第7話 とある英語教師の覚悟:【豪拳士】滝沢昇子




 わたしは『先生』という単語があまり好きではない。

 師として、先に生まれたとして、尊敬、もしくは指導的立場の者を指すとして。意味が多いのだ。しかもそれは絡み合っている。


 わたしは偉くなんてないし、尊敬されなくていい。だからわたしは『教師』でいい。

 さっきは草間君をターゲットに勝手なことを言ったけど、アレはわたしの素直な気持ちだ。自分でも荒い気性だと思っている。土台わたしみたいな若造が子供たちの生き方を導くなんて無理があるのだ。そもそも柄でもない。


 と言いつつ生徒たちに『先生』と呼ばれるのは嫌いじゃない。そこに親愛が感じられるから。

 逆に職員室でお互いに先生呼びをするのは苦手だ。さん付けじゃダメなのかと思ってしまうのは、わたしがまだ二十五だからだろうか。


『そこでですね、わたしも本音を言いましょう。帰還までの間、わたしは教師を辞めようと思います』


 そんなわたしは今、教師を辞める宣言をしてしまった。


 何故か。理不尽だからだ。

 わたしがじゃない。状況がだ。


 わたしは一介の英語教師なだけであり、彼らの担任でもなければなにかしら部活の顧問もしていない。校外学習くらいなら同行するだろうけど、異世界はどうなんだ?

 今はもう夜だ。ではこれは深夜勤務にあたるのか?

 話題になりがちな生徒が怪我なんかをした場合の責任問題は?


 そういった至極真っ当な理由で、わたしは『教師』を辞めることにした。



 ◇◇◇



 と、ここまでは本音の半分だ。


『今度の一年一組はヤバい。いい意味でヤバい』


 そんなコトを聞かされたのは三月半ばに行われた『申し送り』のときだった。


 山士幌町には小中高がひとつずつしかない上にクラスもひとつだけしかない。つまりはほぼ完全なエスカレーターになっている。

 中学から高校に上がるときにはこの地方の中核都市帯広や、さらに上を目指して札幌の私立に入る子もいる。結果、中学から高校になる段階で少々人数が減ることになるわけだ。今年は二十一人。


『申し送り』というのは山士幌中学と山士幌高校の教師たちが集まり、卒業間近の現中学三年、すなわち新高校一年がどういうものなのかを伝える場だ。

 もちろん非公式で地元の古い料理屋が会場だ。お酒も入るし、なんなら町中のだれもが知っている。どこが非公式なのだろう。紙に残らないだけじゃないか。


 そこで出てきた中学教師が全員揃って言ったのだ。


「あの、いい意味でヤバい、とは?」


 担任になることが決定していた男性教師がゴクリと喉を鳴らしながら訊き返した。


「彼らの肩書が、ということでしょうか」


 続けたのは年配の社会科教師だ。おじいちゃん先生なんて言われている。


 たしかに入学予定名簿を見ると、これがなかなかすごい。

 町長の息子、農協の偉いさんの娘、地域密着クリニックの子息、そこの看護師長の息子。

 山士幌温泉にある老舗宿の娘、有力農家の子供たち。極めつけはカッシュナーさんとこの娘さん。


 何人かとは面識もあって、クセはあるけどいい子たちだとは思うけれど。


 俗にいうゴールデンエイジというやつなんだろうか。

 けれど親が凄かろうとも、偉かろうとも、金持ちであっても子供たちには関係ない。尊大? いや『いい意味』と言っていたはずだ。



「ビールのおかわりお持ちしました。先生方、わたしたちの悪口はやめてくださいよ?」


 そういえばこの子も新一年だ。

 お盆にたくさんのビール瓶を乗せて、器用に運んできたのは上杉美野里うえすぎみのり。老舗小料理屋『うえすぎ』の次期女将が確定してる少女。


 ちょっとふくよかではあるが、けっしてみっともない印象はない。仕事用に着込んだ割烹着と上げてまとめた黒髪が実に馴染んでいる。大きな瞳と小さな鼻と口がなんともいえない優しさを醸し出して、それが歳に似合わない貫禄を纏っている。


「この店でお前たちの悪口なんて言うワケないだろ。だから怒るなよ? 頼むから」


「あらあら、わたしだって怒る時は怒りますよ」


 中学の担任教師がちょっとだけ焦ったように苦笑いをした。彼女が怒るとどうなるというのか。

 それでも両者に険悪な雰囲気はない。なんだろう、大人の空気を中学生の少女が違和感なく受け流しているイメージだ。



「面白い子たちですよ。ちょっと面白すぎるくらい」


 上杉さんが立ち去って、その担任教師は自慢げな声を上げた。嬉しくてたまらないって表情で。


「私の手柄ってわけじゃないですよ。できたのは見守るくらいのことでした」


「そうですか。それにしては楽しそうだ」


 ウチのおじいちゃん先生が話を促した。


「たしかに彼らの家庭環境が育んだのでしょうけどね、あの子たちは尖っていて面白い」


「ほう」


「個性的で皆どこか光る部分がある。けっして慣れ合うような仲良しでもなければ、いがみ合いをしないわけでもないんですけどね」


 聞いているだけなら扱いの難しい生徒にも感じるけれど、なぜかわたしの胸が高鳴った。面白そうだと。


「陳腐な言い方をすれば化学反応ってやつなのかもしれませんね。体育祭でも文化祭でも修学旅行でも、なにかイベントがあるたびにやらかして、そのくせ面白い結末になってしまうんです」


「詳しく聞かせてもらっても」


 だから思わず口を挟んでしまった。


「ええ、ええ、もちろんです」


 その日の夜は部屋に戻って独り飲みなおして、ぐっすり眠って爽やかな朝を迎えたことを覚えている。



 ◇◇◇



「わたしはみなさんの力に縋りたいと思っています」


 本心だ。今わたしたちが置かれている状況、教師などという立ち位置で打開できるとは思えない。


「教師として、誰一人欠けることない帰還を保障することは、とてもできそうにありません。わたしの度量を超えています」


 こんなわたしの無責任な発言を彼らは黙って聞いてくれている。それこそが、この子たちの輝きと信じたい。


「ですから頼ります。みんなの個性と各々の能力に期待しています」


 生徒、ひとりひとりの顔を見渡す。緊張、動揺、覚悟、ちょっとした怯え。うん、怖がってる子には申し訳ないと思ってしまう。思える自分はまだ大丈夫だ。

 別の形で必ず応える決意が固められるから。


「もちろんひとりの大人として、人間として、そしてなによりあなたたちの仲間として、全力を尽くすことをお約束します。わたしの出来る限りを尽くしましょう」


「それってなんか昼行燈な部活の顧問みたいだね」


 混ぜっ返したのは奉谷ほうたにさんかな? 元気で背が小さい彼女は、クラスのムードメーカーだ。

 ところで昼行燈なんてわたしには似合わないんだけど。



「顧問? 冗談じゃありません。現役に戻りますよ」


 さあ丹田に力を込めろ。呼吸を整えるんだ。


「全国大学女子フルコンタクト空手道選手権、ベスト4。【豪拳士】の滝沢昇子たきざわしょうこはみなさんの拳となりましょう」


「ふふふっ、出席番号零番ですね」


綿原わたはらさんは上手いことをいいますね。気に入りました。それでいきましょう」


 綺麗な顔で奇妙な笑みを見せてくれる彼女は、それはもう魅力的だった。ときどき彼のことを見ているでしょう。がんばって。

 わたしの春は日本に戻ってからかなあ。



 そうだ大事なことを言い忘れていた。


「不純異性交遊は認めません。現地ハーレムとかはもってのほかですからね!」


「そりゃないですよ!」


 談話室に笑い声が響いた。



 ◇◇◇



 さてここで白状しよう。わたしはこの手の物語を知っている。それなりに本を揃えていて、特に異世界転生モノは大好物だ。


 このクラスにも何人か同じ趣味の子はいるだろう。古韮ふるにら君たちのグループは間違いなさそうだ。そして八津やづ君。

 この状況、わたしより彼らの方が適任だと思う。だから頼るし任せよう。もちろんわたしも手を貸そう。


 残念だ。とっても残念だ。何故『クラス召喚』なのか、それが残念だ。


 わたしの好みは『婚約破棄からの溺愛』なのだから!


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