第379話 姉と妹という関係性




「僕は日和見だったんだよ。領地にはラハイダラ迷宮があり、北のウニエラとの交易路も兼ねている。南から攻め登ってくる帝国がここ、王都パス・アラウドを落としてから余裕をもって降伏するだけで良かったんだからね」


 被害者呼ばわりされたラハイド侯爵は、のほほんとした雰囲気を崩さないまま自分の状況を説明しているのだけど、随分と内容は生臭い。


「もちろん宰相をはじめとするいろいろな方々からもお話をいただいていてね、父を亡くしたばかりの若造は大変な苦労をさせられていたものさ。僕はほら、こんななりだから取り込みやすいと思われがちなんだよ」


 朗らかで柔らかい口調で話しているのに、出てくる内容は真っ黒だ。この人はどうして笑っていられるのだろう。

 なんか一度のセリフが長めだし。お喋り好きなのかな。


 俺とさほど身長の変わらなくて太っちょなラハイド侯爵は、八年くらい前に侯爵家を継いでいる。これは資料として読んだ。今の見た目からすれば、当時は二十歳をちょっと過ぎたくらいだったんだろう。

 宰相のバルトロア侯爵家にも匹敵するアウローニヤでも屈指の名門、ラハイド侯爵家の当主としては、たしかに若すぎるくらいには若い。

 なにせバルトロア侯爵家当主は未だにお爺ちゃん宰相で、息子に当たる人は四十台なのにトップではないのだ。すぐに代替わりしそうな情勢ではあるけどな。


「そんな時に舞い込んできたのがサリア様との婚姻話さ。宰相の仲介でね」


「われを中央から追い落としたかったのであろう。ライドであればわれを嫁がせても動けぬ腑抜けと見込んでいたらしいぞ」


「事実、動いていないじゃないか。取りまとめはしたけどね」


 ご夫婦による息の合った会話であるが、とても生々しい。



「完璧に政略結婚っしょ」


 この手の話に詳しいチャラ子のひきさんが、ヘラっとこぼした。

 そしてこういうお話が大好きな滝沢たきざわ先生は、いつもに比べて明らかに目力が強い。口こそ開かないが、のめり込んでるなあ。


「われとて王女よ。政略婚は当然だな。それでもまあ、ライドは面白いヤツだ。子も得られて、われは満足している」


「えっ?」


 疋さんの呟きを拾ったベルサリア様は、なんてこともないという風に現状に満足していると言ったが、最後の部分にクラスメイトたちが驚愕している。

 先生の目の輝きが一段階増したのが見えてしまう【観察】がちょっと悲しい。


 そっか、お子さんがいるのかあ。

 見た目が俺より若くて、チビっこいのだけど、合法だもんな。


「宰相の策に嵌り、サリア様に脅され屈した。僕は立派な被害者らしいよ?」


 どこからどう見てもそうは感じさせない風情でラハイド侯爵は満面の笑顔だ。


「当初は宰相の持ち込んだ縁談など、蹴り飛ばすつもりであったのだがな」


 なるほど、たしかにそういうムーブはベルサリア様らしい苛烈さを感じさせる。

 けれどラハイド侯爵の人となりを知り、考えを変えたということか。


「ちょうどその頃だ。リーサリットの持つ光を知ったのは」


 そっちだったかあ。

 目をキラキラさせていた先生がちょっと残念そうな感じになっているし。


『政争で中央から追われてしまったけれど侯爵様に溺愛されて困っちゃう』系の話を期待していたんだろうけれど、実態としては『後のことはお前に任せた』って感じの少年マンガ的な方向だものな。しかも謀略要素がメインになっているし。



「故にわれはライドとの婚姻を受諾し、王国北方の取りまとめを目指した。建前は中立で構わないが、宰相側にだけは立つな、とな」


「バレたら潰すと付け加えたけれどね」


 苛烈な合法ロリと太っちょタヌキの会話が弾む。


 この場合、『宰相派』を否定していても『第一王子派』はダメと言われていない。

 アウローニヤの北方は王家とゆかりの深いウニエラ公国との交易路だ。『第一王子派』という王家寄りの派閥を名乗りやすいのだろう。

 だけど帝国の圧力が強まれば自然と『第一王子派』は縮んでいく。


 なるほど、そんな土地柄の北方に『第二王女派』のベルサリア様を送り込むのは、宰相としても妥協の範囲だったということか。中央に居座られるよりは余程マシだと。


 それがどうしたことか、第二王女ベルサリア様は、ラハイド侯爵と結託してみせた。

 王城で暗躍を続けた第三王女リーサリット殿下とはまた別に、こっちだけでひとつの物語になりそうだな。


 そうして王城にはベルサリア様が化け物と評するもう一人の王女が残された。

 逆算すれば当時は十歳くらいだったリーサリット第三王女は、その頃に野望を燃やし始めた、みたいなコトを俺たちに言っていたっけ。



「アレは五年をかけて、少しずつ『第二王女派』を『第三王女派』に書き換えてみせた。加えて、のう?」


 実に嬉しそうに妹である女王様を持ち上げながら、ベルサリア様は横に座るアヴェステラさんに視線を送る。


 アヴェステラさんは無表情に軽く頭を下げるのだけど、ああそうか。アヴェステラさんって『宰相派』のフリをした『第三王女派』なんていうスパイ紛いの存在だった。

 キャルシヤさんを引き込んだ時のやり口も聞かせてもらったけど、女王様ってできることをなんでもやって、そうしてたどり着いたんだと思い知らされるな。


「そこまでしても危うかったのだ。帝国の存在と呆れた貴族共の両方を御さねばならなかったのだからな」


「あれ? 帝国ってたしか密約が」


 帝国という単語に、ベルサリア様にも物怖じしない夏樹なつきが気軽にツッコミを入れる。


 さすがは俺の親友だけあって、大した度胸だ。

 俺はベルサリア様に対してそういうことをする気にはなれないけどな。ヘタなことを言ったら名指しで『指揮官』だのなんだの呼ばれそうな気がするし。


「あれは見事なモノであった。われには出来ぬ方策よ」


 タメ口を容認してくれているベルサリア様は、夏樹の言葉にむしろ機嫌を良くして胸を張った。


 さっきから思っているのだけど、ベルサリア様って妹大好きな人なんじゃないだろうか。


「帝国第二皇子との密約と此度の騒乱に勝利したことで、アウローニヤは二年の時を稼ぐことができた。ならばこそリーサリットの戦いはここからこそが本来なのだろうな。無論われも尽力するつもりだ」


「なにせ息子の代には『ラハイド公爵』だからね」


 俗に言う『おれたた』展開みたいなコトを言い出したベルサリア様に続いて、ラハイド侯爵が御家の未来を語る。


 ラハイド侯爵のお子さんは王家出身であるベルサリア様の血を引くわけで、今回の手柄も合せて、なるほど公爵家にするには十分な条件となるのか。

 こういうのが理解出来てしまうのも、中世ヨーロッパ風ラノベ知識があってこそ。うん、たくさん読んだ甲斐があったというものだ。


 だけどそれも王家があってこその公爵家だ。つまりアウローニヤが王国という政治形態のまま帝国に編入されるという、これまた厳しい条件を乗り越えなければならない。

 これから女王様やラハイド侯爵夫妻は、そういう戦いをすることになる。


 完全に政治の舞台になってしまう以上、俺たちは逃げ出すだけだな。看板役とか迷宮担当とかで協力できなくもないが、それよりも帝国やら聖法国からの干渉が怖い。



「そして最後に貴様ら勇者の降臨だ。もうふた月以上になるか。あれ以来リーサリットからの書状が長くなってな──」


 そこから先は俺たちもよく知る話だった。というより、一年一組が実体験したことだからな。


 ところどころで裏話みたいなコトも飛び出してきたが、俺たちからしてみれば驚きよりも、なるほどそういうことだったのか、なんていう納得感の方が強い。

 ちょいちょい名前を持ち出されたアヴェステラさんが、無表情を装いながらも苦笑ぎみになっているのが萌えポイントだな。



 ◇◇◇



「ありがとう。われの言葉はこれに尽きる。われを上回る怪物とて、アレも妹なのでな。バカな父と兄も含めて、貴様らはよくぞ付き合ってくれた」


 もしも女王様のクーデターが無ければ、王様や第一王子は貴族たちに利用するだけされたあと、帝国に降るための生贄として吊るされていた可能性もあっただろう。


 身内に恨まれる結果になっても、それでも女王様は家族の命だけは救った形になる。


「ここにリーサリットが同席していないのは、アレの前ではわれがこうして本音を吐露できぬからだ。ラルドール、フェンタ、エクラー、ディレフ、貴様らもよくやってくれた。礼を言おう。この場から逃げ出したミームスには、われが恨みを言っていたと伝えるがいい」


「ヒルロッドさんは家庭持ちですから」


 ベルサリア様がこの場に居る勇者担当者たち、順にアヴェステラさん、ガラリエさん、ベスティさん、アーケラさんを褒め称えて、そして冗談めかしながらヒルロッドさんを落とす。


 それを聞いた一年一組の一部、とくに中宮なかみやさんあたりが殺気立つが、なんとか委員長が必死の苦笑で流してくれた。

 ヒルロッドさんのご家族は北方に避難しているわけで、今なら人質みたく扱うこともできてしまう。ベルサリア様の冗談は冗談にならないんだよ。



「リーサリットは貴様らが被害者であるという認識を持っていた。だがそれでも──」


「あのすね」


 再び被害者という単語を持ち出したベルサリア様のセリフを遮ったのは、なんと俺のキャッチボール仲間の海藤かいとうだった。

 こういう偉い人との政治が絡むような話題にアイツが割り込んでくるなんて、とてつもなく珍しい。


 普段と語尾が変わっているのは、海藤なりの目上に対する時の口調だ。チャラ男の藤永ふじながと似てしまうのがややこしい。


「ベルサリア様がそうやって勝手に女王様のコト分かった風になって謝ろうとするのは、もういいすよ」


 そこにあるのは痛ましいものを見る目、なのか? 海藤がベルサリア様を哀れに思っている?

 いや、なんか違う。海藤はそんなタイプじゃない。


「俺たちは被害者で、取り込まれて、ほかに選びようがなくて女王様に付いたすけど、これでも自分らで納得してるんです。いまさら言われるまでもない、す」


 悲しさじゃなくって……、優しさと、むず痒さもあるような。

 海藤よ、お前そんな読みにくい顔もできたのか。


「だから一度のお礼で、もう十分す。俺も姉ちゃんがいるんで、なんとなくわかるんすよ」


 俺には海藤がなにを言いたいのかわからない。

 けれどもベルサリア様は表情を変えて、ここまでで一番大人しい顔になっている。いっそ神妙と言ってもいいくらいに。


「姉ちゃんが妹自慢して、感謝して、これからもよろしくっていうの、わかるんす。俺も姉ちゃんの同級生にやられたすから」


 俺には見えていないモノを、海藤はベルサリア様から感じている。


 姉という存在が妹や弟に抱く感情。この場合は下からの立場、弟や妹から姉を見ていたならば。

 心配や自慢や感謝なんていう入り乱れた心を受け取る側の感覚か。俺の妹、心尋みひろはどうなんだろうな。俺はちゃんと兄ちゃんできていたんだろうか。


 まさか海藤からそんなコトを考えさせられるとは。普通に明るい野球小僧で、俺と口が悪い佩丘はきおかの橋渡しなんかをしてくれた、十分カッコいいヤツなのに。


 とはいえだ、海藤お前、大学生のお姉さん方になにをされたのかな?

 風紀にうるさい先生と副委員長の中宮さんの表情が硬くなっているのは見えているのだろうか。俺は知らないぞ。



「やっぱりタカシは分かってるね」


「ええ、カイトウさんは大したものです」


 そんな海藤をベスティさんとガラリエさんが絶賛する。

 そういう海藤の体質だよ、問題なのは。


「アイシロだけではなくカイトウまでもがなかなかではないか。われは聞いていないぞ。これはまた、実に愉快だ」


 一度真面目になったベルサリア様は、再びどころか今度は部屋中に響き渡るような大声で笑う。


 見た目が幼くてキーが高い声質なのに、笑い方が獰猛なものだから、なんか妖怪みたいで怖い。


「おい、なんか海藤が褒められているぞ」


「あいつお姉ちゃんっ子だから、年上女子の扱い上手いんだよ」


「将来大丈夫なのかよ」


 そんな狂気じみたベルサリア様から目を背けたクラスメイトたちは、海藤をイジることで場を乗り越えようとしている。俺も乗っかろうかな。



 ◇◇◇



「さて、感謝の言葉はここまででいいんじゃないかな? カイトウ殿には感謝のしきりだ」


「す」


 海藤をイジるざわめきが収まりかけたタイミングを見計らって、ラハイド侯爵が軽く手を叩いた。

 一文字で答えて頭を下げる海藤だけど、綿原わたはらさんもそういう返事の仕方をよくするよな。


「僕からはもうちょっとだけ実務的な話をさせてもらいたいんだ。機会は今くらいしかないだろうからね」


 ラハイド侯爵の言うとおりで、今晩は宴会で明日は戴冠式だ。

 格式張った面通しくらいはできるかもしれないけれど、侯爵ご夫妻とこんな感じで話をする機会はここでしか作れなかったかもしれない。


 明日の晩が空いているといえばそうなんだけど、本当に最期の夜なので、その場だけは、な。



「こうしてざっくばらんに話す機会はこれで最後ではないんだよ。それでも今、話しておきたいこともあってね」


「どういうことですか?」


 最後っぽいムードを醸していたのに、ラハイド侯爵は次があると仄めかしてきた。委員長が聞き返すのも当たり前だろう。


「外交部なんだけどね、実は外務卿をはじめ高官の数名が罷免されることになったんだよ。信用できる外交官が足りていない。当面は僕たち二人が外交特使として働くことにされてしまったよ」


 外務卿の罷免とか、完全に宰相派だったんだろうな。

 太っちょな首を揺らして肩を竦めるラハイド侯爵は、なんともいえない苦笑いを浮かべている。


「明日の戴冠式、各国の外交官にはもちろん参席してもらうわけだけど、こちらからも出向く必要がある。重要なのはウニエラとペルメッダだね」


 現状のアウローニヤに隣接しているのは三か国。南の帝国、東のペルメッダ侯国、北のウニエラ公国だ。西の聖法国については、大森林のせいで道が細い。


 帝国への外交使節団なんていうのは論外で、そちらは女王様ご自慢の密使がどうにかするのだろう。

 それに対して友好的なウニエラとペルメッダについては、正式な使者を立てる必要があるのだそうだ。


「ウニエラ公家には顔を出したくないのだがな。どれほど文句を付けられるか」


 まさに辟易といった感じでベルサリア様がため息を吐く。こんな顔もできるんだな。


 ウニエラ公家、つまりウニエラの公王はアウローニヤと血のつながりを持つ。前王妃様がウニエラ公家の出身だから、アウローニヤの王子や王女たちは全員のルーツが北の公国に連なるというわけだ。

 今回のクーデター騒ぎの結果、王妃様と第一王子、第二王子がウニエラ行きとなる。いくら持参金が付いてくるからといって、ウニエラ公国としては面白くない事態ではあるのだろう。


 とはいえ新しい王様、つまりリーサリット女王陛下はウニエラ公王の姪に当たる。さらに言えば使者となるベルサリア様も。


 事前に計画を聞かされた俺たちは、女王様が目指すアウローニヤの今後をある程度知っている。

 ウニエラ公国とペルメッダ侯国との交易は継続したいし、少しでも軍備を減らすためには関係を良好に保っておきたいのだとか。


 だからこその人選なんだろう。


 公王の姪っ子ご夫妻が直接訪問することで、なんとか諫めようという腹なのだろうけれど、ベルサリア様の気性は果たしてそれに向いているのかどうか。

 いや、旦那のラハイド侯爵がそういう部分を補う姿がなんとなく想像できてしまう。


 王城で頑張る妹、つまりリーサリット陛下を助けるお姉さん、ベルサリア様の構図か。

 なるほど、海藤が言っていることも理解できるような気がする。



「先にウニエラ、それからペルメッダになるだろう。再会はひと月後ってところかな」


 含みを持たせた笑みでラハイド侯爵がペルメッダへの来訪時期を告げてきた。


「その頃の君たちはどうなっているのか、それが今から楽しみだよ」


「もうこの世界にいないかもしれませんよ? あっと、もちろんいい意味で、です」


 にこやかに笑うラハイド侯爵の言葉を受けた委員長が、恰好を付けた返事をしたが、受け取りようによっては不吉なフレーズだぞ。

 慌てて言い直す委員長だけど、なんだかそれが面白い。


 強面の佩丘やお坊ちゃんな田村たむらなんかは憮然とした顔になっているけれどな。


 ああ、昨日と今日とで、総長のアレを乗り越えられつつあるような気がする。

 イベントだらけでせわしないからこそ、胸の内側にあった黒が薄まっていくのだ。


 だったら、ラハイド侯爵夫妻の騒がしい訪問も、俺にとっては薬だったのかもしれない。



 ◇◇◇



『われが出向くだけの価値はあった。誇れ。そして生き残れ』


 最後まで尊大な暴言をほざいて、ベルサリア様たちは立ち去って行った。


 並んで歩く二人はラハイド侯爵の方が縦横幅がずっと大きいのに、ベルサリア様のオーラが凄すぎて、存在感がなあ。それこそがあのご夫婦の在り方なんだろう。


「すごい人たちだったねえ」


「でも、なんか頼りがいありそうだったよ?」


 アネゴな笹見ささみさんが肩を竦める横で、チビっ子な奉谷ほうたにさんがニパっと笑う。


 頼りがい、か。

 王家の二人はあまりに豪快で壮大なお姉さんと妹の関係だったけど、俺も山士幌に戻ったら心尋みひろの友達に挨拶でもしてみようかな。アイツだって転校してきたばかりだし、妹をよろしくしてやってくれって。


 絶対嫌がられるだろうなあ。今からそれが楽しみだ。


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