第241話 イジメではない




「わたしがするのはたったひとつ。いつもと同じ、一振りだけ」


「あ、ああ」


 第四近衛騎士団『蒼雷』専用訓練場の片隅に凛とした声が響く。持ち主はその名を体現したかのような存在、サムライガールにして一年一組における武の頂点の片割れ、中宮凛なかみやりんだ。

 それとは対照的に震える声で返事をしてしまったのは、俺。


 この違いは心の差なのか、武力の差なのか。武力九十二と五十一が一騎打ちをしたらどうなるのだろう。

 そんな現実逃避をする俺の姿を少し離れた場所からサメが伺っている。本体はさらに向こうでメイスを振るっているようだけど、乱入してきてくれないだろうか。


 などとバカを考えている場合ではない。

 状況が開始されたのは、ほんの数分前だ。


八津やづくん、【目測】の使い道があるかもしれないわよ』


 すでにいくつか使い道が見つかっているのだから、そういう言い方をしなくてもとは思ったが、発言をしたのは中宮さんだ。もしかしたら武術方面での活用方法かと思い確認をしてみれば、実にそのとおりだったわけで──。



 離宮での書類仕事を終えた俺たちは昼食のあと、厳戒態勢で周辺を警戒しながら『蒼雷』の訓練場に移動した。革鎧とメットを着込み、メイスと盾はいつでも使える状態。斥候たる草間くさまが【気配察知】を常時発動させ、俺は俺で【観察】と【視野拡大】をフル回転させての行動は、王城の廊下なのに迷宮を征くが如しであったと、ガラリエさんが評したくらいである。


 まるで出入りのようだと言ったのはヤンキー佩丘はきおかだったか。チラと耳に挟んだのだが、アイツはどうやら古い任侠モノや時代劇が好きらしい。

 またクラスメイトに妙な属性が追加されたわけだな。


 昨日の事件を受けて、いつもは離宮に詰めているメイド三人衆のうちのひとり、これからはなるべく城内の移動にガラリエさんが同行することになった。ヒルロッドさんは『灰羽』の方の仕事もあるので、その代わりという形になる。

 さすがにヒルロッドさんには及ばないものの、彼女とて十階位の【翔騎士】だ。ウチで勝負になるのは滝沢たきざわ先生と中宮さんくらいのもので、そんなレベルの人間がひとり増えたのだ、これを喜ばずしてどうしようという感じだな。



 そうしてたどり着いた『蒼雷』の訓練場にキャルシヤさんはいなかったが、副長たちは普通に俺たちを受け入れて、訓練自体は滞りなく行われている。俺も【観察】や【目測】を使いながら、いつもどおりに盾の練習をしようと相手を探していたら、中宮さんに捕獲されたという流れだ。


「確認しておくわね。わたしが使う剣の間合いはつま先で見切れるのよ」


「まあ、型は習ったから、理屈はわかる」


「……本当なら肩と肘で変化もさせられるんだけど、今回は省くわね」


「……そうだな。そうしてもらええると助かるよ」


 なんで最終勧告みたいになっているのかな。

 それと、つま先だけで見切れると言ったのは自分なんだから、そこから先があるとかムキにならなきゃいいのに。



 中宮さんが提案してきた【目測】の使いどころは実にシンプルだった。


『見切りに使えないかしら』


 それについては俺も考えていたし、たぶん迷宮の魔獣にはとても有効だと想像している。

 魔獣の攻撃パターンは単純で、フェイントもかけてこない上に個体差も少ない。キュウリやヘビのように無軌道な動きそのものがウリみたいな魔獣も多いが、それにしたところでそういうパターンだと思えば型にハメられるのだ。


 つまりは距離を正確に掴むことで接触までの猶予と軌道を把握できれば、回避なり防御なりを最小限にできるのではないかと、俺はそう考えている。華麗なカウンターとか、そういう夢は見ないのが俺のリアルだ。



 だけどそれは人間には適用されない。

 体格差があり、筋量が違い、技術も違う。この世界なら階位や技能も巨大な差になってくるだろう。そんな個人差をいちいち当てはめてまで相手の攻撃を見切れるものか。


「剣の間合いは踏み込んだ足先で見えてしまうの。八津くんならわたしの視線を見ながら、剣を見て、腰の切りも見て、もちろん飛び込みも見えるはずよね」


「できてもそれって」


「普通の人なら見てから対応なんてできないし、経験者ならその前のこりの段階で体が反応するわ。打ち込む方が上級者なら、そこから軌道を変えてくるかもしれないけれど、そこに力は乗らないの」


「そういうヤバそうな技、中宮さんならできるってことだよな?」


「できるわよ。それでもいいから聞いて。本質的に剣っていうのは下半身に振り回される枝でしかないのよ。間合いの九割は踏み込んだ時点で確定している……、ふっ」


 俺の反論を一顧だにせず、中宮さんは美しい所作で握った木刀を頭上に振り上げた。

 そういうタツジンじみたコトを言われても、俺には半分も理解できないのだが。



 そこから一拍の間を置いてから動いた剣は、普段の彼女を知っている俺からしてみればあまりにゆったりと、それでいて俺が【反応向上】を使えばギリギリ受けが間に合うかもしれない、そんな一振りだった。


 カツンと硬質な音を立てて、バックラーが中宮さんの木刀を弾く。

 ああ、確かに彼女の言うとおりだ。中宮さんの踏み込みは、俺の圏内に入ってきていた。


「それでいいのよ。ここからなの、ここから。八津くんの技能なら、できるかもしれない」


 今の剣をよどみなく受けてしまったことが中宮スイッチだったのかもしれない。

 明らかに目の色が変わった彼女は、すかさず次の一振りのために構えを戻した。



「しゅぇあ!」


 体が勝手に反応して左腕のバックラーを持ち上げそうになるが、だけどこれは『当たらない』。ここで動けば俺の負けだ。

 精神を総動員して体を動かすな。ねじ伏せるんだ。それこそが中宮さんの試しなのだから。


 瞬きを許さないまま振り下ろされた木刀は、俺の鼻先数センチを通り過ぎて地面スレスレまでに振り下ろされ、そこでピタリと停止した。

 避けたのではない。避ける必要がなかったからそうしなかっただけ。


「いいわね。いいわよ! 見えているのね! まるで全然ちっとも似てないのに、それでも師範を相手にしてるみたい!」


 ああ、これはイカん。完全にモードに入っている中宮さんが目の前で燃え上がってしまっている。


 クラスの誰より正義感が強くて、そのくせ先生と武術が絡むと熱くなって、実は綿原わたはらさんの才能を羨んでいながら今以上にお近づきになりたいと考えている、中宮さんはそんな人だ。ちょっと武力にパラを強めに振っただけの高一女子。

 わかってはいるのだ。彼女が純粋で真っすぐで、こちらとしても好感を持つしかない相手であることは。


 だけどコレはマズいだろう。いつ何時、俺の脳天に木刀が叩きつけられるかわかったものではない。たとえヘルメットをつけていて、さらにははるさんが誕生日にもらったハチガネを借りているとはいえ、中宮さんが彼女なりに最大限の手加減をしているのだとしてもだ。


 いや、誰か助けろよ。

 あーあ、八津がまた中宮さんに絡まれているな、近づいたら巻き込まれそうだから見ないふりをしておこう、みたいに具体的なセリフが聞こえる空気で遠巻きに注目しているのはわかっているんだぞ。お前らなあ。



 ◇◇◇



 ヒュオっと軽快な音が耳元を通り過ぎていった。


「やりマスね。一歩も動かずとは、見事と言わざるを得まセン」


「んじゃ、俺の番なー。予告ストレートだから安心してくれ!」


【疾弓士】のミアと【剛擲士】の海藤かいとうが、俺をめがけて交互に矢を放ち、ボールを投げてくる。彼我の距離は二十メートルくらいで、ヤツらはワザと俺の体スレスレを狙って外しているのだ。



 中宮さんの発案で始まった【目測】による見切りの練習は、上段だけにとどまらず、横薙ぎの中段、足元を狙った下段、しまいには首元に向けられた突きなど、様々な型でもって行われた。

 見切り自体はできていたのだが、だんだん中宮さんがマジモードになったせいか、当たる軌道の割合が上がっていったのがちょっとなあ。最後の方は、単純に俺の防御練習にしかなっていなかったような気もする。


 いい汗をかいたとばかりに爽やかな中宮さんを他所に、俺の精神はガリガリに削れていた。

 そんな場面に登場したのが、遠距離アタッカーの二人組である。


『飛び道具にも対応できるか試した方がいいだろ。ミカンとかキュウリとかの練習になる』


 普通の笑顔でそういうことを言ってくるから海藤はズルい。

 ミアはミアで矢じりの代わりに訓練用の綿が先端についている矢まで準備完了しているし、海藤が持っているのも鉄芯ボールではなく木製の投擲訓練用だ。


「距離がわかっても速すぎて意味ないぞ、これって。軌道を読むのはむしろ【観察】だ」


「距離を把握し続けるだけの効率的な熟練度上げデス」


 俺が事実で文句を垂れても、ミアは正論で殴り返してきた。たしかに動く物体との距離を【目測】し続けるのは意義がありそうで、実に反論がしにくい。ミアのくせに。

 ええい、ならば海藤だ。



「知らない人が見たらイジメの構図だろコレ。それでいいのか、海藤」


 お前は純真な野球少年だろうに。わかっているんだぞ、キミはイジメとは真逆の正義感を持つ男だということを。


「過酷な練習はそう見えるもんだぞ。そもそも八津なら避けれるスピードだろ?」


「ぐぬぬ」


 たしかに海藤の言うとおりではあるし、俺の安全対策も万全なのだ。


 今の俺は訓練用の革鎧とメット、さらには迷宮泊用の折り畳みマントを胸から膝までぶら下げている。さらにはどこから見つけてきたのか面頬めんぼおみたいなマスクをつけて、そこに春さんのハチガネと、さらにはゴーグル代わりに滝沢たきざわ先生の伊達メガネまで装着しているのだ。

 メガネを貸してくれた先生が名残惜しそうだったのと、なぜ自分のではいけないのかと迫る綿原さんがいたのだが、サメメガネは度入りだからダメなんだよ。



 そう、綿原さんだ。こういう場面で真っ先に乗り込んできそうな綿原さんが未だに本格的に行動しないのがちょっと気になっている。というか寂しい。

 なのにこうしているあいだでもサメが一匹、こちらを視察しているがなんとも。【自立可動】なんていう技能はないはずなんだが。


「なあ、アレって何してるんだ?」


「アイツ、噂の『指揮官』ってのだろ?」


「団長が言ってたな。騎士団長を駒扱いする男とか」


 観客の方からなんかボソボソと聞こえてくるんだが。


 もちろんこの場にいるのは『緑山』だけではない。ここは『蒼雷』の訓練場なのだから、そういうことだ。騎士のみなさん、自分たちの訓練はどうなっているのかな。

 そしてこの場にいないキャルシヤさん、なにを吹き込んでくれているんだ? 俺が不敬の常習犯だとでも伝えたかったのだろうか。



「さっきはずっと剣を避けたり受けたりしてて、全然攻撃してなかったぜ、アイツ」


「指示しかしないってのは、ホントだったのかよ」


「けどよ、矢を射られても、全然動じてやがらねえ」


「たしかに……、すげえ胆力だな」


 貶しているのか褒めているのか、どっちかハッキリしてもらいたい。

 というか、なんで俺はさらし者みたいになっているんだ?


「……『不動の指揮官』」


「『動かずのヤヅ』、か」


「ちょっとそこぉっ!?」


 さすがにこれ以上の二つ名は勘弁してほしい。

 思わず叫んだ俺の体をミアの矢が掠めたが、それはもはやどうでもいいことだ。


「すげえぞアイツ。矢が掠ったのに気にもしてやがらねえ」


「なるほど、団長が一目置くわけだ」


 俺の抗議の声で小さくはなったが、それでも見物人が口を閉ざすことはない。



「さっきまで『不動』を殴ってた女もすごかったな」


「ああ、若い女が笑いながらだぜ。ありゃ怖え」


「聞いたことあるぜ、『曲剣のナカミヤ』だ。迷宮の中でもアレで戦ってるらしい」


「あの曲がった棒だろ? どっちかってと『いたぶりのナカミヤ』だろありゃあ。普通、動かない相手にあそこまでできるか?」


「そうだな。『滅多打ちのナカミヤ』。可愛い顔して、恐ろしいヤツだぜ」


 俺から話題が逸れたそんな会話はちゃんと聴こえていたようで、あっちで素振りをしていた中宮さんが膝から崩れ落ちている。もしかしたらウチのクラスで一番あだ名が多いのは彼女じゃなかろうか。

 ざまあみろ。仲良くしような。



広志こうしりんばっかりズルいデス!」


「ははっ、俺も欲しいんだけどな。『左のエース』とか」


 いつの間にかミアと海藤が俺の傍までやってきていた。いやまあ、見えていたから好きにさせていただけだけど。


「勝手に名乗ればいいじゃないか」


「そりゃダメだろ」


「授けられてこそ価値が出るんデス」


 謎のこだわりか。そういうのは嫌いじゃないが、実際に食らってみろ。けっこう痛いんだぞ。



「で、『不動の八津』くん」


「なにかな、綿原さん」


 満を持してとばかりに声を掛けてきた綿原さんだが、当然こちらの接近も見えていた。

 そんな綿原さんは堂々と腕を組んでの仁王立ちだ。両肩の付近には二匹のサメが侍っている。風格あるなあ。


「なら動けばいいじゃない」


「なん、だって?」


 動いていいのか、俺は。

 ……いやいや、動くよ。俺だって人間なんだから。なんで動いちゃダメだみたいなノリになっていたんだ。


 だが、そんな簡単なコトに気付くのが難しいのも人間の本質なのかもしれない。思い込みというのは危険なのだ。

 それを気付かせてくれた綿原さんには感謝しかないな。ちょっとだけ魔王っぽい現れ方だとか思ってしまって申し訳ない。


 そこでニヤついている海藤とミアも、少しは綿原さんを見習った方がいいぞ。



「わたしなりに考えていたのよ」


「なにを?」


「【目測】の使い方をよ」


 そう言い切る綿原さんは、モチャっと笑った。


 俺たちは話し合いを大切にしている。

 べつに個人の判断を捨てようという意味ではない。異世界に来てしまった以上、情報収集と対応はなるべくいろいろな意見を聞くことが大事だと考えたからだ。この点について異論を放ったクラスメイトはひとりもいない。


 戦い方も、普段の生活も、鍛え方も、アウローニヤとの付き合い方も、個人個人の想いはあるが、それでもまずは話し合ってからだ。

 それの最たるものが『技能』かもしれない。綿原さんの【鮫術】にこそ口を挟む者はあまりいないが、たとえば【騒術師】の白石しらいしさんが持つ【音術】に対しては、たくさんの連中が意見を出した。その結果生まれたのが『エアメイス』だ。いい話だな。


 要はだ、自分が持たない技能であっても、思いつけば口を出すことをためらわないようにしようと、俺たちはそう決めている。

 もちろん今日だけでも【目測】に田村たむら藍城あいしろ委員長、中宮さん、ミア、海藤と、たくさんの連中が意見を出してくれて、俺が思いつかないような使い方を示してくれた。シシルノさんも加えておこうか。もはや仲間みたいなものだからな。


 そこに綿原さんの意見が加わろうとしている。

 いろいろ考えてくれていたからこそ、午後の訓練で接点が少なかったのだろう。決して俺がイジメられているのをスルーしていたわけではないはずだ。だよな?



「もう時間ね」


 ボツリと呟く綿原さんは夕陽を背負っているものだから、魔王感が高まっている。

 言われてみればもう夕方だ。そうか帰る時間になっていたのか。俺はどれだけいたぶられていたのだろう。


「話は離宮に戻ってからよ。その前に八津くん」


「なに?」


「先生に返してきなさいな、メガネ」


 そう言って綿原さんは懐から青色のメガネ拭きを取り出した。


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