけの左ジャブです」


 中宮さんは知っているのだろう。先生は簡単に言ってのけたけど、どうすればそれができるのか。どれだけの努力をしてきたのか。

 俺はそんな技を見えたと言ったのだ。



「……八津くん、わたしを見てて」


「へ?」


 中宮さんからすごく男女っぽいセリフが出てきて、声がまたひっくり返った。二回目だぞ。

 そんな彼女は俺に背中を向けて二メートルくらい離れたところまで歩を進める。


「ちょ、中宮さん。どういう──」


 俺のセリフは最後まで続かなかった。


 背中を向けたままのはずだった中宮さんが、いつの間にか目の前に立って俺の目を見ている。そしてさらに、彼女の左手がバックブローチョップみたいに俺の首筋に当てられていた。

 人間というか武術家ってこんなことができるのか。


「で、どう?」


「すごい動き方だった。背中からちょっとだけ倒れるようにして反動をつけたのかな」


「……続けて」


「追いかけるように左脚のかかとだけで床を蹴って、上半身に追いつかせてから右脚を引っ張って」


「……」


「その反動で右脚の裏……、親指かな。そこに力を入れながら反転して──」


「もう十分よ」


 バッサリ解説を打ち切られた。

 まあ俺も話している途中で、これって全部説明するのはヤバいんじゃないかとは思っていたのだけど。



「今のって『北方中宮ほっぽうなかのみや』の奥義みたいな動作なんだけど」


「えっと、その」


「本来なら間合いをもう少し広くして、木刀で首をドカン」


「死ぬって」


 二メートル以上向こう側で背中を見せていた人に、気が付いたら首を斬られていたって。しかもほとんどノーモーションだったのに。

 初見殺しってヤツか。


「そういう技だから。人に使ったことはないわ」


「今やったような気がしたけど」


「素手な上に寸止めだったでしょ。打ち込み完了動作までもっていったら、首が痛かったと思うわよ?」


 痛いですまないだろ! それこそ聖女上杉うえすぎさんの降臨を願うところじゃないか。



「八津くんはどれだけわたしが見えているのかしら」


「あら、中宮さんが楽しそうなコトを言ってるわね」


綿原わたはらさん!?」


 背後から声が聞こえて、俺の背筋がピンと伸びた気がした。

 これで変声三回目だぞ。綿原さんはいつからそこにいたんだ。【観察】は背中が見える技能じゃない。


なぎちゃんならわたしが背中を見せた時からそこにいたじゃない」


「ええ。中宮さんが『わたしを見てて』って言ったあたりから、いたわね」


「そ、そうか」


 なんで俺の選ぶクラスの美人トップツーとしている会話が字面だけなら修羅場っぽいんだ?

 いやいや、確かに俺は綿原さんのことをハズレジョブ仲間として、親しみは持っている。なんていうかあのモニュっとした笑い方も可愛いと思うし、クールな割には会話も結構弾んで面白い人だなと思うことが多い。


 けれどそれは男女の甘酸っぱいナニカじゃないぞ?

 ああそうか、わかった。これは多分アレだ。異世界ハーレム展開ってヤツだ。これじゃあまるで俺が主人公みたいじゃ──。



「なにか妄想しているところ悪いんだけど、八津くん戻ってきてくれる?」


「八津くん、凪ちゃんは神出鬼没だから気を付けて」


「それはないんじゃないかしら」


「事実じゃない」


「わたしは八津くんたちが面白そうなコトをしているから、見に来ただけよ」


「『八津くんたち』、ね」


 やめてくれ。これ以上俺のために争わないでくれ。



「先生」


 もう頼るしかない。


「……綿原さんも、そこまでにしてあげてください。中宮さんもです。男の子をからかうのは、ほどほどで」


 よかった、とりなしてくれた。先生はやっぱり頼りになる人だ。


「残念。ちょっと楽しかったのに」


「ノってあげたわたしも悪いけど、凪ちゃん、今は結構マジメな話の途中なの」


「はいはい。黙って聞いていればいいんでしょ」


 美人ふたりもゴッコ遊びをおしまいにしてくれた。正直助かる。

 高一男子には荷が重すぎるよ。



「では八津君。どうぞ」


「……言い方を変えた方がいいですね。見えたといっても『見えただけ』です」


「そうなんでしょうね」


 先生は理解してくれたかな。中宮さんは……、渋々か。先入観が残っているのかもしれない。綿原さんが鷹揚に頷いているけど、どうなんだソレ。


「俺は中宮さん全体どころか、近くにいた先生も背景も全部見えていた。視界全部にピントが合って、隅っこで何が起きたのかも、それこそ先生の表情まで見えていたって言い方ならどうかな?」


 一瞬『全身』と言いそうになって、ギリで切り替えた。危なすぎる。


「……まあ、ギリギリ納得できなくもないわね。ソレって起こったことを覚えていられるの?」


「ムリだよ。脳が破裂しそうなこと言わないでくれ」


 それならまあいいかって顔をしないでくれ。【観察】が使える方が良いことなのに、変な感情を持ち込まれてもこっちは困る。


「ごめん。ちょっとムキになってたかも」


「いや」


 そして一気に態度を変えないでほしい。俺が悪者みたいな気分になるじゃないか。これだから女子はズルいんだ。


「考えてみたら『見えてる』だけですごいわね。あっ、そうだ。身体強化系の技能を組み合わせたら」


「出ないんだよねぇ。これでも筋トレがんばってるつもりなんだけど」


「……ごめん」


 こんどこそ本当に申し訳なさそうに、中宮さんが謝った。そこまでしなくていいから。

 先生と綿原さんはといえば、俺がそれ以上なにか言うのを待っているみたいな顔で黙ってるだけだ。


「大丈夫だよ。この世界の理屈もわかってきたし、俺なりにどうすればいいのか考えているから」


 みんなでで意見を言い合って、ここにいる三人にもリサーチした内容だし。

 古い文献と状況証拠ばかりの仮説みたいなものとしても、覚悟を決める材料にはなる。



「いい機会ですから八津君」


 突然先生が口を開いた。


「このクラス全員で考えてきた事、ここまでまとめた事、そしてこれからの事、中間報告としてまとめて発表してみましょう」


「ええっ?」


 いやいやいや、確かにある程度はまとまっているけれど。それをいきなり、発表? 俺が?


「みなさん、手を止めて集まってください。八津君からなにかあるようです」


 先生……、俺を追い詰めて楽しいですか?


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